ドストエフスキー『悪霊』(第一部)の詳しいあらすじ

ドストエフスキー作『悪霊』第一部の詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

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第二部  第三部(準備中)

第一章 序に代えて―ステパン・ヴェルホーヴェンスキー氏外伝

 一八四〇年代の末に外国からロシアに帰った知識人ステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーは、帰国後、大学の教壇に上がった他、数編の論文を書きました。西洋から持ち帰った自由主義的な主張、農奴解放の推進といった理想主義的な思想により、彼は一時的に活動家としての名声を得ることとなったものの、一部の国粋主義者から非難の目を向けられました。間もなくステパン氏は世間から忘れ去られることになりましたが、首都ペテルブルクで反国家的な社会主義の結社が摘発されたのと同じ頃に、彼が六年前に書いた害のない劇詞がモスクワで押収されるということが起きました。これらの出来事により、ステパン氏は、実際には一度たりとも監視されたことがなかったにもかかわらず、当局から目をつけられていると生涯にわたって考えており、ひとりよがりな恐れを抱いていました。しかしその一方で、彼は自分の作品が危険視されたという根も葉もない事実を得意にもしており、古くから相談役を務めていた「私」が、押収された詩は全く害のないものだから出版してみてはどうかと勧めたところ、気を悪くしてこの提案をはねつけました。
 ステパン氏は、生涯に二度にわたる結婚を行いました。最初の結婚相手は、美人ながらも軽薄な娘で、金銭面や精神面で迷惑をかけた挙句、五歳の男の子ピョートルを残してパリで死にました。子供は生まれてすぐにロシアの片田舎に住む遠縁の伯母に引き取られました。その結婚相手を亡くした頃、ステパン氏は、陸軍中将夫人で資産家のワルワーラ・ペトローヴナ・スタヴローギナからの、一人息子ニコライ・スタヴローギンの高級教育兼親友としての任に当たってもらえないかという申し出を受けたことがありました。しかし、大学の講義に登り始めていた彼は、その申し出を断り、ベルリン生まれのドイツ娘と結婚し、それから一年もせずにその妻にも先立たれました。その後、ワルワーラ夫人からの二度目の申し出があり、ステパン氏の最初の妻の遺産として残された領地が、スタヴローギン家が所有する郊外の広大な領地スクヴォレーシニキと隣り合わせであったという事情も手伝い、ニコライの教育係を引き受けることになりました。以来、ワルワーラ夫人は、性格の不一致から別居していた中将の夫の死を経験しながらも、ステパン氏と二十年来の友情を結ぶこととなりました。彼女はステパン氏に対する憎悪、才能に対する嫉妬、軽蔑を抱きながらも、愛情を抱き、時として憂鬱症に見舞われて酒に溺れる彼が堕落しないよう、世話を焼いてきました。それは奴隷的な服従の要求とも捉えられかねないもので、ステパン氏は、時に我慢ならず、ヒステリーを起こしながら、同じ屋根の下にいる夫人に手紙を書くことがしばしばありました。そしてそれからひと月ほど経った頃にその手紙の内容を思い出し、恥ずかしさのために、まるでコレラに罹ったような症状を呈すのでした。

 やがて一八五十年代にさしかかると、ステパン・ヴェルホーヴェンスキーは、自分が忘れ去られた人間であるという思いから憂鬱症になりました。ワルワーラ夫人もまた、自分の家の家庭教師が世間から取り残されていくという事実に耐えられず、彼をモスクワに連れて行きました。
 モスクワに着くと、外国での出版物に著作が取り上げられたのを皮切りに、首都ペテルブルクでもステパン氏のことが話題にのぼるようになり、彼は若さを取り戻しました。ワルワーラ夫人は、彼の名声がどのようになっているのかを確かめるため、また上流社会で自分のことを思い出してもらおうと、貴族学校で大学課程を終えようとしていたニコライ・スタヴローギンに会いに行くという口実をもうけ、ステパン氏を連れてペテルブルクへ向かいました。
 二人は一冬をペテルブルクで過ごしました。ワルワーラ夫人は新思想のただなかに身を投じようとして、自宅で夜の集まりを催し、文学者仲間に声をかけました。その結果、彼女の家には横柄で見栄っ張りの文学者たちが押し寄せるようになりました。ステパン・ヴェルホーヴェンスキーは、そのような運動を指導している最上層の人々に快く迎えられ、文学集会から声がかかり、講師として登壇するようになりました。
 ワルワーラ夫人は、雑誌創刊の構想を発表し、大勢の人が押しかけました。しかし集まった人々は、女資本家、労働の搾取者として彼女のことを嘲笑し、批判にさらすようになりました。ワルワーラ夫人の夫の旧友で同僚だった高齢の将軍イワン・イワノヴィチ・ドロズドフは、夫人の夜会の席である青年と口論を起こし、この事件が新聞にすっぱ抜かれ、将軍を追い出そうとしなかった夫人に抗議する署名が集められました。
 これらのことが原因で、ワルワーラ夫人はペテルブルクにとどまることができなくなり、起死回生を狙ったステパン氏の最後の講演会も失敗に終わりました。
 その講演会の翌朝、五人の文学者がワルワーラ夫人を訪れ、これから創刊する雑誌を自由な組合組織のために扱い、資本ぐるみ引き渡してもらうこと、そして時代遅れとなったステパン。ヴェルホーヴェンスキーを帯同してスクヴォレーシニキに帰るようにと一方的に要求しました。

 ワルワーラ夫人はステパン氏を連れてペテルブルクを離れ、その後彼を外国に旅立たせました。ステパン氏は意気込んで外国へ向かったものの、生まれてから二度しか会うことができていない息子のことを思い出してベルリンで憂鬱症にかかり、またアンドレーエフという商人に売却した領地の四百ルーブルの返済が遅れ、ワルワーラ夫人との別離に悲しみ、四ヶ月と辛抱できずにスクヴォレーシニキに戻ってきました。
 その後の九年間、ステパン氏とワルワーラ夫人は、冬は市内の持ち家で、夏は郊外の領地で穏やかに暮らしました。前の県知事のイワン・オーシポヴィチの世話をしていたこともあり、ワルワーラ夫人は県の社交界では尊敬を集めました。
 ステパン氏は、ワルワーラ夫人から別居を許されて自由になり、週に二度ほども自分のクラブに人を集め、気前良くシャンパンを振る舞いました。

