森鴎外『雁』の詳しいあらすじ


森鴎外作『雁』の詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

岡田とお玉の出会い

 明治十三年、東京大学の学生であった「僕」は、鉄門の真向かいにあった上条という下宿屋に住んでいました。「僕」の部屋の隣の下宿人は、一学年下の岡田という男でした。
 岡田は体格のよい美男で、競漕(ボートレース)の選手でした。彼は成績もまずまずで、規則正しい生活を送り、月々の家賃もしっかりと払っていたので、周囲からの信頼を集めていました。
 岡田は夕食後には、無縁坂(東京大学鉄門から上野不忍池へと降りる坂)を含む決まった道筋を散歩するようにしていました。文学趣味のある岡田は、散歩の途中で古本屋を覗くことが多く、その店先でよく出会ったことで、「僕」は岡田と親しむようになりました。

 ある古本屋に入ったときのこと、「僕」は七円で売っていた『金瓶梅』(中国明代の長編小説で四大奇書の一つ)を五円に負けてくれと言いました。すると古本屋の亭主は、岡田が六円に負けてくれと言って断ったのだと言いました。「僕」は七円でその金瓶梅を買い、これを岡田に譲ってあげようと申し出ました。
 岡田は、「僕」が読んだ後で貸してもらえれば良いと答えました。このことがきっかけで、隣に住んでいた「僕」たちは、懇意になりました。

 その年の九月ごろ、岡田は、一人の湯上がりの女が無縁坂にある寂しい家に入るのを見かけました。岡田がその建物の前を通りがかると、家の格子戸の戸を開けようとしている女と顔を合わせました。
 その女は、それほど深い印象を岡田に与えはしませんでした。しかし、その二日後、再び無縁坂を通ったときに、その湯上がりの女の姿を再び思い浮かべた岡田は、その家の方に目を向けました。そこにはこの前の女が窓の中から顔を出していて、岡田に向かって微笑みかけていました。
 それ以来、岡田がそこを通りかかると、決まって女は窓から顔を出していました。岡田は、その女が自分が通りがかるのを待ち構えているのか、それともしょっちゅう窓の中から顔を出しているだけなのかと思案するようになりました。

 二週間も経つ頃、岡田はその窓の前を通るとき、無意識に帽子を脱いで礼をしました。すると女は顔を赤くして、華やかな笑顔を見せました。それから岡田はその女に礼をして通ることになりました。

お玉を妾にする末造

 大学医学部が下谷(東京都台東区にある地名)にある時(明治九年以前)のこと、伊勢津藩主藤堂家の藩邸の門長屋が寄宿舎になっていました。その寄宿舎の小使の一人に末造という男がいました。末造は他の小使と違い、子綺麗な格好をして、学生相手に金を貸していました。
 学校が下谷から本郷に移る頃には、末造は高利貸しになりました。やがて末造は池の端に引っ越すと、彼の家には無分別な学生たちが出入りするようになりました。三十歳になっていた末造には妻子がいましたが、高利貸しで儲けるようになってから、妻のことを邪険に扱うようになりました。

 やがて末造は、大学に通勤していた頃、狭い路地にある貧しい家で三味線を奏でていた十六、七歳の娘のことを思い出すようになりました。
 その娘はお玉という名で、飴細工を営む父親と二人で暮らしていました。末造は、そのお玉が、ある巡査に見込まれ、婿に迎えたことを知りました。
 その巡査には、国に妻子がいましたが、結婚の手続きを自分で行うと言ったので、お玉の父はその巡査の戸籍を調べ上げることができませんでした。
 ある時、国に残していた巡査の妻子が訪ねてきて、お玉は井戸に身を投げようとして飛び出し、父親に止められるということがありました。お玉は町内に顔を出すことができなくなり、西鳥越(台東区にあった地名)の方へ引っ越して行きました。

 末造は、このお玉を思い出し、西鳥越の方を調べさせて行方を突き止め、自分を商人と偽り、妾にならないかと人伝てに頼みました。お玉は妾になるのを嫌がりましたが、貧しい父親のために末造にお目見えすることを承諾しました。
 末造は、お玉が住むための家を探し、無縁坂の中程にある小さな家を見つけました。

