ドストエフスキー『悪霊』(第二部)の詳しいあらすじ

ドストエフスキー作『悪霊』第二部の詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

※他の部分のあらすじはこちら

第一部  第三部(準備中)

第一章 夜

 ステパン・ヴェルホーヴェンスキーとダーシャとの結婚が破談となり、シャートフがニコライ・スタヴローギンを殴りつけ、リザヴェータが倒れた事件の噂は、不思議なほど早く町じゅうに伝わり、社交界からも関心を集め、婦人たちはマリヤ・レビャートキナに興味を抱きました。
 その翌日からレビャートキンは、マリヤと共に行方知れずになりました。
 ステパン氏は家に引きこもり、成り行きを恐る恐る見守っているばかりでした。「私」は、シャートフには会えなかったものの、あちらこちらへ出かけ、いろいろな情報をステパン氏のところへ運びました。
 「私」とステパン氏は、ピョートルがこの話を広めたに違いないという結論に達しましたが、ピョートル本人はそれを否定し、自分が話す間もなく皆に知れ渡っていたと主張しました。リプーチンは事件のあらましをすべて熟知しているようでした。

 リザヴェータとニコライがお互いに幻覚症で寝込んだという噂は、ドロズドワ家とスタヴローギン家が共に門戸を閉ざしてしまったことで拍車がかけられ、二人の関係が取り沙汰されたり、ニコライがある特殊な任務に基づいてこの県に滞在し、K伯爵を通じてペテルブルクの最上部層に出入りしているのかもしれないといった話が広まりました。
 ユリヤ・レンプケ夫人は、ワルワーラ夫人の容態をたずねたことで、この出来事に関してすべてを知っていると推測され、ファースト・レディーとしての地位を確立することとなりました。

 ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは、すぐに町じゅうのものと知り合いになり、スイスですでに知り合っていたユリヤ夫人の食卓に毎日のように現れました。彼は海外での秘密出版や会議に参加していた革命家で、一度自首した後、仲間の名を明かして釈放されたことがあるという噂を立てられていました。ペテルブルクで指折りの名士を夫に持つ老婦人から、知事夫人宛ての紹介状を携えてやってきたこともあり、彼はユリヤ夫人から目をかけられるようになりました。カルマジーノフもまた、以前から媚を売っていたペテルブルクとモスクワの革命的な青年たちとつながりを持っていたピョートルに好意的で、自分の住居に招待しました。

 ワルワーラ夫人は、ステパン氏の領地を買い取ってやりました。ステパン氏は金を得ると、ワルワーラ夫人に手紙を書くこともなくなり、再び世の中に打って出たいという気持ちをいだき、すっかり落ち着いたように見えました。
 ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは、その後二度ほど父親のもとへ顔を出しました。ステパン氏は、ピョートルが乳飲み子だった頃に郵便でベルリンからロシアへと彼を送りつけていたにもかかわらず、今では息子扱いしようとすることを非難され、二人はしばしば口論を起こしました。
 「私」はリプーチンから、ピョートルが郡部の方へ出かけ、金曜日から月曜日まで滞在したこと、レビャートキン兄妹が川向こうの村にいること、リザヴェータがマヴリーキーと結婚する予定であることを聞かされました。

 事件の起きた日曜日から数えて八日目の月曜日の晩の七時、ニコライ・スタヴローギンは、一人で自分の書斎に座っていました。彼は何度もピョートル・ヴェルホーヴェンスキーからの訪問を受けていたものの、会うことはありませんでした。しかしピョートルが郡部から戻ったその日、ようやくニコライは彼と会うことを許しました。ニコライは、何も頼んだ覚えはなく、実際に策略など何もなかったのに、ピョートルが自身の喋り癖を利用して、強引に話をかき回し、あたかも自分たちが策略や小細工を弄していると見せかけたことを非難しました。ピョートルは、他のだれでもなくニコライにそのからくりを気づいてもらうためにそのような芝居を打ったのだと答えました。彼は、ニコライがシャートフを殺すという噂になっていること、レビャートキンの兄妹を川向こうの村へ送ったことを伝え、そのアドレスをニコライに手紙で知らせていました。
 ニコライは、五日後にリザヴェータに結婚を申し込むことをワルワーラ夫人に約束したと、あけすけな態度で打ち明けました。
 ピョートルは、ニコライのことを忌み嫌っているガガーノフが戻ってきたことを語り、十五年ほど前にステパン氏が兵隊に叩き売って金にした懲役人のフェージカという、シベリアから逃げてきた昔の下男を使うことができることを暗に伝えると、「リザヴェータの件」や「ガガーノフの件」について、自分は役に立つことができるだろうと語り、去っていきました。

 ピョートルが去った後、ニコライは平静を保ちながら、やがて忘我の状態に落ちて行き、母親が部屋にやって来たことにも気づきませんでした。ワルワーラ夫人は、坐りながら寝ている息子の蝋人形のような形相を見て恐怖に襲われ、十字を切ると、気づかれないまま立ち去って行きました。ニコライは、そのまま一時間ほど眠っていましたが、柱時計の音で目を覚まし、身動きをしないまま部屋の片隅を見つめ続けました。そこへ子供のころから彼の世話をしていた従僕のアレクセイが姿を現し、手紙を差し出しました。ニコライは、手紙の最後に二語ほど書きつけて、これを渡してくれと頼みました。そして着替えを済ませると、文鎮の下に隠しておいた手紙を引き出し、大雨の中を外に出て行きました。
 アレクセイは、ニコライが良い行いをするように、そして神様のご加護があるようにと祈りました。
 十時を回ったころ、ニコライはフィリッポフ館の門を叩き、キリーロフの離れに向かいました。キリーロフは、ニコライの訪問に驚いた様子を見せず、お茶を出してやりました。ニコライは、ガガーノフからの手紙を見せました。ガガーノフは、ペテルブルクでニコライに初めて会った時にひどく失礼な態度を取り、その後何度も失礼な手紙をよこしていました。ニコライは、四年前の父親に対する事件のことで、ガガーノフが怒っているのだろうと考え、その時は病気であったことを説明し、謝罪をしたいと申し出ました。しかしガガーノフは返事もよこさず、いまだにひどく腹を立て、悪罵のかぎりを尽くした手紙をよこしていました。
 ニコライは、改めて謝罪の手紙を書こうとしていましたが、それにはガガーノフからこれ以上の手紙をよこさないことが条件であるとキリーロフに伝えました。
 そして朝の九時ごろ、キリーロフにガガーノフのところへ行ってもらい、ガガーノフが承知しないようであれば、自分の介添人を紹介して決闘を行うので、一時か二時ごろには全員が現場に着くようにしてもらいたいと頼みました。

 キリーロフは、自殺するために持っている高価なピストルを見せました。彼は自殺を決めているにもかかわらず、部屋を歩いている時に突然、時は頭の中の観念であるので、人間は「地上の永遠の生」にたどり着くことが可能で、死はないものだという考えが頭に閃き、その結果、自分が幸福で、人生は愛すべきものであるという境地に辿り着いていました。
 彼によると、人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないためであり、人間が良くないのは、自分たちが良きものであることを知らないためでした。彼は、やがてすべての人間に自分たちが良きものであることを伝える「人神」という存在が現れ、世界を完成させるであろうという予想をしていました。
 ニコライは、キリーロフの主張する「人神」が、キリスト信仰であるのだと考え、彼が神を信じていることに自分で気づいていないために信仰を持っていないに過ぎず、やがて神を信じるようになるだろうと予言しました。しかしキリーロフは、ニコライによって自分の思想が形成させられたことを示唆し、信仰を持っていることを否定しました。

