『クリスマス・キャロル』は、1843年に出版された、チャールズ・ディケンズの小説です。
冷酷でけちな老人スクルージが、以前の共同経営者であったマーレイの幽霊と、そのマーレイの幽霊によって呼び起こされた過去の幽霊、現在の幽霊、未来の幽霊の導きによって親切な心を取り戻すまでが描かれた、心温まる物語です。
イギリスの国民的作家といわれるディケンズの作品の中では最も知名度の高い作品で、あのドナルド・ダックの叔父の「スクルージおじさん」の名前の由来となっているなど、様々なメディアにこの作品から得た着想が使われています。映画化、アニメ化、舞台化も頻繁に行われています。
このページでは、そんな『クリスマス・キャロル』の登場人物、あらすじ、感想を紹介していきます。
※ネタバレ内容を含みます。
『クリスマス・キャロル』の登場人物、キャラクター
主な登場人物
エブニゼル・スクルージ
交際を嫌う、孤独でケチな男。マーレイの唯一の遺言執行人、遺産管理者、財産譲受人、相続人で、友人、会葬者。金銭欲が激しく、マーレイの死の際にも損のないように取引をやりとげる。冷たい性格で、近隣の住民から話しかけられないどころか、犬にすら逃げられる。
フレッド
スクルージの甥。クリスマスのたびに自宅で開かれる祝いにスクルージを誘いに来る。
ボブ・クラチット
「スクルージ・マーレイ合名会社」の書記。一週十五シリングで妻と子を養っている。貧乏でも心は温かい。
ティム
クラチット家の息子。足が不自由で、松葉杖を脇に抱え、足には鉄輪をつけている。
ジェイコブ・マーレイ
七年前に死んだスクルージの唯一の友人。「スクルージ・マーレイ合名会社」の共同経営者。顎が胸まで垂れ下がった幽霊となってスクルージの前に現れ、これから過去、現在、未来の幽霊が訪れてくることを伝える。
幽霊たち
第一の幽霊
過去のクリスマスの幽霊。背中まで垂れ下がった白い髪を持ち、顔には一筋のしわもなく、みずみずしい血色をしている。筋骨たくましく、光る帯を締めている。手には緑色のヒイラギの枝を持っていて、夏の花で着物を飾っている。頭のてっぺんからは、煌々たる光が射しており、その光に照らされて何もかもが見える。静かで優しい声を持つ。
第二の幽霊
現在のクリスマスの幽霊。松明を持った陽気な巨人。白い毛皮で縁取りされた濃い緑色の長衣だけを身につけていて、頭にはつららの下がったひいらぎの花冠をかぶり、古風な刀の鞘を帯びている。やさしそうな顔、輝く眼、元気な声、朗らかでゆったりとした動作を持つ。千八百人の兄弟がいる。巨大な体躯にも関わらずどこにでも潜り込める。松明をかざすと人々が幸福になる。
第三の幽霊
未来のクリスマスの幽霊。真っ黒な衣に包まれ、差し伸べている手だけが外から見ることができる。背が高くて威厳に満ち、口をきかない。
その他の登場人物
ファン
故人。スクルージの妹。
フェジウィグ
故人。ウェールズ風のかつらをつけた老紳士。スクルージが若い頃に奉公していた老人。
ディック・ウィルキンズ
スクルージの小僧仲間の一人。スクルージによく懐いていた。
スクルージの婚約者
スクルージが金銭だけを求める人物になったため、失望して別れ、他の男と幸せな結婚をする。
マーサ
クラチット家の長女。帽子屋に雇われており、クリスマスのためにボブの家に帰ってくる。
ベリンダ
クラチット家の二番目の娘。
ピーター
クラチット家の長男。職を探している。
二人の小クラチット
クラチット家の男の子と女の子の双子。
フレッドの妻
スクルージの義理の姪。びっくりしたような目の可愛らしい女。
トッパー
フレッドの友人。フレッドの妻の姉妹の一人に目をつけている。
『クリスマス・キャロル』のあらすじ
けちで孤独な老人エブニゼル・スクルージは、唯一の友人であったジェイコブ・マーレイと長い間会社を経営していました。しかしマーレイが七年前に死んでからは、書記のボブ・クラチットを安い給料で雇い、一人でその会社をやりくりしていました。彼は冷酷な守銭奴で、人間はおろか、犬すらも逃げ出すほど、周囲から嫌われていました。
クリスマスの前夜、甥のフレッドが、翌日のお祝いにスクルージを誘いました。しかしクリスマスをくだらないことと考えていたスクルージは、その誘いを断りました。
ある紳士が貧困者や身寄りのない者たちへの寄付金を求めにやってきました。スクルージは、貧しい者たちは牢屋や救貧院に入れればいいと主張し、死んだとしても余計な人口が減るだけだと言って寄付をしませんでした。
仕事を終えたスクルージは、クリスマスの休みを申し出たボブ・クラチットに対し、その翌日はいつもより早く出社することを約束させました。
家に帰ったスクルージは床につきました。すると家中の呼び鈴が一斉に鳴り出し、マーレイの幽霊が現れました。