 広小路にある松源(不忍池畔にあった料亭)でお目見えを行うことが決まると、お玉の父は、男手一つで育ててきたものの、自分が親であるために、堅気の人に嫁にやることができず、妾になることを折り合ったのだから、自分もお目見えに行かなければならないと言って聞きませんでした。
 末造は、立派な実業家という触れ込みでお玉を妾にするつもりだったので、彼女が父親と来ることを許しました。

 末造は松源へ着き、お玉と顔を合わせました。髪を銀杏返しにしたお玉は以前よりも細面になり、末造は、彼女のことを美しいと感じました。
 父親のためにどのような男でもかまわないと考えていたお玉は、末造が上品な格好をしているのを見て、救われた気持ちになりました。
 末造は、恥ずかしさに顔を赤くしながらお酌をするお玉に、淡い幸福を感じました。

妾として生活するお玉

 お玉は無縁坂に引っ越すことが決まり、父親を自分の住む家の近くに住まわせたいと言いました。
 お玉は末造に迷惑をかけずに父の引っ越しのための金を捻出する気でいましたが、話を聞いた末造は、気前を見せなければならないと感じ、結局、その父親の引っ越しの面倒も見ることになりました。
 そこで、以前末造がお玉の家を探すときに、もう一つの候補地であった池の端(不忍池畔の地名)の家にお玉の父親が引っ越すことになりました。

 七月の中頃、引っ越しが終わり、末造は毎晩のようにお玉のもとに通いました。家には十三歳になる小女しかおらず、話し相手のいない退屈さを感じるようになったお玉は、末造が来るのを待ち侘びるようになりました。

 池の端に住み始めたお玉の父親は、始め女中付きの綺麗な家に住んだことに満足を覚えましたが、そのうち娘との別離に物足りない感情を覚えました。一週間が経っても娘は訪れて来ず、自分から訪れることもはばかられ、父親は思いを募らせました。やがて家にばかりいて考えごとをしてしまうのがよくないのだと考えた彼は、上野公園のあたりを散歩したり、寄席や落語や浄瑠璃を観に行くようになりましたが、客の中に娘の姿ばかりを探しました。
 お玉は、毎日訪れてくる末造の気を損ねてはいけないという思いのため、また昼間は子供のような小女に何一つ任せられず、近所の目も気になったため、父親を訪ねていくことができませんでした。

 引っ越してきて三日後、頼んでいた魚屋が来なかったので、お玉は小女の梅を坂下の魚屋へと遣りました。しかし梅が魚屋に入ると、高利貸しの妾に売る魚はないと言われて帰されてしまいました。梅は泣きながら家に帰り、お玉にこの一部始終を話しました。
 お玉は、末造が高利貸しであったことを知りました。さまざまな感情が入り乱れ、血の気の失せたお玉を見て、梅はこのままではいけないと考え、他の魚屋を当たってみると言って、外へと出て行きました。
 一人になったお玉は、悔しさに涙を抑えられなくなりました。その悔しさは、魚屋が売ってくれなかったことでもなく、末造が高利貸しであることが分かったからでもなく、自分が悪いこともしていないのに、よそから迫害を受けなければならないという身の上に対する悔しさでした。
 しかしやがてお玉は心に落ち着きを取り戻すと、あきらめの心で台所に立ちました。

 それ以来、お玉はいつもと異なって、落ち着かない様子を見せるようになりました。末造は、何があったのかとお玉に聞きました。お玉は、父親のところへ行こうかどうか迷っているのだと嘘をつきました。
 末造は、自分が連れて行ってあげようと言いました。お玉はこのような優しい末造が、高利貸しをやっているということに不思議に思いました。末造は、お玉がまだ何か隠し事をしているのを感じましたが、結局彼女が心の奥底で考えていることはわかりませんでした。

 翌朝、お玉は池の端の父親の家を訪ねました。
 十日ほど会わなかった娘を見て、父はなんと美しい娘だろうと思いました。
 お玉は、苦しい胸の内を父親に聞いてもらうつもりでしたが、安心している父親に余計な心配をかけたくないという気持ちになりました。結局彼女は、末造が高利貸しであったことは伝えられず、彼の妻子が生きていたことだけを伝えると、かえって自分が独立した女であるような気分になり、心が軽くなるのを感じました。