 次にニコライ・スタヴローギンは、シャートフに会いに行きました。
 事件以来、ニコライに殺されるのではないかという考えを抱き、熱に浮かされていたシャートフは、遊び人のリャムシンのところでなけなしの金を叩き、ピストルを買っていました。しかしそのピストルには火薬も弾丸も入っておらず、棚の上に置き去りにしてありました。
 マリヤ・レビャートキナのことでシャートフが自分を殴ったのだろうと考えていたニコライは、彼女が四年前にペテルブルクで正式に結婚した正妻であることを告げました。シャートフは、この事実に非常に驚いたものの、ニコライの堕落や虚偽に対して殴ったのだと答えました。
 ニコライは、組織からの危険が迫っているとシャートフに警告しました。それはニコライ自身も関わりのある、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーの組織で、シャートフは二年前にロシアを出発する直前にメンバーになったものの、アメリカで思想を変え、スイスに帰る頃には退会を考えていました。しかし組織は、退会の意思に返事を寄こさず、彼をスパイと目し、印刷機器を渡して保管するように命じました。ピョートルは退会を承認したものの、シャートフの処分に関して全権を任されていて、しかるべき時期に消してしまおうとしているのでした。
 ニコライがこれらの情報を語り終えると、シャートフは動揺し、ニコライが組織に入会したことを非難しました。ニコライは、暇だったので組織の仕事に関わることはあったものの、同志ではないと宣言しており、自分もシャートフと同じように危険視されているのだと答えました。

 ニコライは、マリヤ・レビャートキナとの結婚を、証人であるキリーロフ、ピョートル、レビャートキンのみに伝えていて、口外しないようにという約束を交わしていましたが、近日中に公表を考えていると打ち明けました。彼はマリヤのことで、彼女に影響力のあったシャートフに頼みごとがあり、なぜ自分が彼女との結婚という罰を受ける選択を行ったかを語ろうとしました。
 しかしシャートフは、その話を遮り、二年間待っていたニコライに、「人間的」になってほしいと要求した上で、自分の考えを語り始めました。

 以前シャートフは、世界を救うべき使命を持つ国民がロシア国民であるというニコライの言葉を聞いてピョートルの組織に入ったものの、その後アメリカで心を入れ替え、退会を考えるようになりました。
 その頃ニコライは、正教徒でないものはロシア人たりえない、ローマ・カトリックは、この世での繁栄の誘惑に負けたキリストを讃えているに過ぎず、地上の王国なしにはキリストも地上に存在しないと全世界に宣言することで、反キリストの旗をかかげ、西欧世界全体を滅ぼしたのだと語っていました。そのニコライの思想とは、社会主義は科学と理性にのみ基づいて存在する無神論的なものであるが、善悪を規定し国民を動かすのは、科学と理性ではなく、説明のつかない別の力であり、それぞれ一人一人における独自の観念、善悪であるというものでした。そしてその善悪の概念は、一人一人に独自のものであり、それぞれが独自の神を持っているが、それが共通のものになり始めると、その国は滅びていくものだと彼は語っていました。
 シャートフは、その思想を聞き、常に自身の神を持ち、他のすべての神を追放できると信じるのが大国民であり、大国民こそが、真実の神を持ち、他国民を蘇生させ救済する使命を持つことができると考え、その役割を担うのがロシア国民であると信じるようになったのでした。
 シャートフは、ニコライの中には醜悪さに情欲を求める傾向があるため、自分の良心を苛むための苦悩を求めてマリヤと結婚したのだろうと指摘しました。ニコライが答えず立ち去ろうとすると、シャートフはその後ろから彼に躍りかかり、大地を接吻し、涙でうるおし、許しを乞うようにと忠告し、労働によって神を手に入れることを勧めました。
 ニコライは、その考えを新しい重大ごとのように聞き、マリヤを見捨てないでほしいとお願いしました。
 シャートフは、この町はずれのエフィーミエル聖母修道院に病気で静養している元大主教のチホンに会いに行かないかと、ニコライを誘いました。

第二章 夜(つづき)

 シャートフの家を出たニコライがぬかるみの中を歩いていると、四十前後の背の低い、色の浅黒い浮浪人が傘の中にもぐり込んでこようとしました。
 その男は、幼い頃にステパン氏に叩き売られ、脱獄してその日暮らしをしている懲役人のフェージカでした。彼は、全ロシアを歩ける商用旅券を用意してくれる引き換えにピョートルの手先となり、ニコライのことを知っており、ピョートルには内緒で、ニコライがここへ来ることをレビャートキンから聞き出し、橋のたもとで四日間も待ち伏せていたようでした。
 ニコライは自分の目に二度と触れる場所に来ないよう命じましたが、フェージカは、用があるので、帰り道も待っていると言いながらニコライから離れて行きました。

 フェージカと別れたニコライは、ピョートルが準備したレビャートキンの家を訪れました。レビャートキンは、八日ほども酒を絶っていましたが、気狂いじみたところが抜けきっていない様子で、自分の運命を決してほしいとニコライに頼み、『もしやかの女、足を折りなば』と題された自作の詩を詠み始めました。
 レビャートキンは、自分に旅費を恵んでほしいと頼みました。しかしニコライはその頼みを冷淡に断り、飲酒や放言、マリヤを修道院から連れ出して送った金を使い込んだこと、ダーシャに対する仕打ちといった彼の罪を一つ一つ数え上げました。
 ニコライは、以前酒の飲み比べに負けて行ったマリヤとの結婚を世間一般に公表することを伝えましたが、レビャートキンを邸に住まわせる気はないと宣言しました。住むところを追われることになったレビャートキンは、訴訟を起こすと脅しました。するとニコライは、レビャートキンが密告のためにペテルブルクに行こうとしていたのをリプーチンに聞いて知っていると言いました。
 追い詰められたレビャートキンは絶望に駆られ、大学生の頃に社会主義活動の喧伝の仕事を意味もわからないままに行ったこと、それが国法に背いていることに気づいてはいたものの、自身の経済状態から止めることができなかったこと、贋札のばら撒きや、ヴィルギンスキーの女房共有を行った後、ピョートルから服従を命じられたことといった、これまでの四年間の身の上を語り、涙ながらに同情を求めました。