スクルージは、下顎が胸のあたりまでぶら下がったマーレイの幽霊を見て恐れおののき、助けてほしいと懇願しました。マーレイの幽霊は、生きているときに自ら作った鎖に繋がれており、彼はその鎖に縛られながら苦難の旅をしなければならないことになっているようでした。スクルージには、まだそのような運命から逃れるチャンスがあったため、マーレイは、スクルージの人生を自分と同じようなものにさせないために現れたのでした。マーレイの幽霊は、これから三人の幽霊が訪れて来ることを予告すると、窓から外へと姿を消しました。
翌日スクルージが目を覚ますと、時間は夜の十二時になっていました。
最初の幽霊が現れ、スクルージの手を握り、過去のクリスマスへと連れて行きました。そこには友人に仲間外れにされ、一人ぼっちでいる少年時代のスクルージがいました。スクルージはさらに、死んだ妹との思い出や、奉公先で自分のことを大切に扱ってくれた老人を見せられ、それらの人々を思い出すとともに、自分が今周囲の人々を大切に扱っていないことに思い当たりました。
次に幽霊に連れて行かれたクリスマスでは、スクルージはあくせくと利益を求めるだけの大人になっていました。彼には将来を約束した娘がいましたが、金ばかりを求める男に変わってしまったことが娘を遠ざけました。その娘は他の男と結婚して幸せになりました。
失われた過去を目の当たりにさせられたスクルージは、これ以上過去を見せないでほしいと懇願し、幽霊に帽子をかぶせました。すると幽霊は潰れていき、スクルージは疲れ切って深い眠りに落ちました。
翌日の夜一時、スクルージは目を覚まし、隣の部屋から赤い光が漏れていることに気づきました。そこには松明を持つ、巨大な体躯の幽霊が座っていました。それは現在のクリスマスの幽霊でした。
幽霊は、人々が浮かれ騒ぐクリスマスの街中へ、スクルージを連れて行きました。幽霊が松明をかざすと、料理は美味しくなり、人々は幸せになりました。
幽霊は書記ボブ・クラチットの家にスクルージを連れて行きました。その家は貧乏でしたが、みな幸福で、互いに愛し合っていました。スクルージは、足が不自由なボブの息子の一人ティムを心配し、その子の行く末を尋ねました。すると幽霊は、ティムは死ぬだろうと答えました。スクルージはそれを聞いてひどく気を落としました。
ボブの一家は、スクルージの健康を祝しました。スクルージは、この幸せな一家から目が離せませんでした。
幽霊が連れていくところでは、坑夫の家でも、灯台の中でも、船の上でも、人々がクリスマスを祝っていました。
次に幽霊はスクルージを甥のフレッドの家へ連れてきました。その家でフレッドは妻と住んでおり、友人を呼んでクリスマスを祝っていました。話題はスクルージのことになり、皆が彼のことを悪く言いましたが、フレッドだけはスクルージのことを気の毒に思っており、クリスマスのたびにお祝いに誘うつもりだと言いました。彼らはスクルージの健康を祝しました。
クリスマスの夜の十二時で、その寿命を終えることになっている幽霊は、最後にぞっとするような身なりの男の子と女の子をスクルージに見せました。その子供たちは、『無知』と『欠乏』によって酷い境遇に落とされた者たちでした。スクルージはその子供たちを助けてやりたいと思いましたが、幽霊は、「監獄はないのかね」と、スクルージが寄付金集めの紳士に吐いたのと同じ言葉を残して、姿を消して行きました。
第二の幽霊が姿を消すと、すぐに第三の幽霊が現れました。それは未来のクリスマスの幽霊でした。口をきくことなく、真っ黒な衣装を頭から被るその姿に恐れを抱きながら、スクルージは幽霊について行きました。
幽霊がスクルージを連れて行った未来では、誰かが死んだようでした。その男は、死んだ後ですら悪魔呼ばわりされ、誰もその死を悼む者はいませんでした。ある家族は、無情な債権者であった男の死を喜び、遺体に寄り添う者もいないため、身につけていたものや、家にあるものは持ち逃げされました。
一方、ボブ・クラチットの家ではティムが死に、家族はティムのことを忘れずに、仲良く生きていくことを誓い合いました。
自分の未来の姿を見せてほしいとスクルージが頼むと、幽霊は墓地へと連れて行き、一つの墓を指差しました。その墓に自分の名前が刻まれているのを見たスクルージは、誰にも悼まれることなく死んだ男が自分であることに気づきました。彼は過去、現在、未来の幽霊が教えてくれたことを心に留め、これからはクリスマス祝い、一年中その気持ちで過ごすようにすることを誓いました。
スクルージは、三人の幽霊を呼び寄せてくれたマーレイに感謝し、クリスマスを祝うことを決心しました。彼はボブ・クラチットに匿名で七面鳥を送り、にこやかに笑いながら街へ出てフレッドの家に入りました。そこで彼はフレッドの家族から歓迎を受け、クリスマスのお祝いを満喫し、幸福を感じました。
翌日、スクルージは事務所に出社してきたボブ・クラチットに給料を上げてやると約束し、クリスマスおめでとうと言いました。
