小林多喜二『一九二八・三・十五』の登場人物、あらすじ、感想

 『一九二八・三・十五』は、1928年に発表された小林多喜二の代表作です。小林多喜二は、小作農の父と、日雇いの母の間に秋田県で生まれ、四歳の頃に小樽に渡りました。学業に優れていたため、金持ちの親類に学資を出してもらいながら高校に通っていたものの、生活は貧しく、パン工場での手伝いをしていたようです。やがて小樽の銀行に勤務するようになると、生活の安定を得ながらも、インテリゲンチャとして革命運動に身を投じるようになり、労働党の組織に近づき、小説を書き始めます。そのような活動をしていた時に、日本共産党の非合法な革命運動に対する政府の大弾圧であった三・一五事件が起き、数千人の労働者が検挙され、小樽でも五百名以上の労働者、社会活動家が逮捕されました。事件後、小林多喜二は拷問がいかに残酷なものであるかを書かなければならないという義務にかられ、この作品を書き始めました。
 同年、雑誌『戦旗』に収録された『一九二八・三・十五』は、検閲によって大幅な削除と加筆が加えられていたものの、発表と同時に大きな反響を呼び、当局によって『戦旗』は発売禁止という措置がとられることになりました。
 翌年、『蟹工船』と共に発刊された単行本も発売禁止の処分となりましたが、日本の労働者の間のネットワークを通して広く読まれる作品となり、小林多喜二はプロレタリア作家としての地位を確立しました。
 その後も作品を書き続けた小林多喜二は、勤めていた銀行を解雇され、共産党への資金提供の疑いで逮捕、拷問を受けました。刑務所に数回収容されたあと、日本共産党に入党し、非合法運動に加わり、1933年2月20日に、スパイの密告によって逮捕され、その日の残虐な拷問の末、二十九歳でこの世を去りました。
 このページでは、『一九二八・三・十五』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『一九二八・三・一五』の登場人物

小川竜吉
小樽の合同労働組合の組合員。三度の検束で小学校教師を首になり、小間物屋で働くことを余儀なくされている。

お恵
竜吉の妻。

幸子
竜吉とお恵の娘。

工藤
小樽の合同労働組合員。結婚後、お由とともに貧しい生活に耐えながら秋田から小樽へと渡り、組合に入る。三人の子供がいる。

お由
工藤の妻。秋田の百姓の末娘。十七歳の頃に工藤に嫁入りする。自身も組合に出入りし、工藤の活動を支えている。

鈴本
小樽の合同労働組合員。組合の頭のような存在。関羽に似ている。

坂西
小樽の合同労働組合員。組合のドンキと言われている。仕事がルーズだが憎めない性格。

斎藤
小樽の合同労働組合員。「我々は戦闘的でなければならない」が口癖。


小樽の合同労働組合員。若手でありながら、活動の中心を担っている。

石田
小樽の合同労働組合員。乱暴を働かなければ闘志ではないという考えも危険であると考えている。

柴田
三月十五日の一週間前に入ったばかりの労働組合員。

佐多
竜吉の家に毎火曜日の夜に開かれる研究会に来ていた会社員。自分だけを頼りにしている母親がいる。

木村
小樽の労働組合員。苦しい倉庫の仕事に耐えかね、警察に引っ張られるようなこととは知らずに組合に入る。連行後、このような活動から足を洗いたいと語る。

木下
小樽の労働組合員。煙草好き。

須田
巡査。竜吉とは顔見知りの間柄になっている。

水戸部
巡査。眠る暇もなく検挙に駆り出され、巡査のストライキをやろうという話が出たことを竜吉に語る。

『一九二八・三・一五』のあらすじ

※もっと詳しいあらすじはこちら

 小樽の合同労働組合の組合員であった小川竜吉は、三度目の検束で学校の教師の職を首になり、小間物屋で働くことを余儀なくされ、これまで以上に組合の活動に積極的に関わるようになっていました。
竜吉の家には、工藤、坂西、鈴本といった同志たちが集まり、しばしば活発な論議が行われていました。妻のお恵は、薄汚く凄みのある組合の人たちになかなか慣れることができないでいましたが、物事にこだわらない彼らを知るにつれ、徐々に好意を持つようになり、夫の活動を誇りに思うようになっていました。

