谷崎潤一郎『痴人の愛』詳しいネタバレあらすじ

谷崎潤一郎作『痴人の愛』のあらすじを、章ごとに詳しく紹介するページです。

※簡単なあらすじ、登場人物紹介はこちら(『痴人の愛』トップページ)

※ネタバレ内容を含みます。

 私は、八年前に浅草の雷門の近くのカフエエ・ダイヤモンドで給仕をしていたナオミに出会いました。その時彼女は十五歳で、私は二十八歳でした。「ナオミ」という西洋人のような名前の響きと、美しい顔立ちが私の気をひきました。

 私は電気会社の技師をしており、芝口の下宿から大手町の会社に通っていました。私はナオミを預かろうという考えをもちましたが、結婚するだけの勇気はなく、生活に変化をあたえようと試みる程度の気持ちで、ナオミの成長を見届けて、気に入ったら妻にしようと考えました。出会ってから二か月ほど、私たちは公休日に映画を見たりして、親しみを深めていきました。

 ナオミに父親はおらず、母と大勢の兄弟と暮らしているようでしたが、あまり家族のことを話したがりませんでした。本が好きだというので、私は学問をさせてあげようと提案しました。これは奉公をやめて私に引き取られることを意味していましたが、ナオミはあっさりとそれを了承しました。ナオミの母親もまた、無責任な様子で、娘が引き取られることをあっさりと了承しました。

 私は大森の駅の近くに、いわゆる文化住宅と言われるような洋館を借りました。

 私はナオミを引き取り、五月下旬に洋館へ移りました。当初は友達のように暮らそうと話し、眠る部屋は二人別々に設けました。ナオミは英語と音楽の稽古に通うようになり、以前は悪かった顔色もよくなり、健康で快活な女になりました。

 私はナオミをおいて二週間ばかり帰省したことがありましたが、彼女がいない生活を味気なく感じ、予定を切り上げて早めに東京へ帰りました。

 ナオミが海に行きたがったので、私たちは鎌倉に三日間の旅行に出ました。海水服を着た彼女の、四肢の整っており、健康な肩と優雅な首を持っていることを知り、私は喜びを覚えました。ナオミは、泳ぎ、ボート漕ぎ、ヨットなどを覚えました。銭湯へ行くのを大義がったことから、私がナオミをお湯入れて洗ってやる習慣がつきました。

 私はナオミの成長を日記に記しました。そのうちに二人の間に了解のようなものが生まれ、ナオミが十六の年に初めて関係を結び、お互いの実家の了承をもらって籍を入れることになりました。
 ナオミは活動写真に出てくる西洋の女優を真似るのが得意でした。私は膨大な衣服を買ってやりました。衣装は奇抜なものが多く、外出すると女優か混血に思われるようでした。外出できないほどに奇抜なものもありましたが、私はそれらを室内で着せ、眺めて過ごしました。ナオミはそれらの衣服をだらしなくほったらかし、だいたいは素肌に着るのですぐに垢がつきました。

 私はナオミのことを甘やかしましたが、教育をしっかり受けさせるという試みを捨ててはいませんでした。英語に関しては、彼女は発音だけは良いものの、文法はまったくできませんでした。英語の教師であるハリソン嬢は、ナオミの利発そうな見た目に先入観を覚え、非常に賢い子だと褒めちぎりました。私は内心喜びましたが、文法を知らなくては意味がないと思い、家で厳しく指導しました。ナオミの出来があまりに悪いので、私はよく叱りとばしました。するとナオミも強情になり、沈黙をもって反抗しました。この頃からナオミの傲慢で我儘な態度が段々と昂じてくるようになりました。

 学問の上では全く見込みがないことがわかりましたが、肉体の上で私はますますナオミに魅了されていきました。私は世の中の男が女に「騙される」わけではなく、「騙されてやる」ことで、ズルズルと女にひきこまれていくことを悟りました。トランプのような遊戯においても、私はナオミにわざと負けているうちに、本当に勝てなくなってしまいました。

