井上靖『敦煌』の登場人物、あらすじ、感想

 一九五九年発表の井上靖の長編小説『敦煌』は、十一世紀の中国を舞台にした歴史小説です。当時の中国であった宋の西方では、チベット系民族の李元昊(りげんこう)が率いる西夏が、この地の覇権を握ろうとしていました。西夏はもともと宋の地方組織でしたが、次第に勢力を増すと、一〇三六年に宋の支配下であった沙州(現在の敦煌)へと兵を進めて制圧し、その翌々年に李元昊が皇帝を名乗り建国します。

 沙州はシルクロードの中継地点として繁栄していましたが、西夏によって支配されると、火の海に包まれてしまいます。大量の価値ある文書が失われようとしていましたが、何者かが近郊の仏教遺跡である莫高窟にある横穴に経典や写経を隠して保存したと言われています(無価値なものが大量に含まれていることから、現在は「とりあえず大量の文書をそこに置いておいた」という説が一般になっているそうです)。

 一九〇〇年に再発見された三万から四万点と呼ばれるこれらの文書は、非常に大きな学術的価値があり、歴史や仏教の研究に多大な貢献をしました。実際に誰がどのようにしてこれらの文書を運んだのかは解明されていないそうですが、この小説では、架空の人物と実在の人物を織り交ぜながら、戦火の中、主人公である趙行徳が経典を莫高窟へと運んだ経緯が物語になっています。

 おおまかにいえばフィクションということになるのでしょうが、開封(河南省の都市・宋の首都)から導かれるように西方へ旅を続ける趙行徳と、彼を導く強者たちのドラマが、まるで史実であったかのように生き生きと描かれる作品です。

『敦煌』の登場人物

※ネタバレ内容を含みます。

趙行徳(ちょうぎょうとく)
郷里は湖南。三十二歳の時に進士(中国の中央政府での高等文官任用試験に合格したもの)の試験を受けるため、開封(河南省の都市・宋の首都)を訪れる。市場で肉を売られそうになった女を助け、西夏文字が書いてある布を渡され、その文字を解読するために西方へと旅立つ。

西夏の女
男を寝取った上、相手の妻を殺そうとしたため、肉を市場で売られそうになっていたところを行徳に助けられ、行徳に西夏の文字が書かれた布切れを渡す。

回鶻(ウイグル)の男
西夏の女の肉を売っていた男。

礼部の長官
行徳の進士試験の座主を務めていた六十あまりの老人。行徳が布切れの判読を求めたがわからなかった。

李元昊(りげんこう)
実在の人物。行徳が涼州に滞在している時に作戦をたてにやってくる。当時二十四、五歳の若者であり、小柄ではあったが威厳を備えていた。後に皇帝を名乗り、大夏を建国する。

朱王礼(しゅおうれい)
涼州における行徳の上役。行徳と出会った時は四十歳前後で、すでに数々の武勲をたてていた。もとは宋の兵隊だったが、西夏の捕虜になり、以来西夏の全軍に配され、そのことをひどく恥じている。

回鶻の王族の女
戦闘へと赴いた自分の夫となる男を待つために、一族を離れ甘州の城に隠れていたところを行徳に発見され匿われる。自分の夫の霊魂が行徳を自分のところへむかわせたのだと思い、興慶へと旅立つ行徳に行かないように懇願する。行徳が旅立つと、朱王礼によって匿われる。

延恵(えんけい)
実在の人物。瓜州の太守。四十五、六歳の肥満した人物。沙州にいる兄の賢順の命で瓜州に赴任している。仏教の敬虔な信者。

賢順(けんじゅん)
実在の人物。沙州(敦煌)の太守。五十年配の小柄な人物。眼光鋭い武人。

尉遅光(うつちこう)
貿易商人。李氏と戦って敗れた尉遅一族の王族の子。母親は沙州の名家氾氏の出で、母親の父は沙州の鳴沙山に仏洞をいくつも開鑿していた。乱暴者であるが、数カ国語を話し、多国籍からなる部隊をまとめ上げている。西夏にも吐蕃にも顔が効き、また金のためには手段を選ばない男。

