谷崎潤一郎『人魚の嘆き』の登場人物、あらすじ、感想

 『人魚の嘆き』は1917年に「中央公論」に発表された谷崎潤一郎の短編小説です。清王朝の最盛期と言われる第六代皇帝の乾隆帝の頃の南京を舞台に、富、名声、美貌を持ち、放蕩のかぎりを尽くした青年が、他国の商人から手に入れた人魚に魅惑される物語です。
このページでは、登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『人魚の嘆き』の登場人物

孟世燾
清王朝時代の南京に住む貴公子。類稀な美貌と才知の持ち主で、幼い頃に死んだ両親が残した巨万の富を継いでいる。若い頃から行ってきたあらゆる贅沢、放蕩のため、享楽の生活に飽きている。

異人
秀でた眉、広い額、純白な皮膚を持つ西洋人の商人。オランダ領の珊瑚島の付近で美しい人魚を手に入れ、世燾のもとへと連れてくる。

人魚
妖麗な姿、熱い涙、暖かい心臓、神秘な知恵を持ち、魔法使いよりも不思議な術を心得ているが、背徳の悪性を備えているために、人間よりも卑しい魚類に堕とされ、常に人間の世界に憧れながら青い海の底を泳いでいる。異人によって捕らえられ、世燾のもとへ連れて来られる。

『人魚の嘆き』のあらすじ

 中国の清朝王室の愛新覚羅家が栄華を誇っていた時代、大都市南京に、孟世燾(モウセイチュウ)という若い貴公子が住んでいました。
 世燾は、類稀な美貌と才知の持ち主で、幼い頃に死んだ両親が残した巨万の富を継いだ幸福な青年でした。
 このような境遇に身を委ね、あらゆる放蕩、贅沢をし尽くしてしまった彼は、今では欲望を満足させる遊びが見つからなくなり、仕方なく四方の国々から寄せ集めた七人の美女を妾にして、無聊な月日を送るようになっていました。
 ある日のこと、世燾が眺望のいい露台で、雑踏を見下ろしながら阿片を吸っていると、一人の紅毛の西洋人が、一匹の驢馬に籠を引かせてやって来るのが見えました。男はうやうやしく挨拶をし、西洋の人魚を連れてやって来たと語りました。世燾は、その南洋の異人が口にした人魚という言葉に胸をときめかされ、邸へと招きました。
 世燾の前に通された異人は、あるオランダ領の珊瑚島の付近に真珠をとりに行って、思いがけなく美しい人魚を得たことを語りました。人魚は、妖麗な姿のうちに熱い涙と暖かい心臓と神秘な知恵を持ち、魔法使いよりも不思議な術を心得ているものの、背徳の悪性を備えているために、人間よりも卑しい魚類に堕とされ、常に人間の世界に憧れながら青い海の底を泳いでいるようでした。異人はそれまでに、この人魚を半年も売り歩いていましたが、どこの貴族も、高すぎる値段や、人魚に恋をして命を落としてしまうという噂に尻込みし、買おうとはしませんでした。しかしマカオの街で、ある知り合いの貿易商から世燾が歓楽のために巨額の富を投げ打っているという噂を聞き、やってきたのでした。

 世燾は人魚を買うことが自分の運命であるように感じ、金剛石、紅宝石、孔雀、象牙を異人に与えました。異人は車の籠の簾を上げて、海の潮で満たされた水瓶に幽閉された人魚の姿を世燾に示しました。人魚は、極度に妖艶な瞳、気高い眉と鼻、暗緑色の髪、純白な光沢を放つ肌を持ち、神に近い美しさがありました。自分の学識と見聞に誇りを持っていた世燾でしたが、これほど美しい生き物が水の底に住んでいることを夢にも想像したことがなく、激しく魂が揺さぶられるのを感じました。彼は長らく望んでいた興奮に襲われ、感激の涙を流しながら、人間よりも人魚の種族に堕落し、永劫の恋を楽しみたいと語りました。
 人魚とこの異人の間に多くの共通点があることに気づいた世燾は、彼らがやって来たヨーロッパを尊く麗しい土地だと考え、自分を異人の国に連れて行って、優越な種族の仲間入りをさせて欲しいと頼みました。
 すると異人は、もしヨーロッパへ行ってもこの人魚以上に世燾を満足させるものはないだろうと、支那にとどまることを勧め、もう一度アジアの大陸を訪問することがあれば、その時は世燾をヨーロッパへ連れて行こうと約束し、去って行きました。

 人魚が買われてから、七人の妾は主人の前へ召し出される機会を失い、夜な夜な行われていた饗宴も止んで、邸はひっそりと静まり返りました。
 世燾は、人魚とガラス一枚を隔てて、寂しい時を過ごしていました。半身を甕の外へさらしてほしいと頼んでも、人魚は水底へひれ伏してしまい、毎晩のように真珠色の涙を流すだけでした。

 ある晩のこと、世燾があまりの切なさに紹興酒を飲んでいると、その酒の香りを嗅いだ人魚が水面へと浮かび上がり、両腕を長く甕の外へと差し出しました。酒を口元に寄せると、人魚は我を忘れて一息に飲み干し、次の一杯を促しました。

