『グッド・バイ』は、1948年に発表された太宰治の小説です。
朝日新聞社から連載小説の依頼を受けた太宰治が、不朽の名作『人間失格』を書き終えた後の、1948年の5月から書き始められた作品です。十三話から成り、そのうちの第一回から第十回までの原稿を朝日新聞社に渡した後、太宰治は愛人の山崎豊栄と玉川上水に入水し、自殺を遂げました。その後第十一回から第十三回までの原稿が残されているのが発見され、未完の遺作として『朝日新聞』および『朝日評論』に連載されました。
強烈な女性キャラクターであるキヌ子に振り回される主人公田島を滑稽に描き、前作の『人間失格』から一転、思わず笑い出してしまうようなユーモア小説となっています。
このページでは『グッド・バイ』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。
『グッド・バイ』の登場人物
田島周二
三十四歳。雑誌「オベリスク」の編集長。編集者でありながら、闇商売で儲けており、愛人を十人近く囲っている。
永井キヌ子
田島が何度か一緒に仕事をしたことがある闇屋の担ぎ屋。怪力を持つ大食いで、いつも汚い服を着た烏声の女だが、着飾ると驚くほどの美人になる。
青木さん
田島が生活費を補助する愛人のうちの一人。三十歳前後の戦争未亡人で、日本橋のデパートにある美容院で働いている。
『グッド・バイ』のあらすじ
終戦の三年後、文壇のある老大家の告別式の帰り、初老の文士と歩いていた編集者の田島周二は、その死んだ老大家が相当な女好きだった事について話しました。
田島は、雑誌「オベリスク」の編集長でありながら、ときたま闇商売の手伝いをして儲けており、愛人を十人近く囲っていました。彼には、死んだ先妻の間に白痴の女児がいて、その先妻の死後、疎開先の埼玉で、裕福な農家出身の今の妻と結婚しました。そして終戦になると、妻と女児を妻の実家に預け、東京で四方八方を歩き回ってしこたま儲けたのでした。
しかし終戦後三年か経ち、彼はなぜか田舎から妻と子供を呼び寄せたいと思い始め、そのために闇商売から足を洗い、女たちと別れ、編集の仕事に専念しようという気持ちが働くようになりました。
女たちが金で引き下がるように思えない田島は、文士に全てを打ち明け、女たちと手を切る方法を聞きました。
文士は、すごい美人をどこかから連れてきて、その女に自分の女房のふりをしてもらい、愛人の一人一人を訪ねて回ることを提案しました。
田島は、その文士の提案を実践してみようと考え、美女を求めてあらゆる場所を探し回りました。しかし適任と思われる女性を見つけることはできませんでした。絶望しかけて新宿駅裏の闇市を歩いていた田島に、一人の女が後ろから声をかけました。
その女は、田島が一緒に仕事をしたことのある担ぎ屋の女、永井キヌ子でした。彼女はいつも汚い服を着た鴉声の女でしたが、その日は高雅な洋装をしていて、高貴さすら感じる美人になっていました。田島は、この女を使えると考えました。
キヌ子はいまだに担ぎ屋をやっているようでした。田島は、足を洗おうと思っていることを告げ、なじみの闇の料理屋にキヌ子を案内し、今後の計画について話しました。
キヌ子は、相手にこれからの気持ちを決めさせるような別れ方をしなければならないという田島の主張を理解できませんでしたが、仕事ができなくなることで損なわれる金を補填するという条件を出され、彼に協力することを了承しました。
キヌ子のアパートは世田谷方面にあり、朝は担ぎ屋として働くので、午後二時以降であれば、たいてい暇にしているようでした。田島は、週に一度ほど、キヌ子を連れて愛人のところへ行き、別れを切り出すことにしました。
数日後、田島は、キヌ子を連れて日本橋のあるデパートの美容室に向かいました。そこには、愛人の一人で、田島が生活費を補助している青木さんという三十歳になる戦争未亡人が働いていました。
田島は、その美容室に入り、自分の女房として、キヌ子を紹介し、髪をセットさせました。青木さんは、目に涙をためながら、キヌ子の髪をとかしました。セットが終わる頃、田島は紙幣の入った袋を青木さんのポケットに滑り込ませ、「グッド・バイ」と囁きました。
キヌ子は平然としながら、すんなりと別れを受け入れた青木さんの意気地のなさを批判しました。別離をわびしがっていた田島は、キヌ子のことを怒鳴りつけたい衝動に駆られながら、財布を渡してやりました。キヌ子は無遠慮に、デパートの高級品を選び出し、無断で勝手な買い物を始めました。
無駄遣いをされて悔しい思いをした田島は、彼女を征服し、従順で質素で少食な女に変えさせようと試み、キヌ子の部屋にウイスキーを持ち込んで酔い潰れたふりをして彼女を口説こうと考えました。
キヌ子の部屋の戸を叩いた田島は、二十五、六歳の女の部屋とは思えない、悪臭の漂う散らかった四畳半の部屋と、汚れたモンペ姿のキヌ子に驚きながら部屋に入りました。
