芥川龍之介作『地獄変』の登場人物、あらすじを詳しく紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。
『地獄変』の登場人物
堀川の大殿様
誕生の際に大威徳明王の姿が母親の夢枕に現れるほど、生まれつきから並みの人間とは異なり、下々のものとともに天下を楽しむことのできる度量ある人物に思われている。妖怪の行列に出会っても怯むことなく、河原院に出る幽霊にさえ叱りつけたという逸話が残っている。
高名な画師である良秀を抱え、十五歳になるその娘を寵愛する。良秀に地獄変の絵を描くように依頼する。
良秀
大殿様が抱える高名な画師。五十歳ほどの背の低い、痩せた、意地の悪そうな老人。唇が目立って赤いのが気味の悪い印象を起こさせる。立ち居振る舞いが猿のようなので、猿秀というあだ名がつけられている。絵の腕前を鼻にかけており、横柄で高慢なため、皆から嫌われている。気味が悪くて醜い絵ばかりを描き、その絵からは死人の腐った匂いがすると言われたり、描かれた人物は三年もたたないうちに死んでしまうという噂が立つ。十五歳の一人娘を溺愛しており、着るものや髪飾りを惜しげもなく整えてやっている。
良秀の娘
十五歳になる一人娘。愛嬌があって利口なため、屋敷の女たちに可愛がられている。子猿の良秀を可愛がった孝行を褒められ、大殿様からの寵愛を受けることとなり、屋敷の小女房として働くようになる。
若殿様
大殿様の悪戯盛りの息子。丹波の国から献上された猿に良秀というあだ名をつける。
子猿の良秀
丹波の国から献上された猿。若殿様により良秀という名がつけられた。柑子(柑橘)を盗み、追われているところを助けられたことがきっかけで、良秀の娘になつくようになる。
私
語り手。堀川の大殿様に二十年間奉公していた。
『地獄変』のあらすじ
※ネタバレ内容を含みます。
堀川の大殿様は、生まれつき並の人間とは異なり、下々のものとともに天下を楽しむ度量があったので、その代には語り草となったことがたくさんありました。その中でも、家宝となっている地獄変の屏風にまつわる話ほど、恐ろしい由来を持つものはありません。
地獄変の屏風を描いたのは、良秀という高名な絵師でした。良秀は、背の低い、痩せた、意地の悪そうな老人でした。腕の良い画師であることを鼻にかけ、人情がなく、高慢で横柄だったため、皆から嫌われており、猿のような立ち居振る舞いを揶揄され、猿秀というあだ名がつけられていました。彼の描くものはすべて醜いものばかりだったので、屋敷のものはその絵を気味悪がりました。
良秀には十五歳になる一人娘がいました。その娘は愛嬌があって利口なため、皆から好かれていました。良秀は、その一人娘のことをまるで気違いのように可愛がっており、金銭に惜しみなく着るものや髪飾りを揃えてやっていました。
大殿様の屋敷に、丹波国から猿が一匹献上され、悪戯盛りの若殿様は、その猿に良秀という名をつけました。ある日、その猿が柑子(柑橘の一種)を盗み、若殿様から追われていました。良秀の娘はその猿を優しく抱き上げ、その猿が虐められるのは、父親が虐められているような気がして見ていられないと言って、若殿様から追われていた猿の命を助けてやりました。
それ以来、猿は良秀の娘のそばを離れたがらなくなりました。すると皆もこの猿のことを可愛がるようになり、娘はその孝行により、大殿様からも贔屓を受けるようになりました。
娘が大殿様に仕えるようになると、良秀はそれを嫌がり、小女房の座から下げて欲しいと頼みました。そのため、大殿様は次第に良秀のことを冷ややかな目で見るようになりました。
ある日、大殿様は地獄変の絵を描くように良秀に命じました。良秀は、それから五、六か月、地獄変の絵にかかりきりになり、蛇や髑髏をどこからか手に入れたり、弟子を裸にして鎖で縛りつけたり、耳木兎(みみずく)に襲わせたりして、その様子を描くようになりました。普段にも増してその絵にのめり込むにつれ、良秀は夢見が悪くなり、妙な寝言を言うようになりました。