 ステパン・ヴェルホーヴェンスキーのところに出入りしていたグループの最古参のメンバーは、リプーチンというリベラリストで無神論者の中年の県の役人でした。若い細君と再婚して持参金をせしめた男で、三人の娘を抱えながら、家族には金を使わず、がさつで官等も低く、上流社会では出入りを許されず、ワルワーラ夫人にも嫌われていました。
 ワルワーラ夫人の農奴として生まれ、ステパン氏の教え子でもあったシャートフも、そのクラブのメンバーでした。彼は学生運動によって大学を放校になった男で、その後夫人の手紙に返事もよこさず、ある商人にかかえられ、その商人の子供たちの教育を見るほうを選んだことをワルワーラ夫人から根に持たれていました。もともと外国行きを志願しており、同じ商人に雇われて二ヶ月ほどで解雇されたロシア娘を追ってジュネーヴで結婚し、三週間ほどの同棲生活ののち、何者にも束縛されない自由な人間同士として別れました。その後靴磨きや荷役人夫をしながら単身ヨーロッパを放浪して歩き、その間に以前の社会主義的な信条を捨て、一年ほど前にようやく年老いた伯母のもとに落ちつき、その一ヶ月後にその伯母が死ぬことになりました。
 シャートフの妹のダーシャは、十二歳の時にワルワーラ夫人に気に入られて養子になりました。ワルワーラ夫人は忠実で謙虚なダーシャを愛し、彼女のためにまとまった金を積み立て、家庭教師をつけました。ステパン氏は、ワルワーラ夫人の養女になる前から、彼女の教育の中心で、ダーシャも彼のことを慕っていました。ダーシャが十七歳の時、ステパン氏は、その美しさに気がついて、彼女のためにロシア文学史の講義を申し出ましたが、反キリスト教的な作品の解説をしようとしてワルワーラ夫人から授業を打ち切りにされました。
 ダーシャと疎遠になっていたシャートフは、ロシアに帰ってからもワルワーラ夫人の援助を受けることなく、町はずれに一人で暮らし、貧乏暮らしに耐えながらステパン氏の集まりに顔を出し、新聞や書物を借りて生活していました。

 役人のヴィルギンスキーもそのクラブのメンバーでした。三十歳ほど大人しい青年で、独学でそこそこの教養を身につけ、妻の伯母と妹を養っていました。
 ヴィルギンスキーの妻アリーナ・ヴィルギンスカヤは、ペテルブルクで娘時代を過ごし、今では町で助産婦を開業していました。彼女は結婚して一年ほど経った頃、自宅に居候を始めた素性の怪しい退職二等大尉を自称する酒飲みの男イグナート・レビャートキンと関係を持ちました。その出来事から二週間ほどしたある日、ヴィルギンスキー夫妻とレビャートキンは郊外の森へお茶を飲みに行きました。ヴィルギンスキーは、熱に浮かされたようにはしゃいでいたかと思うと、突然レビャートキンに掴みかかり、金切り声を上げながら引きずり回し始めました。
 ヴィルギンスキーはその夜アリーナに許しを乞いましたが、レビャートキンに謝罪に行くことを承諾しなかったので、アリーナからの許しを得ることはできませんでした。
 レビャートキンはほどなく身を隠しましたが、最近妹を連れて再び町に姿を現したようでした。

 これらの人々が出入りしたステパン・ヴェルホーヴェンスキーのグループでは、楽しくリベラルなおしゃべりにふけっていただけだったにも関わらず、自由思想と放縦と無神論の温床だという噂を立てられました。やがて一八六一年に農奴解放令がくだり、百姓たちが持ち上げられる時代になると、彼らはこれを歓喜しました。しかしステパン氏は、解放されたロシアの農民について、「虱だらけの頭に月桂冠を載せた」と評し、一向に自分自身の労働というものを持とうとしないロシア民衆を、勤勉なドイツ国民と比較して批判しました。

第二章 ハリー王子。縁談

 ワルワーラ夫人は、一人息子のニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギンを溺愛していました。ニコライは、幼い頃に父親のスタヴローギン将軍と別れ、八歳の頃に招かれたステパン・ヴェルホーヴェンスキーの教育を受けて育ちました。彼は母親のことをあまり好いてはいませんでしたが、ステパン氏とは友人のようになりました。十六歳の頃にペテルブルクの学習院に入り、ステパン氏と別れることになりましたが、初めの二年間は休暇のたびに家に帰りました。学校を終えると、彼は母親の希望通り軍務につき、近衛騎兵連隊の一つに配属されました。ワルワーラ夫人は、ペテルブルクでの上流社会の息子の成功が関心の的であったため、ニコライへの送金に糸目をつけませんでした。
 青年将校となったニコライ・スタヴローギンは、上流社会で歓迎されるようになりましたが、その後ほどなく競走馬で人を踏みつぶす、上流社会の貴婦人と関係しておきながら、衆目の元でその女性を侮辱する、やたらと人に因縁をつけ、決闘を行なっているといった奇妙な放蕩を行っているという噂が聞こえるようになりました。ワルワーラ夫人はこの噂に心を痛めました。ステパン氏は、シェイクスピアの描いたハリー王子が、若い頃に放蕩を行っていたのと同じだとワルワーラ夫人を慰めました。
 ほどなくニコライは決闘で一人を即死に、もう一人を片輪にし、裁判にかけられて、特別な計らいで兵卒への降格と普通歩兵連隊勤務の流刑を命じられました。
 一八六三年、ニコライ・スタヴローギンは、機会に恵まれて十字勲章を授けられて下士官に昇進し、何百通にもなる母親の誓願書にも助けられて将校に復官しました。しかしその後間も無く、彼は辞表を出して軍務を退き、母親にも手紙をよこさなくなりました。
 やがて父親の領地をドイツ人に賃貸しした収入でペテルブルクで暮らしていることが人づてに分かったものの、社交界には顔を出さず、薄暗い貧民街をぼろぼろの服装でうろついているようでした。
 やがてワルワーラ夫人の願いを受け入れ、二十五歳になったニコライ・スタヴローギンは、「私」たちの町に姿を現すことになりました。彼は非常な美男子で、上流社会の交際に慣れた物腰を持ち、洗練されて垢抜けた服装を身に着けていたため、町の女たちはみな夢中になりました。ほどなく、彼が教養と学識を兼ね備え、並はずれた腕力の持ち主でもあることも明らかとなり、男たちからも羨望の眼差しを向けられるようになりました。
 しかし、絵に描いたような美男子である一方で、彼の顔は嫌悪を催させるものがあり、仮面という評判を得ることにもなりました。ワルワーラ夫人はそのような息子を誇らしく感じながらも、内心は不安な気持ちかき消すことができませんでした。彼女は社交界で特別な敬意を払われるようになっていたものの、県政からは遠ざかり、領地の経営に身を入れ、金を貯めるようになりました。
 県知事のイワン・オーシポヴィチとは父方の親類にあたっていたニコライ・スタヴローギンは、しばらくは大人しく社交界に顔を出していました。しかし半年ほど経過すると、突然町の人々に暴挙を働き始めました。
 クラブの最古参のメンバーであるピョートル・パヴロヴィチ・ガガーノフは、すぐむきになって「わたしの鼻面をつかんで引き回すなんてできることじゃない」というのが口癖でした。ある時、何かの議論をしていたガガーノフがクラブの人々にこの台詞を吐いたことがありました。するとニコライ・スタヴローギンはガガーノフのほうに歩み寄り、力まかせに彼の鼻をつまんで、広間を引きずり回しました。ニコライは、後悔の表情も見せないまま、無造作な謝罪を述べただけで、部屋を出て行きました。
 この一件で、ニコライは町中から憎悪の念を向けられるようになり、クラブから除名され、取り押さえが請願されました。その時、知事は偶然にも外出していました。
 ワルワーラ夫人は、この一件に大変なショックを受け、息子に釈明を求め、泣きながらステパン・ヴェルホーヴェンスキーのところへ相談しに行きました。その同じ日の晩、町のリベラル派でニコライの行為を称賛していたリプーチンがやってきて、その晩催される妻の誕生日のパーティーに来てほしいとニコライに頼み込みました。会場に行ったニコライは、リプーチン夫人のダンスの相手役を務めると、横に座り、彼女の腰を抱き寄せて唇にキスを浴びせました。リプーチン夫人が驚きのあまり気絶すると、ニコライは、リプーチンに怒らないでくださいとつぶやき、外へと出て行きました。
 翌朝、リプーチンは、女中に「よろしく」という言葉を託し、ニコライのところへ送り出しました。その女中はこれをワルワーラ夫人に伝えました。ニコライを丁重に扱ったこの行動のため、リプーチンはある種の尊敬を勝ち得るようになりました。

