夏目漱石『こころ』の詳しいあらすじ

夏目漱石作『こころ』の詳しいあらすじを紹介するページです。

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上 先生と私

 書生であった私は友達に呼ばれて鎌倉へ行きました。しかしその友達の母親が病気になり、郷里から呼ばれたため、私は一人残ることとなりました。私は毎日海へ行きました。私には荷物をいつも預けている掛茶屋がありました。

 私はそこで先生に初めて会いました。先生は一人の西洋人を連れていたため、私の気を引きました。先生は西洋人とともに海で泳ぎ、掛茶屋へ帰ると、着物を着てさっさと行ってしまいました。
 私は先生をどこかで見たことがあるような気がしていました。

 私は翌日も同じ時間に掛茶屋まで出かけました。先生は一人でいました。私は泳ぎに行った先生の後を追いましたが、追いつくことはできませんでした。掛茶屋へ戻ると、先生は入れ違いで外へ出て行きました。
 私はそれから毎日先生を見かけましたが、声をかける機会を得ませんでした。

 ある日私は先生が落とした眼鏡を拾いました。先生は有難うと言ってそれを受け取りました。その翌日私は先生の後に続いて海に飛び込み、先生に話しかけられました。それから私は先生と懇意になりました。

 私はその晩、先生の宿を訪ねました。広い庭の境内にある別荘のような建物でした。私は年長者に対する私の口癖で、この人のことを「先生」と呼びはじめました。先生は家族ではない者たちと住んでいました。私は先生に会ったことがあるような気がすると言ってみましたが、先生は私には見覚えがないと言いました。

 先生が東京に帰るとき、私は自宅を訪ねに行ってもいいかと聞きました。先生は「ええいらっしゃい」と言っただけで、私はそのそっけない返事に傷つきました。しかし先生が亡くなった今になって考えてみると、先生は自分に近づいてくる人間に対して、近づくほどの価値のないものだからよせという警告を与えていたようでした。先生は自分を軽蔑していたのでした。

 東京に帰って一ヶ月ばかりたつと、私は先生に会いたくなり、自宅を訪ねてみました。一度目は留守でした。二度目の訪問で先生の奥さんらしき人に出迎えられました。美しい奥さんでした。先生はこの日も留守でした。奥さんによると、先生は毎月雑司が谷の墓地にある仏に花を手向けに行っており、今日がちょうどその日であると言います。私は雑司が谷へ行ってみることにしました。

 私は墓地にいる先生を見つけ、声をかけました。先生は当惑した表情を見せました。私が暮石の様式や書かれていることについて喋りたてると、先生は「貴方は死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」と言いました。誰の墓に毎月花を手向けているのか私は聞きました。先生はしばらく答えませんでしたが、一町ほど歩いたところで、友達の墓があるのだと答えました。

 私はそれから時々先生を訪ねるようになりました。先生からは近づきがたい印象を感じました。しかしどうしても先生に近づかなくてはならないという感じが強く働いていました。

 ある日、私は一緒に墓参りをさせてくれと先生に頼みました。墓参りと散歩を同じように考えていた私に、先生は話す事の出来ないある理由があって、他人と一緒に墓参りには行きたくないのだと答えました。奥さんさえも墓参りに連れて行ったことがないようでした。

 私は月に二、三度ずつ先生の宅へ行きました。先生は私に何故自宅に来るのかを聞きました。私は先生を研究するために近づいたわけではなかったので、特別な理由はないと答えました。先生は自分のことを淋しい人間だと思っていて、私がそのうち自分のもとへ来ることはなくなるだろうと言いました。

 私はいつのまにか先生の家の食卓で飯を食うようになり、自然と奥さんとも話すようになりました。

 ある日私、先生、奥さんの三人で酒を飲みました。奥さんは先生に勧められ、わずかばかり飲んだだけでした。奥さんはいつもより愉快そうにしている先生に毎日飲むことを勧めました。子供がいれば淋しさも軽減するだろうと言う奥さんに対し、先生は子供はできないだろうと言いました。その理由を聞くと、先生は「天罰だからさ」と答えました。