 三月十五日の未明、寝ているところに警官が訪れ、竜吉は連行されました。娘の幸子は、眠っているふりをしなければならないのだと思いながら、自分の家に来ているのが恐ろしい人たちであると直感的に感じ、体の震えを抑えることができませんでした。
警官が一通り部屋を調べ終わると、竜吉は着替えを始め、男たちと外へ出ていきました。

 同じ日の午前三時、五、六人の警官が、合同労働組合の二階へと駆け上がり、そこで寝泊まりしていた竜吉と同じ組合員の鈴本、坂西、斎藤、石田、渡らを連行しました。その日、組合員は、田中内閣の打閣演説会を開くことを決めており、全員を動員して宣伝のビラ配りや館の交渉、常任委員会をしたりして、ようやく一時間ほど前に寝たばかりでした。
 連行する理由を求めた斎藤が殴られたことをきっかけに騒ぎが起き、組合員たちは外へと連れ出されました。九人の組合人は、押し黙ったまま歩いている間にも、不思議な団結を感じました。

 お恵は、夫が連行されてから、がらんとした家にいられず、同じ組合員の工藤の家を訪ねようとしていました。しかし工藤もまた同じ日に検束されていました。
 工藤と同じように組合に出入りしていた妻のお由は、秋田の百姓の末娘で、小学校を二年で辞め、十四歳まで地主の家でこき使われ、自家では畑仕事をさせられて十七歳で嫁入りし、その翌日から工藤と共にトロッコ押しに出かけました。子供が生まれるとさらに生活は苦しくなり、二人は村を出て北海道へと渡りました。
 小樽でも二人の生活は苦しいままで、工藤は組合に入りました。お由は、仕事がなくなった夫の代わりに、どんな仕事でもして生活を支えました。工藤は、連行されるときはいつでも、お由や三人の子供のことを考えて陰鬱な気持ちになりました。
 電灯のつかない家の中で、お由は連行されようとする工藤の用意を手伝い、どうにかやっていけると言いながら送り出しました。

 お恵とお由は、夫が連行された時の様子を語り合ったときのことを語り合い、目的とする社会のために、自分たちが次の者たちの踏み台とならなければならないという意見に一致しました。

 竜吉の家に毎火曜日の夜に開かれる研究会に来ていた会社員の佐多も、二日遅れて警察に連れられて行きました。
 佐多には、自分だけを頼りにしている母親がいました。佐多が会社員になることだけを夢見ていた母親は、組合の運動にのめり込む息子を心配し、たびたび言い争いを起こしていました。
 大検挙があったことを聞いた佐多は、書類をまとめて近所の家へ預けましたが、その翌日の夜、家にやってきた警官に連行されました。連れ出された後、彼は母親のことを考え、警官に見られないように泣きました。

 十五日の夜明け、連行された人々で留置所はいっぱいになりました。
 渡、鈴本、斎藤、阪西が入ってくると、皆は歓声を挙げました。彼らは邸宅に無断で踏み入って自分たちを逮捕した警察の不法行為について議論を行い、壁を蹴ったり叩いたりし始めました。
 乱暴を働かなければ闘志ではないという考えを危険であると考えていた石田は、壁の隅で両足を投げ出したまま目をつぶっている竜吉に頼りがいを感じ、声をかけました。竜吉は、警察の非難を行いながらも、逮捕の理由を聞きに行こうとする一同を諌めました。
 後から巡査が入ってきて、一人一人の名前を呼んで部屋から連れ出しました。

 独房に入れられた渡は、日頃の忙しさから解放され、くつろいだ気持ちを覚えました。彼は壁に描かれた落書きの横に、金持ちの手先の官憲と、ろくでもない政治をぶっ壊し、新たな社会を建てるために、お互いに手を握り合おうという内容を爪で書きつけて行きました。
 夜が明けると、渡は取り調べに呼び出されて行きました。