末造の家庭問題

 ある晩、末造がお玉のところから帰ると、妻のお常が子供を寝かしつけて起きていました。お常は、末造が妾を持ったという話を魚屋のお上さんから聞いていて、泣きながら詰め寄りました。
 末造は、お玉が千葉にいる男の女で、仕送りの途絶えたことを先方に掛け合って欲しいと頼まれ、その時にお玉の家で煙草を飲んだのを近所に見られただけだと嘘をつき、その場を上手く誤魔化しました。

 末造夫婦は、その後の一ヶ月間を波風立てずに過ごしました。

 しかしある日、お常の買い物中、女中が小間物屋にいるお玉を指さし、無縁坂に住む女であると教えました。お常は、お玉が夫の買ってきた蝙蝠傘を持っていたため、夫が彼女に蝙蝠傘を買ったついでに自分のも買ったのだということに気づきました。彼女は、夫が自分と子供に対しては吝嗇であるにも関わらず、お玉が良い格好をしていることを悔しがりました。
 末造が帰ってくると、お常は堪えきれずに、無縁坂の女のために蝙蝠傘を買ったのだろうと詰め寄りました。末造は、事実を指摘されたものの、その蝙蝠傘が同じものだったのは偶然だと主張しました。

 やがてお常は感情を制御できなくなり、子供の世話や家の仕事に支障をきたし始め、末造の家は重苦しい空気が漂うようになりました。

 末造は、自分が家にいる時にお常が不機嫌になることに気づき、家を早く出たり遅く帰ったりするようになりました。しかしそれは逆効果で、お常はこれまでに増して、末造が家を出て行くのを妨げようとしました。

お玉を助ける岡田

 九月になり、学生が本郷に戻ると、無縁坂の人通りが多くなりました。
 退屈を感じていたお玉は、通りがかる人々を眺めることに時間を費やしました。
 父親を心配させまいと、末造が高利貸しであったことを黙っていたことで、自分が独立した女になったような気持ちになっていたお玉は、末造と、その末造に自由にされている自分を内心嘲笑うようになりました。彼女は、いっそう末造を手厚くもてなしながらも、その一方で、往来を通る学生の中に自分の境遇を救ってくれる人がいるのではないかと考えるようになりました。

 そのような時にお玉と見知りあったのが、岡田でした。

 お玉は、岡田が美青年であるにもかかわらず、気障な態度がないことに気がつき、彼が通りがかるのを待つようになりました。
 彼女は名前も知る前から岡田に親しみを感じ、無意識に笑いかけるようになりました。岡田が帽子を取って会釈すると、お玉は胸が躍るのを感じ、その時の岡田のことを何度も思い出しました。
 お玉は、右隣に住むお貞という、四十を超えた裁縫の師匠と付き合いを持つようになり、その師匠に、それが上条に下宿する岡田という学生であることを知りました。

 一方、お常にうるさく付き纏われるようになった末造は、お玉のもとをより頻繁に訪れるようになりました。
 ある日、朝の十時頃にお常と喧嘩して家を飛び出した末造は、神田神保町界隈を当てもなく歩き、飼鳥を売っている店の前で足を止め、そこにいた紅雀(ベニスズメ)をお玉に飼わせたらさぞ相応しいだろうと考えました。彼は一つがいの紅雀をお玉のために買いました。

 お玉の家に紅雀が飼われるようになった頃、岡田は、どこへ行く当てもなしに無縁坂を通りがかりました。するとお玉の家に十人ばかりの隣家の裁縫の師匠の弟子の小娘たちが集まっていて、青大将が鳥籠の中に首を入れているのを見ていました。
 すでに一羽の鳥は蛇に咥えられてぐったりとしていました。お玉は蛇を退治してほしいと岡田に頼みました。岡田は出刃包丁を持ってこさせ、蛇の胴体を切り離しました。
 蛇が籠に開けた穴を、生きている方の鳥が逃げないように縛ってやり、岡田はお玉に別れを告げました。
 岡田が去った後、お玉は彼に近づきたいという想いを抱くようになり、末造に何を考え込んでいるのかと咎められました。