 ナオミは十八歳になりました。ある日私が会社を早く切り上げて家に帰ると、彼女は同じ年の頃の男と話していました。男は浜田という慶應義塾の学生で、ソーシャル・ダンスのクラブを作るのでナオミを誘ってきたようでした。アレキサンドラ・シュレムスカヤという、革命で夫も子供も行方知らずになり、身一つで日本に来て生活に窮しているロシア人がダンスの先生をすることになり、ナオミの音楽の先生である杉崎春枝女史がクラブを組織し、浜田がその幹事になったのだと言います。ナオミがダンスをしたいと言いだしたため、私たちはクラブに入会しました。私たちは教室に行き、まあちゃんという男、浜田や、杉崎女史、西洋人の妻になっている女、またシュレムスカヤに紹介されました。

 西洋人に憧れを抱いていた私は、シュレムスカヤ夫人に惹かれ、ダンスを続けました。私たちは稽古を積み、銀座のカフエ・エルドラドオに出かけることに決まりました。ナオミはそのために服を拵えてくれと私にせがみました。
 その頃から、ナオミの贅沢が度を増してきて、私の月収では追いつかなくなっていました。ナオミはだらしなく服を散らかし、掃除もしなかったので家の中が埃まみれになりました。女中を雇っても、ナオミのだらしなさに呆れ、みな辞めていきました。私は貯金を使い果たしましたが、金がなくなるとナオミか拗ねるので、故郷からお金を届けてもらうまでになりました。

 こしらえた衣装を着たナオミを見て、私は下品だと感じました。カフエ・エルドラドオ着くと、始めのうちは気後れしていたナオミでしたが、ほかの女を見下すことで自信を回復していきました。浜田や、まあちゃんと呼ばれていた熊谷政太郎も参加していました。私はこの連中に囲まれるのを不愉快に感じました。浜田と踊っていた女優の春野綺羅子や、ピンク色の服を着た西洋かぶれの実業家のお嬢さんである井上菊子を私は知りました。ナオミはぞんざいな口調で他の女を貶める発言を繰り返しました。

十一

 私の踊りがあまりに下手だと言って、ナオミは私と踊るのを途中で拒否しました。私はその後綺羅子に誘われて踊ることになりましたが、ナオミの時とは対照的な踊りやすさを感じました。ナオミは西洋人に娼婦と思われ、踊りに誘われました。私は、舞踏会というものは虚栄とおべっかと自惚れと気障の集まりであると悟り、ナオミこそがその代表者であったことに失望しました。

十二

 私たちの家には浜田、熊谷、その他の舞踏会で近づきになった男が出入りするようになりました。ある夜十一時過ぎにひどく雨が降ってきたため、ナオミは浜田と熊谷が泊まることをすすめ、四人が同じ蚊帳の中に眠りました。ナオミはふしだらな格好で、浜田や熊谷と私が平等にナオミの身体に近づけるようにと、足の角度を頻繁に変えました。

 私は、ナオミが寝た後、彼女の足の甲に唇をつけました。

十三

 同僚が洋行を命じられ、壮行会を行った時のこと、私が女優か混血児を連れてダンス場に出入りしているという噂が社内で流れていることを知りました。浜田が同僚の親戚であり、そこから話が漏れたようでした。私とナオミの関係を知らない同僚は、ナオミが慶応の学生らを荒らし回っているという情報を私に伝えました。私は狼狽し、上の空でその場を離れ、家に帰りました。私は、ナオミの貞操よりも、彼女を失うことの方が恐ろしく感じました。家に帰るとナオミは寝ていました。その罪のない寝顔を見て私は安心しました。

十四

 目覚めたナオミに社内であったことを伝えると、自分の性格が男っぽいので、男友達とばかり遊んでいるが、決して男と二人で会うことはないと誓いました。それ以来ナオミも少しずつ態度を改めるようになり、再び楽しい生活が戻ってきました。

 私たちはナオミの提案で、十日間の有給をとり、夏の旅行に鎌倉に行くことにしました。宿泊には、杉崎女史の親戚の、借りたままで使わずにいる貸間を譲ってもらいました。

 ある日海水浴をしていると、浜田と熊谷が偶然現れました。二人の友人の関の叔父の別荘が近くにあり、日帰りで訪れているといいます。私はしかたなく彼等を夕食に誘いました。

十五

 浜田、熊谷とその仲間の関と中村も加わって、賑やかな夕食となりました。私は、彼らも悪い連中ではないと思いました。鎌倉の宿泊を延ばしたいというナオミの希望で、十日間の有給のあと、私は鎌倉から会社へ通うことにしました。