 知事のイワン・オーシポヴィチは、町に帰ると、クラブ員からの激しい訴えを聞かされました。彼はニコライ・スタヴローギンを恐れていたものの、書面で詫びを入れさせ、町を去ることをやんわりと勧めようと考えました。
 彼は、ニコライ呼び出し、刺激しないように気をつけながら、事件を起こした原因を聞き出しました。
ニコライは、馬鹿にしたような狡猾な表情で原因を話すと言うと、差し出されたイワン・オーシポヴィチの耳に噛みつきました。
 その三十分後、ニコライは逮捕され、独房に監禁されました。ワルワーラ夫人は説明を求めるため、イワン・オーシポヴィチの家に駆けつけましたが、そのまま面会を断られました。
 その夜の午前二時、寝入っていたニコライは、急に騒ぎ始め、狂ったようにドアを叩き、ドアの覗き穴から鉄格子をもぎ取り、ガラスを叩き壊して自分の手を傷つけました。
 宿直の士官は、ニコライを縛り上げるために監房のドアを開けようとし、ニコライが強度の幻覚症状に冒されていることに気づきました。
 三人の町の医師は、ニコライが錯乱状態にあり、判断力や意志が健全ではなかったという診断を下しました。
 その後ニコライは二ヶ月も床につき、春になって全快すると、母の勧めに従い、ガガーノフ、イワン・オーシポヴィチ、リプーチンらに謝罪すると、イタリアへと旅立ちました。

 ニコライ・スタヴローギンの旅行は三年間に及びました。彼はヨーロッパ各地、エジプトやイスラエルを巡り、その後アイスランド学術探検隊に加わり、ドイツの大学の聴講生などを経験しました。ワルワーラ夫人は、内心息子のことを心配しながらも、その悩みを人に打ち明けることなく、よりいっそう金を貯めることに躍起になり、ステパン氏とも疎遠になりました。
 四月、パリにいる彼女の幼友だちで、八年間も会っていなかったプラスコーヴィヤ・イワーノヴナ・ドロズドワ将軍夫人からの手紙が届きました。その手紙には、ニコライがドロズドワ夫人の一家とパリで懇意になり、一人娘のリザヴェータと仲良くなったこと、たまたまパリに来ていたペテルブルクの有力者K伯爵の家庭で息子同様の扱いを受けていること、そしてこの夏にはドロズドワ母娘の滞在するスイスのヴェルネ・モントリューへ来るつもりであることが書かれていました。
 ドロズドワ夫人が娘とニコライを結婚させたがっていることを悟ったワルワーラ夫人は、即座にシャートフの妹にあたる養女のダーシャを連れて四月の半ばにはパリへ、続いてスイスに赴き、ダーシャをドロズドワ夫人のもとに残して、七月に帰ってきました。その後ドロズドワ母娘は八月末に町にやって来る予定でした。

 ドロズドワ夫人はロシアの地主でしたが、二度目の結婚相手イワン・イワノヴィチ将軍の勤務の関係でこの領地を訪れることができないでいました。昨年将軍が亡くなると、悲嘆に暮れたドロズドワ夫人は娘を連れて外国へ旅立ち、その夏にヴェルネ・モントリューに逗留する予定でした。ワルワーラ夫人とは寄宿女学校時代の友達であったドロズドワ夫人は、商人の娘で、初婚の相手である退役騎兵大尉の資産家トゥシンは、死ぬ時に七歳だったリザヴェータにかなりの財産を遺しました。今では二十二歳になったリザヴェータは、二十万ルーブリを超える資産を持っており、いずれ母親の遺産も相続する予定でした。
ワルワーラ夫人は、ドロズドワ夫人との話がうまく進んだことをステパン氏に話し、二人で喜びを分かち合いました。
 その頃、任期の切れたイワン・オーシポヴィチの代わりにやってきた新知事アンドレイ・アントーノヴィチ・フォン・レンプケの赴任により、ワルワーラ夫人が社交界全体で軽んじられるようになっており、ステパン氏は、古くからの金銭問題に頭を悩ませられていたことにくわえて、自分が無神論の温床だという噂を密告されたのではないかと心配していました。レンプケ氏の夫人ユーリヤ・ミハイロヴナとワルワーラ夫人は、以前社交界で顔を合わせて喧嘩別れをしたことがありました。
 ユリヤ夫人は、領地の売却のために町へやってきた著名な小説家カルマジーノフを引き入れて、文学の集まりを始めるつもりでした。
 ワルワーラ夫人は、リザヴェータにドロズドフ将軍の甥を嫁がせようとしてドロズドワ夫人に働きかけたレンプケ夫人を嫌っており、レンプケやカルマジーノフには、ステパンに対する敬意を払うようにさせたいと考えていました。しかしステパン氏は、ワルワーラ夫人にとって自分が一人の魅力ある男であるという考えに揺らぎが生まれ、だらしなくなり、酒量も増え、涙もろくなり、孤独に耐えられなくなりました。