 ニコライはマリヤ・レビャートキナの部屋へと入りました。レビャートキンは、酒に酔ってリプーチンに口を滑らせたことを後悔しながら、ニコライが自分のことを恐れてわざわざ結婚の公表を行うという嘘を言いに来たのだと自分に言い聞かせました。
 ニコライが入ってきた時、マリヤは長椅子で眠っていましたが、不意に眠りから覚めてニコライの姿を認めると、恐怖の表情になり、泣きだしました。ニコライは優しい言葉をかけたものの、マリヤの悪夢の中そのままの格好で現れたらしく、なかなか彼女を落ち着かせることができませんでした。
 マリヤは彼のことを「公爵」と呼び、その顔を見ることができないまま、以前の会合で、ダーシャを除くすべての人々が自分のことを見込みなしといった目で見ているのを感じたので、結婚の公表について、自分が不向きな女であることがはっきりと分かったと訴えました。彼女は、上流の人々に腹を立てる訳でもなく、ニコライの愛情が冷めたのではないかと気にしているでもなく、「あの人」に悪いことをしたのではないかと、五年間ずっと心配をしていて、そのために夢見が悪くなったようでした。それからマリヤはようやくニコライの顔を見て、五年間の旅を終えた彼がまた入ってくる様子を見たいと言い始めました。
 ニコライは、マリヤが実質的な話をしようとしないことに腹を立てながら、自分達はあした結婚を発表し、スイスの山奥に住むつもりだと伝えました。
 するとマリヤは、彼のことを自分の結婚相手ではないと思い始め、彼の提案を退け、「あの人」を殺したのかと叫びながら詰め寄り、罵倒しました。ニコライは、マリヤを憐れみながら、力まかせに突き放して出て行きました。マリヤは、すぐに起き上がり、ニコライの後を追って飛び出し、レビャートキンに抱き止められながら高笑いを始めました。
 ニコライが憎悪に駆られながら橋の上へとやってくると、フェージカはまだ彼のことを待っていました。ニコライはしばらくフェージカのことを相手にしていませんでしたが、やがて力まかせに彼を橋に叩きつけ、後ろ手に縛ろうとしました。しかしフェージカがナイフを持っていることに気づき、突き放しました。
 ニコライはナイフをしまうように命じ、また無言で歩き出しましたが、フェージカは離れることなくついてきて、以前レビャートキンの家に忍び入って金を勘定し、また金が増えたら奪おうという計画を立てたことを語りました。レビャートキンが酒を飲むたび、ニコライのことを当てにしていことを語るのを聞いていたフェージカは、自分もニコライに望みをかけていると語り、三リーブルを恵んでくれとたのみました。するとニコライは五十ルーブルの紙幣をぬかるみの中に投げつけ、高笑いをしながら去って行きました。フェージカは、それを一時間あまりも拾い続けました。

第三章 決闘

 翌日の午後二時に、ニコライ・スタヴローギンとアルテーミイ・ガガーノフの決闘が行われました。
ガガーノフは、大佐になったあと軍務を退いた三十三、四歳の美男でした。裕福な地主の子として生まれ、幼い頃から名門の貴族だけを教育する軍学校に入り、中世の騎士道に憧れるようになり、軍務に精通しました。閉鎖的な、自分の貴族の家柄の古さを誇っていた彼は、一八六一年の農奴解放令で侮辱を受けたような気持ちになって、軍務を退こうとしたことさえありました。
 ガガーノフは、四年前に父が侮辱を受けたことで、ニコライに病的な憎悪を抱くようになっており、ひと月もの間、彼を侮辱しようと躍起になっていました。ニコライは、一向にその挑発には乗りませんでしたが、たびたび送られてくる無礼な手紙によって、ようやく決闘を受けて立つ気持ちを起こしました。
 ガガーノフは、学校時代からの親友であったマヴリーキー・ドロズドフに介添人を頼みました。
 キリーロフが決闘の申し込みを伝えると、ニコライが提示した条件はすべて受諾され、決着がつくまで三度撃ち合うという条件が付け足され、その日の午後二時、スクヴォレーシニキとジュピグリーン工場にはさまれた郊外の小さな森で行われることが決まりました。
 ガガーノフとマヴリーキーが到着すると間もなく、ひどく疲れ、機嫌の悪さを隠そうともしないニコライが、キリーロフを連れて現れました。
 キリーロフは、介添人の立場から形式的に決闘の前に和解をする気がないかと聞きました。マヴリーキーは、その言葉に賛成し、謝罪を受け入れないガガーノフに思いとどまるよう勧めました。
 しかしガガーノフはその言葉に耳を貸さず、ニコライの謝罪の譲歩は、侮辱をいっそう強めるだけだと叫びました。

 キリーロフが決闘の開始を宣言すると、二人は互いに相手に向かって歩きだしました。
 ガガーノフの一発目は、ニコライの左手の小指をかすりました。二発目も失敗を繰り返しました。
 ニコライは二度にわたり、わざと狙いをつけずに高いところを狙って撃ち、これ以上の殺しはしたくないのだと言いながらも、故意に打ち損じたことを自分から認めず、この決闘を終わらせることはしませんでした。
 ガガーノフは、それを更なる侮辱と捉え、ニコライに狙いを定めました。しかし彼の手はあまりに震えすぎており、弾丸はニコライの頭上の帽子だけを射抜きました。
 ニコライは、横手の藪に向けて最後の一発を発射すると、ピストルをキリーロフに渡し、憎悪の表情で馬に乗りました。

 その後、ニコライは、人を殺したくないだけであったのに、ガガーノフを侮辱してしまったことを悔やみ、決闘を申し込むべきだったのか、侮辱に耐え続けるべきだったのかとキリーロフに尋ねました。キリーロフは、ニコライが重荷を背負っていくべき人間であると語りました。
 ニコライは自宅に入ると、母親が自分の部屋を訪ねて来させないように従僕のアレクセイに命じました。
 アレクセイが出て行くと、戸口にダーシャが現れました。ダーシャは、最後にはニコライのそばに自分だけが残ることを確信しており、もしもニコライのところへ行かないのならば、誰の妻にもならず、看護婦になって病人の世話をするか、福音書を売って歩くかをすることを決めていました。彼女は、自分たちの仲をワルワーラ夫人が疑っているので「お別れ」をしなければならないが、「最後の時」に声をかけてもらえれば、ついていくという決意を語りました。ニコライは「最後の時」は訪れるのかと尋ねても、彼女はそれには答えず、マリヤ・レビャートキナを破滅させないようにと頼みました。ニコライは、マリヤを破滅させることはないと約束しましたが、フェージカがレビャートキンとマリヤ・レビャートキナを殺して正式な結婚にけりをつけるように勧めたのだと語り、そのフェージカに金をやったことを打ち明けました。
 ダーシャは、ニコライが悪魔から救われるよう神に祈り、両手で顔を覆いながら立ち去っていきました。

第四章 一同の期待

 決闘の顛末はすぐに町中に広まり、皆がニコライ・スタヴローギンを支持しました。ガガーノフは、翌朝早く、ドゥホヴォの領地に向けて去っていきました。
 事件の翌日、県の貴族団長夫人の命名日で、町の人たちが集まっていました。主賓格のユリヤ・ミハイロヴナは、リザヴェータと共に現れました。
 リザヴェータは、マヴリーキーとの結婚を明言していましたが、誰もその婚約を真に受けませんでした。そのリザヴェータがいつになく浮き浮きした表情で現れたため、人々は何か裏にあるのだと考えました。
 そこで町のクラブの最古参の一人である有力な将軍が、事情通として話し始めました。将軍は、ニコライに、以前学生から侮辱を受けた時にテーブルの下に逃げ込んだという噂がある一方で、ガガーノフとの決闘では、男の銃口に額を突き出したという噂があることを話題に出しました。
 するとユリヤ・ミハイロヴナは、ニコライは昔の農奴であるシャートフには決闘を敢えて申し込まなかったのだと語りました。その一言により、社交界の人々はニコライをもののけじめを厳正につけることのできる新しい人物だと評するようになりました。最近の改革に関する意見者として活躍するK伯爵の令嬢の一人とニコライが結婚したという噂が広まり、リザヴェータやマリヤ・レビャートキナとの関係は取り沙汰されなくなりました。ニコライのさまざまな美点は、再び脚光を浴びることになり、無口で傲慢なところも、今ではかえって尊敬を勝ち得、彼は社交界で流行の寵児となりました。このことでワルワーラ夫人は得意になり、ニコライとK伯爵の娘との婚約を本気にし始めました。彼女は、優れた洞察力のある婦人として評価が定まったユリヤ夫人を訪問し、ニコライに関する発言に対して礼を言いました。