その後、スクルージは、ボブの家族に惜しみない援助を与え、実際には死んでいなかったティムの第二の父親となりました。スクルージがすっかり改心したことに人々は笑いましたが、彼は一向に気にせず、善い行いをするように心がけました。そして、クリスマスの祝いかたを知っている者があるとすれば、スクルージこそその人であると言われるようにすらなりました。
管理人の感想
『クリスマス・キャロル』は、短い分量ながら、イギリスの国民的作家チャールズ・ディケンズの作品の魅力をぎゅっと詰め込んだような小説です。
ディケンズの作品の魅力を語るにあたってまず欠かせないのが、個性的な登場人物の数々です。彼の書くキャラクターは、怒りっぽい性格の持ち主ならうんと怒りっぽく、優しい性格の持ち主ならうんと優しく描写されます。このように典型的な性格にデフォルメされた登場人物たちが、主役脇役問わず、本国ではいまだ多くの人に愛され続けているようです。
『クリスマス・キャロル』におけるスクルージもまたその例に漏れず、非常に知名度の高いキャラクターです。彼は冷酷な守銭奴として登場しますが、一辺倒に憎らしい人物としてではなく、ただ意固地になっているだけのような、どこか情けなさや滑稽さを感じさせるような書かれ方をしています。
そんなスクルージは、幽霊たちの手引きによって愛すべき人物へと変貌を遂げます。物語を読み進めるにつれ、スクルージは善き人物に変化したのではなく、彼の本質であった善き人物に戻っていったということがわかるはずです。マーレイもまた、そんなスクルージの本質を知っていたからこそ、彼を救うために出てきたのではないでしょうか。そしてそのような彼の本質がわかるにつれ、いつの間にか彼のことが大好きになっていることに気づく人も多いのではないでしょうか。
ボブ・クラチットや甥のフレッドといった脇役たちも、スクルージに負けず劣らず魅力的です。彼らは、「善良」や「快活さ」といった性格の典型で、最後までスクルージを見捨てず、改心した後のスクルージも(おそらく)すぐに受け入れます。
過去、現在、未来の幽霊の描写も非常に面白いものとなっています。
過去の幽霊は、背中まで垂れ下がった白い髪を持ち、顔にしわがなく、みずみずしい血色をしている筋骨たくましい男です。彼は光る帯を締めていて、手には緑色のヒイラギの枝を持っており、夏の花で着物を飾り、頭のてっぺんからは、煌々たる光が射しています。
現在の幽霊は、やさしそうな顔、輝く眼、元気な声を持つ、朗らかな巨人です。白い毛皮で縁取りされた濃い緑色の長衣だけを身につけ、頭にはつららの下がったひいらぎの花冠をかぶっており、古風な刀の鞘を帯びています。千八百人の兄弟がおり、巨大な体躯にも関わらずどこにでも潜り込んで、手に持っている松明をかざして料理に香味を加え、クリスマスを祝う人々を幸せにします。
未来の幽霊は、差し伸べられている手だけを見ることができる、真っ黒な衣に包まれた男です。口もきかなければ、身動きもせず、背が高くて威厳に満ちた、恐ろしい外貌をしています。
これら幽霊の風貌は、完全に日本人の想像する幽霊の枠を超えています。原作ではghost(幽霊)と表現される他、spirits(精霊)とも表現されるので、いわゆる私たちが想像するような日本の幽霊とは意味合いがだいぶ違っているのかもしれませんが、これら幽霊の描写だけでも、面白い小説だなと思わせてくれます。
もう一つ、魅力的な登場人物の他に、ディケンズの作品の特徴としてあげられるのが、読者の望むような結末が与えられていることです。この『クリスマス・キャロル』においても、スクルージが善き人間となったために未来が変わり、死んだと思われていたティム坊の第二の父親として生きるという、考えうる限りで最高のハッピーエンドとなっています。これに関しては、「ご都合主義」という批判をする人もいるでしょうが、個人的な意見としては、リアルを求めるためにつじつま合わせをするよりも、よっぽど感動的な結末であると思います。
登場人物をある典型的な性格にデフォルメさせて書くことは、裏を返せば人間の多面性を書かないということにつながります。物語の結末を読者の望むようなハッピーエンドにすることは、リアリティーを失うことにつながります。しかし、ディケンズの作品を読んでいると、そのようなことはどうでもよくなり、ただただ面白くて感動的な物語に没頭させてくれるだけで充分ではないかという気分にさせられます。
『ディヴィッド・コパフィールド』に代表される大長編をいくつも残し、また多作でもあったディケンズの作品をいくつも読むのは、けっこう大変です。しかし、この『クリスマス・キャロル』は、分量が少なく、それでいて、魅力的なキャラクターや、作品全体から感じられるユーモアに満ちた雰囲気など、「ディケンズ節」を充分に味わうことのできる作品となっています。この作品を楽しめたのであれば、その他の長編小説も楽しみながら読破できるのではないかと思います。