小林多喜二作『一九二八年三月十五日』(または『一九二八・三・一五』)の詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。
※簡単なあらすじはこちら(『一九二八・三・一五』トップページ)
一
小樽の合同労働組合の組合員であった小川竜吉の家には、工藤、坂西、鈴本といった同志たちが集まり、しばしば活発な論議が行われていました。
レーニンやマルクスの名前しか知らない竜吉の妻お恵は、はじめ薄汚く凄みのある組合の人たちに怖気付き、彼らの論議に慣れることができませんでした。しかし物事にこだわらず、子供のようにご飯を催促し、風呂賃や煙草銭をねだったりする彼らを知るにつれ、徐々に好意を持つようになっていました。港一帯にゼネラル・ストライキが起きた時、お恵はそれが工藤や鈴本が指導している恐ろしいことであるということがどうしても分かりませんでした。
竜吉は、組合の事務所に泊まりきりでストライキの中に入り、スパイをまいてきたと言いながら寝不足のまま帰って来るようになりました。娘の幸子を抱えていたお恵は、竜吉に危ないことをしてもらいたくはありまけんでしたが、組合の人たちの話から悲惨な労働者の話を聞くにつれ、夫の活動を誇りに思うようになっていました。
竜吉は、三度目の検束で学校の教師の職を首になり、小間物屋で働くことを余儀なくされました。しかし勤めがなくなると、これまで以上に組合の活動に積極的に関わるようになり、たびたび警察へと連れ出されました。お恵は、その度に動悸を抑えられず、夫が連れ去られることに慣れることはできませんでした。
三月十五日の未明、寝ているところに警官が訪れ、中を捜索された挙句、竜吉は裁判所と警察に連れて行かれました。
その時、娘の幸子は、知らない人の声を聞き、眠っているふりをしなければならないのだと思いました。警察が家の中を調べている音を聞くにつれ、幸子は、自分の家に来ているのが恐ろしい人たちであると直感的に感じ、体の震えを抑えることができなくなりました。
襖が開くと、幸子は慌てて目を閉じました。五人の知らない人たちが、両親を連れて部屋にやってきて、自分の学校道具を入念に調べ上げていました。幸子は薄眼を開けてそれを見ながら、感情を昂らせ、涙が滲み出て来るのを感じました。
一通り部屋を調べ終わると、折りカバンを持った男が、竜吉を連れ出そうとしている声が聞こえました。竜吉は、理由がないと行く必要を認めないと、折りかばんの言うことを拒否しました。
やがて竜吉は襖を開けると、狼狽しながら着替えを始め、男たちと共に土間へと出て行きました。
幸子は起き上がり、襖から除くと、父が靴紐を結んでいるのが見えました。母は胸に手を当てたまま、青白い顔をしていました。
幸子はふと、これらのことが、父の勉強室に写真が貼り付けられているレーニンや、組合の人たちが歌う「赤旗の歌」のせいに違いないと気づきました。
竜吉は、「幸に気付けろ」と言うと、外へと出ていきました。幸子は、父を連れて行った人を憎みながら、寝床に入ると、うつ伏せになって、父を呼びながら泣き出しました。
お恵はしばらく呆然とし、その後で泣き出しました。
二
寒気が骨身にまで染み込んでくるような午前三時、サーベルを握った五、六人の警官が、竜吉と同じ組合員の鈴本、坂西、斎藤、渡らの寝泊まりしていた合同労働組合の二階へと駆け上がりました。
その日、組合員は、田中内閣(サーベル内閣)の打閣演説会を開くことを決めていました。その晩、全員を動員して宣伝のビラを市中に張らせたり館の交渉、常任委員会をしたりして、ようやく一時間ほど前に寝たばかりであったところを蹴り起こされました。
鈴本は、警察が当日になる前に総検束をするかもしれないという覚悟をしていたものの、やられたと思いました。
坂西は、人の良い笑い声を出して茶を入れました。
その鈴本に頑張ろうと声をかけた斎藤は、警官に引っ張られ、連行する理由を言えと詰め寄りました。警官は「行けば分る」の一点張りで、斎藤を殴りつけました。
これをきっかけに騒ぎが持ち上がり、いつも先頭に立っていた組合の若手の渡も、その渦中に入り込んでいきました。
鈴本は、渡の元気がないことに違和感を覚えていたものの、何でもなかったのかと考えてほっとしました。