 ユリヤ夫人は、ステパン氏がスペイン史やドイツ史について何か書くつもりでいることを知ると、カルマジーノフも来ることになっている自分達の文学の催しに彼を誘い、何か講演してもらえないかと頼みました。ステパン氏に講演依頼が出されたことで、ワルワーラ夫人はすっかりユリヤ夫人の味方になりました。
 一方、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは、ニコライの決闘が知らずに行われたことに自尊心を傷つけられ、憤りを感じていました。彼はマリヤとの結婚の発表や、シャートフを訪れたことについて聞こうとしたものの、ニコライに相手にされませんでした。
 その二日前、ピョートルは、ステパン氏から議論をしかけられながら、ステッキで追い払われており、その侮辱を晴らそうという魂胆がありました。彼は、ステパン氏が自暴自棄になるまで追いつめ、彼にある種のスキャンダルを引き起こすことを狙っており、ユリヤ夫人からの講演の依頼があり、ワルワーラ夫人が日取りと場所を決めたいと言っていると伝えました。その話を聞いたステパン氏は、動揺を始めました。ピョートルは、父親であるステパン氏が大した働きもせずにお金だけを搾取し続けてきたのだとワルワーラ夫人に説明したこと、ワルワーラ夫人のステパン氏に対する友情が水ものであったことに気づき始めたと言っていること、ステパン氏から送られてきた手紙をワルワーラ夫人に見せたことなどと嘘をつき、さらにステパン氏を動揺させにかかりました。さらには、ステパン氏が子供の頃の自分を知りもせず、財産を横領したにも関わらず、自分のことで心を痛めてきたと吹聴することについて、「私」に訴え、父親を挑発しにかかりました。
 ステパン氏は怒り狂い、ピョートルに勘当を言い渡しました。

 ピョートルは、父親の他にも、県知事のアンドレイ・アントーノヴィチ・フォン・レンプケを陥れようと狙っていました。
 フォン・レンプケは、ロシア上流社会の学校で教育を受けたドイツ人で、遠縁の将軍の援助を受けて出世し、高い官等にのぼりつめ、三十八歳の時にパン屋をしている叔父が死んで、一万三千ルーブリの遺産を手に入れました。そのような時に有力な縁故を持つ地主の娘で四十歳を超していたユリヤ・ミハイロヴナに出会い、彼女に真剣な恋愛感情を持ち、結婚に至りました。
 ユリヤ夫人は、結婚後、夫に名誉欲を持たせようと教育し、彼の趣味であった紙細工を取り上げました。さらに彼女は、県政を切り盛りしようという意欲で、取り巻きに囲まれるためにさまざまな計画を練り、レンプケは、妻の言いつけに従って県知事の役職を引き受けました。
 そのような時に、夫婦の間にピョートル・ヴェルホーヴェンスキーが現れました。ピョートルは、レンプケに対して無礼な態度を取りましたが、彼のことを気に入ったユリヤ夫人がそれに見て見ぬふりをしました。レンプケは、教会破壊などの檄文を収集したコレクションを見せるようになり、それらをピョートルは持ち帰りました。
 やがてレンプケは、この町にも檄文が現れたという知らせを知事官房の役人であるフォン・ブリュームから聞きました。
 ピョートルが自分に心酔していると思い込んでいたユリヤ夫人は、彼がそのような悪巧みに参加しているはずはないと夫の前で断言しました。

第五章 祭りの前

 ユリヤ・ミハイロヴナの取り巻きには、ピョートルの他に、走り使い役の小役人リャムシンがいました。
 リャムシンは、一時ステパン氏のもとに出入りしており、ピアノが上手いので知事邸で目をかけられるようになった人物でした。
 リプーチンも取り巻きの一人で、ユリヤ夫人が将来独立系の県の新聞を創刊する時の編集長にと目星をつけられていました。またカルマジーノフもメンバーとなっていました。
 ユリヤ夫人は、県の女性家庭教師のために予約制の祭りを計画しました。その祭りは、各階層の交流が必要になるというユリヤ夫人の所信により、金さえ払えば誰でも歓迎されるものでした。
 祭りを前にして、町は浮わついた雰囲気に満ち、ユリヤ夫人の手腕は褒めそやされました。夫人の周りには親密なサークルが出来上がり、そのサークルでは、若い者たちの悪ふざけが許されるようになっていました。そして、それらの軽はずみな若者たちが企てるスキャンダルには、リプーチンやリャムシンが必ず加わっていました。

 ワルワーラ夫人は、夜の部の舞踏会を、スクヴォレーシニキの自分の別邸にしてもらいたがっていました。
 ピョートルは、秘密のつながりのある筋から依頼されたニコライが、ある使命を帯びてこの町に滞在しているという噂を、知事夫妻に植え付けようと画策していました。
 リャムシンは、町に福音書を売り悪く行商の本売りの本の中にいかがわしい写真を忍ばせました。その本売りは逮捕され、真相を知ったマヴリーキーの口利きで釈放されました。ユリヤ夫人は、リャムシンを追放しようとしたものの、その日のうちに彼は新しいピアノ曲を披露し、許されました。

 そのようなことが度々起こっていたある朝、町の由緒ある聖母誕生寺院りあるマリア像の冠や宝石が盗難に遭い、その聖像を入れていたガラスが壊され、中に生きた鼠が入れられていました。この事件の犯人は、フェージカであるともリャムシンであるとも噂されましたが、結局判明することはありませんでした。この事件の陰惨な印象により、フォン・レンプケは意気消沈してしまいました。
 「私」はその日の正午を過ぎた頃に広場に行き、マヴリーキーを伴って馬に乗っていたリザヴェータに遭遇しました。リザヴェータは、聖像の前にある歩道に膝をつき、うやうやしい礼拝を三度繰り返すと、ダイヤのイヤリングを外して寄進し、この行為について僧に尋ねました。寄進は全て功徳になると僧が答えると、彼女は馬に跨って去っていきました。