 仕事がたてこみ、十一時頃帰宅する日が続いたあと、珍しく八時頃に家に着くと、ナオミはいませんでした。母屋のかみさんを問いただすと、浜田や熊谷がここに遊びに来ているのは、関の親戚の別荘ではなく、熊谷の親戚の別荘であり、ナオミは毎晩夜遅くまでどこかへ行っているようでした。私たちの鎌倉行きは、大勢のものが加担した、周到な示し合わせと嘘によってなされたものでした。私は証拠をつかもうと熊谷の親戚の別荘へと赴きました。すると暗闇の中でナオミが熊谷、浜田、関、中村と下品な話をしながら海岸を歩いているところを見つけました。ナオミからは酒の匂いがしました。私はこれまでに彼女が酒を飲んでいることを見たことはありませんでした。

十六

 ナオミと母屋のかみさんを問いただすと、やはり鎌倉に熊谷の親戚の家があり、今私たちが借りている部屋も、実は熊谷の世話で手に入れたものだということがわかりました。熊谷とナオミはお互いの家を頻繁に出入りしているようでした。ナオミはそれでも熊谷との関係は一切ないと言いはりました。私はナオミが外出できないよう、赤いガウン一枚だけにして、ナオミの持ち物から手紙のような証拠を見つけようと、大森の家に行ってみることにしました。するとそこには浜田がいました。私の家にいるところを見られ、観念した浜田は全てを白状しました。浜田は当初、私とナオミの関係を従兄弟同士だと聞かされていました。知り合って間もなく関係を持ちましたが、私とナオミの本当の関係を知った時には引き返すことはできなくなっていました。ナオミは浜田に大森の家の鍵を渡し、たまに鎌倉から大森に赴いて会っていました。しかしその浜田でさえも騙されており、今ナオミを一番自由にしているのは熊谷だといいます。浜田はナオミを心から愛しており、いずれ嫁にもらう約束をしていたようでした。私は浜田に対し、怒りではなく、同情を感じました。

十七

 私は浜田を誘って料理屋へ行きました。浜田は、ナオミを捨てないよう私に頼みました。私は浜田に感謝して別れました。鎌倉に帰るとナオミは寝ていました。私は寝ているナオミを起こし、大森の家で浜田に会って全てを聞いたことを伝え、これからは熊谷に会わないよう約束させました。

十八

 私たちは大森に戻り、表面的に和解したものの、わだかまりは残りました。ナオミは私に冷淡に接するようになりました。私はナオミの肉体にのみ引きずられ、愛情はなくなってしまったように感じました。昔のような愛情を呼びさまそうと、私は子供を作ることを提案しましたが、ナオミはきっぱりとそれを断りました。

十九

 私はナオミを更生させるため、この洋館を引き払い、日本家屋に住もうと提案しましたが、それもナオミは断りました。
 鎌倉から戻った二ヶ月後、ナオミがいつもより派手な化粧をしているのに疑いを抱き、私は家を出ると見せかけて、物置小屋の炭俵の陰に身を隠しました。そしてその後外出するナオミの後をつけ、熊谷と会っているのを確認しました。ナオミが家に帰ると、私は出て行けと叫びました。一旦は哀願したナオミでしたが、私が態度を変えないのを見ると、あっさりと荷物をまとめて出て行きました。

二十

 私は一度はせいせいした気持ちになりましたが、直後に最後に見たナオミの顔の非常な美しさを思い出し、後悔し始めました。私は四つん這いになり、ナオミを自分の背中に乗せて部屋の中を這い回ったことを思い出し、ナオミの昔の写真を出してきて眺めました。

 眠れない夜を過ごした私は、朝一で千束のナオミの実家へ行きましたが、彼女はいませんでした。

二十一

 私はナオミが熊谷のところに行ったのだと思い込み、酒を飲んで辛さを忘れようとしました。私は浜田のことを思い出し、翌日の朝、住所を聞いておいた浜田の家に向かい、ナオミの消息を尋ねました。浜田によると、ナオミは、その前日、エルドラドオのダンスに、 家を出る時には持っていなかった洋服を着て現れたようでした。熊谷を含めた五、六人の男が一緒で、その中には西洋人もいたようでした。