 八月、ドロズドワ母娘は街に帰ってきました。ドロズドワ夫人は、ニコライ・スタヴローギンが七月には自分たちの一家と別れ、ライン河畔でK伯爵と落ち合い、その伯爵一家とともにペテルブルクに向かったということをワルワーラ夫人に伝えました。
 スイスにいた頃、リザヴェータは、ニコライに焼き餅を焼かせようとして、その場にやって来たステパン氏の息子ピョートルと馴れ馴れしく接したようでした。するとニコライは、リザヴェータのことを気にかけてないかのように、その息子と親しくなりました。そのためリザヴェータはニコライを責めるようになりました。そのような時にK伯爵夫人から手紙が来て、ニコライは一日で荷物をまとめて出て行ってしまいました。リザヴェータはその後沈み込み、ニコライについて一言も話さなくなりました。
 ドロズドワ夫人は、リザヴェータがニコライと別れたのは、ニコライとダーシャが通じていたためであると考えており、娘を侮辱されたことに憤っていました。
 この話を聞いたワルワーラ夫人は、ドロズドワ夫人にはきっぱりした態度を取りながらも、二人を仲直りさせるため、ニコライに手紙を書き、帰郷の予定を早めてほしいと頼みました。将校が彼女たちに同行してきたことから、ドロズドワ夫人が何か隠していることを悟ったワルワーラ夫人は、二十歳になったダーシャに、遺言で渡すことになっている一万五千ルーブルを結婚後すぐに渡すことを約束し、ステパン・ヴェルホーヴェンスキーのところへ嫁に行くつもりはないかと聞きました。従順なダーシャは、それを承諾しました。

 ダーシャの承諾を得たワルワーラ夫人は、その話をステパン・ヴェルホーヴェンスキーに持ちかけました。
 その頃ステパン氏は、スクヴォレーシニキの隣にあった最初の妻の持ち村で、今では息子のピョートル・ステパノヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーの名義になっている土地の後見人という立場で、その領地の管理に当たっていました。その領地の収入は、せいぜい五百ルーブリでしたが、息子のピョートルは、年に千ルーブリを受け取ることになっており、その出どころはワルワーラ夫人でした。
 ステパン氏は、ワルワーラ夫人に内緒でその領地の収入を自分のものにしたり、領地を売却したりしており、持ち村はほとんど残っていませんでした。
 ダーシャとの縁談が持ち上がるひと月ほど前、九年間も会っていない息子から領地を売り払いたいという手紙が舞い込み、良心の苛責を感じていたステパン氏は、息子のために本来の領地の価値である金を渡し、いっさいのけりをつけたいと思うようになりました。
 息子のピョートルは、六年ほど前に大学を卒業してから、職もなしにペテルブルグをぶらぶらし、そのうちに匿名の檄文の作成に加わって、事件に巻き込まれた後、逃亡してスイスのジュネーヴにいるという噂が伝えられていました。
 そのピョートルが、四年間の外国生活の末ロシアに戻り、近々町に戻る予定であると知らせて来ました。
 そのような時に、事態を解決するための金をワルワーラ夫人から手に入れられるかもしれない状況になったステパン氏は、ダーシャとの結婚を承諾しないわけにはいきませんでした。ワルワーラ夫人は、その土地を自分が買い、六千から七千ルーブリを出そうと申し出、さらに八千ルーブリほど残っていたステパン氏の借金の返済に充てる金を出すことをほのめかし、また一万五千ルーブリの持参金のことも詳しく語りました。ステパンは突然の話に驚き、自分の五十三歳という年齢を鑑みて尻込みをしましたが、ワルワーラ夫人に丸め込まれ、結婚を承諾しました。
 夫人が帰ると、ステパン氏は、行動を共にしていた新聞記者であった「私」を呼びだし、羽目の外れた様子で泣き笑いました。

 翌日、ステパン氏は正式に承諾の返事を行いました。しかしワルワーラ夫人は、彼がダーシャと今後について話し合うことを許さず、結婚式の人選や形式などを自分の一存で決めました。
やがてステパン氏は、この結婚を気に入り、活力を取り戻したように見えました。

第三章 他人の不始末

 それから一週間が経っても、ワルワーラ夫人は、いつ訪ねてもらうようにするかはそのうちにお知らせすると言って、ステパン・ヴェルホーヴェンスキーの来訪を撥ねつけました。ダーシャと会うことができず、羞恥に苦しめられているステパン氏の相談役として、「私」はつきっきりになりました。
 町に戻って来たドロズドワ母娘は、ステパン氏の消息を探していました。ステパン氏は、かつて可愛がっていたリザヴェータが自分の窮地を救ってくれると考え、彼女たちとの旧交を温めることを望みながら、訪問を引き伸ばしにしていました。
 「私」は、故ドロズドフ将軍の甥にあたる美男子の将校マヴリーキーをお供にしたリザヴェータに時折すれ違い、その姿に惹かれ、紹介されたがっていたこともあり、ドロズドワ家を訪ねようとしないステパン氏に腹を立てていました。
 ステパン・ヴェルホーヴェンスキーとダーシャとの縁談話は、内密に進められていたはずでしたが、詮索好きなリプーチンはすでにその情報を知っていました。しかしリプーチンは「私」にばったりと顔を合わせても、ステパン氏について尋ねようともせず、新しい知事夫人が到着し、早くもクラブ内に反対派が結成されたことなどを話して聞かせました。

 ステパン・ヴェルホーヴェンスキーが縁談を承知して七日目か八日目の十一時ごろ、「私」は作家カルマジーノフに出会いました。カルマジーノフは、老年に達してからは才能を枯渇させ、社交界のルールに精通しながら、強い自尊心から来るいらだちを隠しおおせない人物に成り下がっており、最近の作品には好感が持てなくなっていました。
 しかし「私」は、幼い頃にカルマジーノフの作品を愛読していたため、彼が町にやってくると、ステパン氏を通じて彼に会いたいと思い始めていました。
 カルマジーノフは初対面の「私」に道を尋ねました。「私」は気後れして、へつらうような目つきでその場所を教え、彼の跡をついていき、辻馬車のたまり場を教えました。
 「私」は大恥をかかされたような気持ちになりながら、この出会いが愉快なもののように思われて大笑いし、ステパン氏にこの一件を知らせようと彼の家へと入りました。
 しかしその日のステパン氏は、放心した様子で「私」の話を聞き、カルマジーノフの名を口にしないで欲しいと狂ったように叫びました。彼はダーシャ自身の言葉を聞きたいと望み、そのために直接会いたいという手紙をワルワーラ夫人に送りつけていたにもかかわらず、ワルワーラ夫人はその願いを黙殺し、カルマジーノフが自分のところへの訪問を忘れるのではないかという不安しか頭にないような返事をよこしていたのでした。その手紙には、カルマジーノフがやって来た時のために、部屋をきれいに片付けておくこと、自分の名前は一言も出さないようにということ、そして外出を禁じるということが書かれていました。ステパン氏は青ざめながら、ワルワーラ夫人の専制的なやり方に怒り狂いました。