 その二日後、「私」は、三台の幌馬車でどこかへ向かうリザヴェータの姿を見かけました。彼女はこれから行く遠征に「私」を誘いました。それは川向こうの商人セワスチヤノフの家の離れに十年近くも住む、モスクワやペテルブルクにも名を知られた予言者セミョーン・ヤーコヴレヴィチのところへ行く一行でした。セミョーン聖者のところへ寄進される金品は、その場で聖者自身が使い道を決めない限り、この町の修道院へ献納されるしきたりでした。リャムシンは以前この聖者を訪ねたことがあり、そのときは箒で掃き出せと命じられ、背中に茹でたじゃがいもを投げつけられました。
 その一行の中には、ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーやニコライ・スタヴローギンの姿も見られました。
 この遠征隊が町の旅館の前に差し掛かった時、その一室で旅の男の自殺体が発見されたという知らせが入り、誰かがその自殺者を見ていこうと言い始め、皆はその旅館に入って行きました。自殺者は十九歳ほどの美男子で、姉の嫁入り支度のために大金を持って村から町へ出てきたものの、旅館に着くと酒を飲み、翌朝からジプシーの部落に出かけて二日間を過ごし、前後不覚で帰り、夜の十時ごろまで眠りこけた後で夕食をとり、その後誰にも気づかれずに拳銃自殺を図ったようでした。
 リャムシンは道化役となり、皿の上にある葡萄をつまみあげ、駆けつけた警官にその行為を止められました。
 一行は、午後一時にセミョーン聖者のもとに到着しました。セミョーン聖者は、五十五歳ほどの大柄な、右の頬が腫れ上がった、顔の黄色い、禿頭の男で、足が悪く、左の鼻孔のわきには大きないぼがありました。彼は以前は官等を持つ役人でしたが、今では、三人の召使いがつき、魚汁とじゃがいも以外の食物には手をつけない生活を送っていました。
 セミョーン聖者は、誰に幸運を授けるかを自分で指定し、砂糖やお茶を勧めました。またあるものにはお告げを残し、ある者には箒で追い出すように召使いたちに命じました。彼はリザヴェータらの一行には目をくれようとしませんでしたが、マヴリーキーに砂糖入りの茶を与えるように指示を出しました。
 マヴリーキーが軽く会釈して飲み始めると、一行は大声で笑い出しました。リザヴェータは気まぐれな衝動を起こし、マヴリーキーが聖者に跪いているところを見たいと執拗に言いだしました。マヴリーキーは、リザヴェータの侮辱的な要求に衝撃を受けながら、彼女を恥じいらせようと考え、敢えてセミョーン聖者の私室の方に足を踏み入れ、衆目の前でひざまずきました。その行為は一行に笑いを引き起こすことはなく、リザヴェータは恐怖の表情を浮かべながら飛んでいき、ヒステリックにマヴリーキーを格子のこちら側に引き戻しました。
 この行動に動揺した一行のうちの一人の夫人が、気分を変えるためにセミョーン聖者に質問を浴びせると、聖者は突然その夫人に向けて卑猥な言葉を浴びせ、婦人たちは悲鳴をあげながら外へと飛び出しました。男たちは再び大笑いをあげました。
 その時、マヴリーキーに支えられて外に出たリザヴェータは、思いがけずニコライ・スタヴローギンにばったりと出会い、平手打ちを加えようと手を振り上げ、ニコライがそれをうまく身をかわすという一幕がありました。

 同じ頃、ステパン氏とワルワーラ夫人の対面がスクヴォレーシニキで実現することとなりました。今回の祭りはワルワーラ夫人の希望通りにはいかず、貴族団長夫人の邸で開かれることが決まりましたが、ワルワーラ夫人は、その後で改めて別の祭りを企画するための準備を始めていました。彼女は従僕のアレクセイと飾りつけの専門家を従えて、スクヴォレーシニキを見て回る途中で、以前から予告していたステパン氏との再会を思いつき、彼を呼んだのでした。
 ステパン氏も、かねてから噂のあったワルワーラ夫人からの招待を常に待ち受けており、十字を切りながらスクヴォレーシニキへと向かいました。
 ワルワーラ夫人は、ペテルブルクで雑誌を発行しようとした自分を皮肉な目で見たことや、農奴解放の時に自らを雑誌と何も関係がないただの家庭教師であるだけだと言い張った過去に関してステパン氏を責め、これまでの二十年は、お互いに自尊心を張り合っていただけの、友情とは呼べないものであったのだと語りました。ステパン氏は、雑誌の発行の話が出た時は、当局の弾圧を恐れていたのだと弁明しました。ワルワーラ夫人は、千二百ルーブリの年金を支払う契約を果たす気でいること、また自分から受けている住宅、使用人、生活費を、お金に換算した分も支払うので、召使いを返して自分で勝手に暮らしてほしいと要求しました。
 また、ワルワーラ夫人は、シスチナのマドンナについての講演を行うつもりであるステパン氏に、そのような退屈なテーマでなく、皆が気にいるようなスペイン史のスピーチをした方が良いと忠告を与えました。しかしステパン氏はマドンナの話にこだわり、その講演によって自分は勝利者となるか敗北者になるかのどちらかで、失敗すればどこかの塀のかげで野垂れ死ぬのだと言いました。
その話を聞いたワルワーラ夫人は、ステパン氏が自分の家に泥を塗ることを目的として生きていることを確信したと責めました。
 ステパン氏は涙を流し、旅に出ると言い残してワルワーラ夫人の家を後にしました。

第六章 奔走するピョートル

 祭りの日取りは決定しましたが、相変わらずユリヤ夫人の言いなりであったレンプケ氏は、日増しに沈みがちになりました。長いこと侘しい不遇な生活を送っていたユリヤ夫人は、周囲に幸福を与えることを夢見ながら、自分への崇拝を求めるようになっていき、知事の権限強化のための強引な施策を考えだしたり、一貫しない犯罪への対応を行うことが多くなりました。追従の上手いピョートル・ヴェルホーヴェンスキーは、彼女の大のお気に入りであり、彼が国家的な大陰謀を打ち明けてくれるに違いないと夫人は思い込むようになっていました。
 ピョートルの方も、さまざまなほのめかしで、ユリヤ夫人の奇妙な想像を掻き立てました。やがてユリヤ夫人は、彼のような陰謀に加担していると思われる青年たちを自分の手で救い出すという妄想を頑なに信じるようになっていきました。
 祭りの前くらいは夫の元気を引き立ててもらいたいと考えたユリヤ夫人は、ピョートルを夫のもとへ差し向けました。
 その頃、ピョートルが酒宴を催した郡で、一人の少尉が直属の上官から譴責を受けるということがありました。その少尉は、ペテルブルクから赴任したばかりの若い青年で、口数が少なく、陰気な、小柄で太った頬の赤い男でした。彼は上官の叱責に耐えかね、金切り声をあげなざら中隊長に躍りかかり、殴りつけ、肩に噛みつきました。
 事件の後、その発狂した少尉は、近ごろさまざまな奇矯なふるまいをしていたことが明るみになり、逮捕してみると、過激な檄文が多数発見されました。その後、それと同じ檄文が、ジュピグリーンの工場にばら撒かれました。
 折しも、町ではコレラが流行りだし、その不衛生な工場が疫病の根源だと騒がれました。レンプケ氏は工場を消毒しましたが、経営者のジュピグリーン兄弟が工場を閉鎖してしまい、町から姿を消してしまいました。支配人は労働者の賃金の精算にとりかかりましたが、職員たちは不平をこぼし、警察へ訴え出るという事態にも発展しました。
 このような時に、支配人から檄文が工場に届いたという知らせが届き、レンプケ氏は頭を悩ませていました。
 ピョートルはレンプケ氏の執務室に入りました。その時レンプケ氏は、ユリヤ夫人の反対を押し切ってペテルブルクから連れてきた官房付きの役人のブリュームと二人きりで相談事をしていました。
 ブリュームは、不遇な人生を送ってきた、几帳面で内向的で非常に頑固なドイツ人でした。レンプケ氏とは遠縁で、幼い頃からの友人でしたが、ユリヤ夫人は一目見て赤毛で猫背の彼を毛嫌いし、これは夫とのいさかいの原因になりました。夫人は、ブリュームを置くことを許す代わりに、親戚に当たることを隠すよう要求しました。レンプケ氏は、アンドレイ・アントーノヴィチという彼の本名をブリュームに変えさせ、時たま彼を呼び出して自作の詩を聴かせました。ブリュームは町に来ても、あるドイツ人の薬剤師の他には付き合いを持ちませんでした。