人の渦から離れて立っていた石田は、騒がなくてはいけない時と、そうでない時があるという考えを持っており、この騒ぎを苦々しく思いながら、黙って見ていました。
渡が渦の中に加わったところへ、七、八人の巡査が入り込み、皆は一人一人警官に腕を組まれて外へと連れ出されました。
一週間前に組合に入ったばかりの柴田は、ひきつった顔のまま、一言も発することができず、震えを止められませんでした。
九人の組合人は、押し黙ったまま歩いている間にも、不思議な団結を感じていました。
三
お恵は、夫が連行されてから、がらんとした家にいることがたまらず、工藤の家を訪ねようとしていました。しかし工藤もまた同じ日に検束されていました。
工藤の家に警官が入ると、三人の子供は目を覚まして泣き出しました。警官が電灯のスイッチを捻ると、二ヶ月も前から電灯料が滞っていた工藤は、落ち着いた声で電灯はつかないと言いました。
工藤と同じように組合に出入りしていた妻のお由は、秋田の百姓の末娘で、小学校を二年で辞め、十四まで地主の家の子守りをしており、そこの主人と女主人にいじめられ、こき使われながら過ごしました。そこから自家に戻ると畑に出され、十七で隣村の工藤に嫁入りし、その翌日から工藤と共にトロッコ押しに出かけました。
子供が生まれるとさらに生活は苦しくなり、ある夜、工藤は、お由とともに村を出て北海道へと渡りました。
小樽で二人はある鉄工場に入ったものの、以前と大して変わることのない苦しい生活が続きました。
工藤が組合に入ると、お由は、憎くてたまらない人間たちを意識するようになり、夫の仕事がなくなると、一人で石炭担ぎや、雑穀の袋縫い、青えんどうの選別など、どんな仕事もしました。家の障子も変えなかったため、組合から貰ってくる新聞を貼り、それらを子供に読み聞かせて暮らしていました。
プロレタリア解放の闘志であった工藤も、連行されるときはいつでも、これからの家庭のことを考えて陰鬱な気持ちになりました。
お由は、工藤の出かける用意を手伝って、どうにかやっていけると言いながら夫を送り出しました。巡査に慣れている上の子供も、行っておいでと言いました。
この出来事を語ったお由は、目的とする社会のために、自分たちが次の者たちの踏み台とならなければならないという考えを、お恵に話しました。
お恵は、お由の考えに同意しました。
四
今度の検挙が広い範囲で行われていたことを、お恵はお由から知らされました。竜吉の家に毎火曜日の夜に開かれる研究会に来ていた会社員の佐多も、二日遅れて警察に連れられて行きました。
佐多には、自分だけを頼りにしている母親がいました。母親は、佐多が会社員になった後のことだけを夢見ながら八年間働きづめ、佐多が会社から初月給をもらった時には涙をこぼしました。しかしそれから佐多は、組合の運動にのめり込むようになりました。
不安に苦しむ母は、もしものことで食えなくなったらどうすると詰め寄り、佐多は言い争いになる度に、自分を意気地無くさせる母親のことを心の中で責めました。
佐多は十六日に、竜吉や組合に大検挙があったことを聞き、書類をまとめて近所の家へ預けました。翌日組合に行こうとするとばったりと仲間と出会い、組合に入ろうとする人間は引っ張られていくということを聞き、行かないでよかったと安心しました。
しかし、その日の夜、佐多の家へと警官がやってきました。外套を取りに行った二階から降りると、何も言えず部屋の片隅でへたばったまま手足をばたばたともがいているだけの母親の姿が目に入りました。佐多はその姿を見て、立ちすくんでしまいました。三人の警官に守られながら外へ出た後、彼は母親のことを考えて、警官に見られないように泣きました。
お恵は工藤の家からの帰り、賑やかな花園町大通りを歩いてきました。彼女は、いつものように賑わいを見せる町を見て、同じ市内で大検挙が起こっていることを思い出し、夫は誰のために活動しているのだろうと寂しくなり、夫たちが騙されていると考えました。
五
十五日の夜明け、連行された人々で留置所はいっぱいになりました。
渡、鈴本、斎藤、阪西が入ってくると、皆は歓声を挙げました。皆、第一線で闘争をおこなってきたものばかりで、今回の不法行為について議論を行いました。