嬌々(きょうきょう)
漢人の女。瓜州に滞在する朱王礼の世話をする。

『敦煌』のあらすじ

※ネタバレ内容を含みます。

 一〇二六年、宋の時代、趙行徳は、進士の試験(中国の中央政府での高等文官任用試験)を受けるため、郷里の湖南から開封(河南省の都市・宋の首都)へとやってきました。これに合格することが宋における出世への道でした。行徳はこれまでの試験を容易に受かっており、合格するだけの自信がありました。しかし最終試験の一つ前の試験のときに、会場に来て座っていると、いつのまにか眠りに落ちてしまい、眼が覚めると試験は終わっていました。次の試験は三年先でした。

 試験に落ちた趙行徳は、絶望しながら城外の市場へ入りました。市場の中には人だかりができていて、その中心の木箱の上に置かれた板の上に、全裸の女が横たわっていました。その女は西夏出身で、男を寝取った上、相手の妻を殺そうとした女でした。その横には大きな刃物を持った男が立っていて、豚の肉と同じ値段で女の体を切り売ろうとしていました。女は自分の肉が売られることを承知している様子でした。誰も名乗りをあげるものがいないので、男は刃物を振り上げ、女の指を二本切りました。これを見た行徳は思わず女を買い取り、自由にしてやりました。

 行徳が見物人の輪を抜け出して歩いていると、女が追いついきました。お金をただで恵まれるのは嫌なのでと、女は異様な形の文字のようなものが、十個ずつ三列にしたためられた、一枚の小さな布切れを差し出しました。女にもこの文字が読めませんでしたが、西夏の都にはこれを持っていないと入れないといいます。

 女が去ると、行徳は、今目にした鮮烈な出来事により、進士試験に落ちて絶望的していた自分がひどくつまらないものに思えてきました。行徳はその布切れに書かれた文字を判読したいという欲にかられ、西夏への旅立ちを決意しました。

 約半年後、行徳は宋の前線拠点の一集落に入りました。この地はまだ宋の領土でしたが、様々な民族が行き交う場所でした。それら異民族の中で、最も強大な国が西夏でした。行徳はこの地の色々な民族の言葉を少しずつ覚え、年貢や賦役に関する住民の届けなどを代書する仕事をしていました。

 行徳は地方官署に、涼州へ入るための許可を願い出ました。しかし交通上の要所である涼州は、宋と西夏が睨み合う前線であったため、許可はおりませんでした。そこで行徳は回鶻(ウイグル)人の隊商と知り合いになり、その中に紛れ込んで涼州に入り込むことにしました。

 一行が砂漠の中を進むと、戦闘に巻き込まれました。行徳は馬を引き連れて戦場を逃れ、ある城へとたどり着きますが、捕らえられ、城外の衛兵に立たされることとなりました。やがて行徳はこの地が涼州であることを知りました。戦闘は西夏が涼州を手中におさめたものであり、ここを守る人々は、漢人で編成されている西夏の第一線部隊でした。

 行徳は一年間を西夏の漢人部隊に配されて過ごしました。彼は戦闘の訓練を受け、三度戦闘に参加し、全てで失神し、二回重傷を負いました。しかし、いつも失神している間に馬が敵軍の間を駆け抜け、戦闘が終わっているので、行徳はあまり戦闘への恐怖を感じませんでした。

 やがて回鶻が収めている甘州を得るための作戦が開かれるため、涼州に部隊が集められ、行徳たちは、後に西夏の王となる李元昊(りげんこう)の点検を受けました。李元昊は二十四、五歳の若者であり、小柄ながらも威厳を備えた人物でした。

 城内に引き揚げると、行徳は上役の朱王礼(しゅおうれい)に呼び出されました。朱王礼は勇猛な人物でしたが、文字を読むことができなかったため、本部から回ってくる指令書を読む役割を行徳に授けました。朱王礼はある文書を行徳に読ませようとしました。しかしそれは西夏の文字であったため、行徳にも読めませんでした。行徳は、もし自分を興慶に送り、西夏の文字を習わせてくれれば、二、三日で読むことができるようになると言い張りました。朱王礼は、もし次の戦闘で自分と行徳両方が生きていれば、西夏の言葉を習わせてやると約束しました。

