谷崎潤一郎『魔術師』の登場人物、あらすじ、感想

 『魔術師』は、1917年1月、雑誌『新思潮』に発表された谷崎潤一郎の短編小説です。人間の心を意のままに操る魔術師に魅了される男の姿が描かれ、耽美主義と言われる谷崎潤一郎の初期から中期における作品の特徴が顕著に現れた作品です。過激ともいえる修辞上の技巧を凝らした文章で書かれた作品で、谷崎潤一郎自身はこの作品について、「作者が真に縷骨彫骨の苦しみをもって書いたもの」という言葉を残しています。このページでは、登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『魔術師』の登場人物


語り手。官能的なものに惹きつけられる嗜好を持っている。

恋人
「私」のことを深く愛しており、「私」の嗜好に影響されて魔術師のいる公園に興味を持ち始める。

魔術師
公園の池の淵にある小屋で興行を行っている。訪れた人すべてを魅了し、意のままに操る力を持っている。生きた蛇の冠を頭に巻き、ローマ時代のトーガを身につけ、黄金のサンダルを穿いている。

『魔術師』のあらすじ

 ある初夏の夕べ、文明の中心であるヨーロッパからかけ離れた国の都で、私は恋人と腕を組み合って通りを歩いていました。
 恋人は公園へ行ってみようと私を誘いました。私はその町に公園があることすら知りませんでしたが、自分の感化を受けてその公園に興味を覚え始めたのだと語る彼女に、そこには人間の魂を脅かし、官能を蠱惑する、破天荒な興行物があるはずだと答えました。
 恋人は、公園の池の淵に小屋を出した、見るものすべてを魅惑する若くて美しい男の魔術師について語り始めました。その魔術を見たものは必ず病みつきになって、自分でも分からないまま、毎晩出かけていくことになるようでした。
 恋人は、愛する私と一緒ならば、その魔術師に惑わされることはないだろうと言いました。私は軽い不安と嫉妬を覚えながら、自分たちの魂がその男の魔法にかかるかどうかを試すために、その公園に行こうと言いました。
 その公園へ向かう道には、魔術師に幻惑された人々がぞろぞろと列をなして訪れていました。私たちは腕を組みながら人ごみの中に入り、公園へと向かいました。店の両側にある店のバルコニーからは、酔いしれた男女が次々と真っ逆さまに、群衆の上に落ちてきました。彼女は、この公園に来る人は毎日このように騒いでいるのだと私に教えました。私は、このような喧騒の中で、「心憎い沈着」と、「純潔な情熱」を保ち続けている彼女を、女神のように感じました。