 世燾は、人魚の血管に酔いがまわれば、より一層美しくなり、人間らしい親しみや愛らしさを見せてくれるに違いないと考え、せめて一夜だけでも人間の姿になって、自分の恋を聞き入れ、背徳の悪性を見せてほしいと言いました。すると、酒の力を借りて人間の言葉を語ることができるようになった人魚は明瞭な言葉を話し始めました。
 人魚が語るところによると、彼女の故郷は、イタリア・ナポリの港の沖合にあり、去年の四月、暖かい春の潮に乗って南洋の島国に迷い込んでいる時に人間に捕らわれたようでした。
 人魚は、故郷である南欧の海に放してほしいと頼みました。故郷に恋人があるのだろうと、世燾が恨みの言葉を述べると、人魚は、自分がどうして世燾のような艶やかな若人を忌み嫌うことができるだろうかと言って、世燾の頭を抱え、胸の動悸を聞かせました。すると世燾は、襟首に氷に当てられたような寒さを覚え、身体が無感覚になりました。世燾が凍死しそうになると、人魚は彼の手首を自分の心臓に乗せ、身体は魚のように冷たくても、心臓は人間のように暖かなのだと言いました。世燾は掌に火のような熱を感じました。
 人魚は、情熱は熱く燃えながらも皮膚は忌まわしい寒気に慄いているために、人間を愛することを永劫に禁じられており、もしも世燾を愛することになっても、煩悩の炎に狂い、妄想の奴隷となって悶え苦しむだけなのだと語りました。そしてその運命の哀しさ辛さを忘れるため、自分を波の底へ帰し、この切なさと恥ずかしさから逃がして欲しいと頼みました。

 人魚は、最後の御恩報じに、神通力を見せようと言いました。世燾は、神通力を示してくれればどのような願いでも聞いてあげようと、うっかり口を滑らせました。すると人魚は、もう一度自分の姿を見たいのであれば、欧州行きの汽船に乗って、船が赤道をすぎる時に海に放してほしいと言うと、魔法を使い、小さな海蛇へと姿を変えてしまいました。

 その年の春の始め、世燾は、香港からイギリス行きの汽船に乗り、船がシンガポールの港を過ぎ、赤道直下を走っている時、ガラスの壜の中にいた海蛇を海に放ちました。
 海蛇が水中へ姿を消して五、六分経った頃、はるか沖合の水面で、人魚が飛沫をあげて身を翻しました。世燾がその美しく艶かしい姿に驚き、その方を振り向いた瞬間、人魚は両手を高く翳しながら、「ああ」と咽ぶ声をあげて水中へ姿を消しました。

 船は、人魚の故郷を憧れる世燾の一縷の望みを乗せ、ヨーロッパの方へと航路を進めていきました。

管理人の感想

 谷崎潤一郎は、1910年に短編小説『刺青』でデビューし、明治末期から昭和にかけて『痴人の愛』、『春琴抄』、『卍』、『吉野葛』、『細雪』などのヒット作を数多く残した作家です。半世紀以上にわたる作家生活の中で、作品ごとに様々に作風を変化させながらも、美に魅了される人間の姿を描き続け、日本近代文学の文豪として今なお高い人気を誇っています。装飾に満ちながらも整然とした文体は、日本語で表現される文章の極到のひとつとされ、特に初期の作品では、時に毒々しいまでの豪奢な文章で書かれた作品が多くなっています。
 デビューから7年後の1917年に発表された『人魚の嘆き』では、南京で放蕩の限りを尽くした青年・孟世燾が、西洋人の商人から手に入れた人魚に魅了され、その人魚を生まれ故郷の西洋の海に帰すまでの物語が、耽美的に描かれています。好みは別れるかと思いますが、「けばけばしくなってしまう一歩手前の絢爛豪華」といった絶妙な文章で、ファンならば「読んでいるだけで幸せ」という感情にさせてくれるような作品です。

 また、西洋からやって来た人魚に魅惑され、自らも西洋へと旅立って行く孟世燾のストーリーからは、谷崎潤一郎の初期作品の西洋趣味が顕著に現れていることも読み取れるかと思います。1933年に発表された『痴人の愛』では、西洋人のような顔立ちの少女ナオミを引き取って、自分好みの女性に育て上げようとする男の姿が書かれています。主人公の男は、ナオミに向かってこのように語ります。

「ああ、勉強おし、勉強おし、もう直ぐピアノも買って上げるから。そうして西洋人の前へ出ても耻かしくないようなレディーにおなり、お前ならきっとなれるから」

『痴人の愛』より引用

 結局この男は、成長したナオミに翻弄されるようになっていくわけですが、このように初期の谷崎作品は、西洋を崇拝する文章が散見されており、『人魚の嘆き』においても、西洋にルーツを持つ人魚の美しさが際立っています。

その瞳は、ガラス張りの器に盛られた清洌な水を通して、恰も燐のように青く大きく輝いて居ます。どうかすると、眼球全体が、水中に水の凝固した結晶体かと疑はれるほど、淡藍色に澄み切って居ながら、底の方には甘い涼しい潤ほひを含んで、深い深い魂の奥から、絶えず「永遠」を視詰めて居るやうな、崇厳な光を潜ませて居ます。
(中略)
最も貴公子の眼を驚かし、最も貴公子の心を蕩かしたものは、実に彼の女の純白な、一点の濁りもない、晧潔無垢な皮膚の色でした。(中略)何か、彼の女の骨の中に発光体が隠されて居て、皎々たる月の光に似たものを、肉の裏から放射するのではあるまいかと、訝しまれる程の白さなのです。

『人魚の嘆き』より引用

 このような、艶かしさと同時に品位も感じる人魚の描写は、まさに谷崎文学の真骨頂ともいえるものです。それほど有名な作品ではありませんが、これら初期作品の魅力的な特徴が短編形式の中にぎゅっと詰め込まれている『人魚の嘆き』は、「この作品の文章が好きならば他の谷崎作品もきっと好きになることができる」という入門書にぴったりな作品だと思います。