 そこへリプーチンが来たという知らせが届き、ステパン氏は恐れ慄きました。
 リプーチンは、キリーロフという男を連れてやって来ました。
 キリーロフは、二十六、七歳の、身なりの整った痩せぎみのブリュネットで、専門の研究を深めるために外国へ行き、鉄橋工事に就職の話があったためにロシアに戻ってきた建設技師でした。彼はステパン氏の息子ピョートルと親密にしており、ピョートルを通し、リザヴェータやニコライとも知り合いで、ロシアに戻ってからは、ボゴヤヴレンスカヤ街のフィリッポフ館のシャートフの家の下に住んでいました。

 リプーチンは、ロシアにおける自殺増加の原因について論文を書いている男としてキリーロフを紹介しました。キリーロフは、それは論文にするつもりなどない著作なのだと否定し、その論文のために四年間も人づきあいを避けていたことをリプーチンに笑われたことに腹を立てました。
 リプーチンは、キリーロフと同じフィリッポフ館に住んでいるレビャートキンについてステパン氏に語りました。レビャートキンは以前贋札事件で捕まり、その後、町から姿をくらましていた男で、その間に身を隠していた妹を探し出して町に連れ戻しました。妹は頭がおかしい上に足が悪く、誰かに誘惑されて貞操を奪われたため、レビャートキンは、名誉毀損の慰謝料としてその男から毎年金を取っており、十日ほど前には貧乏だったのが、今では何百ルーブリという金を手にしているようでした。ニコライ・スタヴローギンはスイスにいた頃、三百ルーブリをダーシャに託してレビャートキンに送らせたことがあり、レビャートキンは、ダーシャがその金の一部を横領したと言いがかりをつけ、その分を取り立てると町じゅうに触れ回っていました。そのことでダーシャは、ニコライとの特殊な関係を疑われていました。
 リプーチンは、前々日にワルワーラ夫人から呼び出され、ニコライの素行について内密に相談されていたこともあり、レビャートキンの妹の貞操を奪ったのがニコライであると考え、その証拠をつかもうと、レビャートキンを酒に酔わせたり、五、六年前にペテルブルクでニコライやレビャートキンと一緒にいたキリーロフに尋ねたりしていたものの、はっきりとしたことは分かっていませんでした。
 キリーロフは、これらのことを語るリプーチンの蔭口に我慢ならず、去っていきました。キリーロフを追ってリプーチンが出ていくと、ステパン氏は狼狽しながら、ワルワーラ夫人のところへついて来てほしいと「私」に頼みました。
 ステパン氏は、何の根拠もなくダーシャとニコライとの関係を信じており、自分との結婚によって不始末を帳消しにしようとワルワーラ夫人が目論んでいるのだろうと考えていたのでした。「私」は彼の「他人の不始末との結婚はごめんだ」との発言に憤慨しました。
 通りを歩いていると、馬に乗っていたリザヴェータ・ニコラエヴナがステパン氏に声をかけました。彼女は十一歳の頃にペテルブルクに連れて行かれるまで教育を受けていたステパン氏にすぐに気づき、彼の家を訪ねたがりました。リザヴェータとの再会が自分を救ってくれるものと根拠もなく信じ込んでいたステパン氏は、喜んでリザヴェータとマヴリーキーを家に上げました。
 リザヴェータは、すでに町で美しさが噂になっていましたが、その一方で、母親の健康が優れなかったために町で挨拶回りをしておらず、また知事夫人と遠縁にあたることや、毎日馬に乗ることで、町じゅうから高慢だと誤解されていました。
 ステパン氏の部屋には九年前にペテルブルクのドロズドワ家から送られた十二歳のリザヴェータが描かれた水彩画がありました。彼女はそれを手にして鏡を覗き、肖像画を取り外して欲しいと声を高めました。
 ステパンは、興奮してダーシャとのことを女中のナスターシャに話したことがあり、それがリザヴェータの乳母に伝わり、リザヴェータもこのことを知っていました。リザヴェータは、ダーシャの兄であるシャートフがどのような人なのかと聞きました。善良ではあるが怒りっぽい人物だとステパンが答えると、リザヴェータは、三カ国語を知っているシャートフにしてもらいたい仕事があるので、紹介してほしいと「私」に頼みました。「私」はシャートフにことづけておくことを約束しました。ステパン氏は、十時か十一時の帰る頃には家にいて欲しいと私に頼みました。
 「私」はシャートフの家に行きましたが、彼は家にいませんでした。門を出ようとすると、今朝からこの家の木造の離れに引っ越したというキリーロフと出会いました。キリーロフは、一人では広すぎる離れに、世話をする聾唖の老婆と暮らしていました。
 彼は、「私」が用意していたシャートフへの置き手紙に封をさせて宛名を書かせ、お茶を勧めると、「私」が七年前に死んだ兄に似ていたため、自分の主張を語り始めました。彼は人間があえて自殺しようとしない原因を探究しており、死ぬ際の苦痛、そしてあの世の存在が、その原因であると考えていました。「私」は、人間が死を恐れるのは、生を愛するからだと反論すると、キリーロフは、生は苦痛と恐怖でしかなく、その苦痛と恐怖を愛するからこそ人間は生を愛しているのであり、その苦痛と恐怖に打ち勝って自殺をすることのできる人間がそのうちに現れて、そのような人間が自らが神になるのだと主張しました。
「私」は彼のことを狂人だと考えました。

 キリーロフの家を出たところで、「私」は、リプーチンと一緒にいたレビャートキンに胸ぐらを掴まれました。レビャートキンは、酔っ払って「私」にからみ、詩を謳い始めました。その腕を振り払って路上へ駆け出した「私」にリプーチンがつきまとい、レビャートキンがリザヴェータに惚れ込んでいること、彼がニコライ・スタヴローギンから農奴二百人の持ち村を譲られ、今では大尉というだけでなく、大地主なのだということを教え、リザヴェータに気がある「私」をからかいました。

