小林多喜二『党生活者』は一九三二年には書き上げられていたようですが、時勢により、編集部は発表を保留していました。一九三三年に小林多喜二が拷問によって死去すると、同じプロレタリア文学の作家たちの協力を得て、伏字だらけの文章で、『転換時代』と題名を変えて発表されます。
一九四六年に、本来の題名である『党生活者』として、ようやく全文が発表されることとなり、その後は小林多喜二の代表作としてひろく読まれています。戦中の日本における言論弾圧の凄まじさと、非合法運動を行う活動家がどのような生活を送っていたかがよくわかる作品です。
※ネタバレ内容を含みます。
『党生活者』の登場人物
私
倉田工業に潜入し、赤化活動を行う。ロイド眼鏡をかけている。
須山
「私」たちの同志。「私」と同じく倉田工業に臨時工として潜入して活動を行う。
伊藤
「私」たちの女の同志。「私」と同じく倉田工業に臨時工として潜入して活動を行う。
上田
「私」たちの同志。
ヒゲ
「私」たち同志のリーダー的存在。
太田
「私」が唯一居場所を教えていた男。
笠原
「私」が以前に逃げ場所の交渉をしてもらった女
S
「潜り」の同志。
『党生活者』のあらすじ
私、須山、伊藤(女の同志)は、他人の履歴書を使って倉田工場という金属工場に入り込み、水面下で労働運動を行っていました。倉田工業は六百人の従業員を抱えていましたが、そのうちの四百人を解雇するという情報が入ってきました。会社は、退職の際に十円が支払われるという噂を流し、最後まで体良く職員を使おうとしているようでした。
私たちは党の署名の入ったビラをまきました。しかしそれが原因で、同じ活動をしている太田が捕まりました。太田は唯一私の居場所を知っている男でした。居場所が警察に知られる可能性がでてきたため、私は家に帰ることができなくなり、工場を辞め、以前に逃げ場所の交渉をしてもらった女である笠原のところへ行き、一緒に住み始めました。
私は笠原とともに住みながら、須山、伊藤と共にマスクという工場新聞を作って工場内にばらまいたり、会社への不満を募らせる会話へと誘導したりと、組織の撹乱を狙います。しかし会社も六百人の臨時職員のうち二百人を本工に取り入れるという噂を撒き散らして、首切りの瞬間まで反抗の組織化されるのを防ぎ、在郷軍人を雇って見張りを強化し、労働時間を延ばしたりと、私たちへの対抗措置をとってきます。
会社の首切りが予定よりも二日早く行われるらしいという情報を得た私たちは、その首切り日の前日にストライキを決行せねばならないという結論に至りました。私は須山に公然と会社の屋上でビラをまかせ、須山と伊藤の息のかかったメンバーに各職場での集会を行わせることを提案しました。これが実行されれば、須山は四、五年刑務所に入ることになりますが、彼はそれに同意しました。私たちは長い別れを覚悟して手を握りあいました。
須山がビラを屋上からまくと、それを拾った従業員たちもビラをまきはじめ、誰が巻き始めたのかわからなくなり、須山は捕まらずに済みました。大成功を収めた私と須山と伊藤は、ビールを飲みました。
翌日、職工たちが工場に行くと、会社は六百人のうちの四百人に、二日分の給料を出して、予定よりもさらに早く解雇しました。須山と伊藤も解雇された中に入っていました。会社に先手を打たれた形となり、須山も伊藤もしょげてしまいました。しかしこれにより、私たちの闘争分野はさらに広がりました。私たち三人は、今、新しい活動を行っています。
管理人の感想
この作品では、「私」、須山、伊藤を中心とした労働者闘争が描かれています。彼らは仲間にすら自分の居場所を伝えず、友達や親との縁を切り、食べるものも住むところもままならないまま、捕まれば数年間の拷問を受けることを覚悟で活動しています。戦時中の言論統制について、教科書やメディアから学ぶことは多いと思いますが、それがどれほどまでに厳しいものだったのか、プロレタリアートの活動家たちが、どれほどの緊張を持って制度に対抗していたのかというのは、この『党生活者』のような作品を見ないと分からないものです。彼らは、目的のために、「人間」であることを捨てなければなりませんでした。だからこそ、逮捕を覚悟で行った須山のビラまきが大成功を収め、彼らが「人間」を取り戻してビールを飲むシーンには感動させられます。
奇跡のようなハッピーエンドですが、すぐにその後で会社側も職員を大幅に解雇し、ストライキは未遂に終わります。しかし、実際には職員が働いていない二日分の給与を支払って解雇しているので、会社側もある程度のダメージは負っている筈です。この新しい闘争を予感させるハッピーエンドからは、同志たちを鼓舞するための小林多喜二の強い意図がうかがえます。一人でも多くの同志を増やし、既存の制度に対抗していくためには、最良の結末ではないでしょうか。
自分の筆一本を武器として、命を賭してまで強いメッセージ性のある作品を生み出し、拷問を受けて亡くなった小林多喜二には、頭が下がる思いがします。