皆は、一緒になったという事で、無茶苦茶な乱暴をしたいという欲求にかられ、壁を蹴ったり叩いたりし始めました。しかし一同の頭とも言える鈴本と渡が呼び出されていくと、皆は壁を叩くのをやめました。
その男たちから離れ一人で腕組みをして部屋を歩いていた石田は、壁の隅で両足を投げ出したまま目をつぶっている竜吉に気づき、頼りがいを感じ、声をかけました。
竜吉は、賭博や買春の現行がある場合でなければ、居住者の意に反して邸宅に入る事が禁じられているにもかかわらず、寝込みを襲ったことや、憲法で禁じられてある逮捕、監禁、審問を行う警察の非難を始めました。その意見に皆が賛成し、理由を聞きに行こうと言い始めました。しかし竜吉は皆を諌め、斎藤は、留置所では何をしても酷い目に遭うのがオチなので、運動は大衆の支持のもと、外でやるべきなのだと主張しました。
そこへ巡査が入ってきてこの騒ぎを咎め、一人一人の肩を押しました。斎藤は押される時に肩をひき、巡査をよろめかせました。巡査は、斎藤の体を投げつけ、倒れてもがいているところを二度蹴りつけました。
後から巡査が入ってきて、一人一人の名前を呼んで部屋から連れ出しました。あとには六人が残り、その六人には一人ずつが付き添いました。
竜吉は窓の下に座り、板壁に身を持たせかけて、夜明けが迫っていることを感じました。彼は検挙されたときにいつも行うようにしている、一度読んだ本の復習や、そこから出てくる問題を頭の中で理論的に筋道をつけて考えることを始めました。そのうちに彼は悪い夢を見て、叫び声をあげました。
竜吉は心に染み込んでくる幸子のことを頭から追い払おうとするように、大きなあくびをしました。
時々竜吉の家に来ていた須田巡査は、家に託けることはないかと、聞きました。竜吉は「いいや、別に、有難う」と言いました。
六
便所で渡に会った斎藤や石田は、その時の渡に並々ならぬ印象を受け、彼が取り調べで危ない目に遭わされるのではないかという懸念を抱きました。
ビラ撒きや演説に奔走する日々を送っていた組合員にとって、検挙されることは休息の役割も果たしており、留置所に入ることは「別荘行き」と呼ばれていました。渡もまた、独房に入れられた時、血の気が引いていくのを感じたものの、すぐに平常に戻り、広々とくつろいだ気持ちを覚えました。
渡は、監獄に入れられても憂鬱な気持ちにならず、正しい歴史的な使命を勇敢にやっているからこそ、監獄に入れられるのだという考えを持ち続けていました。鋼の意志を持つように見える彼は、大黒柱のように頼りにされることが多くありました。
彼は壁に描かれた落書きを拾い読みました。渡は、それらの落書きの横に深く爪で傷をつけながら、今後この落書きを見る人々に、金持ちの手先の官憲と、ろくでもない政治をぶっ壊し、新たな社会を建てるために、お互いに手を握り合おうという内容を書きつけて行きました。
夜が明けると、巡査が取り調べのために渡を呼びました。渡は、朝方から何度も放屁していたため、巡査は臭い臭いと言いながら外へと出て行きました。渡はそれをみて大きな声で笑いこけました。
七
十五日のうちに、また五、六人の労働者が連れて来られ、部屋が狭くなったために、皆は演武場の広場に移されました。
監視の巡査は四人ほどいました。退屈した労働者たちは、巡査の方を気にしながら話を始めました。彼らと同じように退屈していた巡査も、その話を止めることはありませんでした。
日暮れになると、皆裏口から外へ出され、警察構内を半回りして、再び表口から入れられました。たらい回しをされた彼らは、今回の検束が何か別な原因からきているのではないかと不安になりました。
八時過ぎに工藤が呼ばれて出て行きました。皆はギョッとしながらその後ろ姿を見送りました。
夜更け時、竜吉に石田が話しかけ、少し前に便所に行った時のことを語りました。そこでは腐った茄子のようにブシ色に腫れ上がった顔をした渡が顔を洗っていました。渡は「やられたよ」と笑ってみせ、石田は一言も言えないでいると、ちっとも参らないと語りました。
竜吉と石田は、皆が恐怖に陥ることを懸念しました。しかし石田は、乱暴を働かなければ闘志ではないという考えも危険であると考えていました。竜吉は、その情熱を正しい道の方へ落とし込んでやることが大切だと語り、石田はその言葉に深く同意を示しました。