 先生と奥さんは私が見る限り、仲が良い夫婦でした。しかし一度だけ私が先生の玄関先にたつと、奥さんと先生が諍いを起こし、奥さんが泣いているのが聞こえてきました。私はそのまま下宿へと帰りました。すると先生が私の下宿へ来て散歩を持ちかけました。その晩私たちは酒を飲みました。先生は奥さんと喧嘩したことを私に打ち明けました。そして自分のことを、奥さんが考えているような人間なら、自分もそれほど苦しんではいないと言いました。
 先生は私に、自分は強い人間に見えるか弱い人間に見えるかと聞きました。私が中位に見えると言うと、先生は意外な顔をしました。
 先生は、妻しか女を知らず、妻も自分のことをただ一人しかいない男だと思ってくれている、自分たちは最も幸福に生まれた人間である筈だと言いました。私は先生が「幸福な人間である」と言わずに「幸福な人間である筈」と言ったことに疑問を感じました。

 ある日、先生を訪れると、先生は外国へ行く友達を送りに横浜に行っていたため、私は家の座敷に上がって待たせてもらうことにしました。その間に私は奥さんと話しました。
 もともと先生は東京帝国大学を出ており、世間に名を知られているわけではありませんが、毎日仕事をしないでいました。それは私にとって不思議でした。先生は仕事をしない理由を、「どうしても私は世間に向って働らき掛ける資格のない男だから仕方がありません」と言っていました。
 奥さんは先生が何かやりたくてもできないでいるのだと思い、気の毒がっていました。奥さんは先生の若い頃の話をあまりしたがりませんでしたが、書生時代は今とは全く違った性格であったそうです。当時私は先生と奥さんの間にロマンスの存在を仮定していました。しかし先生が死んだ今ではロマンスの陰に悲劇があったことを私は知っています。そしてその事実を奥さんは今でも知らずにいます。

 ある日先生と私が上野に行くと、仲の良さそうな一組の男女を見かけました。先生は私に恋をしたことがあるかと聞きました。私がないと答えると、先生は「恋は罪悪です」と言いました。
 先生は、私が自分に興味を持っていることに対して、私の中に女への恋の前段階として、人間に対する興味が芽生えているのだと分析しました。しかし先生は自分には特殊な事情があり、私の興味に満足を与えられる人間ではない、と言いました。私が腑に落ちないでいると、先生は私を焦らしていることに対し、申し訳なさを感じている様子でした。
 私が自分を慕ってくることに、先生は苦しさを感じていました。自分すら信用できない先生は、あまり私が先生のことを信じすぎないよう、警告を与えました。

 私は先生のこのような厭世的な言動の裏に、痛切な事実があるのではないかと思うようになりました。
 私は奥さんとの恋愛事件を想像したり、誰のものだからわからない雑司ヶ谷の墓から、その事実を推測してみましたが、何もわかりませんでした。

 先生が上京してきた同郷の友人と会うため、どうしても出かけなければならない夜がありました。盗難が近所で多発していたため、奥さんとともに家にいてくれるように私は頼まれ、奥さんと話をする機会を得ました。奥さんは先生が人の顔を見るのが嫌いになっていると話しました。先生が奥さんのことを好きになったから、世間を嫌いになるのだと私が言うと、奥さんは世間を嫌いになって自分のことも嫌いになっているのだと答え、私とこれ以上議論するのを断りました。

 もし奥さんがいなくなったら先生は生きていられると思うかと、私は聞きました。
奥さんは、自分がいなくなったら、先生は不幸になり、生きていくこともできないかもしれないと答えました。うぬぼれから出た言葉ではなく、先生をできるだけ幸福にしているのだと信じての言葉でした。しかし先生は人間が嫌になっているようだから、人間の一人である自分のことも嫌になっているのだろうと奥さんは言いました。
 奥さんの先生に対する理解に、私は感心しました。私は奥さんが先生の妻であることを忘れて不躾になり、昔の先生はどんなだったのかと質問しました。昔の先生は自分の希望するような頼もしい人だったのだと奥さんは言いました。
 奥さんは何度も、先生が変わってしまった原因が自分にあるのではないかと、先生に問いただしたと言います。しかし先生は自分が悪いのだと言うばかりでした。その度に悲しくて仕方がなくなると言って、奥さんは目に涙をためました。

 奥さんは先生が変わってしまったことに心当たりがありました。それは先生が大学にいる時に、親友を亡くしていることでした。その親友は変死したようです。その親友が死んだことが、先生が今のようになってしまった原因であれば、自分に原因があるのではないので楽になります。しかし親友を一人亡くしたことがそこまで人の性質を変えてしまうものなのか、奥さんは疑問に思っていました。私は雑司が谷にある墓はその人のものかを聞いたが、奥さんはこれ以上は答えられないと言いました。
 私は奥さんを慰めました。先生が帰ってくると、奥さんは先程までの感傷を忘れたかのように、機嫌よく迎えました。私は彼らを幸福な夫婦として捉えました。