 ドロズドワ家を訪ねたステパン・ヴェルホーヴェンスキーは、これまでのニコライ・スタヴローギンの奇行について根掘り葉掘り聞かれ、またダーシャとの結婚を勧められたことで、何かを探り出す目的で呼ばれたのだと考え、狼狽しながら「私」を待ち侘びていました。
 ワルワーラ夫人は、今朝の「家から出ないこと」というステパン氏への命令を後悔し、「私」を連れて明後日の日曜日の正午に家に来てもらいたいという手紙を送りました。
 「私」はステパン氏とともにワルワーラ夫人のところへ行き、ニコライがレビャートキンに領地を譲ったという匿名の手紙が夫人に届いていることを知りました。
 「私」は、フィリッポス館を訪ねたこと、レビャートキンの妹はニコライによって汚され、そのためにレビャートキンはニコライから金を受け取っているのかもしれないということ、ダーシャの噂はすべて嘘であろうということ、キリーロフは狂人であろうということをステパン氏に伝えました。
 するとステパン氏は、ニコライとの間に何があったのかをダーシャに手紙で聞いたと言いました。そのような手紙を書いたことを「私」が非難すると、ステパン氏は、二十年間連れ添って来たワルワーラ夫人ただ一人を愛してきたことを告白し、彼女が自分を理解してくれなかったこと、結婚によって堕落し、事業に専念することができなくなるだろうことを嘆きました。

第四章 びっこの女

 「私」は挨拶のためにリザヴェータの家を訪れ、置き手紙を読んでやってきたシャートフを彼女に紹介しました。
 リザヴェータは、ロシア国民の個人的な精神生活を描き出すために、国内で出版される無数の新聞や雑誌の中から、時代相を反映した傾向のない記事の一部を抜粋してまとめ、見出しと索引をつけて日付順に並べた書物の出版を行おうとしており、その書物の作成の協力者を求めていました。ピョートルやニコライから印刷に詳しいシャートフのことを知っていた彼女は、協力者として適任であると考え、文筆関係の仕事を頼もうとしていたのでした。
 シャートフはこの考えに理解を示し、有益な思いつきだと言いました。
 リザヴェータは、シャートフがボゴヤヴレンスカヤ街のフィリッポフ館の住人であることを聞き出すと、そこに住んでいるレビャートキンから、仰々しい文章で書かれた恋文を受け取っていることを告白しました。彼女は、仰々しい文章で書かれたその恋文を読み上げました。
 するとシャートフは、リザヴェータの計画している仕事には他の人を選ぶべきだと答え、部屋を出て行きました。リザヴェータはシャートフの返答に気落ちしました。
 「私」はこの一幕に何か裏があることを感じていましたが、その原因を知らされてないことで自分が部外者であると感じ、その部屋を去りました。しかし階段を降りた「私」をリザヴェータが引き止め、どうしてもレビャートキンの妹に会わなければならないので、その段取りをつけてほしいと死に物狂いで頼みました。「私」は、ほとんど面識のない自分を頼りにするしかないリザヴェータのことが気の毒になり、レビャートキンの妹に話をつけてみることを約束しました。

 まず「私」はシャートフの協力を再び得ようと、彼のところへ急ぎました。
 シャートフの自宅には、キリーロフと、シガリョフというヴィルギンスキーの妻の実弟にあたる人が訪れていました。
 「私」はシガリョフとそれほど面識はなく、ペテルブルクのある進歩派の雑誌に論文を載せたという噂を知っているだけでした。暗く陰気な印象を与える男で、左右不揃いに突き出した不自然な大きな耳を持ち、動作は不器用で、「私」は彼の顔から不吉なものを感じました。
 三人は何やら言い争っているようでしたが、「私」が来た途端に沈黙しました。シガリョフは「私」の方を睨むと、シャートフに向かって「きみには報告の義務がある」と言い、「私」に挨拶もせずにキリーロフとともに出て行きました。シャートフは、そんな報告などまっぴらだと言って、ドアに鍵をかけると、無神論でおかしくなっているキリーロフらがロシアに対する憎悪を語っているのだと批判しました。
 シャートフとキリーロフは、一昨年前、最も困難な社会的状況に置かれた状態の労働者の生活を検証するために、なけなしの金をはたいて移民船でアメリカへ渡ったことがありました。現地では、ある開拓民の農場に雇われた後、病気にかかり、雇い主から殴打を受けた上に支払いをごまかされて逃げ出し、その後ある田舎町で四ヶ月も一つの小屋に暮らしていました。
 帰国に際して、ヨーロッパにいたニコライ・スタヴローギンが百ルーブルを送金しました。シャートフの妻はニコライとパリで通じていたという噂があり、シャートフは、いまだにその金を返していませんでした。

 「私」は、これまでの一部始終をシャートフに語りました。するとシャートフは、レビャートキンの妹を知っており、彼女が一人でいる時に訪ねてみようと提案しました。

 レビャートキンと妹のマリヤ・レビャートキナは、家主のフィリッポフが新築の建物に引き移るまで居酒屋になっていた汚らしい小さな部屋に住んでいました。レビャートキンが妹を連れてやって来た頃は一文なしで、あちこちの家をまわって物乞いをしていたようでしたが、ある時に大金を手にしてから大酒を飲み始めていました。

 「私」とシャートフは、鍵のかかっていない部屋の中に入りました。
 マリヤ・レビャートキナは、三十歳ほどの、病的に痩せこけた、かつては美しかったであろうという面影を残す女でした。シャートフによると、彼女は足が悪く、一人で座りっぱなしでトランプ占いをしているか、手鏡をのぞいているかで、食べ物も与えられていませんでした。毎日のように起きる神経性の発作で記憶をなくし、自分を訪れに来る人々が誰であるかもはっきりと認識できず、自分の空想に入り込んで生きていました。シャートフは、マリヤの空想に話を合わせてやりました。やがて物音がしたため、シャートフは、「私」を急かして自分の部屋へと駆け上がり、泥酔しながら上って来たレビャートキンとドアを挟んで言い争い、マリヤの秘密を探ろうとしました。しかしレビャートキンは口を割ることなく倒れ、そのまま眠ってしまいました。

 翌日はステパン・ヴェルホーヴェンスキーとダーシャの婚礼が予定されていた日曜日でした。
 この日の礼拝式には、町中の社交界の人々が豪奢な服装で集まっていました。ワルワーラ夫人は、普段と変わらない黒ずくめのつつましい服装で、礼拝の間、熱心に祈りを捧げました。
 町の司祭長のパーヴェル神父が説教壇にのぼると、薔薇の造花を髪に刺し、顔に紅や白粉を塗りたくったマリヤ・レビャートキナが教会堂に入り込みました。彼女は人の間をすり抜けて気づかれないように前に進み出て、教会堂の板張りの床に突っ伏して泣いたかと思うと、すぐに楽しげな表情になりました。
 説教が終わり、ワルワーラ夫人が十字架に接吻して出口へ向かうと、マリヤ・レビャートキナがその前にひざまずきました。その頃、慈善事業に惜しみなく金を使っていたワルワーラ夫人は、彼女が援助を必要としているのかと思いました。しかしマリヤ・レビャートキナは彼女の手に接吻をしたいと申し出ました。ワルワーラ夫人は、十ルーブリをマリヤに差し出し、接吻を受け入れました。
 町の名士で商人のアンドレーエフが、その娘がフィリッポフ館に住むレビャートキン家のものであると教えました。レビャートキン大尉でがさつな男であるということを知ったワルワーラ夫人は、マリヤを家に送らせようと申し出ました。
 そこへ、知事夫人と連れ立って礼拝式に参加していたリザヴェータが声をかけ、自分も同行させてほしいと必死に頼みました。ワルワーラ夫人はリザヴェータがついてくることを許可し、馬車にマリヤ・レビャートキナを乗せました。マリヤは、馬車に乗っている間ヒステリックに笑いどおしました。

