『饗応夫人』は、1948年(昭和23年)に発表された太宰治の短編小説で、心身をすり減らしてまでお客をもてなさずにはいられない一人の戦争未亡人の姿が、家に住み込む女中の視点で描かれた作品です。
このページでは、『饗応夫人』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。
※ネタバレ内容を含みます。
『饗応夫人』の登場人物
奥さま
福島県の豪農の生まれ。本郷の大学の先生であった夫と世間を知らずにのんびりと暮らしていた。四年前に「私」を女中として雇い、その後、戦争未亡人となる。客が来ると持てなさずにはいられない饗応癖がある。
私(ウメちゃん)
語り手。四年前に「奥さま」の家に雇われた女中。
笹島先生
医学士。「奥さま」の夫の中学の同級生で、本郷の大学の先生。戦争中に妻子を里に帰らせ、東京の雑貨屋の三畳間を借りて住んでいる。
『饗応夫人』のあらすじ
お客に世話を焼かずにはいられない性質の奥さまは、人が来ると極度に緊張し、錯乱しながら家中を走り回り、その客が帰ると呆然としながらぐったりと座り、ときには涙ぐむことすらありました。
もともと奥さまは、文学士で本郷の大学の先生であった夫と、世間知らずでのんびりとした生活を営んでいました。
「私」は、戦争中だった四年前に、女中としてこの家に雇われ始めました。それから半年ほど経ったころ、奥さまの夫であるご主人が招集されて南洋の島へと行き、戦争が終わっても帰ってきませんでした。
昨年の春、奥さまは、マーケットでばったりと会った笹島先生を連れてきました。
笹島先生は、ご主人の中学の同級生で、医学士として同じ本郷の大学の先生をしていました。二人は以前同じ駒込のアパートに住んでいたこともあり、かつて親交がありました。
笹島先生は、結婚後すぐに召集され、妻は留守中に生まれた息子と一緒に実家に避難していて呼び戻す家もないため、一人で東京の雑貨店の三畳間を借りて自炊生活をしているのでした。
奥さまは、例の饗応癖で笹島先生に同情を示し、「私」に鶏鍋とお酒の準備を言いつけました。
笹島先生は、酒をコップで飲み、酔っ払って、夫の帰ってこない奥さまの不幸を棚に上げ、妻子と別居して家を焼かれた自分のことばかりを語り、今度は友人を連れてくると言いました。
それから四、五日後、笹島先生は、三人の友人を連れて来て、病院の忘年会の二次会を開くと言って、お酒と料理を頼みました。そしてそのうちの一人の看護婦とふざけ合い、奥さまを召使いのようにこき扱い、夜遅くまで騒ぎました。
夜が明けると、皆で雑魚寝をすることになりました。いやと言えない奥さまは、一睡もできなかったようでした。「私」が怒っている様子を見せつけると、彼らは帰って行きました。
やがて、笹島先生やその友人はことあるごとにやってきて、そのたびに奥さまは愛想笑いを浮かべながら出迎え、一睡もできない夜を過ごしました。
ある早春の夜、ひと組の酔っ払い客がいて、「私」と奥さまが台所で代用食を食べていると、若い今井先生が下品な言葉で奥さまを侮辱するのが聞こえました。
しかし奥さまは涙を見せながら、翌朝は今井先生のために朝風呂を沸かしてほしいと「私」に頼みました。
奥さまはだんだんとやつれていき、体の具合が悪くなりました。ある春の日、奥さまは血を吐きました。「私」は、奥さまをこのような状態にしたお客たちに責任を取らせ、元の体に戻してもらおうと言いました。すると奥さまは里に帰るので、その間の留守番をして、お客たちの宿としてこの家を使わせてあげてほしいと「私」に頼みました。
「私」はその日に荷造りを行い、奥さまを送るために切符を二枚買って、戸締まりをして奥さまの実家の福島へと出発しようとしました。するとそこへ看護婦を二人引き連れた笹島先生がやって来ました。
奥さまは、泣くような笑うような声を上げながら彼らを家にあげ、「私」を使いに出しました。マーケットでお金を出そうとした「私」は、旅行用のハンドバッグから引き裂かれた切符を見つけました。それはおそらく奥さまが帰るのを諦めて引き裂いたもので、「私」はその優しさに呆れながらも、人間というものは尊いものを持っていることを知らされた気がして、自分の分の切符も引き裂いて、ごちそうを買って帰ろうとマーケットの中を物色しました。
作品の概要と管理人の感想
『饗応夫人』は、亡き夫の知り合いであった男を、心身をすり減らしてまでおもてなしをせずにはいられない未亡人の姿を描いた作品です。
お客が来ると異様に緊張しながら出迎え、錯乱しながら世話を焼いていた「奥さま」は、戦争で行方が分からない夫の友人であった笹島先生にばったりと出会います。笹島先生が家を訪れてくると、「奥さま」はいつもの饗応癖を発揮し、言いつけ通りに酒や料理を提供し、心無い言葉にもいちいち相槌を打ちます。
その日から笹島先生は、若い看護婦や友人を家に連れ込み、夜明け近くまで騒ぎ通すようになります。それでも「奥さま」は、笹島先生の図々しさを拒絶することができず、お客が来ると寝床から跳ね起き、「泣くような笑うような不思議な歓声」をあげながら彼らを出迎えます。
そのような自身の歓待癖により、「奥さま」は体を壊し、とうとう喀血してしまいます。
女中である「私」がこれ以上の接待をしないように諭すと、「奥さま」は里に帰ることを決めます。
しかし家を出ようとしたその時、笹島先生は若い看護婦を連れて現れます。奥さまは、里に帰るための列車の切符を破り、彼らを歓待します。
『ヴィヨンの妻』の語り手や、『斜陽』の「おかあさま」、『おさん』の語り手など、誰か他の人のために身をすり減らす人々(特に女性)を、太宰治は多く描いています。
それはおそらく、太宰治自身が、放蕩の末に大学を中退して生家を勘当されたり、妻子を顧みずに酒に溺れ、数々の女性を渡り歩いた経験を持つためでしょう。しかし、これらの作品の多くでは、傷つける側の人間(主に男性)も、しっかりと傷ついています。『ヴィヨンの妻』における語り手の夫は、泥酔しながら家に帰り、「ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい! たすけてくれ!」と叫ぶ姿が描写され、『斜陽』における「おかあさま」の息子の直治は放蕩のあげくに自殺し、『おさん』における語り手の夫も、女と心中してしまいます。
一方、この『饗応夫人』における笹島先生は、他の作品の男たちほど深く掘り下げられておらず、彼の図々しさばかりが強調されます。また、上に挙げた他の作品とは異なって、夫人にとっての笹島先生は赤の他人で、そこには夫婦関係や親子関係どころか、一片の好意もありません。そのためか、自分とは何の関係もない男のために、養生することすら諦めなければならない夫人の弱さ、口惜しさ、悲しさがより一層痛切に感じられるような気がします。
最後に、そのような夫人を見て、語り手の女中は人間の持つ尊さを感じます。この尊さは、太宰治が自分の文学を守るためにスポイルし続けてしまった人々に対するそのままの意なのではないでしょうか。さまざまな人々に対する罪の意識を持ち続けていた太宰治だからこそ、このような痛々しい人間像を創作できたのではないかと思います。