太宰治『畜犬談』の登場人物、あらすじ、感想

 『畜犬談』は、1939年(昭和14年)に発表された太宰治の短編小説です。太宰治の作品の特徴の一つである、ユーモアのセンスが遺憾なく発揮され、笑いを誘う文章を楽しむことができる作品となっています。
 このページでは『畜犬談』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。


畜犬談 —伊馬鵜平君に与える—

※ネタバレ内容を含みます。

『畜犬談』の登場人物・犬


いつの日か犬に食いつかれるであろうという確信を持ち、犬を嫌悪している。

ポチ
練兵場から「私」の後をつけ、家に住み着いた真っ黒な子犬。

家内
ポチに対してもともと無関心であったが、ポチが皮膚病を発症すると露骨に嫌悪する。

『畜犬談』のあらすじ

 語り手の「私」はいつか犬に食いつかれるという確信があり、犬のことを嫌悪しています。犬はもともと馬をも殺すことのできる猛獣であり、家族として接している飼い主といえど、いつ鋭い牙で噛みつかれないとは限らないので、鎖で縛り付けておくべきものだと「私」は主張します。

 昨年の晩秋、「私」の友人は往来で犬に噛みつかれました。それから友人は茫然自失した後、悔し泣き、病院へ行き、恐水病の防毒のため、三週間の病院通いを強いられました。
 「私」はもし噛まれたのが自分であったら、その犬を生かしてはおかないだろうと考えます。その話を聞いて、「私」の犬への憎悪は、頂点に達したのでした。

 今年の正月に「私」が住んでいた甲府は、どこへ行っても犬がいました。「私」は真剣に対策を考え、犬に出会うと満面に微笑をたたえ、害のないことを示すことを試みました。顔の見えない夜は、無邪気に童謡を口ずさみ、優しい人間であることを知らせようとしました。犬に警戒されないよう、髪を切り、ステッキも持ち歩かないようにしました。

 すると「私」は、皮肉にも犬に好かれるようになりました。強力な足や牙を持ちながら、人間に追従をしているように見える犬が、自分に似ているようにも思え、「私」はさらに犬を嫌いになりました。

 早春のこと、練兵場へ散歩に出かけた「私」の後を数匹の犬がついてきました。その犬のうちの一匹の真っ黒な子犬は「私」の家までもついてきて、住み着いてしまいました。
 仕方なく「私」はその犬をポチなどと呼んでいますが、そのポチを一家のものと思うことができません。以前は毛も抜け落ち、痩せこけていたのが、「私」の犬に対する憎悪と恐怖から発した老獪な駆け引きのおかげで、今では毛並みも揃い、飼い主を困らせる悪戯を行い、行き交う犬にかたっぱしから喧嘩を挑む駄犬になりました。そのおかげで、「私」は散歩中にポチが他の犬に吠えかかるたびに恐怖を感じました。

 もし喧嘩をするなら、自分から離れたところでやってほしいと言ったところ、ポチはそれを理解したらしく、それ以来他の犬に吠えかかられても相手にせず、「私」に追従してくるようになりました。自分の顔色を伺うポチに、「私」は再び嫌悪を感じました。

 七月に入り、三鷹に移転することとなり、「私」はポチを捨てていくつもりでした。しかし、引っ越しの準備が整い、家主の便りを待っていたところ、ポチが皮膚病に罹りました。
 ポチに無関心であった家内は、その悪臭を放つ皮膚病を気味悪がりました。「私」は、引っ越すまで我慢するしかないと考えました。

 しかし雨が降り続き、十日ほどかかるという便りが家主から届くと、ポチの皮膚病はますますひどくなっていき、「私」は自分の皮膚も痒くなった気がするようになりました。退屈な日々を不眠で送り、発狂状態になっていた「私」は、自分の寝巻きに犬の蚤がついているのを見ると、ポチを殺そうと考え、家内もそれに同意しました。

 「私」は薬屋で毒を買い、明くる朝ポチを呼びました。練兵場へとやってくると、大きな赤犬がポチに喧嘩をふっかけました。ポチはそれを無視して通り過ぎようとしましたが、赤犬はポチの背後から襲いかかりました。「私」はポチに喧嘩を許可し、自分は噛み殺されてもいいような気分になって、手に汗握りながら喧嘩を眺めました。ポチは、自分の倍はあろうかという赤犬に勝ちました。「私」はポチを褒めてやりました。
 練兵場に着くと、「私」は毒のついた牛肉を与え、ポチがそれを食べている間に帰途につきました。
 しばらく歩いて後ろを振り向くと、ポチが首を垂れてついてきていました。毒は効かなかったようでした。

 「私」は家に帰り、毒が効かなかったことを家内に報告し、芸術家は弱者の友であると説き、ポチを東京に連れてこうと提案しました。家内は浮かぬ顔をして同意しました。卵をポチにやれと「私」が命じると、家内はやはり浮かぬ顔をして「ええ」と返事しました。

管理人の感想

 『畜犬談』は、犬を嫌悪する語り手の家に住み着いてしまった一匹の犬をめぐる物語が、一人称の形で綴られた作品です。
 いつの日か犬に噛み付かれるであろうという確信を持っている語り手は、冒頭から、犬を散々に罵倒します。

世の多くの飼い主は、みずから恐ろしき猛獣を養い、これに日々わずかの残飯を与えているという理由だけにて、まったくこの猛獣に心をゆるし、エスやエスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員のごとく身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の耳をぐいと引っぱらせて大笑いしている図にいたっては、戦慄、眼を蓋わざるを得ないのである。不意に、わんといって喰いついたら、どうする気だろう。気をつけなければならぬ。