 私たちは「Grand Circus」と書かれた広告燈のイルミネーションを見ながら、広場へと辿り着きました。広場から延びる大通りは、ありとあらゆる様式の建築物が聳えていて、人気を呼んでいる小屋が集まっていました。
私は、美しさと醜さの融合した大通りに恐怖を覚えながらも、恥辱を受けるのが嫌で、この公園にたびたび来たことがあると恋人に嘘をつき、その果てにある魔術師の小屋へと向かいました。
 私の恐れとは対照的に、恋人は軽快で無邪気な足取りでした。私は、彼女がこの公園に来るには、あまりに気高く正しい人間なので、彼女のために自分たちの縁を切った方がよいのではないかと伝えました。しかし彼女は、私と歩いている道がどれほど幸福かであるかを語り、自分を可哀想だと思うのなら永劫に捨てないでほしいと言いました。二人の恋と魔術使の術のどちらが強いかを試しに行くのだと言う彼女の真心を垣間見た気がした私は、感奮をおぼえました。
 コウモリのような怪物の姿に模したポプラの並木の森にある、澱んだ水が静かに底光を見せる池の中に鋭い岩が重っており、その岩に挟まれたところに、魔術師の小屋の鉄門がありました。
 私たちは、その岩に伸びる仮橋を渡って、魔術師の小屋へと入りました。そこは荘厳な装飾の張り巡らされた大劇場となっていて、あらゆる座席は、外国人の客で埋め尽くされていました。その中には、名の知れた大政治家、大実業家、芸術家、宗教家も見受けられましたが、日本人は私たちの他に一人も見当たりませんでした。
 私と彼女は、かろうじて空いていた椅子に座りました。舞台の上の最も高いところには、生きた蛇の冠を頭に巻き、ローマ時代のトーガを身につけ、黄金のサンダルを穿いた若い魔術師が座っていました。階段の下には、三人ずつの男女の助手が、奴隷のように畏まりながら額ずいていました。
 私は、門を入るときに渡されたプログラムを開けてみました。そのプログラムによると、魔術師は観客を催眠状態にし、暗示の通りの錯覚を覚えさせたり、植物の種子に呪文をかけて花を咲かせ、実を結ばせる「時間の短縮」という妖術や、呪文の力で十分間に一人の婦人を妊娠させ分娩させる「不思議な妊娠」と題された演技を行なっているようでした。
 私たちが入場した時には、演目はあと一つを残すだけになっていました。それは『人身変形法』というもので、人間の肉体を即座に他の物体に変えてしまうというものでした。
 魔術師は、舞台の上にいる美しい一人の女奴隷を呼び、何になりたいかと聞きました。奴隷は孔雀になりたいと答えました。魔術師が呪文を唱え始めると、奴隷はさも嬉しげな微笑みを浮かべながら、孔雀へと姿を変えていきました。そのほかの五人の奴隷も、妖術を施され、豹の皮、燭台、蝶々に変形させられました。
私はその魔術師が話している間、その美貌に心を奪われました。彼は男にも女にも見え、人種も定かではありませんでしたが、あらゆる人間の長所と美点を持ち、誰に対してもそのエキゾチックな魅力を持って、欲しいままに性的な誘惑を試みる資格があるように感じられました。
 魔術師は、観客の中に自分の魔術の犠牲になるものはいないかと聞きました。
 すると、特等席にいた一人の覆面の女性が名乗りを上げました。これまで魔術師の美貌に惑わされて見学に来ていた女で、その日は妖術にかかることで、自分の恋が叶ったものだと諦めるつもりでした。このように魔術師の魅力に惑わされた人々が、次々と舞台に上がりました。私もまた夢中で席を離れ、自分の袖を捕まえて涙を流す彼女を尻目に、半羊神になって魔術師の玉座に座りたいのだと頼みました。
 魔術師が魔法杖で私の背中を打つと、私は二本の角を持つ半羊神に変形しました。有頂天になって舞台の上を浮かれまわっていると、彼女は、もし私を元の人間に戻すことができないのであれば、私を永劫に捨てることのないよう、自分も半羊神にしてくれと魔術師に頼みました。
 すると魔術師は、彼女をたちまち半羊神に変えてしまいました。彼女は私めがけて走り寄り、自分の頭の角を私の頭の角に絡みつかせると、二人の首はとんでも跳ねても離れなくなってしまいました。

管理人の感想

 神秘の力によって超科学的な現象を編み出す魔術は、古来から欲望を叶えようとする人間の心を惹きつけ続け、文化、宗教、政治とも深く関わり、歴史を動かしていったことは周知の事実で、科学によって身辺のことの多くが解明された現代においても、魔術という言葉は、人間にとって魅力的な響きをもたらすものであり続けています。

 この物語に登場する主人公の男も、そのような魔術の魅力に取り憑かれた人間のひとりです。
 ある晩、男は恋人から、魔術師のいる小屋に行ってみたいと誘われます。人々が酔いしれる怪しげな公園を抜けてその小屋へ辿り着くと、ひとりの美しい魔術師が、さまざまな見せものを人々に披露しています。性別も人種も定かではないものの、人間のあらゆる長所と美点を持つ魔術師のエキゾチックな魅力に男は魅了され、自らすすんで魔術の犠牲になることを望み、半神羊へと姿を変えられてしまいます。恋人が魔術の虜となってしまった女は、愛していた男を取り戻すため、自らも半羊神にしてほしいと魔術師に頼みます。結局、半羊神にさせられてしまった二人は角を絡み合わせ、その角は飛んでも跳ねても離れなくなってしまいます。
 男にとってその存在自体が初耳であった公園の異様な光景、そして邪悪な魔術の数々は、エドガー・アラン・ポーの作品を彷彿とさせるような、不気味で禍々しい雰囲気に満ちており、まるで悪い夢でも見ているかのような感覚にさせられます。古今東西あらゆる場所から人間の官能を刺激するものばかりを集めたような世界の描写は、耽美派と言われる谷崎潤一郎にとっては十八番とも言えるものであり、幻想的でありながら、どぎつい極彩色の世界を、読者の目の前にありありと描きだしてくれています。
 二人が半羊神の姿になり、角が絡み合って離れなくなってしまったという結末も、魔術に囚われた人間が陥った呪いのようでもあり、「絡まり合って離れない角」というのが、何かを象徴しているようでもあり、面白いオチの付け方だと思います。
 耽美主義の代表的作家として知られる谷崎潤一郎と、古代から人間を幻惑し続けてきた魔術は、非常にマッチする組み合わせであると思います。