 レンプケ氏の執務室を訪れたピョートルは、机の上にあった檄文を見て、コレクションが増えたと笑いました。近ごろ夫人とピョートルとの仲に密かに嫉妬するようになっていたレンプケ氏は、その行動に不愉快になりました。
 レンプケ氏は、ブリュームに場を外すよう目配せをし、ブリュームが出て行くと、ピョートルの話を聞き始めました。
 ピョートルは、工場の労働者たちが自分で檄文を書き始め、暴動が起きようとしていると伝え、片端から鞭を食らわすよう、レンプケに勧めました。
 ある檄文は、『輝ける人』という詩になっていました。ピョートルは、それが外国で見たのと同じもので、それを持っていた将校と酒を飲んだことがあり、その将校のおかしくなったことも知っていると証言しました。またピョートルは、その『輝ける人』という詩がシャートフによって書かれ、国外のキリーロフに印刷を頼んだものであることが推量されると語り、八年前からの自分の親友である彼を救ってやってほしいと頼みました。ピョートルは、シャートフ、キリーロフとその少尉の他で、そのグループにいる連中を、あと六日もあれば一網打尽にしてみせることを請け合い、その間は連中に手出ししないこと、またこのことをユリヤ夫人には打ち明けないことを、レンプケ氏に念を押しました。妻が何も知らないことに内心喜んだレンプケ氏は、ピョートルの希望に添えるようにできる限りのことをすることを約束しました。
 レンプケ氏は、ニコライ・スタヴローギンもその一味に加わっているのではないかと聞きました。ピョートルは、見えすいた芝居をしながら、ニコライはこの件に関与していないと主張しました。

レンプケ氏は、昨日届いた差出人の名前のない手紙を見せ、そのような匿名の投書が何通か届いていることをピョートルに打ち明けました。
 それは、これまで多数のビラを撒き、無神論を宣伝して来た者からの、すべての高官に対する暗殺宣言でした。その文書には、自分一人に赦免が届くことと年金をつけることを条件に密告を行うので、その合図として毎晩七時に玄関番の窓に蝋燭を立てるようにと書かれていました。ピョートルは、これが偽物の手紙だと断言し、これを書いた犯人を探し出すので貸して欲しいと言いました。
レンプケ氏は、少しばかりためらった後でその手紙を渡しました。

 レンプケ氏を愚鈍の典型と決めてかかっていたピョートルは、これで少なくとも六日間、彼の動きを封じることができたと思い込みました。しかしピョートルが辞去するのを待っていたブリュームが再び部屋を訪れ、ステパン氏のところに無信仰と社会主義論議の源があるとし、家宅捜索を行うことをレンプケ氏に勧めました。レンプケ氏は、ステパン氏は町の名士であり、大学の教授であると言って、その考えに取り合おうとはしませんでした。しかしブリュームは、あとへは引かず、家宅捜索の許可を求めました。
 結局ユリヤ夫人の出現によってこのやりとりは中止されることとなりました。

 ピョートルは、フォン・レンプケの家を出ると、カルマジーノフが逗留していた屋敷の前に差し掛かり、そのまま建物の中に入りました。彼はカルマジーノフが講演会で朗読するつもりでいた作品『メルシイ』の原稿を三日前に受け取っていたのでした。
 カルマジーノフが国家的な文豪でありながら、自分のご機嫌を取ろうとしていることに気づいていたピョートルは、その原稿をポケットから取り出し、まだ読んでいないと言いながら返しました。
ピョートルは、この町に現れるようになった檄文についての意見をカルマジーノフに聞きました。カルマジーノフは、それが皆から恐れられているところを見ると、欺瞞を公然と暴露する檄文は、威力のあるものなのだろうと評価しました。
 カルマジーノフは、檄文の中で企てられていることが実現するとしたら、それはいつのことなのかと聞きました。ピョートルは、カルマジーノフがそれまでに逃げ出すであろうと考え、彼に密告などできるはずがないという推量から、ぞんざいな態度で、おおよそ五月のはじめに起こり、十月までには片づくだろうと答えました。

 カルマジーノフの部屋を出たピョートルは、フィリッポフ館のキリーロフの部屋を訪れ、約束のことについて話しに来たと言いました。
 キリーロフは、自分がやったことだと書き置きを残して自殺すれば、組織に対する嫌疑の目を誤魔化せるかもしれないという目論みにより、ピョートルから自殺の時期を待つことにしてほしいと頼まれ、それを承諾していたのでした。ピョートルは、その約束に対するキリーロフの意志が変わらないことを確認した上で、決行の晩に自分と二人で遺書を作るよう、要求しました。
 キリーロフは、死の恐怖を欲しないために自殺するという意思は変わらないものの、それはあくまで自分の意思で遂行されると主張しました。

 ピョートルは、キリーロフの家に泊まり込んでいるフェージカを近いうちに引き取ると申し出て、ヴィルギンスキーの名の日を口実に集まるので、その集まりに来てほしいと頼みました。キリーロフは、自分はニコライのためにならないことは、いっさいさせないと呟きました。ピョートルは、その言葉に狼狽しながら、シャートフの部屋に向かいました。

 シャートフは体の加減を悪くして寝ていました。ピョートルは、皆が印刷機と書類のいっさいを引き渡すという条件で、彼を自由にするということに同意したものの、自分たちが欺かれようとしているという噂もあることを伝え、脱退についてや、預けているものを誰が引き継ぐかを決めるため、ヴィルギンスキーの名の日の集まりに来るようにと告げました。シャートフは、その会に出ることを仕方なく了承しました。
 ピョートルはその後もさまざまなところを渡り歩き、晩の六時にニコライ・スタヴローギンのところへ現れました。
 その時ニコライは、家を訪れてきたマヴリーキーと一緒に書斎にいました。マヴリーキーはリザヴェータと婚約していたものの、彼女のニコライに対する憎悪と強烈な愛により、結婚式の当日にでも声をかけられたら何もかもを捨てて走り去るだろうと考え、これ以上不幸な彼女を見るに耐えられないので、彼女と結婚するようにとニコライに頼んでいたのでした。
 ニコライは、妻帯しているので求愛はできないのだと告白しました。マヴリーキーは、この発言に驚嘆し、この上でまだリザヴェータを不幸にするようであればニコライを殺してしまうだろうと憤慨しました。
 そこへピョートルが駆け込んできて、肩書き、センチメンタリズム、ペテン師、そして自分自身の意見に対する羞恥心といった活動の進行に必要な条件を組織に浸透させることができるニコライに、組織の長官になってほしいという考えを語り、外国から来た創立委員で、極秘の機密を知っているという役どころになりきって組織の集まりのところへ来てほしいと頼み込みました。ニコライは、サークルの四人のメンバーをそそのかしてあとの一人のメンバーを殺させれば、そのメンバーを奴隷とすることができるだろうと語りました。
 二人は、ヴィルギンスキーの家へと向かいました。

第七章 同志たちのもとで

 ヴィルギンスキーは、産婆である妻の持ち家に住んでいました。夫妻は社会とはほとんど絶縁しており、周囲からは高慢な変人と見なされていました。二十七歳の顔立ちの整った妻マダム・ヴィルギンスカヤは、レビャートキンとの関係のために周囲から背を向けられていましたが、産婆としての腕は一流で、金に貪欲であったため、裕福な家庭にしか出入りしませんでした。彼女はニヒリストでありながら、赤ん坊の洗礼式はのがすことなく、祝儀をもらい歩きました。
 ヴィルギンスキー家で茶を注いでいたのは眉のない三十歳ほどの無口なひねくれもののオールドミスで、マダム・ヴィルギンスカヤの姉にあたりました。
 もう一人の女は、ペテルブルクから駆けつけたばかりのヴィルギンスキーの実の妹で、肉付きのよいニヒリストの女子学生ヴィルギンスカヤ嬢でした。
 この会に呼ばれた人々は、この町でも選り抜きの赤色リベラリズムの代表者たちで、そのなかの数人は、明確な任務を授けられてもいました。皆は、ピョートルのことを外国から全権を委任されてやってきた密使だと考えていました。