こちらが何もせぬのに、突然わんといって噛みつくとはなんという無礼、狂暴の仕草であろう。いかに畜生といえども許しがたい。畜生ふびんのゆえをもって、人はこれを甘やかしているからいけないのだ。容赦なく酷刑に処すべきである。

犬の傍を通る時は、どんなに恐ろしくても、絶対に走ってはならぬ。にこにこ卑しい追従笑を浮べて、無心そうに首を振り、ゆっくり、ゆっくり、内心、背中に毛虫が十匹這はっているような窒息せんばかりの悪寒にやられながらも、ゆっくりゆっくり通るのである。

日に十里を楽々と走破しうる健脚を有し、獅子をも斃す白光鋭利の牙を持ちながら、懶惰無頼の腐りはてたいやしい根性をはばからず発揮し、一片の矜持なく、てもなく人間界に屈服し、隷属し、同族互いに敵視して、顔つきあわせると吠えあい、噛みあい、もって人間の御機嫌をとり結ぼうと努めている。雀を見よ。何ひとつ武器を持たぬ繊弱の小禽ながら、自由を確保し、人間界とはまったく別個の小社会を営み、同類相親しみ、欣然日々の貧しい生活を歌い楽しんでいるではないか。思えば、思うほど、犬は不潔だ。犬はいやだ。なんだか自分に似ているところさえあるような気がして、いよいよ、いやだ。

『畜犬談』より引用

 犬の嫌悪すべき点をことごとくあげつらう文章は、いくら嫌いとはいえども、よくここまで書けるものだと感心してしまうほどです。

 犬を恐れる語り手は、無害な人間であることを示すために、満面の微笑をたたえながら歩き、その微笑みを見せることのできない夜間は、無邪気に童謡を口ずさみます。さらに、犬に警戒されないよう、嫌いな床屋へ行って散髪し、ステッキも廃棄します。
 しかし、そんな語り手の対策が、皮肉にも犬たちを惹きつけます。練兵場へ行くと、犬たちは彼の後ろをついて歩き、とうとうそのうちの一匹は家までついてきてしまいます。語り手夫婦は、その犬をポチと名づけます。
 語り手は引っ越しをすることになり、ポチを置いていくつもりでしたが、引っ越し先の家主からの連絡を待つうちにポチが皮膚病に罹ります。神経質になっていた語り手は、犬の虱が寝巻きについているのを見て、ポチを殺すことを決め、毒を飲ませます。しかし、その毒はポチに効かず、語り手は「芸術は弱者の友」であると妻に説き、ポチを引っ越し先に連れて行くことを決意します。

 現代の感覚で考えると、語り手がポチに毒を飲ませたことは非常に残酷なことのように感じます。薬が効かなかったから「ゆるしてやろうよ。」というのは、人間のいかにもなご都合主義を感じないでもありません。しかし、おそらく今よりも、動物による脅威が大きかった時代に、現代の常識でその残酷さや自分勝手さを語ることはナンセンスなような気がします。
 それよりも大事なことは、ポチに毒入りの餌をあげて立ち去ったときの語り手のやるせない気持ちと、ポチが生きていたことを知ったときの語り手の安堵と喜びが、直接書かれているわけではないのに、非常に心に迫ってくることであると思います。

 ここまで読み進めると、冒頭で犬を散々にこき下ろしていたのは、(おそらく)その後も一緒に暮らすことになったポチへの愛情を示すための長い前フリのようにも感じます。
 太宰治の書く悪口はこのような側面があり、自分が好意を持っているものを敢えて悪く書き、その後でしっかりとその名誉を回復させ、かえってその魅力をより一層の引き立たせるものが多いです。

 名作として知られる『富嶽百景』では、日本の象徴・富士山でさえ太宰治の悪口の標的となっています。滞在した三坂峠からの富士山の眺めを、太宰治はこのように評します。

ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞえられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑さえした。あまりに、おあつらいむきの富士である。まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひっそり蹲まって湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。

 このように書いた後で、太宰治はしっかりと富士の名誉を挽回させています。

娘さんは、興奮して頬をまっかにしていた。だまって空を指さした。見ると、雪。はっと思った。富士に雪が降ったのだ。山頂が、まっしろに、光りかがやいていた。御坂の富士も、ばかにできないぞと思った。

『富嶽百景』より引用

 故郷へ帰った時のことが綴られる自伝的小説『津軽』においても、太宰治はちょいちょい津軽の人々に対する(悪口とは言わないまでも)軽口を叩きます。しかしそれらの軽口も、すべて故郷愛を語るための前フリであり、あとでしっかりとフォローが入ります。そしてその軽口のおかげで、津軽の人々の、無骨だけど暖かい魅力が、より一層引き立つようになっています。

 一方、『如是我聞』という小説では、太宰治は、志賀直哉を中心とする当時の文壇を激しく批判しています。よくまあここまで書けるなあという感じの、散々なこき下ろしがひたすら書かれており、あとでフォローが入ることもありません。それでも小説として出来上がっており、これはこれでなかなか面白いです。

 『畜犬談』、『富嶽百景』、『津軽』などの、愛すべきものに対して敢えて書く悪口、『如是我聞』のような何かを攻撃するために書く悪口と、そのスタイルは様々ですが、太宰治の書く悪口は、どれもが深い洞察に飛んでいて、時にユーモラスに、時に辛辣にその対象を表現します。そして、その悪口の中に、文学に対する意気込みだったり、人間(『畜犬団』では犬)に対する深い愛情だったりと、太宰治自身の考え方、こだわり、決意がふんだんに盛り込まれています。

 その中でも、この『畜犬談』は、さらっと読めてしまう短編でありながら、愛情に満ちたユーモラスな語り口で読者を惹きつけ、さらに「芸術は弱者の友」という、太宰治の文学、芸術に対するこだわりが垣間見れる作品であると思います。