 やがて、李元昊は甘州の攻略に取り掛かりました。その前日の夜、行徳は朱王礼の部下に入りました。朱王礼はもし自分たちの部隊が勝った場合に碑を建てると言い、その碑に行徳が漢の言葉で文を書き入れることを命じました。行徳と朱王礼は、お互いに相手を信頼する仲となっていました。

 十日間の移動の後、回鶻との間に戦闘が始まりました。朱王礼も行徳も生き残り、甘州城へとたどり着きました。行徳は先頭に立ち、城内へと侵入しました。
行徳が狼煙をあげるために城壁の烽台に登ると、漢人と回鶻人の混血の女が伏せていました。女は回鶻の王の弟の子供でした。

 行徳は烽台に火をつけ、女を残したまま下に降りました。そして周辺の農作物の貯蔵小屋に穴蔵を発見すると、夜遅くに女を烽台から降ろしてそこに匿いました。行徳は自分でもなぜかわからない、女を助けたいという一心で女に食料を運びました。しかし行徳は朱王礼に呼び出され、約束通り行徳を興慶へ行かせ西夏の言葉を習わせてやると言われました。

 行徳が去らなければならないことを伝えると、女は戦闘のときに烽台にいた理由を話し始めました。彼女は戦闘へと赴いた自分の夫となる男を待つために、一族を離れあの場所にいたのでした。自分の夫の霊魂が行徳を自分のところへむかわせたのだと女は言い、行徳に行かないように懇願しました。行徳は女を自分のものにする欲望を抑えきれなくなり関係を結ぶと、一年以内に戻ると約束し、その場を去りました。別れの際、女は自分がかけていた首飾りを行徳に渡しました。

 行徳は朱王礼に女の世話を頼みました。朱王礼は女を一目見ただけて、女の威厳に気づき、自分で面倒を見るのを断りましたが、その代わりに回鶻人の老人に命令して、女を匿うことにしました。行徳は興慶へ向かう部隊に加わり、女を残して旅立ちました。

 興慶は西夏の根拠地であり、街中は甘州から回鶻を追い払った戦勝気分がみなぎっていました。興慶においては漢字を使うことが禁じられ、西夏語が街中にあふれていました。
 行徳は寺院を学舎としているところに入れられ、その学識により、冊子を作ったり、漢字の意義を書き写す仕事を手伝いました。

 行徳は一年半をかけ、西夏文字と漢字の対照表を完成させました。平和な興慶に住み、朱王礼や回鶻の王族の女のことは遠い存在に感じるようになっていました。

 西から勢力を伸ばしていた吐蕃(とばん)への作戦が行われるという噂が立ち、行徳は朱王礼の現況を聞きました。朱王礼は甘州城の西にある山間の要塞の守備として三千の部隊を率いて駐屯しているとのことでした。それは最前線でした。その話を聞いた行徳はもう一度戦闘に参加してみようという気持ちになりました。その頃、甘州を出て一年半が経っていました。

 回鶻の女と約束した一年は過ぎていましたが、行徳は、興慶から元来た道を戻り、山間の集落に入り、朱王礼に再会しました。
 朱王礼は回鶻の王族の女が病気で死んだと行徳に伝えました。しかし吐蕃との戦闘のために行徳と朱王礼が甘州へ行くと、李元昊の後ろに、死んだはずの回鶻の王族の女を乗せた馬が通りました。女も行徳に気づいたようでしたが、そのまま通り過ぎていきました。

 行徳が朱王礼を問いただすと、朱王礼は怒り狂い、剣を抜いて襲いかかってきました。翌日女は城壁から身を投げて死にました。朱王礼によると、彼も女のことが好きになっていたようでしたが、李元昊に取り上げられてしまったようでした。女は李元昊の側室になりましたが、行徳の姿を目にして、自分の潔白を示すために自ら死を選んだのでした。行徳は約束の一年で甘州へ帰ってくれば、女を助けられたのではないかと思い、そのことを悔いました。