 ピョートルは、リプーチン、ヴィルギンスキー、ヴィルギンスカヤ夫人の弟にあたるシガリョフ、リャムシン、そして四十がらみの鉄道関係の仕事を転々としてきた、ペテン師や強盗の研究家で、安酒場に汚い格好で出入りしているトルカチェンコという男からなる「五人組」という組織をかつてモスクワで組織しており、そのメンバーの面々は普通の人間のような顔を取り繕いながらその場に座っていました。彼ら五人組は、ピョートルの誘いに応じてサークルに参加していましたが、何一つ情報を与えられず、ぞんざいな扱いを受けていました。シガリョフは、ピョートルに報告を要求しようとしていました。
 その集まりには、極端なリベラリストの集まりに顔を出すのが好きで自分自身でも大量の檄文を撒いたことのあるヴィルギンスキーの親戚にあたる現役の独身の少佐、四十五歳のびっこの中学校の教師や、若い砲兵将校、リャムシンと一緒に聖書売りの女の籠にいかがわしい写真を押し込んだ神学生、町長の息子、十八歳の高等中学生などがいて、五人組は、その他のメンバーを、ピョートルが組織した他の秘密組織のメンバーではないかと疑っていました。
 シャートフはテーブルの末席の方で黙り込んで座っており、その近くにはキリーロフが座っていました。
 ニコライとピョートルが席につくと、貧困学生と苦労をともにし、彼らを抗議運動に目覚めさせるという目的を持っていたヴィルギンスカヤ嬢は、家庭の権利や義務といった偏見は、どこから生じたものかという問題についてニコライと議論になりました。

 ヴィルギンスキーは、この会にふさわしい話を始めたい人を募りました。すると、シガリョフが自分の著書についての意見を述べてほしいと言いました。
 シガリョフの著書は、十分の一の人々が無制限の権利を獲得し、残りの人々が人格を失って家畜のように絶対服従を数世代に渡り繰り返したのちに、人間は原始の楽園に到達すべきであるという内容でした。この狂信的な人類愛論は議論を呼びました。ピョートルは、このような本は現実とは相容れないものであり、田舎の人々が飛びつく暇つぶしに過ぎないと言いました。
 その議論の中で、ピョートルはだしぬけに五人組のことを口にして、一同をぎくりとさせました。しかし彼は、ここに集まった人の思想が分かるまでは、どのような説明もしないと宣言し、机上のリベラルな話し合いだけにとどまるか、早急な行動を起こすかどうかの選択を迫りました。
 リャムシンらが早急な行動を起こす方に賛成すると、その他の皆も行動を起こすことの覚悟ができているという決意を表明しました。
 そこでピョートルは、政治的な暗殺計画を知ったら密告をするかどうかという質問をして、各自が団結するべきかどうかの判断をしようと言いました。
 皆が秘密警察の手先だったことはなく、密告などしないと口々に叫ぶ中、シャートフは一人立ち上がり、何かを言うことをためらっている様子を見せながら無言で部屋を出て行こうとしました。皆は、シャートフが密告者だと噂しました。ニコライ・スタヴローギンも嫌疑をかけられたまま、その質問には答えず、キリーロフとともに出て行きました。
 ピョートルは、二人を追って玄関に走り出ていきました。

第八章 イワン皇子

 ピョートルは、先に出て行ったキリーロフとニコライの後に追いつきました。三人はキリーロフの家に入りました。
 部屋に入ると、ピョートルは、レンプケの家から持ってきた匿名の手紙をニコライの前に置きました。彼は、嘘をつくのが屈辱だと考えているシャートフの性格を利用して、彼を追い出し、血を流させ、それを一味の団結を強めるために利用しようとしていました。またニコライがマリヤ・レビャートキナを消したがっていると思い込んでいて、フェージカに金を出してレビャートキンとマリヤを殺させ、その犯罪でニコライを脅し、ニコライに権力を振るおうともしていました。

 ニコライは、これらのピョートルの目論みに気づいていましたが、なぜ彼が自分に固執するのかは解っておらず、これ以上の関わりはやめてもらいたいと言いました。
 部屋の敷居ぎわで、それらのすべての会話を聞いていた男がいました。それは、ニコライの話を聞かせ、現金のあることを見せるためにピョートルとキリーロフが呼んだフェージカでした。
 ニコライは、これらの企みに気づいて部屋を出て行き、追いすがるピョートルに激怒して、彼を地べたに叩きつけました。しかしピョートルは、なおもニコライに追いすがり、リザヴェータを連れていくこととシャートフを差し上げることを約束して、仲直りをしてほしいと懇願しました。
 ニコライはなぜ自分が必要なのかと聞きました。するとピョートルは、「混乱時代」を作りたいのだと語りました。彼はそのために、五人組の弱みを握っており、そのような組織を他の土地でも掌握しているのでした。

 ニコライはピョートルが熱に浮かされて譫言を言っているのだと思いながら、シガリョフと組めば良いだろうと言いました。シガリョフは、社会全体がお互いを監視して密告の義務を負うというスパイ制度を提唱しており、その思想は、全員が奴隷となる代わりに平等となり、教育水準を引き下げ、一部の能力を持った人間を追放するというものでした。ピョートルもまた、その考えを支持しており、この世界に服従と無人格、飲酒、中傷、密告、淫蕩を広め、完全な平等を取り入れることで、奴隷たちの欲望をなくし、自分たちが支配者になることを目論んでおり、そしてそのロシアの主導者に、西ヨーロッパにおける法皇に並ぶ立場として、純粋で、苦しんでいて、美青年であるニコライになってもらうことを望んでいるのでした。ニコライは、ピョートルの言葉にうんざりし、つきまとわないでほしいと頼みました。するとピョートルはだしぬけにニコライの手に接吻し、いかに第一歩を踏み出すかが分かっている自分と組んで欲しいと懇願しました。彼は火事を起こして手始めに混乱を引き起こすつもりで、その後の一世代か二世代、人間に堕落をもたらす間、イワン皇子(ロシアの民話の主人公)たりうるニコライの存在を民衆に示唆させ、呪文めいたものを流すことにより、新しい力がやってくるという確信が民衆に生まれ、煽動しやすくなるだろうと考えているのでした。
 ピョートルは、マリヤ・レビャートキナを片づけ、リザヴェータを連れてくると約束し、三日経ったら返事を聞かせてもらいたいと言って去って聞きました。

