『雁』は、1911年から雑誌「スバル」に連載された森鴎外の小説です。
高利貸しの妾であるお玉が、東京大学の学生である岡田に儚い恋をするも、ある偶然によって結ばれることのできなかった物語を通して、不幸な境遇の中で自立していく彼女の姿や、一度の偶然が運命を左右する様を描いた作品です。
東京大学から上野不忍池にいたる一帯や、神田、秋葉原界隈が舞台になっており、ビジネス街となってしまったこの辺りの情景を思い浮かべながら読む人も多いのではないかと思います。当時は不忍池に雁がいたんですね。
森鴎外は、簡潔で無駄のない文体を持つ作家ですが、『舞姫』に代表される文語体で書かれた前期の作品や、『阿部一族』などに代表される、漢字の多い後期の歴史ものは、けっこう読みづらいものが多いです。しかし、『雁』は、この両者のちょうど間の時期にあたる作品のうちのひとつで、魅力ある文体はそのままに、口語体で書かれた現代小説であるため、非常に読みやすく、鴎外作品の入門書としておすすめの一冊です。
このページでは、『雁』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。ネタバレ内容を含みます。
『雁』の登場人物
僕
この作品の語り手。東京大学の学生で、鉄門の向かいにある下宿屋「上条」に住んでいた。
三十五年前のことを追想して、この物語を書いている。
岡田
上条の「僕」の隣の部屋に住んでいた、卒業を控えた学生。体格の良い美男で、競漕(ボートレース)の選手。夕食後の散歩を日課にしており、その道筋にある無縁坂でお玉と顔を合わせるようになる。
お玉
練塀町(現在の秋葉原のあたり)の狭い路地裏に住んでいた娘。婿入りの予定だった巡査に妻子があることが分かり、井戸に身を投げようとした過去がある。町内に顔出しできなくなり、西鳥越(台東区の地名)に引っ越したところを、末造の妾として身請けされ、無縁坂の途中の家に住み始める。
末造
もとは大学医学部の寄宿舎に勤める小使であったが、学生相手に金を貸し始め、高利貸しで儲けるようになる。大学への通勤時に見知っていた十六七歳の頃のお玉を思い出し、自分を商人という触れ込みで妾にする。
お玉の父
飴細工屋。妻を亡くしてから、男で一つでお玉を育てる。
梅
お玉の十三歳ほどの小使。
お常
末造の妻。お玉を妾にもらった末造に激しく嫉妬する。
『雁』のあらすじ
明治十三年、東京大学の学生であった「僕」は、上条という、今ではもう焼けてしまった下宿屋に住んでいました。
下宿の隣の部屋には、卒業を間近に控えた岡田という男が住んでいました。岡田は競漕(ボートレース)の選手で、体格が良く、美男で、学業でもまずまずの成績でした。彼は夕食後にいつも散歩に出ることにしており、その道筋には、大学から不忍池へと至る無縁坂が含まれていました。
その年の九月ごろ、岡田は、一人の女が無縁坂にある家に入るのを見かけました。その建物の前を通ると、彼は家の格子戸の戸を開けようとしていた女と顔を合わせました。
岡田は女にそれほど深い印象を持ちませんでしたが、その二日後、再び無縁坂を通ると、再びその家の方に目を向けました。すると女が窓の中からこちらに向かって微笑みかけました。
それ以来、岡田はそこを通りかかるたびに、女と顔を合わせるようになりました。
二週間ほど経った頃、岡田はその窓の前を通り、無意識に帽子を脱いで礼をしました。すると女は顔を赤くして、華やかな笑顔を見せました。それから岡田はその女に礼をして通ることになりました。
女は、妻子ある高利貸し末造の妾で、お玉という名でした。末造はもともと大学の寄宿舎の小使でしたが、ある時から学生相手に金を貸し始め、やがて高利貸しとして儲けるようになった男でした。その末造が、大学に通勤していた頃に見知っていた当時十六、七歳の美しい娘であったお玉を思い出し、自分が商人であると偽って妾にならないかと持ちかけ、無縁坂の途中にある家を買って住まわせたのでした。
妾となる前、お玉は、飴細工を営む父親と二人で暮らしていました。彼女は以前、ある巡査に見込まれ、婿に迎えようとしましたが、その巡査が国に妻子を持っていることが分かり、井戸に身を投げようとした過去がありました。