 部隊は回鶻人の都邑である粛州へと向かいました。粛州は砂漠の只中にある辺境の地でした。
 行徳は朱王礼の参謀になっていました。彼は女の死を知ってから仏教へ帰依したいという思いが強くなっていました。死が身近な存在であるここでは、人間の小ささや無意味さにある意味を持たせようとする宗教が、行徳には興味深く感じられたのです。行徳は法華経、金剛般若経とそれを解くための大智度論を読みふけりました。

 吐蕃の大軍との死闘の末、西夏軍が勝利を収めて凱旋すると、西方の瓜州の太守延恵が西夏との戦闘を恐れて臣属を誓ってきました。

 やがて李元昊が王座に就くと、朱王礼は瓜州への移駐を命じられました。瓜州は西方ではあるものの、漢族の国でした。朱王礼は瓜州に着いたら、行徳は太守のところで働き、いつか宋に帰るように言いました。朱王礼は何かの覚悟を決めている様子でした。

 瓜州に着くと、行徳は太守の延恵に謁見しました。延恵は四十五、六の肥満した人物でした。沙州にいる兄の賢順の命でここに赴任しており、仏教の敬虔な信者でした。延恵は自分の持っている仏教の経典を西夏語に訳して西夏に献上するために、その仕事を行徳に頼みます。延恵は政治の上では小心者で無能でしたが、行徳はこの人物が好きでした。

 この仕事は大変なものであったため、興慶に戻って何人かの優秀な人物を連れて来なければなりませんでした。行徳は尉遅光(うつちこう)という貿易商人の隊列に加わり、興慶へ向かうこととなりました。

 吐蕃との睨み合いが続くこの時期に興慶へ向かうのは無謀なことでした。尉遅光は短気な人物で、行徳を部隊に加えることをためらいますが、太守と西夏軍の命令であったため、しぶしぶ同行を許しました。

 尉遅光は于闐(うてん)の王族の息子でした。尉遅家は李氏に敗れて衰退していましたが、尉遅光は王族としてのプライドを持ち続けていました。母親は沙州の名家の出で、母親の父は沙州の鳴沙山に仏洞をいくつも開鑿している人物でした。彼は乱暴でしたが、数カ国語を話し、多国籍からなる部隊をまとめ上げていました。西夏にも吐蕃にも顔が効き、両国の小さな戦闘には関係なく進みました。また金のためには手段を選ばない男で、他の隊商から品物を巻き上げることもしばしばでした。

 行徳は三年ぶりに興慶へと着きました。
 行徳はここで手続きを行い、漢字、西夏文字、仏教に明るい六名を瓜州へ派遣させ、西方へ帰る尉遅光の一行に再び加わり、瓜州へ帰りました。ある日回鶻の女が売女ばかりだと尉遅光が行徳に言ったことで、回鶻の王族の女を忘れられない行徳との間に争いが起きます。揉み合いの末、行徳は回鶻の王族の女にもらった首飾りを見つけられてしまいました。その価値を知っていた尉遅光は行徳に一目置き、暴力を振るわなくなりました。

 行徳は瓜州に帰り、延恵のもとで経典の西夏語への翻訳に専念しました。彼はこれらの仕事を、回鶻の王族の女の供養のために行うことにしました。

 朱王礼は、嬌々(きょうきょう)という漢人の女に世話をされていました。ある日嬌々は、朱王礼の衣服の中から、首飾りを見つけました。それは回鶻の王族の女が行徳に渡したものと同じでものでした。これを見た行徳は眠れなくなりました。しかし約束の一年で戻らず、女を見殺しにしてしまった自分に、朱王礼と女の関係を問いただす資格はないと思いました。

 一年間消息を絶っていた尉遅光が帰ってきました。彼は行徳が持っている首飾りは二つで一対になっていることを知っていて、もう一つの場所を行徳に聞きました。行徳は朱王礼がそれを持っていると知っていましたが、知らないと嘘をつきました。