田島のウイスキーを見たキヌ子は、家にあったカラスミを売りつけようとして金を要求しました。田島は腹を立てながらもそれを買い取りました。キヌ子は、本場もののカラスミをざくざく切って汚い器に入れ、味の素をかけて田島に提供しました。
私生活を尋ねられたキヌ子は、面倒なので料理はしないものの、部屋ははじめから汚く、商売がら散らかっているだけで、元来は綺麗好きなのだと言って、押し入れの中を田島に見せました。
その押し入れの中は、週に一度ほどほどおしゃれをするための、女性らしい服や靴が清潔に整理されていました。
田島は酒がまわると、キヌ子を口説くという当初の計画を実行しようと考え、酔ったふりをして部屋で寝ようとしました。
するとキヌ子は、怒って田島を部屋から追い出そうとしました。田島はキヌ子に抱きつこうとして拳で殴られ、裸足で廊下に飛び出しました。
しばらく後、田島は外からキヌ子に声をかけ、靴を取り戻し、恵んでもらった赤いテープで壊れた眼鏡をとめなおし、家へと帰りました。
四、五日後、なんとかキヌ子を利用して、損した分を取り戻したいと思った田島は、彼女に電話をかけ、道徳的によいことをすると宣言し、田舎から妻子を呼び寄せて幸福な家庭を作ろうという考えを話しました。キヌ子はまるでその思想に取り合わず、結局田島は一日五千円払うことを約束し、彼女を雇い直すことになりました。どうしても五千円以上の損を避けたいと思った田島は、キヌ子の怪力を利用することを思いつきました。
愛人の一人に、水原ケイ子という三十前の洋画家で、田島がオベリスクの挿絵を描かせてやり、生計を助けていた女がいました。
彼女の家には、満州で軍隊生活を送っていた兄が居座っており、電話をかけても、その兄が出てくるため、田島はケイ子を引っ張り出すことができませんでした。兄を怖がっていた田島は、風邪で寝ているケイ子に金を差し出して別れを告げようと考え、もし兄が乱暴を働くようなことがあれば、キヌ子に取り押さえてもらおうと思ったのでした。
(未完)
作品の概要と管理人の感想
それまでに付き合っていた女性と別れることを決心した主人公の田島は、以前の取引相手の担ぎ屋であった永井キヌ子に協力を頼みます。キヌ子は日頃は男だか女だかわからないドロドロの服を着て商売をしており、鴉声で大食い、驚くべき怪力を持ち、ゲスっぽく、デリカシーのないことばかり話し、悪臭の漂う散らかった部屋に住みながら、着飾ると驚くほど美しい女に変貌します。これまでの太宰治の作品に登場した女性の中でも飛び抜けて強烈なキャラクターで、自分に抱きついてきた田島に対する鉄拳制裁も厭いません。このようなメチャクチャな女であるキヌ子を前に、色男であったはずの田島も、滑稽に振る舞うしかありません。
一般的に暗いイメージをもたれている太宰治ですが、この作品のように、思わず笑いだしてしまうようなユーモアに満ちた作品を実は多く残しています。その中でもこの『グッド・バイ』に書かれているユーモアは、他の作品と比べて突き抜けているように思います。うまく言えないんですが、それまでの太宰治の作品におけるユーモアは、あくまで文学的なもので、太宰治らしい侘しさの中にある小さな可笑しみを表現したものが多いように思います。それに比べてこの『グッド・バイ』は、何がなんでも大笑いさせてやるという印象で、キヌ子の「膝栗毛」をアシクリゲと読み、「背水の陣」をフクスイの陣と呼ぶ勘違いや、「おそれいりまめ」といったダジャレは、それまでの作品のユーモアとは一線を画しています。
一説によると、数々の女性に別れを告げた田島は、最終的に自分の奥さんに裏切られてしまうという構想だったようですが、実際に太宰治がこの作品にどのような結末にするつもりだったのか、私たちに知る由はありません。徹頭徹尾、田島を滑稽な存在として描き続けたかもしれませんし、反対に彼にシリアスな悲しみを背負わせたかもしれません。
しかし、もともと読者の心を揺り動かすことに長けていた太宰治がこれだけ笑いに徹したということは、どのような形であれ、この序盤の突き抜けた可笑しみに見合うような結末を用意していたのではないかと思います。その結末が引き起こしてくれるのが、大笑いだったのか、はたまたえぐられるような悲しみだったのかはわかりませんが、同時期に書かれていた『人間失格』とは違ったアプローチの、大きな感動を与えてくれた作品になったのではないでしょうか。
未完の遺作というものは、作者自身はもちろん心残りなんだと思いますが、読者にとっても煮え切らなさが残るものです。しかしそれがかえって様々な憶測を呼び起こし、あれこれ結末を予想して議論するのが楽しい一面もあると思います。
そしてこの『グッド・バイ』という作品は、それまでの集大成といった感じではなく、もしも太宰治が五十歳、六十歳と生きていたら、どのような面白い作品を残していたのだろうと思わされるような、新しい文学の形を提示してくれようとしている作品だと思います。このブログで何度も同じことを言うようですが、太宰治が三十八歳の若さでこの世を去ってしまったのが、残念でなりません。