梶井基次郎『桜の樹の下には』の登場人物、あらすじ、感想

梶井基次郎作『桜の樹の下には』の登場人物、あらすじ、作品の概要、管理人の感想を紹介するページです。

『桜の樹の下には』の登場人物


桜の美しさが信じられずに不安を感じていたが、その樹の下に屍体が埋まっていると信じることで、その不安から解放されたことを「おまえ」に語る。

おまえ
「俺」の話を聞き、苦しそうな顔をする。

『桜の樹の下には』のあらすじ

 毎晩家へ帰る道で、安全剃刀の刃が思い浮かぶようになったという「俺」は、桜の樹の美しさが何か信じられないもののような気がして、不安や憂鬱を感じ、空虚な気持ちになっていました。

 しかし、「桜の樹の下には屍体が埋まって」いて、屍体に絡みついた根が、その液体を吸い上げていると信じることで、「俺」はその不安から解き放たれます。

 その二、三日前、「俺」は渓流の脇にある水溜りに、何万というウスバカゲロウの屍体が浮き、光彩を放っているのを目にします。「俺」はその光景を見て、「墓場を発(あば)いて屍体を嗜(この)む変質者のような残忍な喜び」を味わいます。

 「桜」という美しく生き生きしたものが、醜く腐った屍体によって育まれているという平衡に気づいたことにより、「瞳を据えて」桜を見ることができるようになった「俺」は、酒宴を開く村人と同じ権利で、花見の酒が呑めると考えます。

作品の概要と管理人の感想

 『桜の樹の下には』は、1928年に初めて掲載された梶井基次郎の掌編小説です。文庫本にしてわずか4ページほどの分量でありながら、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という冒頭の一文や、衝撃的でありながらも感覚的で幻想的な内容により、知名度の高い作品です。

 この小説は、語り手である「俺」が「おまえ」に向って話す内容という形式で書かれています。
 桜の美しさが信じられずに、その樹の下に屍体が埋まっていると信じることで不安から解放されたという語り手は、「おまえ」にその心のうちを語ります。

「おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。」

「おまえは脇の下を拭いているね。冷汗が出るのか。」

と、語り手が言うことから、この話をきいている「おまえ」は、語り手の異常性を心配し、恐怖すら抱いているようです。
 剃刀の刃が毎日のように思い浮かび、数万というウスバカゲロウの屍体を見て自分には惨劇が必要なのだと語り、桜の樹の下に屍体が埋まっていると考えることで始めて安心を得られる語り手は、たしかに異常性の塊のようにも思えます。この語り手の話を聞いた「おまえ」が、心配や恐怖といった表情を浮かべるのも頷けます。

 しかし、あまりにも美しいものを目にした時に、それが信じられずに不安になる感覚や、その美しいものの中に、対極である醜いものが内包されていることを知った時に妙な安心感を覚えることは、誰にでもある感覚なのではないでしょうか。

 少しズレた例えになるかもしれませんが、「幸せすぎて怖い」などという言葉がよく使われますが、語り手が桜を見て不安になるのは、この感覚に近いのではないかと思います。
 つまりこの語り手が言っていることは、異常なものではなく、正常な感覚を究極まで研ぎ澄ましたものなのではないでしょうか。

 文学作品の中で、美に魅了されてしまった人物がどのような行動を取るかというのは、作家によってまるで異なっていて、面白い比較材料だと思います。
 『金閣寺』の主人公は、金閣に魅せられて火を放ちました。『痴人の愛』の主人公は、ただひたすら妻の奴隷になることに悦びを感じます。
 『桜の樹の下には』の美に対するアプローチは、美の中に空虚を見出し、その中にある「死」や「醜」を発見することでその空虚から逃れるという、非常に独特なものです。若いころから結核に冒され、常に死を意識しながら、己の中にある美意識を描き続けた梶井基次郎ならではの考え方であると思います。