小林多喜二『党生活者』の詳しいネタバレあらすじ

小林多喜二作『党生活者』の詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

※簡単なあらすじ、登場人物紹介はこちら(『党生活者』トップページ)

 「私」は、同志の須山とは一緒に帰らないようにしていましたが、須山は時々その約束を破りました。須山は、ヒゲの行方が分からないことを「私」に伝えました。ヒゲは「私」たちのリーダー的存在で、時間に遅れたことはほとんどありませんでした。

 戦争が始まると、倉田工場という金属工場は六百人の臨時工を募集しました。「私」、須山、伊藤(女の同志)は、他人の履歴書を持って入り込みました。会社は四百人のクビを切るらしいという情報が入っていましたが、退職の際に十円が支払われるという噂を流し、最後まで体良く職員を使おうという心づもりのようでした。「私」は家に帰ると、これを記事に書きました。

 「私」は下宿屋の二階に住んでいて、下宿のおばさんや子供には一般市民のフリをして接していました。

 「私」はSと会い、先日の自分の記事の感想を聞きました。Sは、工場内での評判はいいが、政治的な取り上げができていないと指摘しました。
 「私」は須山と会い、ヒゲが捕まったことを知らされました。友達との交渉を断ち、頼れるのは同志のみの状況で、ヒゲが捕まったことが「私」に重くのしかかりました。

 「私」が唯一居場所を教えている太田が訪れてきました。「私」たちは自分の居所を誰にも知られないように活動していましたが、倉田工業で仕事をするためには、専任を決めて頻繁に会う必要がありました。「私」はその役割を太田に任せていたのでした。用件をすませると、「私」たちは雑談をしました。「私」は人との雑談に飢えていました。太田は工場の女工さんの品定めをやって帰っていきました。

 党の署名の入ったビラをまくと、工場側は狼狽して見張りを立てました。戦争が始まってから、臨時工を多く雇う必要ができ、工場は身元調査などを一々できなくなっていたのです。「私」の写真は各警察に出回っていましたが、「私」は「潜ら」ずに、成果の上がりやすい工場に出入りすることを選びました。ビラは女のメンバーの下半身に隠されて工場内に持ち込まれました。

 ビラを持ち込んだことが露呈し、「私」の居所を知っている太田が捕まりました。「私」は須山や伊藤と話し合い、下宿を移り、工場を休むと告げました。家の前まで帰ると、張り込まれていることに気づきました。「私」は家に帰ることができなくなり、以前に逃げ場所の交渉をしてもらった女である笠原のところへ行きました。しかし笠原も、逃げ場所はもうないと言いました。「私」は家に泊めてくれるよう頼みました。笠原は、下に住んでいるおばさんに兄が来たと嘘をつき、同じ部屋で一夜を明かすことにしました。笠原は一睡もしなかったようでした。

 Sにこのことを話すと、間借りの金を用意してくれました。「私」は家を見つけておいたので、須山と伊藤に道具を揃えてもらい、そこに移りました。「私」は太田の後の仕事を伊藤にやらせました。伊藤はこれまでも何回か捕まっていました。母親は活動に反対していたようですが、銭湯でアザだらけの彼女の体を見てからは味方をするようになり、金を渡すようになっていました。倉田工業の七十パーセントは女であったため、伊藤の役割は大きなものでした。

 太田と一緒に獄中にいた不良が、須山に太田からのレポを伝えに来ました。「私」がロイド眼鏡をかけていることも、警察は知っているとのことでした。それは太田が私のことを警察に話したことを意味していました。「私」たちはも太田の裏切りに腹を立てました。

 「私」は笠原と親しくなりました。彼女は色々な用事を足してくれ、新しい下宿も別な地区に探してくれました。下宿に一人で住み、夜になると出かける生活は疑われるので、「私」は笠原に一緒に住むことを提案してみました。笠原はそれを了承し、再び新しい下宿へ移ることになりました。

 「私」は過去に合法の範囲内で活動していましたが、一緒に働いていた仲間が捕まり、潜ることとなりました。その手ほどきをしてくれたのがヒゲでした。その後、母親との連絡は須山がしてくれていましたが、母は「私」にいつ会えるのかと須山に聞き続けているようでした。その言葉に心を痛めた須山は、「私」を説き伏せ、ある料理屋で母と会わせました。母はやつれたようでした。こうして会っている間も、捕まるのではないかと不安になり、母は会合を引き上げたがりました。「私」は母との関係も断ち切ることになりました。