二十二

 私は浜田にナオミの状況を調べて知らせてもらうように頼みました。浜田は熊谷に事情を聞いてきました。それによると、私と別れた日の夜にナオミは熊谷の家に行き、大胆にもそのまま前回の密会を私に知られたのと同じ旅館に泊まりました。翌日は横浜に行き、それほど懇意でない、エルドラドオで無理に踊らされた西洋人のウィリアム・マッカネルの家に泊まりました。マッカネルはナオミに豪華な衣装をつけてエルドラドオに現れました。

 これを聞いた私は泣き出し、浜田に抱きつきました。今やナオミは皆の慰みものになっており、ひどいあだ名もついているようでした。そこまで聞くと私は逆に気分がサバサバしてきました。

二十三

 浜田と私は気晴らしに散歩に出て、店に入って酒を飲みました。浜田によると、ナオミは関や中村とも関係を結んでいたようでした。皆はナオミを共有しており、浜田はなんとかナオミを救い出そうとしましたが、意見をすると怒りだすので、手をつけられませんでした。浜田は、ナオミはこれからさらに堕落するだろうと言いました。

二十四

 私の郷里の母親が脳溢血で死にました。私はこの悲しみによって心が浄化され、一度は田舎に帰って生活しようとしました。しかし東京に帰るよう郷里の皆に言われ、それに従うことにしました。

 ナオミのことでしばらく休んでいたため会社での信用を失っていた私は、辞職を決め、ナオミの来そうなところには寄り付かないよう生活を送りました。

 ある十二月の半ばの寒い日、荷物を取りにきたと言って、ナオミが突然訪れてきました。私は鍵を置いておけといって背を向けていました。するとナオミはわざと私の目に入るような場所で着替えを始め、一度では荷物を運びきれないのでもう一度来るかもしれないと言いました。私は鍵を置いていかせ、もう一度来るなら使いのものに荷物を取りに来させるように言いました。しかし二、三日後、再びナオミは訪ねてきました。

二十五

 ナオミは合鍵を作っていました。私は西洋人のような衣装を着たナオミの風貌が今までとは変わっていることに気づきました。肌は不思議と今までよりも白くなっており、化粧や髪型も変えたようでした。私はその高貴さに目を奪われました。ナオミは二、三日のうちにまた来ると言いました。

二十六

 ナオミは毎晩のように来るようになり、私と馴れ馴れしく口を利くようになりました。友達のような関係を結びたいと言ったので、私はそれを承諾しました。ナオミは普段の居場所は明かさないまでも、さらに頻繁に訪れるようになり、私の情欲を募らせるように仕向けました。私は徐々にその策略にはまって行き、ヒステリーを起こすようになりましたが、ナオミは体を触れさせることは一切しませんでした。

二十七

 ある夜十二時をまわり、ナオミは泊まって行くと言って私の隣の部屋に入りました。翌朝、ナオミは私の枕元にいました。たった今朝湯をしてきたばかりで、肌を触らないようにという条件で、私に顔を剃らせました。顔だけでなく、肩や背中、脇の下まで私に毛を剃らせたため、誘惑に負けた私は剃刀を捨ててナオミの肘へ飛びつきました。ナオミは抵抗し、私を気違いと呼びました。私は自分を馬にしてくれと頼み、四つん這いになりました。ナオミは私の気が本当に違ったのかと思ったようでしたが、私の上に馬乗りになり、何でも言うことを聞くこと、お金をいくらでも出すこと、一切の干渉をしないことを約束させました。

 私は田舎の財産を整理して、そのうちの半分をナオミにやり、後の半分を今後の仕事のためにつぎ込ませられました。さらに田舎に帰ることを断念させられ、ナオミが見つけてきた横浜の西洋館に引っ越すことにさせられました。

二十八

 それから三、四年後、私は田舎の財産を整理して、横浜山手の西洋館に引っ越し、学校時代の同窓と電気機械の製作販売を目的とする合資会社を始めました。ナオミの提案で、私たちは違う寝室に寝ることになりました。ナオミは朝遅く起き、湯に入ってから一時頃食卓へ姿を現し、晩には化粧をして客に呼ばれたり、ダンスへ出かけたりします。浜田や熊谷との交際は途切れたようでしたが、西洋人との交流が増えました。私はそのうちの一人を一度殴ったことがありますが、その後ナオミからまた新しい条件を持ち出され、服従することとなりました。私はナオミに逃げられかけた経験を忘れることができずに、大人しくしています。ナオミの英語は達者になりました。ナオミは今年二十三歳で、私は三十六歳になります。