宮沢賢治『なめとこ山の熊』ってどんな作品?登場人物、あらすじを詳しく解説

宮沢賢治作『なめとこ山の熊』の登場人物、概要、あらすじと、管理人の感想を紹介します。

『なめとこ山の熊』の登場人物

淵沢小十郎
すがめの赭黒いごりごりしたおやじ。胴は小さな臼ほどもあり、掌は「北島の毘沙門さんの病気をなおすための手形ぐらい」大きく厚い。夏になると山刀と大きな重い鉄砲を持って、たくましい黄色い犬を連れてなめとこ山の付近を歩き回り、熊を撃ってその毛皮や胆を売り、生計を立てている。
四十歳のときに赤痢で妻と息子を亡くしている。九十歳になる母親と、子供や孫七人を養っている。
熊を殺すことを申し訳なく思っている。

荒物屋の旦那
小十郎が持ってきた熊の毛皮を安値で買う。

『なめとこ山の熊』のあらすじ

 中山街道から、三里(約十二キロメートル)ばかり行くとなめとこ山の大空滝が見えてきます。昔はそこに胆で名高い熊がたくさんいました。熊捕り名人の淵沢小十郎は、たくましい黄色い犬を連れてその辺りを歩き回り、それを片端から捕りました。
 しかし、なめとこ山の熊たちは小十郎のことが好きでした。熊たちは、鉄砲を構える小十郎に対しては迷惑そうに手を振って撃たれるのを断りましたが、気の激しい熊が立ち向かおうとすると、小十郎は熊の月輪めがけて鉄砲を打ち込むのでした。そして、「自分には畑もなく、木もとることができず、里にいっても誰も相手にしないから仕方なしに猟師をしているだけで、憎くて殺したわけではない。熊に生まれたのも因果なら、自分が猟師になったのも因果なのだから、次は熊になど生まれないように」と言って、皮を剥ぎ、げんなりして山を下るのでした。

 小十郎は、熊の言葉さえわかるように気がしました。ある年の春早く小十郎は犬を連れて沢を登り、去年の夏に作った笹小屋に泊まろうと考えていました。しかし登り口を間違えたため、何度も道を上下して、やっとのことで笹小屋へと着きました。小十郎はすぐ下の湧き水へ向かい降りていくと、子熊と母熊が話をしていました。
 月の光が青白く斜面を滑っているのが、銀の鎧のように光っているのを見て、「雪がまだ残っている」と子熊が母熊に言いました。母熊はそれを「ひきざくらの花」だと言いました。子熊がひきざくらの花はこの前取ってきたから知っていると言うと、母熊は、それはきささげの花だと言いました。その会話を聞いた小十郎は、胸がいっぱいになって、音を立てないように戻って行きました。

 小十郎は、胆や毛皮を街の荒物屋に売りに行きましたが、安値でしか買ってもらえませんでした。小十郎もそれには気づいていましたが、何故だかいつもこの旦那のところへ毛皮を持っていくのでした。小十郎は九十歳になる母親と、七人の子供たちを養っていましたが、昔から「狐は猟師に負け、猟師は旦那に負ける」と決まっているので、旦那に頭が上がらなかったのです。

 ある年の夏、小十郎が岩に登ると、前の木に大きな熊がよじ登っているのが見えました。小十郎が鉄砲を突きつけると、熊は飛びかかろうか、そのまま射たれてやろうか迷っている様子でしたが、いきなり両手を木から離して落ちてきました。
 熊は、何が欲しくて自分を殺すのかと小十郎に聞きました。
 お前の毛皮と胆のほかには何もいらない、街へ行っても安値でしか売れないし、気の毒だが仕方がないのだと、小十郎が答えると、熊はあと二年待ってくれたら小十郎の家の前でちゃんと死んでるから、それまで待っていてくれと頼みました。熊はそのまま去っていきましたが、二年が経つときちんと小十郎の家の前で死んでいました。小十郎は思わず拝むようにしました。

 一月のある日の朝、生まれて初めて水に入るのが嫌になったような気がすると、小十郎は珍しく母親に言いました。それから小十郎はわらじを結わえて雪の上を歩き出しました。小十郎には夏の間から目をつけていた熊がいました。支流を超え、崖を登り、その熊のところへ向かいました。
 高い雪の峰の頂上で小十郎が休んでいると、後ろからその熊が襲いかかってきました。小十郎は鉄砲を撃ちましたが、熊は少しも倒れずに向かってきました。犬がその足元に噛み付いたと思うと、小十郎はがあんと頭が鳴って辺り一面が真っ青になりました。熊は「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった。」と言いました。小十郎は自分が死ぬことを悟り、熊たちに「ゆるせよ」と思いました。

 それから三日目の晩、山の上の平らなところに、熊達が輪になって雪にひれ伏したままじっと動きませんでした。その輪の真ん中には小十郎の死骸がありました。小十郎の顔は、いきている時よりも冴え冴えして、笑っているようにすら見えました。熊達は、オリオン座が西の方へ傾いていっても、化石したように動きませんでした。

作品の概要と管理人の感想

 『なめとこ山の熊』は、1934年、宮沢賢治の死後に発表された作品です。猟師と熊という、お互いに殺し合わなければならないもの同士に生まれた因果と、恵まれた者が貧乏人の搾取をする人間世界を描いた作品で、現在でも学校の教材としても頻繁に取り上げられています。
 この物語の主人公、淵沢小十郎は、自分がいないと生きていく術のない家族を養うため、仕方なく熊を捕っています。彼は熊の言葉を理解し、熊を愛しみ、命を奪わなければならないことを心から申し訳なく感じています。熊の方もまた、自分の命を脅かす存在にもかかわらず、小十郎のことを好いている様子です。
 一方、熊の皮を売るために訪れる人間の世界には、命のやり取りはありません。小十郎は荒物屋の旦那に言い値で熊の毛皮を買われるだけです。安全な場所ですが、そこは恵まれた者が貧者を搾取する世界です。
 欺瞞に満ちた人間の世界では、騙されていることを知りながらもそれに甘んじなければならず、愛に満ちた熊との世界では、その愛の対象を殺し続けなければならないという矛盾の中に、小十郎は生き続けてきたと言えるでしょう。
 小十郎の死に顔が冴え冴えとして、笑っているように見えたのは、この矛盾から解き放たれたためでしょうか、それとも自分が愛した熊たちの世界で死ぬことができた喜びのためでしょうか。残された家族や犬が心配ではありますが、小十郎の死が安らかであったことだけが、この作品の救いであると思います。