 ヒゲの両親や兄弟、またはヒゲと同じ刑務所に入っていた朝鮮人などから、ヒゲのレポが入ってきました。ヒゲは拷問に耐え抜き、一言も話していないそうでした。「私」たちはそれに鼓舞されました。

 伊藤は工場内で八、九人の仲間を作りました。その仲間たちに桜をやってもらった結果、女工たちはグループ内で不平を募らせていきました。キヌという女がラブレターを貰いましたが、少ない給料と長い労働時間、おまけに常に稼働している工場内では「恋を囁く」ことすらできないと皆は言っているようでした。そのようなことから少しずつ効果は現れてきていると実感ができました。

 「私」はマスクと名付けた工場新聞を出すことにしました。首切りの瞬間まで反抗の組織化されるのを防ぐため、会社は六百人の臨時職員のうち二百人を本工に取り入れるという噂を撒き散らし始めました。

 「私」たちは座り込みを行うのにも細心の注意をしました。須山や伊藤に渡すための機関紙を持ち歩くときも、巡査を見るとそのまま帰りました。「私」が捕らえられたと思いこんだ須山は、翌日会うと安心した様子を見せました。「私」たちは近々引き払うことになっている伊藤の家で座り込みを行いました。「私」は伊藤が病気の時に買っておいた便器に用を足し、便所へすら立たないようにしました。

 倉田工業では、在郷軍人が特別に雇われていることがわかりました。その男はマスクを読んでいる女工を殴りつけたり、他の仲間や、大衆党系の僚友会と連絡を取り合い、仕事中も離れることを許されているようでした。彼らは、今度の戦争は各地に利益をもたらす、プロレタリアのためのものであるとの噂を流していました。そのような噂もあり、工場の生産性はあがっていましたが、労働時間は増えるにもかかわらず、賃金が変わる様子はありませんでした。「私」は、闘争は最終段階に来ているということを感じました。

 笠原は「私」と外を出歩くこともできず、家にいる時間も全く違っていたため、不平を言うようになりました。伊藤のようにしっかりしているわけでもなく、粘力の弱い女であったため、彼女を「私」たちの活動に引き込むことはできませんでした。笠原は新たな住居を隠していたのがバレて、会社をクビになりました。笠原のクビは「私」にとって痛手でした。「私」は交通費や食費を節約して歩くようにし、ナスだけで一日をしのぐこともありました。しかしこのような生活では活動が苦しくなるため、笠原にカフェの女給になることを思い切って勧めました。笠原は自分が私の犠牲になっているとしか考えられないようになっていきました。

 赤狩りは厳しくなり、「私」たちの下宿にも巡査が来ていました。
 会社では慰問金の募集を行いました。須山と伊藤は僚友会の平メンバーでしたが、会合では、慰問金を出すのは自分たちではなく資本家が出すべきであるとの主張を通し、皆がこれに賛成しました。須山はその帰りに、青年団からのリンチを受けました。今回の会合は、誰が赤なのかの検討をつけるために会社が仕組んだものかもしれませんでした。伊藤は、ストライキを舞台にした芝居に、ほかの女工たちを連れて行ったり、「私」にカンパをしてくれたりしました。

 笠原は喫茶店に泊まり込みで入りました。「私」は忙しく、交通費をもらいに行く時と、飯をもらいに行く時しか笠原を訪れなくなりました。「私」は緊張と疲れで身体をおかしくしているようでした。須山も極度に危うくなっているようでした。

 会社の首切りが予定よりも二日早く行われるという情報が入りました。「私」たちは、その首切りの前日にストライキを決行せねばならないという結論に至りました。それは明後日に迫っていました。「私」は須山に公然と会社の屋上でビラをまかせ、須山と伊藤の息のかかったメンバーに各職場での集会を行わせることを提案しました。これが実行されれば、須山は四、五年刑務所に入ることになりますが、彼はそれに同意しました。「私」たちは長い別れを覚悟して、手を握り合いました。

 ビラを屋上からまくと、それを拾った従業員たちもビラをまき始め、誰がまき始めたのかわからなくなり、須山は捕まらずに済んでいました。従業員は会社に抗議しようとしているようでした。大成功を収めた「私」と伊藤と須山はビールを飲みました。

 翌日、職工たちが工場に行くと、会社は六百人のうちの四百人に、二日分の給料を出して、予定よりもさらに早く解雇しました。須山と伊藤も解雇された中に入っていました。会社に先手を打たれた形となり、須山も伊藤もしょげてしまいました。しかし、本工にも二人のメンバーが残り、解雇された中にも、須山や伊藤のメンバーがいます。「私」たちの闘争分野はさらに広がりました。今、「私」たち三人は、新しい仕事をやっています。