 一方、その日「私」はワルワーラ夫人の命令でステパン氏に同行することになっており、また午後の三時にはリザヴェータの話を聞くことになっていました。
 指定された通り、正午にステパン氏を連れてワルワーラ夫人の屋敷へと行くと、夫人は礼拝式から戻っておらず、まだ家にはいませんでした。ステパン氏はそれだけのことで気が動転してしまいました。
 シャートフは正式に招待を受けており、客間に入って来ました。ダーシャが二階の部屋にいて加減が良くないことを知ると、ステパン氏は不安そうに「私」に目配せを始めました。そこへ礼拝式からやってきたリザヴェータとマリヤ・レビャートキナが腕を組んで入ってきました。

第五章 賢しき蛇

 ワルワーラ夫人は自宅に戻り、ステパン氏やシャートフにマリヤ・レビャートキナを紹介しました。マリヤは、ステパン氏が狼狽えながら話すフランス語や見事な客間にうっとりし、ワルワーラ夫人のことを「伯母さま」、リザヴェータのことをリーザと呼びました。そのようなマリヤの無作法をワルワーラ夫人は許し、黒のショールをかけてやりました。

 やがて小間使いがダーシャの加減が悪いことを知らせにやってきました。しかしワルワーラ夫人は、彼女を呼ぶようにと命じました。
 その瞬間、息をはずませて取り乱した様子のドロズドワ夫人がマヴリーキーに支えられながら現れ、リザヴェータを迎えに来たと言いました。
 ドロズドワ夫人がなぜか自分に対して横柄な態度をとるようになっていたことで、気分を害していたワルワーラ夫人は、冷ややかで横暴な態度で彼女を迎えました。
 ドロズドワ夫人は、リザヴェータを町中の人の前でスキャンダルに引き込んだことに憤慨しており、ワルワーラ夫人が自分に引け目を感じているはずだと思い込んでいるようでした。
 リザヴェータは、ユリヤ・ミハイロヴナの許しをもらって自分から来たのだと母親に説明しました。
 ドロズドワ夫人は、マリヤ・レビャートキナを指さし、この一週間の間に明るみに出るであろう真相の元凶は彼女にあると言いました。指をさされたマリヤは嬉しそうに笑い出しました。
 ワルワーラ夫人は血の気の失せた顔になり、その顔を見たドロズドワ夫人は謝り、ここ最近ワルワーラ夫人のことが書かれた匿名の手紙が届くことを告白しました。

 ワルワーラ夫人の命令で部屋に入ってきたダーシャは、マリヤに会うのは初めてでしたが、彼女がレビャートキンの妹で、病気であるということは知っていました。マリヤはダーシャに会いたがっていたと語り、ダーシャのような教養ある美しい人が「あいつ」から金を取ると言っていることなど、あるはずがないと言いました。ダーシャは、スイスにいた頃、ニコライからの依頼でレビャートキンに渡すようにと預かったお金のことをマリヤが言っているのだろうと言いました。ニコライは、三百ルーブルをレビャートキンに送りたいと思っていたものの、宛先を知らなかったので、ダーシャにその金を託していたのでした。ダーシャはその金をすべてレビャートキンに渡しましたが、レビャートキンはそれを受け取っていないと吹聴してまわっているようでした。
 ワルワーラ夫人は、ニコライが自分に黙ってそのようなことをしたということは穿鑿するべきではないことなのだと考え、ダーシャを弁護することを約束しました。
 ワルワーラ夫人が、下男のアレクセイを使ってマリヤを送ろうとすると、下で待っていたレビャートキンが取り次いでほしいと頼みました。

 ワルワーラ夫人は、帰ろうとするドロズドワ夫人に、ひどい口喧嘩をしてしまったことを詫び、自分も六日ほど前に、匿名の手紙を受け取ったことを告白しました。その手紙には、ニコライが発狂したということや、びっこの女が自分の運命に重要な役割を果たすだろうなどと書かれていたようでした。ワルワーラ夫人は、その手紙の出どころを突き止めるため、マヴリーキーとステパン氏の反対意見も聞かず、レビャートキンを家に通してみようと言いました。するとリザヴェータは、まだワルワーラ夫人のところへ残るという意思を表明しました。ワルワーラ夫人は、レビャートキンを連れてきてほしいとマヴリーキーに頼みました。

