太宰治『メリイクリスマス』の登場人物、あらすじ、感想


 『メリイクリスマス』は、1947年に発表された太宰治の短編です。
 戦後まもなくの十二月の東京を舞台に、津軽の生家から戻った語り手が、以前親交のあった二十歳になる娘にばったりと出会い、空襲で息を引き取ったその娘の母親の死を悼む物語です。
 知名度はそれほど高くありませんが、やるせないストーリーの中にも、人間らしい可笑しみを感じさせてくれる好短編となっています。
 このページでは、『メリイクリスマス』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。ネタバレ内容を含みます。

『メリイクリスマス』の登場人物

私(笠井)
語り手。三十八歳。一年半にわたり津軽の生家に疎開し、戦後しばらくしてから妻子を連れて東京へ戻る。

シヅエ子
以前「私」が東京で親しくしていた女性の娘。二十歳。

『メリイクリスマス』のあらすじ

 「私」(笠井)は、一年三ヶ月を津軽の生家で過ごし、一九四六年の十一月に妻子を連れて東京に戻りました。東京の町は、「私」が津軽へ旅立つ前と何ら変わりはありませんでした。

 十二月の初めのこと、「私」は本屋に入り、以前親しくしていた女性の娘であるシヅエ子と、五年ぶりにばったり会いました。
 シヅエ子の母とは、お互いに恋心を抱いていなかったものの、「私」が恐怖を感じずに会うことのできる極めて稀な女性で、以前は彼女の家にしばしば遊びに行き、泥酔するまで飲んでいたのでした。彼女たちは対米英戦が始まる前に広島に疎開し、そのうちにこの母娘との交渉は途絶えていました。
 シヅエ子は昨年の十月に東京に戻ってきたようで、今では二十歳になっていました。彼女は「アリエル」という本を買い求めに来ていました。それは以前「私」が、彼女の母親としきりに話をしていた作品でした。
 シヅエ子がその作品のことを妙に忘れられなかったということを聞いた「私」は、この娘が自分のことを想っていたのかもしれないと考えました。彼女は五年ぶりの再会を喜んでいるらしく、また母親の話をすると妙に沈みこむのが嫉妬のせいなのかもしれないと、「私」を自惚れさせました。

 やがて「私」は、シヅエ子を口説いてしまおうと考えるようになり、彼女が母と住んでいるというアパートへと案内させました。
 バラック造りのアパートに着き、「私」は外から母親を呼びかけました。するとシヅエ子は泣き出し、母が広島の空襲で亡くなったこと、死ぬ間際のうわ言で、「私」の名を出していたことを告白しました。彼女は、母が死んだことを言い出せずに、「私」を自宅まで連れてきてしまったのでした。

 「私」は部屋に入らず、シヅエ子を連れて鰻屋の屋台に入り、三人前の小串を頼み、皿とコップを三人分にするようにと頼みました。
 会話もせずに黙々と四、五杯飲み、屋台の奥にいる紳士のくだらない冗談を聞いていると、その紳士は、屋台の前を通りがかったアメリカの兵士に、「ハロー、メリイ、クリスマス!」と叫びました。呼びかけられた兵士は、とんでもないというような顔をして首を振り、歩み去って行きました。

 「私」は、東京が以前と少しも変わらないことを感じながら、真ん中に取り残されている鰻を半分ずつシヅエ子と分けあいました。

管理人の感想

 『メリイクリスマス』は、終戦後まもない東京を舞台に、以前親しい関係にあった女性の死を知った語り手の男が、女性の娘とともに、その死を悼む物語です。

 戦後の一年三ヶ月を津軽の生家で過ごし、東京に戻ってきた語り手の笠井は、東京が「以前と何も変わらない」という感想を抱いています。
 彼は、以前仲良くしていた女性の娘であるシヅエ子と、五年ぶりに本屋でばったりと出会います。彼女の母親と笠井は、お互いに恋心を抱くことはなかったものの、「いまだしぬけに逢っても、私が恐怖困惑せずにすむ」唯一の女性と言えるほどの仲を築いていました。

 笠井は、シヅエ子が自分に好意を寄せていると勘違いし、今や二十歳になっている彼女となら、恋愛ができるかもしれないと考えます。
 しかし、彼女のアパートに行こうとした笠井は、母親が広島の空襲で死んだことを知ります。そしてシヅエを口説くのをやめ、母親が好きだった鰻屋の暖簾をくぐり、三人分の鰻と酒を注文します。

 最終的に、母親のために注文した鰻を、二人は半分ずつ分け合って食べてしまいます。シヅエ子の母の死を知って急に神妙になり、その娘を口説くのを止め、三人分の鰻と酒を頼んでその死を悼んでも、「この、うなぎも食べちゃおうか。」と箸をつける語り手の姿は、なんとも人間らしくはないでしょうか。よくよく考えれば、余った鰻に箸をつけるのは当たり前のような気もしますが、その当たり前のことを、これだけ血のかよった、可笑しみのある文章にしてしまう太宰治は、人間の人間らしさを美しく描くことのできる作家だったんだなと、改めて再認識させられます。

 そして締めの言葉で、「東京は相変らず。以前と少しも変らない。」と語り手は繰り返します。これは冒頭の部分で語っていたことと少し意味合いが違っていると思います。東京の飲み屋ではサラリーマンがくだらない冗談を言い、外国人相手に時期外れの「メリイクリスマス」を叫んでいる。このような光景は以前と何ら変わりはない。けれどもこの何も変わらない東京で、以前親しくしていた女性がいなくなっている。東京という街が、死者だけを置き去りにして先へ先へと進み続けてしまうといったようなもの悲しさを感じさせます。

 それほど有名な作品ではありませんが、なんとも深い余韻に浸らせてくれる逸品であると思います。