 やがて吐蕃を攻めるために朱王礼に出動命令が出ます。行徳はこの城の隊長として待機することを命じられました。
 戦場に行った朱王礼は行徳に手紙をよこしました。その手紙によると、西夏は吐蕃を落とし、李元昊が瓜州に凱旋してくるとのことでした。それはつまり西夏が瓜州を超え、延恵の兄の賢順の収める沙州が侵略されることを意味していました。鳴沙山の仏洞は壊され、経典はなくなり、この地の漢族は西夏に滅ぼされるだろうと、延恵は嘆きました。

 朱王礼が瓜州に帰ってきます。朱王礼は明日戻ってくる李元昊を討つつもりでいました。朱王礼は回鶻の女のことで、李元昊を恨み続けていたのです。行徳が問いただしたところ、朱王礼は回鶻の女を自分のものにしたと行徳に打ち明けました。行徳は怒りに駆られますが、朱王礼とともに李元昊を討つと誓い合いました。

 朱王礼は李元昊を凱旋させると見せかけて、矢の雨を降らせて殺すつもりでした。
 朱王礼が李元昊を迎え城へと戻るとともに、城に待機していた弓箭兵(きゅうせんへい)が一気に矢を撃ち込みましたが、李元昊には逃げられてしまいました。
 李元昊は隊列を整えて進撃してくるに違いありませんでした。
 朱王礼は夜明け前まで待機して城を捨て、沙州へと逃れました。行徳、延恵も彼と一緒に行動しました。

 行徳たちは休みなしに沙州へと向かい、五日目の朝、沙州が遙か遠くに見えてきたところで、一行は大休憩をとりました。皆が眠るなか、行徳は隊商が近づいてくるのを見ました。それは尉遅光の隊商でした。尉遅光は沙州を引き上げてきたところでした。彼によると西方では回教徒が反乱を起こし、尉遅家に変わった李氏も滅ぼされてしまったと言います。回教徒はひと月もしないうちに沙州へ攻めてくるだろうとのことでした。彼らは西からは回教徒に、東からは西夏に攻められる形となっていました。
 行徳たちは沙州で敵軍を持ち受けることにし、西夏が攻めてくることを知った尉遅光もまた、沙州へ引き返すことにしました。

 沙州に着いた行徳は、太守の曹賢順(そうけんじゅん)に謁見します。賢順は、五十年配の、小柄でも眼光鋭い武人でした。賢順と朱王礼は、李元昊の攻撃に立ち向かうつもりでいました。

 尉遅光は行徳の首飾りを次の戦闘のあいだ預かってやると申し出ます。尉遅光は絶対安全な場所に宝物を隠していると言いました。
 行徳は尉遅光にその場所を聞きました。尉遅光は決して口外しないという約束で、鳴沙山の千仏洞の石窟の中に隠し穴を用意してあると教えます。李元昊は仏教徒であるため、仏洞を破壊することはないだろうし、回教徒もまた霊場に近づくことを避けているのです。行徳はそこへ首飾りを隠すことを約束して、尉遅光と別れます。

 行徳がある寺に入ると、夥しい経巻や反古(ほご)類と、それらをより分ける作業をしている三人の青年の僧を見かけました。彼らは戦闘の間もこの経巻を守るつもりでいました。それは彼らがまだ読まない経巻を読みたいがためでした。それを聞いた行徳は胸に熱いものを感じます。行徳は延恵に会って、経巻をどうするつもりなのか聞きました。しかし延恵はただ、それらが焼けるのを待つしかないと答えました。

 朱王礼が行徳を呼びました。西夏の先鋒部隊が近接していました。自分たちの兵と賢順の兵を合わせても西夏に太刀打ちできるわけはありませんが、朱王礼はなんとしてでも李元昊の首をとるつもりでした。朱王礼はそう宣言し、戦闘に発っていきました。