第九章 ステパン氏の差し押さえ

 その日の朝、ステパン氏が差し押さえられたことを「私」は知りました。訪ねて行くと、彼は狼狽し、その日の朝七時にブリュームという名の役人が訪ねてきて、持っていた檄文や自分の詩集を含む書類を押収し、手押し車で持ち去ったということを語りました。その時ブリュームは、このことを内密にしてほしいと頼み、ステパン氏はそれを承諾したようでした。
 ステパン氏は、自分が秘密結社に加わっているかどうかすら確信がなかったにも関わらず、それがペテルブルクからの指令で、どこかへ流刑になるものだと思い込んでおり、鞭で打たれ、その恥辱をワルワーラ夫人に知られることを恐れていました。このような手順で逮捕も捜索もできないのは明らかであることを知っていた「私」は、シベリア送りにされると泣き始めたステパン氏が気の毒になりました。ステパン氏は、彼はその後二十分ほど口もきかずに横になっていましたが、ふいに起き上がり、レンプケ氏のところへ行って自分の権利を要求すると言い始めました。
 翌日の祭りに幹事のうちの一人として招待されていた「私」は、ユリヤ夫人に直接話したいという口実をもうけ、ステパン氏とともにレンプケ氏の家に向かいました。

第十章 海賊たち。運命の朝

 それより一時間ほど前、七十人ほどのジュピグリーン工場の労働者たちが町を練り歩き、県知事のところで工場閉鎖の時に労働者の給料をごまかした支配人の制裁を求めようとしていました。それはピョートルかリプーチン、またはフェージカといった誰かが数人の労働者を焚き付けたものでした。
 労働者たちは県知事のところに行くと、邸の玄関口に向かい待ちました。この騒ぎを知った分署長ワシーリー・イワノヴィチ・フリブスチエーロフは、レンプケ氏が訪れているスクヴォレーシニキへと馬を走らせました。警察署長のイリヤ・イリイッチは、工場の支配人と昵懇でした。レンプケは、そのイリヤ・イリイッチと密談を行っており、ジュピグリーン工場の労働者たちによる檄文や暴動を恐れていました。
 レンプケ氏はその前夜、嫉妬していたピョートルがすべての犯罪的陰謀の首謀者であることに気づいて逆上し、ユリヤ夫人を叩き起こし、自分が街で軽蔑されているのは妻のせいだと喚きました。ユリヤ夫人は夫がそこまで思い詰めていることにようやく気づき、ぞっとしながらも、いっそう我を張り始めました。レンプケ氏は、ユリヤ夫人に飛びかかる寸前に力尽き、ベッドに突っ伏し、そのまま二時間ほど横になっていました。
 彼は翌朝十時ごろ目を覚ますと、ブリュームや警察署長の訪問も受けつけず、許しを得ようと半狂乱になりながら妻の居間へ駆けつけました。しかしユリヤ夫人は、以前から世話になっていた老婦人ソフィヤ・アントローポヴナと、スクヴォレーシニキのワルワーラ夫人のところへ二度目の祭りの下見のために行っているようでした。
 レンプケ氏は、スクヴォレーシニキへと馬車を走らせ、その途中で馬車を止め、野原の中に入って花を見つめ、それを摘み始めました。
 ちょうどそこへ、仕事熱心な分署長が馬車で来合わせ、工場のものが練り歩いている街の不穏な状況を伝えました。レンプケ氏は馭者に命じて知事邸に帰り、野の花を手にしたまま労働者の前へと出て行きましたが、群衆の言葉を何一つ理解できませんでした。やがて暴徒の間にピョートルが現れると、レンプケは彼が群衆を煽動したと思い込み、「鞭だ」と叫びました。すぐに群衆の二、三人が鞭で打たれました。

 「私」はステパン氏とともに広場まで来たものの、すぐにはぐれてしまいました。気づくとステパン氏は騒ぎの真っ只中にいて、群衆を挑発し始めました。「私」は、騒ぎから遠ざかるために帰ろうと主張しましたが、ステパン氏は、断固とした足取りで知事邸の玄関口を昇り始めました。「私」はステパン氏について行き、客間に腰を下ろして待ち始めました。レンプケ氏がやってくると、ステパン氏は明日の祭りでユリヤ夫人から講演を頼まれた者だと名乗り、ブリュームから家宅捜索を受けたことを伝え、その理由を説明してほしいと要求しました。レンプケ氏は、ブリュームによってステパン氏がこれまでの反乱分子の温床になっているものと決めてかかっていたものの、家宅捜索の件を知らず、意識薄弱のままステパン氏と対応しました。
 そこへブリュームがやってきて、ステパン氏がこの男によって捜索を受けたと伝えました。レンプケ氏は、プリュームを叱りつけ、誤解であったと弁解を始めました。ステパン氏がなおのこと責めると彼は、顔を両手で覆い、絶叫を始めました。
 ステパン氏は静かに自分の本と手紙を返してほしいと要求しました。
 そのとき、ユリヤ夫人が取り巻きと共に戻りました。彼女は、事件を知ってスクヴォレーシニキに向かったリャムシンから、ことの経緯を聞いており、シュピグリーンの反乱分子は、笞刑に処すべきだとピョートルから吹き込まれていました。
 ワルワーラ夫人も明日の祭りについての最終会議に参加するために、ユリヤ夫人と同じ馬車で町へ戻ってきました。
 ユリヤ夫人は、夫に対する報復のため、彼には目もくれず、ステパン氏に非常に愛想よく接し、サロンへと導きました。ユリヤ夫人と共にスクヴォレーシニキを訪れていたカルマジーノフは、ステパン氏との再会を軽薄な喜びで表しました。
 ユリヤ夫人のサロンには、マヴリーキーをともなったリザヴェータや、リャムシンなどの人々が集まり始めました。
 カルマジーノフとステパン氏、ユリヤ夫人は、カルマジーノフが隠居後に住むことを決めているカルルスルーエの水道問題について語り合いました。会話が深みのあるものになり、ユリヤ夫人はいたく満足しました。ワルワーラ夫人もまた、気の利いたことを話すステパン氏に鼻を高くしました。ユリヤ夫人は、カルマジーノフが今後一切書かないことを宣言する『メルシイ』という詩を明日発表することを語りました。
 ニコライとピョートルがサロンに入ってきました。
 その時、ユリヤ夫人からあいかわらず黙殺されていたレンプケ氏が、ステパン氏の方へ向かい、その手を掴み、すでに反乱分子への措置は取られているのだと声高く叫び、部屋から出て行きました。ユリヤ夫人は彼の後を追って出て行き、人々はレンプケが病気であると囁き合いました。

 夫人はそれから五分ほどで平静を装いながら再び現れ、夫は子供の頃からの病気で少しだけ興奮しているだけだと語り、準備委員会のメンバーに向かって会議を開いてほしいと頼みました。
 一方リザヴェータは、ニコライのことを食い入るように見続け、出し抜けにレビャートキンというニコライの親戚を名乗る男が、自分のところへ手紙をよこし、ニコライを中傷し、何か秘密を打ち明けようとしていると大声で語り、もし本当にその男が親戚であるならば、そのような手紙を送るのをやめさせてもらえないかと言いました。

 ニコライは、その話を最後まで冷静に聞き、マリヤ・レビャートキナの夫になって五年が経つことを告白し、レビャートキンがリザヴェータに二度と迷惑をかけないようにすると請け合いました。
 この言葉を聞いたワルワーラ夫人は、恐怖の表情を浮かべました。ニコライは、傲慢な笑顔を浮かべると、悠々と部屋から出て行きました。
 その晩、ワルワーラ夫人は自分の邸に閉じこもり、ニコライは彼女に会うことなくスクヴォレーシニキへ向かいました。
 ステパン氏は、ワルワーラ夫人に「私」を遣いに出しましたが、夫人は会ってはくれませんでした。ステパン氏はショックを受け、自分は二十五年間居着いたこの場所から腰を上げて動き出すのだと語りながら、翌日の講演に向けた準備を行いました。