末造から見込まれたお玉は、妾になるのを嫌がりましたが、貧しい父親のために末造にお目見えすることを承諾したのでした。
お玉が無縁坂に引っ越すことが決まると、父親を自分の住む家の近くに住まわせたいと言いだしました。話を聞いた末造は、気前を見せなければならないと感じ、その父親のために池の端の家を新しく手に入れました。
七月の中頃、お玉の引っ越しが終わると、末造は毎晩のように彼女のもとに通いました。お玉は、昼間は十三歳になる小女の梅しか相手がおらず、退屈を感じ、末造が来るのを待ち侘びるようになりました。一方、毎日訪れてくる末造の気を損ねてはいけないという思いから、彼女は父親を訪ねていくことができませんでした。
池の端に住み始めたお玉の父親は、一週間が経っても娘が訪れて来なかったので、娘への思いを募らせました。
引っ越してきて三日後、お玉は小女の梅を坂下の魚屋へと遣りました。しかし梅は魚屋のお上に、高利貸しの妾に売る魚はないと言われ、泣きながら家に帰りました。末造が高利貸しであったことを知ったお玉は、自分が悪いこともしていないのに、よそから迫害を受けなければならない身の上になったことに悔しさを覚えました。しかし、やがて落ち着きを取り戻すと、諦めの心で台所に立ちました。
末造は、お玉の態度がいつもと違うことに気づきました。しかし何があったのかと聞いても、お玉は父親のところへ行こうかと迷っていると答えるだけで、心の内を明かすことはありませんでした。末造は、お玉が父親のところへ行くことを許しました。
翌朝、お玉は池の端の父親の家を訪ねましたが、安心している父親に余計な心配をかけたくないと思い、末造が高利貸しであったことを伝えられませんでした。悩みを一人で抱えることを決意した彼女は、かえって自分が独立した女であるような気分になり、心が軽くなりました。やがて彼女は、自分に嘘をついていた末造や、その末造の妾に収まっている自分を嘲弄しながら、往来を通る学生の中に、自分の境遇を救ってくれる人がいるのではないかと考えるようになりました。
そのような時に、お玉と見知りあったのが岡田でした。岡田は、美青年であるにも関わらず気障なところがなく、お玉は名前も知る前から親しみを覚え、無意識に笑いかけるようになりました。岡田が帽子を取って会釈した時、彼女は胸が躍るのを感じ、その時のことを何度も思い出しました。やがてお玉は、隣に住む裁縫の師匠から、彼が上条に下宿する岡田という学生であることを知りました。
一方、妾を持ったことを妻のお常に知られ、末造の家は重苦しい雰囲気となりました。感情を制御できなくなるお常に耐えかねて家を飛び出した末造は、神田神保町界隈を当てもなく歩き、飼鳥を売っている店の前で立ち止まりました。彼はその店にいた紅雀をお玉に飼わせたら似合うだろうと考え、一つがいの紅雀を買いました。
ある日、無縁坂を通りがかった岡田は、お玉の家に裁縫の師匠の弟子の小娘たちが集まっているのを見かけました。鳥籠には青大将が首を入れていて、一匹の紅雀を口に咥えていました。お玉は蛇を退治してほしいと岡田に頼みました。岡田は出刃包丁を持ってこさせて蛇を殺しました。
それ以来、お玉は、岡田に近づきたいという想いを抱くようになりましたが、結局礼を言うことができないまま、以前のように会釈を交わすだけの関係に戻りました。
冬のある日、末造がやって来て、これから二日が三日かけて、千葉へ行く用事ができたのだと言いました。お玉は、今日こそは岡田に話しかけようと考え、梅に休みを与え、髪を結いに行きました。
その日、「僕」は、下宿のまかないが嫌いな青魚の味噌煮だったので、岡田の部屋に声をかけ、牛鍋屋に行こうと誘いました。無縁坂を通ると、僕たちはお玉を見かけました。岡田はいつものように会釈をして通り過ぎました。
不忍池に着くと、葦の茂る湖面を見ていた石原という友人に話しかけられました。石原は、湖面に浮かぶ雁に石を投げ、捕らえようとしていました。岡田は雁に石が当たっては可哀想だと言って、自分が石を投げて逃がしてやろうとしました。しかし岡田が投げた石は、運悪く雁に当たってしまいました。
暗くなるのを待ってその雁を取りに行き、ご馳走をすると石原が言ったので、「僕」と岡田はそれまで池を一周することに決めました。