 その三日後、岡田はお玉と顔を合わせましたが、会釈をしただけで通り過ぎました。岡田に声をかけられなかったお玉は、自分はなんと馬鹿なんだろうと考えました。

 お玉は、岡田に礼を言うことができないまま、また以前のように会釈を交わすだけの間柄に戻りました。
 しかしお玉は、末造が来ている時も岡田のことばかりを考えるようになり、ふと現実に戻って泣くようなこともありました。

 十一月になって小春日和が続き、窓を開けることができるので、岡田の顔を二、三日見ることができたお玉は、浮き浮きした気持ちで池の端の父親の元へ向かいました。
 父親は、本や寄席だけを道楽にし、人と無駄話をする機会がないため、いまだに末造の本当の職を知りませんでした。お玉は一週間に一度ずつ父親を訪ねても、父の末造に対する遠慮から、一時間もせずに帰ってしまいました。
 横着になっていたお玉は、留守の間に末造が来てはならないという心遣いをいつの間にかしなくなり、正午近くまで父親のところで過ごしました。

お玉と岡田の別れ

 その年の冬の日のこと、お玉は寒さのあまり、遅くまで布団に入っていると、そこへ末造がやってきて、これから二、三日かけて千葉へ行く用事ができたのだと言いました。
 末造が旅立つと、お玉は、今日こそは岡田に話しかけようと考え、梅に休みを与えました。梅が出て行った後、お玉は髪を結いに行き、岡田を待ちました。

 その日「僕」は、下宿のまかないが嫌いな青魚の味噌煮だったため、岡田の部屋に声をかけ、牛鍋屋に行こうと誘いました。
 無縁坂を通ると、「僕」たちはお玉を見かけました。岡田はいつものように会釈をして通り過ぎました。お玉の目が岡田に注がれていることに気づき、「僕」は嫉妬を感じました。

 不忍池へと行く小橋を渡ると、一面に葦の茂る湖面を見ていた石原という男に話しかけられました。その葦の向こう側には、十羽ほどの雁が浮いていました。
 石原は、雁に石を投げて捕らえようとしていました。石が当たっては可哀想だと思った岡田は、自分が石を投げて逃がしてやろうと考えました。しかし岡田が投げた石は、不運にもそのうちの一羽に当たってしまいました。
 石原は、暗くなった後でその雁を取りに行き、ご馳走をすると言いました。

 暗くなるまで池を一周することにした「僕」と岡田は、雁の死によって暗い気持ちになりながら歩きました。岡田は、東洋の風土病の研究に訪れたドイツの教授に紹介されて雇われ、卒業前に洋行することが決まり、退学届を出したことを「僕」に伝えました。岡田は翌日には上条の下宿を出て、築地の教授のところへ越して荷造りをするようでした。「僕」は、岡田の決断に驚き、果断だと評しました。
 「僕」たちは蕎麦屋に寄り、暗くなると店を出て、石原がいる場所へと戻りました。

 石原は岸から岡田の指示によって雁のところまで辿り着き、それを拾い上げました。

 石原は、雁を岡田の外套に隠し、巡査に見つからないように素人家へと行き、そこの婆あさんに料理をさせる計画を立てました。その道中には無縁坂がありました。
 雁を外套に隠した岡田を目立たせないよう間に挟むようにして、「僕」たちは無縁坂を通り、巡査に見つからずにそこを通り過ぎることに成功しました。

 まもなく、「僕」は、お玉が岡田のことを待ち受けていることに気づきました。岡田は顔を赤くして帽子の庇に手をかけただけで通り過ぎました。お玉は名残惜しい表情になりました。

 「僕」と岡田は、石原のところで夜がふけるまで雁を肴に酒を飲みました。その翌日大学から帰ると、岡田はもういませんでした。

 それ以来、岡田とお玉は顔を合わせることはありませんでした。青魚の味噌煮が上条の下宿にのぼったために、岡田とお玉は合い見えることなく別れることとなったのでした。

 それはすでに三十五年前のことで、「僕」は岡田が去ったあとでお玉と知り合い、これらの話を聞いて、この物語を書きました。なぜ「僕」とお玉が知り合うことになったのか、「僕」にはお玉の情人になるような人物ではないので、読者は無用の憶測をしない方が良いでしょう。