 レビャートキンは、四十前後の、背が高く、ちぢれ髪の、がっしりとした体格の男で、腫れぼったい顔と血走った目、喉元に瘤のある不快な男で、燕尾服に真っ白いシャツを着ていました。彼がやってきたのが誰かの入れ知恵であることは間違いありませんでした。
 レビャートキンは、戸口で絨毯に蹴つまずきました。マリアが笑い転げると、彼は妹をにらみつけ、ワルワーラ夫人の方へ歩み寄りました。
 レビャートキンには、焦燥と自信のなさが見て取れる一方で、奇妙なふてぶてしさを感じさせる男でした。彼はワルワーラ夫人に向かって自己紹介し、マリヤが監視の目を盗んで抜け出した妹であると言いました。そしてマリヤはワルワーラ夫人からしか金を受け取らないと言って、二十ルーブリの金をワルワーラ夫人に差し出しました。
 ワルワーラ夫人がその行為に驚きながら、金をしまうようにレビャートキンに頼み、なぜマリヤが自分からしか金を受け取らないのかと聞きました。レビャートキンは、それは秘密なので答えることができないと言いました。
 彼はリザヴェータの手前、躍起になりながら、人間は心の高潔さだけから死ぬことができるのかと、ワルワーラ夫人に問いました。ワルワーラ夫人がその質問に答えないでいると、レビャートキンは、興奮しきって部屋の中を歩き回り、自分のことばかりをまくし立てました。
 ワルワーラ夫人は、腹を立てて自制を失い、レビャートキンの失礼を責め立て、息子からの金が手に渡っていないと嘘をついてダーシャのことを責めている理由をレビャートキンに聞きました。
 レビャートキンは、その事実が言いがかりであると認めず、自分は狡猾で、酒という情熱のはけ口に酔っているときに韻文調の手紙を名門の令嬢に送り、辱めることがあるのだと語り始めました。
 ちょうどその時、ニコライ・スタヴローギンが到着したという知らせがもたらされました。この思いがけない知らせに一同は驚きましたが、はじめに部屋の中へ飛び込んできたのはニコライではなく、二十七歳ほどの、やや背の高い、白っぽく薄い髪を長めにのばした、こざっぱりとした服装の青年でした。それはステパン氏の息子のピョートルでした。
 ピョートルは、醜男ではなかったものの、好かれることのない病的な顔つきで、せかせかとしており、冷静なまとまった考えの持ち主で、明晰でありながら鼻につく話し方をする青年でした。
 彼はキリーロフのところで落ち合ったニコライに言われてここへやってきたようでした。ステパン氏は十年ぶりの我が子との再会に涙を流しました。
 そのピョートルに続いてニコライが部屋に入ってきました。彼は四年前と同じような尊大な態度で、美男子ありながら仮面をかぶっているという印象の顔の持ち主でした。
 突然ワルワーラ夫人は、レビャートキナが正妻であるというのは本当かとニコライに尋ねました。彼女はそのことを知らせる匿名の手紙を受け取っていたのでした。この質問は、一同を非常に驚かせました。
 するとニコライは、うやうやしく母親の手に口づけしながら、無言のままマリヤの方に向かいました。マリヤ・レビャートキナは、ニコライの登場に歓喜の表情を浮かべ、ひざまずきたいと申し出ました。しかしニコライは優しい口ぶりでここから出て行くようにと諭すと、つまずいたマリヤを支えながら、部屋から出て行きました。二人を見送ったリザヴェータの表情は、憎らしげに痙攣していました。

 ニコライとマリヤが出て行くと、一同はみな混乱状態に陥りながら話し始めました。
 ニコライの出現に怯えて帰ろうとしていたレビャートキンは、ピョートルに手を掴まれ、引き止められました。ピョートルの話によると、ニコライは、五年ほど前にペテルブルクで、もと糧秣局の退職官吏で、マリヤとともに他人の家を渡り歩いていたレビャートキンを知りました。レビャートキンはその頃、アーケード街を昔の制服姿でうろついて物乞いをやり、集めた金で飲んでいました。当時のニコライは、変人趣味から、レビャートキンと同じような生活に身を沈めており、やがてマリヤはニコライの風貌に惚れ込むようになりました。
 マリヤがならず者たちの笑いものにされていた時、ニコライが相手の男の一人を掴んで二階の窓から放り出したことがありました。以来ニコライは、マリヤの空想を掻き立てるように仕向けようと丁重な態度で接し始めました。その場にいたキリーロフは、ニコライのそのような態度がマリアをだめにしてしまうと注意しました。しかし結局マリヤは、ニコライが自分の夫になる人であると思い込むようになったため、ニコライは街に帰ることになった時に、彼女に生活費をあてがってやったのでした。
 ピョートルは、ろくに口をきいたことのない気狂い女の空想にニコライが責任を持たないのは、無理もない話だと言いました。
 ワルワーラ夫人は、マリヤ・レビャートキナを養女にすることが義務だと考え、誇り高さの代償として傷つきやすく、冷笑的になってしまったニコライが誤った道を行かないよう、友としてより親しく付き合ってほしいとピョートルに頼みました。ピョートルは、街中の人々に匿名の手紙を送っている連中を探し出すことをワルワーラ夫人に約束しました。
 ピョートルによると、マリヤに生活費を当てがったニコライが去った後、レビャートキンはその妹名義の金を自分で使い込んでしまったようでした。それから一年後、ニコライは外国でそのことを知り、マリヤを遠方の修道院に入れました。しかしレビャートキンは、金づるである妹を探し回り、見つけ出してこの町へ連れて来ると、暴行を加え、ニコライからもかなりの金をせしめ、さらには法外な要求を突きつけ、奪った金で酒を飲みました。
 ピョートルは、この話が本当かを皆の前で認めるかをレビャートキンに向けて詰問しました。レビャートキンは、これらを全て認めました。
 ピョートルは、レビャートキンの本当の行状にはまだ話すことがあるようでした。しかしレビャートキンは、逃げるように去って行き、ドアのところでニコライと鉢合わせ、その場に棒立ちになってしまいました。

 ワルワーラ夫人は、これまでの誤解についてニコライに詫びました。ニコライは、ピョートルがこれまでのことを話してくれたことに感謝の意を示し、母を優しく抱擁しました。
 リザヴェータは、ニコライがレビャートキンとすれ違った時からヒステリーを起こし、自分を抑えられなくなるほどに笑い出し、母親をかき抱きながら泣き咽び始めたかと思うと高笑いを始め、その場から連れ出されました。
 ニコライは、ダーシャの横に座り、結婚のお祝いを言いたいと申し出ました。ダーシャの顔は赤くなりました。
 ピョートルは、ステパン氏の意見が聞きたいという手紙を受け取ってやって来たことを語り始めました。その手紙の中は喜びと絶望が同居したもので、「スイスでの他人の不始末」のためにダーシャと結婚することになるので「救出」に飛んできてほしいと書いてありました。ピョートルは生涯に二度しか会ったことのない父親から送られてきたその手紙の真意を図りかね、お祝いを言うべきなのか、結婚から救出すべきなのか、測りかねてやってきたのだと語りました。
 ピョートルが何らかの芝居をして、正直にことのしだいを述べたのは明らかでしたが、これを聞いたワルワーラ夫人はひどく立腹し、二度と自分の家の敷居をまたがないでほしいとステパン氏を追い出しました。
 ピョートルに最初の抱擁をうるさがられてから既に傷ついていたステパン氏は、ワルワーラ夫人の破門宣言にも動じず、一礼して出て行こうとしました。ダーシャは、いまでもステパン氏のことを尊敬していると伝え、自分のことを悪く思わないでほしいと言いました。ピョートルは、ようやく「他人の不始末」の本当の意味を理解したような芝居をしました。その芝居に気づいたステパン氏は、静かに怒りを表しました。

 その時、片隅に座り込んでいたシャートフがニコライの方へ近づいて行き、力まかせに彼の頬を殴りつけました。ニコライは口から血を流し、シャートフの肩を掴みました。しかしその直後に両手を引っ込め、平静ながら青ざめた顔で背中で十字に組み、無言でシャートフを見つめました。シャートフは目を逸らし、うなだれながら部屋から出て行きました。
 リザヴェータは恐ろしい叫び声を上げて気を失い、床の上に倒れてしまいました。