岡田は、卒業前に洋行することが決まり、退学届を出したので、翌日には上条の下宿を出ていくことを「僕」に伝えました。
暗くなると「僕」と岡田は、石原がいる場所へと戻りました。石原は岡田の指示によって池を歩き、雁を拾い上げました。「僕」たちは、巡査に見つからないように、雁を岡田の外套に隠し、素人家の料理店へと向かいました。
無縁坂のお玉の家の前にさしかかると、「僕」は、お玉が岡田のことを待ち受けていることに気づきました。岡田は顔を赤くして帽子の庇に手をかけただけで通り過ぎました。お玉は名残惜しい表情になりました。
その晩、「僕」と岡田は、夜がふけるまで、石原とともに雁を肴に酒を飲みました。その翌日大学から帰ると、岡田はいませんでした。
下宿の夕食が鯖の味噌煮であったために、岡田とお玉は永久に別れることになったのでした。
管理人の感想
『雁』は、東京大学の学生である岡田と、高利貸しの妾であるお玉との、儚い恋を描いた作品です。
自分を産んだことで母親が死に、父親の男手一つで育てられたお玉は、最初の結婚相手が故郷に妻子を置いてきた男であると分かり、井戸の中に身を投げようとした過去があります。
やがてお玉は末造の妾となりますが、立派な商人だと名乗っていた末造が高利貸しであったことに気づき、自分に非がないにも関わらず、周囲から侮蔑の目で見られる境遇に陥ってしまったことを嘆きます。
この不幸な境遇は、「あきらめはこの女の最も多く経験している心的作用で、かれの精神はこの方角へなら、油をさした機関のように、滑かに働く習慣になっている。」といった状態に彼女を導きます。
そしてそのような諦観の境地に至るとともに、心の奥底にあるものを隠しながら末造や父親と接するようになった彼女は、徐々に人に頼ることをやめて精神的な自立を果たし、嘘をついて自分を妾にした末造や、その末造に自由にされている自分自身への嘲弄を心に秘めるようになっていきます。
そのような時に彼女の前に現れたのが岡田です。毎日のように家の前を通る、美男子でありながら気障なところのない岡田に、お玉は名前も知らないうちから惹かれます。
一方の岡田も、無縁坂を散歩するたびに見かけるお玉の素性を知らないまま、彼女の見せる微笑みに魅せられていきます。
そしてお玉の飼鳥に襲いかかる蛇を岡田が退治したことで、二人は初めて言葉を交わします。以来お玉は、岡田になんとか話しかけたいという願望を抱くようになり、末造が遠出をすると聞くと、その決意を固めます。しかし、その日の寮の賄いの鯖の味噌煮を嫌いだった語り手が、夕食に岡田を誘ったために、その機会は永久に失われ、二人は別れることとなります。
お玉の境遇は不運の連続であり、人生を諦観しながらもすがろうとした岡田への想いも、叶わぬことなく終わりをむかえてしまいます。しかしお玉の恋は、なぜかそのような切実さを感じることなく、まるで浮き立つような初々しさで描かれています。彼女は自分を救い出してくれる人を思い描いていたものの、岡田に対して打算的な考えを巡らせることはありません。その姿は、末造に対する罪悪感も、岡田と結ばれた後に持ち上がるであろう問題も考えておらず、彼に近づきたい一心で、話しかける機会を伺っているようにも見えます。そのような彼女の行動は、ひとつ間違えるとあさましさや軽薄さを感じさせてしまうこともあるのではないかと思いますが、そのような印象を抱かせることは一切なく、唯一二人が会話する蛇の場面でも、奥ゆかしさを失いません。そして末造が千葉へと出かけた後、一縷の望みのために身なりを整える彼女の姿は、健気でいじらしくさえ感じられます。
他の誰にも理解されない孤独を抱え、恋する男に積極的になろうとしながらも、奥ゆかしさや健気さを失わないお玉のような女性像を生み出すことは、すごく難しいことだったのではないかと思います。特に、この作品が書かれた明治期においては、そもそも妾という存在があること自体、女性が能動的に生きるのが難しい時代であったことの証であると思うのですが、そのような時代に、恵まれない境遇から、自分の生き方を取り戻していくお玉という人物像を創り出したのは、ドイツ留学で独立した女性を見てきた森鴎外でなければできなかったのではないかと思います。