斎藤は、猥談で周囲の興味を惹き、巡査からも煙草をもらいました。長い間組合にいた木村という男が、残された妻や子供を心配して、このような運動から足を洗いたいと言い始め、斎藤と諍いになりそうになりました。
木村は長いこと組合にいたものの、もともとは苦しい倉庫の仕事に耐えかね、警察に引っ張られるような「悪いこと」をするとは知らずに組合に入った者でした。そのため彼は組合の仕事も、割り当てられたことしかしていませんでした。
竜吉は、戦闘的だと言われている左翼の組合に、木村のような者が多くいることを考慮しないでいることはできないことだと考えていました。木村の紹介で組合に入った柴田は、寝込みを襲われたときには血の気がなくなったものの、自分が若造であるからといって木村のように落ちてはなるまいと自分に言い聞かせました。
八時になると、皆は、畳の方に床を敷いて二人ずつ寝ました。眠ることは、皆にとってはたった一つの楽しみでした。皆は思い思いのことを、間をおいて語っているうちに静かになりました。
竜吉は傷んでくる胃を抑えながら色々なことを考えているうちに眠りに落ちました。
竜吉は急に肩をつかまれて目が覚め、取り調べに連れられて行きました。巡査に連れられて戻ってきた工藤は、青い顔をしていました。
八
その一週間で、警察署は二百人もの労働者をかりたてました。
普段から警察に目をつけられていた渡は、一言も取り調べに対して口を割らず、裸にされて竹刀で叩きつけられました。三十分ほどもその拷問が続いた後、気を失い、水をかけられて息を吹き返させられ、首を絞められてもう一度気を失いました。
次には、吊し上げられて畳屋の使う太い針を身体に刺されました。その間も渡は資本家に対する火のような反抗心を起こし、拷問こそ、無産階級が資本家から受けている圧迫、搾取そのままの現れだと考えました。
渡は三度気を失い、三度目に吹き返した時、麻酔のように意識がぼんやりとしました。
手を尽くした警察は、渡のことを一時間も続け様に殴ったり蹴ったりし、しまいに監房の中へ放り込みました。次の朝まで、渡はそのまま動けませんでした。
続けて、工藤が取り調べられました。工藤は、渡に比べて素直に取り調べに応じましたが、かかとをつま先で力一杯蹴られたり、鉛筆を挟んだ指を縮められる拷問を受けました。
鈴本は、殴られも蹴られもしない代わりに、脈拍を調べられながら、死なないように何度も首を絞められて気絶させられ、自分が取り調べに対してどう答えているか分からなくなりました。
佐多が入れられた留置所は、取調室がその斜め前にありました。銀行に勤めていた彼は、警察に連れてこられた時、自分の一生が取り返しがつかないほどに暗くなったと感じ、他の労働者よりも、留置所の雰囲気がこたえました。物が食べられなくなり、体に変調をきたすようになり、自分よりも悲しんでいるであろう母のことを思い、感傷に溺れました。
しかし次第に彼はこのような生活に慣れ、考える余裕ができるようになりました。そして自分たちのような中間階級の者は、労働者のために余計なおせっかいさえしなければ、暮らしていけるのだという考えが頭をもたげるようになりました。そのような時に竹刀が振り下ろされる拷問の音と、「殺せ」いう叫び声が聞こえ始めると、佐多は両手で耳を覆い、布団に顔を伏せました。しばらくすると、巡査が誰だか分からない人を引きずって歩くのが見えました。
それから二日ほどすると、佐多は、巡査に起こされました。自分の番が来たと思った佐多は、棒立ちになったまま身動きが取れませんでした。
竜吉はそれまで三回ほど検束されたことがありました。その頃彼はインテリゲンチャであったため、酷い拷問は受けませんでした。しかし学校を出ると、彼らの態度が露骨にこれまでと変わりました。それでも渡、鈴本、工藤に比べると、それらは生やさしいものでした。
しかし今回、竜吉は、渡らと同じ様に警察からにらまれていました。彼は逆さに吊し上げられ、床に頭を打ちつけられました。血が頭いっぱいになるほどに下がってきて、眼は真っ赤に膨れ上がって飛び出しました。それが終わると、熱湯に手を突っ込まれました。
次に竜吉は着物を脱がされ、メリヤスの冬シャツがズタズタになるほどに、細引で殴りつけられました。