 朱王礼と別れた行徳は、経典だけは誰のものでもなく、焼けないでそこにあるだけで価値があると考え、昨日から経巻をより分けている三人の僧に、千仏洞にそれらを隠す提案をします。三人の僧はその案に乗り、荷物をまとめ始めます。
行徳は無人の民家にはいり、回鶻の王族の女を供養する意味で、千仏洞に隠すための般若心経の写経を行ないます。

 そして行徳は荷物を持って尉遅光と落ち合い、李元昊率いる西夏の軍が迫るなか、経典を隠しに千仏洞へと向かうのでした…。

管理人の感想

 『敦煌』の魅力は、なんと言っても登場人物でしょう。凍てつく砂漠を物ともしない個性豊かな強者たちが、この物語を彩ります。

 冒頭では、主人公の趙行徳が、一世一代の試験を寝過ごします。このエピソードだけでも、彼の鷹揚とした性格がうかがわれ、いきなり物語へと引き込まれます。

 趙行徳の上役として活躍する朱王礼は、数々の歴戦で武勲をあげる根っからの武人で、その性格は勇猛であり、死を恐れずに敵に向かっていきます。趙行徳と交わした約束を忘れない義理堅い一面もあるかと思えば、行徳が愛した回鶻の女を愛してしまうという人間臭い一面も覗かせます。彼はこの作品中で最も愛される人物でしょう。

 尉遅光は、趙行徳を瓜州から興慶へと運ぶ貿易商人として登場します。彼は傲岸不遜な乱暴者ですが、数カ国語を話し、多国籍からなる部隊をまとめ上げています。また金のためには手段を選ばず、行徳の首飾りを常に狙っています。敵なのか味方なのかよくわからない存在ですが、行徳とはお互いに敬意にも似た絆で結ばれています。

 この作品に登場する女性もまた、凄まじい覚悟で生きているというか、現代の感覚でいえば異常ともいえる強さを持っています。

 男を寝取った上、相手の妻を殺そうとしたため、肉を市場で売られていた西夏の女は、自分が死ぬことを承知しています。そして行徳に助けられたあとも、自分の全ては売らないから、ばらばらにして持っていけと言い放ちます。

 回鶻の王族の女もまた、相当な覚悟でその人生を生きています。彼女は敵軍が攻めてくるのを理解した上で、夫となる人を烽台で隠れて待ちます。行徳に見つけられ、彼のことを愛するようになりますが、李元昊に捕らわれると、自分の潔癖を示すために城壁から飛び降りて死を選びます。

 このような人物たちと接することで、趙行徳自身も成長していきます。もともとひ弱ながらも胆力がある人物のように描かれていますが、彼がより大きな人物へと変わっていくのが、読み進めるにつれわかってくるでしょう。

 この厳しい環境の中で強く生き残っていく彼らの物語は、西夏の女を見た行徳が試験のことなどどうでもよくなったように、私たちの小さな悩みなども吹き飛ばしてくれるような力をもらえるものであると思います。

 戦闘シーンもまた、とても印象的です。例えばこの一文

戦闘はいままでに経験したことのない全く勝手のやり方で展開された。朱王礼の率いる騎馬隊は、敵の真只中に頭を突っ込むと、隊形を崩すことなくそのまま疾駆し始めた。矢はあらゆる吐蕃兵から射出されていた。その吐蕃兵たちの散らばっている原野を、長い隊列は一匹の蛇のように身をうねりくれなせながら走った。隊列は円形となり、直線となり、楕円となり、逆転し、交叉し、西に向かい、東に伸びた。

『敦煌』より

 内部では血なまぐさい戦闘が行われ、いとも簡単に無数の命が消えていくはずの場面ですが、まるで戦闘に参加している人々が、砂の一粒一粒となってさまざまな模様を描いているようで、幾何学的な美しさすら感じる描写となっています。

 ここのあらすじでは、行徳が莫高窟の横穴に隠すための荷物をまとめるところまでしか書いていませんが、そこから先は息もつかせぬ展開となります。登場人物のかっこよさや、戦闘シーンの魅力的な描写を楽しみながら、彼らがどのような運命をたどるのか、是非結末まで読んでみてください。