 十五日のうちにまた五、六人の労働者が連れて来られ、部屋が手狭になると、皆は演武場の広場に移されました。
 夜更け時、竜吉に石田が話しかけ、腫れ上がった顔をした渡に便所で会ったことを伝えました。竜吉と石田は、皆が恐怖に陥ることを懸念し、また暴力的になる皆の情熱を正しい道の方へ落とし込んでやることが大切だと語り合いました。

 残された妻や子供を心配した木村という組合員は、このような運動から足を洗いたいと言い始め、斎藤と諍いになりました。組合の中には、警察に引っ張られるようなことをするとは知らずに入った木村のような者も多く、彼らのことを考慮しないでいることはできないと、竜吉は考えました。木村の紹介で組合に入った柴田は、木村のように落ちてはなるまいと自分に言い聞かせました。
 八時になると、皆は床を敷いて二人ずつ眠りました。竜吉も色々なことを考えているうちに眠りに落ちましたが、急に肩をつかまれて目が覚め、取り調べに連れられて行きました。

 その一週間で、警察署は二百人もの労働者をかりたて、取り調べと称した拷問を与えました。
 渡は、気を失うまで竹刀で叩きつけられ、吊し上げられて畳屋の使う太い針を身体に刺され、しまいに監房の中へ放り込まれました。その間も彼は資本家に対する火のような反抗心を起こし、拷問こそ無産階級が資本家から受けている圧迫、搾取そのままの現れだと考えました。

 工藤は、かかとをつま先で力一杯蹴られ、鉛筆を挟んだ指を握りつぶされました。

 鈴本は、脈拍を調べられながら、死なないように何度も首を絞められて気絶させられました。

 この拷問の音を聞いていた佐多は、自分たちのような中間階級の者は、労働者のために余計なおせっかいさえしなければ暮らしていけるのだという考えが頭をもたげるようになりました。

 竜吉は逆さに吊し上げられて床に頭を打ちつけられ、熱湯に手を突っ込まれ、それが終わると着物を脱がされて細引で殴りつけられました。
 拷問が終わった時、彼は「なかなか死ぬもんでない」と考え、留置場に戻った途端に気を失い、次の朝、熱を出しました。巡査のいるところでとんでもない譫言を言ってしまったのではないかと懸念しましたが、「なかなか死ぬもんか」と自分が何回も言っていたことを聞くと、大声で笑いだしました。

 斎藤は拷問が始まろうとすると気が狂い、手足を一杯に振って大声で叫びながら走り出しました。巡査たちは彼を取り囲み、竹刀で叩きつけました。着物の前が鼻血で染まった斎藤は、そのまま十日ほど取り調べを受けず、その後は監房へ移されると元気になったものの、話しかけてもうっかりしていることが多く、静かな時は一人でぶつぶつと言うようになりました。

 一方、巡査は大検挙のためにすら寝る間も無く、一日五十銭で駆り出され、検挙した労働者に向かって生活の苦しさを洩らしました。竜吉は、水戸部という巡査と語り合い、警察の間でストライキをやろうという話が出たことを知りました。竜吉は、意外に彼らも敵ではなかったのだと思い、親しみを覚えました。

 竜吉が演武場から隔離される二、三日前のこと、取り調べの後で隔離されていた労働者の木下という男が「札幌廻し」になりました。それは札幌の裁判所へ送られ、罪人になることを観念しなければならないことを意味していました。煙草が欲しいと言った木下に、竜吉は残っていた三本の煙草を渡そうとしました。しかし巡査は、一本しか渡すことを許しませんでした。竜吉は怒りに震え泣きながら、バットを粉々にむしりました。

 留置所の生活に慣れることができなかった佐多は、釈放されることとなり、心の底から出てくる喜びをどうすることもできず、不審がられていることにもかまわずに声を出して泣き出しました。
 渡は、佐多の釈放には無関心でしたが、工藤や竜吉は、インテリゲンチャと呼ばれる佐多のような人物が運動に加わることで運動に深さや厚みが加わると考えており、自分たちがまだまだ沢山のことをしなければならないと考えました。