拷問が終わった時、彼は「なかなか死ぬもんでない」と考え、留置場に入れられた途端に気を失いました。次の朝竜吉は熱を出し、付き添いの巡査が手ぬぐいで冷やしてくれました。浮浪人が竜吉のうわ言について語ろうとしました。竜吉は、巡査のいるところでとんでもないことを言ってしまったのではないかと考えましたが、「なかなか死ぬもんか」と何十回も言っていたことがわかると、不自然に大声で笑い出しました。
演武場では、斎藤が拷問で気が狂いかけている様でした。彼は拷問が始まろうとすると、手足を一杯に振って大声で叫びながら走り出しました。
誰も手を出せませんでしたが、司法主任が「嘘だ。やれ!」と言ったのを合図に巡査たちは斎藤を取り囲み、殴りつけました。斎藤は竹刀で叩きつけられ、着物の前が鼻血で染まりました。彼はそのまま十日ほど取り調べを受けず、その後は監房へ移されると、これまでより眼に見えて元気になったものの、その元気には自然でないところがあり、話しかけてもうっかりしていることが多く、静かな時は一人でぶつぶつと言うようになりました。
一方、毎日のように大検挙が続くと、非番の巡査すら寝る間も無く、例外なしに一日五十銭で駆り出され、過労のために検挙した相手に向かって生活の苦しさを洩らしました。竜吉は、意外に彼らも敵ではなかったのだと思いました。
竜吉は、二十日も子供の顔を見ていない水戸部という巡査と語り合い、彼らが眠る暇もなく検挙に駆り出され、巡査のストライキをやろうという話が出たことを知りました。
水戸部は、皆が仕事が嫌になってブラブラして派出所で漫談をやらかしたと話し、どの巡査たちも腹を割れば自分と同じ考えだと語りました。
竜吉は、この水戸部の話に興奮し、親しみを覚えました。
九
竜吉が演武場から隔離される二、三日前のこと、
取り調べの後で隔離されていた労働者の木下という男が入ってきて、荷物を纏めにかかりました。木下は「札幌廻し」だと言いました。
それは観念しなければならないことを意味していました。木下は、巡査に外に出るように急かされながら、煙草が欲しいとを頼みました。組合で木下が煙草を皆からもらっていたことを思い出した竜吉は、せめて煙草だけは送ろうと考えました。しかしバットの箱には煙草が三本しか残っておらず、竜吉はすまない気持で、それを伝えました。木下は、子供のように喜びながらその煙草を受け取ろうとしました。しかし巡査は、一本しか渡すことを許しませんでした。竜吉は怒りに震えながら、自分でも泣きながらバットを粉々にむしりました。
十日が経っても、佐多は、留置所の生活に慣れることができず、参ってしまいました。彼は、広告屋の声などの、留置所の外から聞こえる音に聞き入ることで、自らを慰めようと試みました。母親は面会に来ると、痩せた佐多を見て息を詰まらせ、早く出てきてくれるように毎日仏様にお願いしていると語り、佐多が眠る前に差していた目薬を差し入れました。
佐多はそれから四、五日して、警察を出されました。彼は、誰にでも話しかけ、走り回りたい衝動を感じ、心の底から出てくる喜びをどうすることもできませんでした。彼は自分以外の誰のことも考えず、不審がられていることにもかまわずに声を出して泣き出しました。
佐多が出たということが監房にいるものに伝わりました。渡はインテリゲンチャであった佐多には無関心で、どのような感じも起きませんでした。しかし工藤や竜吉は、自分たちの持たない知識を持つ佐多のような人物が運動にどしどしと加わることで、運動に深さや厚みが加わることを必要としており、自分たちがまだまだ沢山のことをしなければならないと考えました。
取り調べは惨虐な方法で進み、活動に関係していたことが確認されたものは札幌の裁判所に送られ、予審へ回されました。
護送される前、取り調べにあたった司法主任は、自腹を切って丼や寿司を取り寄せてご馳走し、自分の取り調べに矛盾が生じないように発言を行うよう、念を押しました。
その事情を知っている渡はこれを利用し、札幌へ行く途中に特高にねだって弁当や饅頭を買わせました。
四月二十日までは、小樽警察に抑留されていた全員が、札幌へ護送されていきました。留置場には、
「三月十五日を忘れるな!
共産党 万歳!」
という文句が、申し合わせたように刻み込まれていました。