そのようなことを繰り返しながら、地獄変の絵を八割方仕上げた良秀でしたが、あるところから筆を進めることができなくなりました。強情だった彼は、妙に涙脆くなりました。一方、良秀の娘は、大殿様に想いを寄せられながらも、その想いを受け入れなかったことで、次第に気鬱になり、涙を堪える様子が見受けられるようになりました。
それから半月ばかり経った頃、良秀は大殿様を訪れ、地獄変が大方できあがったものの、ただ一つ描けない所があると言いました。それは猛火に包まれて空から落ちてくる牛車の中で、女が悶え苦しんでいる場面でした。良秀は自分で見たものしか描くことができないので、燃えさかる牛車の中に一人の艶やかな女を入れ、その様子を見せてほしいと頼みました。大殿様は、良秀の唯ならない雰囲気を見て、大声で笑いながら、希望通りのものを用意すると答えました。
それから二、三日後、大殿様は洛外の山荘へ良秀を連れて行きました。用意された牛車には青い簾(すだれ)が掛かっていて、中の様子を伺うことはできませんでした。大殿様が笑いながら簾を上げると、その中にいたのは良秀の娘でした。
その牛車に火がつけられると、娘は身悶えをしながら炎に包まれていきました。良秀はその様子を、恐れと悲しみと驚きを持って見つめ続けました。しかし悲しみに沈んでいたはずの良秀は、車が燃えていく光景を見るにつれ、段々と怪しげな厳かさを帯びるようになっていきました。
身の毛もよだつような光景が繰り広げられるなか、どこからか良秀の猿が忍び寄り、燃えさかる車の中に入り、娘と共に燃えていきました。
その一月ばかり後、良秀は、完成した地獄変の屏風を大殿様に見せました。そこに描かれているのは、地獄の猛火の中で、あらゆる身分の人間が焼かれている凄惨なものでした。その中で最も凄まじいのは、空から落ちてくる牛車の中で、炎に包まれて悶え苦しんでいる女の絵でした。それはひと目見るだけで、炎熱地獄の恐ろしさを感じることのできる傑作でした。
大殿様に完成した地獄変の屏風を見せたその夜、良秀は自分の部屋に縄をかけて首を括りました。今ではその小さな墓標は、誰のものともわからないほど、苔むしているに違いありません。
作品の概要と管理人の感想
『地獄変』は、一九一八年に発表された短編小説です。鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』を題材にした作品で、地獄変の屏風の絵を描くために、燃えさかる牛車の中で悶え苦しむ実の娘を見殺しにする絵師が描かれ、芥川龍之介の芸術至上主義を最もよく表す作品の一つとして知られています。
『偸盗』でも同じようなことを書きましたが、管理人は個人的に、芥川龍之介の本領が最も発揮されるのは、おどろおどろしい場面を書くときであると思っています。『杜子春』や『蜜柑』などの、爽やかな読後感を与えてくれる作品も素敵ですが、『羅生門』や『偸盗』といった、疫病や犯罪がはびこる荒廃した平安京の描写は、まるでどこからか腐臭が漂ってくるような生々しさで描かれています。それら二つの作品とは舞台は異なっているものの、『地獄変』における、良秀の娘が乗る牛車に火が放たれる場面もまた、目を背けたくなるような凄惨さが際立っており、その描写は非常に迫力があります。芸術に囚われた良秀は、その凄惨な場面を見せつけられ、最愛の娘を助けるばかりか、むしろその光景に悦びを感じているようにすら見えます。
三島由紀夫の『金閣寺』の主人公の学僧は、金閣寺に魅せられた挙句、火を放ちました。
谷崎潤一郎の『刺青』の主人公の彫物師は、美しい娘に睡眠薬を飲ませて刺青を施し、反対にその娘の美しさに支配されました。
サマセット・モームの『月と六ペンス』の主人公は、「描かずにはいられないのだ」と言って、妻子を捨ててタヒチへと渡りました。
美に囚われた人々がどのような行動を取るか、作家によってその表現方法はまるで異なっていて、これを比較するのも小説の面白い読み方だと思います。