 取り調べは惨虐な方法で進み、活動に関係していたことが確認されたものは札幌の裁判所に送られ、予審へ回されました。
 護送される前、取り調べにあたった司法主任は、自腹を切って丼や寿司を取り寄せてご馳走し、自分の取り調べに矛盾が生じないようにと念を押しました。その事情を知っている渡は、札幌へ行く途中に特高にねだって弁当や饅頭を買わせました。
 四月二十日までは、小樽警察に抑留されていた全員が札幌へ護送されていきました。留置場には、
「三月十五日を忘れるな!
共産党 万歳!」
という文句が、申し合わせたように刻み込まれていました。

管理人の感想

 この作品で描かれるのは、当時の田中義一内閣によって行われた共産党員らに対する弾圧事件『三・一五事件』において、小樽の労働組合員に加えられた凄まじい検束と拷問です。組合員たちは、人権を無視した方法で連行され、取り調べ室の中では、ある者は殴られ蹴られ、気絶するまで首を絞められ、またある者は畳屋の使う太い針を体に刺される拷問を受けます。
 これらの拷問は、読んでいても目を背けたくなるような凄まじいものですが、小林多喜二特有の文体により、陰惨なイメージで終わってしまいそうなストーリーが、「読ませる」文学作品に昇華させられています。『蟹工船』などの他の作品にも同じことが言えますが、小林多喜二は、非常に独特な文章を書く作家であり、この『一九二八・三・十五』においても、その特徴が存分に発揮されています。

幸子は妙に感情がたかぶってきた。そして、それが眼の底へジクリ、ジクリと涙をにじませてきた。

(投げ飛ばされた斎藤の身体が)竜吉の横の羽目板に「ズスン」と鈍い音をたてて、投げつけられていた。

渡は自分でも分るほど「新鮮な」階級的憎悪がムチムチと湧くのを意識した。

(竜吉の拷問の場面)身体全体がビリンと縮んだ。

(非番の巡査たちは)朝から真夜中まで、身体がコンニャクのようになるほど駆けずり廻された。

頭の毛の薄い巡査が、青いトゲトゲした顔をして竜吉にいった。

スワッ!!それは文字通り「スワッ!!」だった。

彼は自分の胸をワクワクと揺すって、底から出てくる喜びをどうする事も出来なかった。

※カッコ内以外引用

 このような、オリジナルとも思えるような、独特なオノマトペを多用した文章は、下手に使うと稚拙な文章に捉えられかねないものです。しかしこの作品においては、シリアスな場面を、ある意味不釣り合いな文章で描き出すことによって、大きなインパクトがもたらされ、また我々と同じような「普通」の人々が深く傷つけられる様を際立たせることに成功しているようにも感じます。

 しかし、この小説を読んで警察のやり方に憤懣を覚える人々は多いでしょうが、残酷な拷問の描写は、活動に参加しようと考えている人々が尻込みをしてしまう原因になってしまうようにも思われます。実際に作中においても、活動に積極的に関わろうとする竜吉、渡、斎藤、石田、鈴本らとは対照的な、中途半端な覚悟を持つ者たち(佐多や木村など)が多く書かれており、彼らは労働組合の活動から足を洗いたいと考えます。普通の生活を送っている者にとっては、むしろ佐多や木村のような人々の方が一般的であり、いくら当局のやり方に不満を持っていたとしても、竜吉や渡のようには行動できないと考えるのが普通なのではないかと思います。同志を増やす妨げになる作品は、味方からの批判を浴びることにもなりかねません。
 このような状況下で、検閲によって日の目を浴びることのないかもしれない作品を仕上げたということは、小林多喜二が、三・一五事件に対して深く感情を動かされ、どうしても当局のやり方を糾弾しなければならないという相当な覚悟を持つようになっていたということに他ならないと思います。
 今も昔も、彼らが行っていたような運動には、さまざまな考えがあるかとは思います。しかし、命を賭してまで、このような作品を残した小林多喜二の覚悟には、無条件の敬意を感じます。