  秋が暮れて冬がくるまでは格別なことはなく、私は奥さんに衣服の洗い張や仕立てを頼みました。

 冬が来て、父の調子が悪くなり、私は帰郷しました。必要な金は先生に立て替えてもらいました。先生は風邪気味でした。先生は「私は病気になる位なら、死病に罹りたいと思ってる」と言いました。
 奥さんの母親は、私の父親と同じ腎臓の病気で死んだということでした。吐き気がなけれはまだ大丈夫だと奥さんは私に教えました。

 郷里に帰ると、父の病気は思ったほどではありませんでした。私の兄は九州におり、妹は嫁いでいるので、このようなときに一番実家に帰りやすいのは、書生をしている私でした。
 私は先生に手紙を書いて金を用立ててくれた礼を述べました。先生は私に簡単な返信をよこしました。

 私と父は将棋をよくしました。父は将棋を差すのが好きでした。しかし私は段々と手持ち無沙汰を感じるようになったので、早めに国を出ることにしました。

 東京に帰った私は、先生に金を返しに行き、父の容態について話しました。
 先生は腎臓の病気の怖さを語ったあと、「不自然な暴力」で死ぬ人のことを語りました。先生いわく、自殺する人は皆、「不自然な暴力」で死ぬということでした。

 年が明け、私は卒業論文を作り始めました。私は行き詰まって先生に助けを求めました。先生は自分が知っている知識を私に分けてくれましたが、最近は書物を読まないので、新しいことはわからないと答えました。なぜ書物を読まなくなったのか聞くと、以前は知らないというのが恥のようにきまり悪かったのが、今はそのように感じなくなったのだと答えました。
 私は四月の下旬まで先生の敷居をまたがず、私は苦しみながら論文を書き上げました。

 五月のはじめ、論文を書き上げた私は先生と散歩しました。私たちは植木屋に入りました。先生は芍薬畑のそばにある古びた縁台のようなもののうえに大の字に寝ました。私は端の方に座って煙草をふかしました。
 先生は私の家に財産があるのかを聞きました。私は山と田が少しあるばかりだと答えました。
 私も先生に財産があるのかを聞きました。先生は昔は財産家でしたが、今は金はあるが財産家ではないと答えました。
 先生は私に、万一のことの後で面倒なことになるのが財産の管理問題なので、父親が元気なうちに財産をもらっておいた方がいいと助言しました。
 先生は私に兄弟の数や、親戚は皆いい人なのかを聞きました。私が問題はないと答えると、人間の中に鋳型に入れたような悪人は存在せず、普段は皆いい人であるが、いざという時に悪人に変わるものだと先生は言いました。
 植木屋の十歳ほどの子供がきたので、先生は子供に五銭をやり、少しここで休ませて欲しいと頼みました。

 私たちは植木屋を出ました。私は先生に、人が悪人になる時とはどのような時なのかを聞きました。
 先生は金を見るとどのような君子でもすぐ悪人になるのだと言いました。その答えがあまりに平凡だったので、私は不機嫌になって先へと歩き出すと、先生は、金を見て悪人に変わる人と同じように、私の感情ですらすぐ変わるではないかと言いました。
 その言葉で私は先生を憎らしく思いました。私は先生をやり込めようとして、先ほど財産について語った時に、先生が少し興奮していたことを持ち出してみました。先生は、自分の父親の生前は善人であった親戚が、父が死ぬとともに欺いてきたので、そのことを執念深く忘れずに人間というものを憎むことを覚えたと言いました。
 無遠慮は私は先生の過去を聞きました。先生は過去の因果で、人をみな疑っていますが、私だけは疑いたくないと言いました。死ぬ前にたった一人でいいから、人を信用して死にたい。私にその一人になってくれるかどうかを先生は私に尋ねました。

 私は卒業し、先生の家の食卓で夕飯を食べました。先生の卒業証書がどこにいったのか、先生も奥さんもよく知りませんでした。
 先生は私に卒業したら何をするつもりなのかを聞きました。私は、まだ何もする気が起きないと言いました。私は先生にどれくらいの財産があるのかを聞きました。奥さんは大した額はないと言いました。

 私は二、三日中に帰国することになっていたので、暇乞いをして、九月あたりにまた来ると言いました。先生夫婦は父を大事にするように言いました。
 先生は奥さんに、自分がもし先に死んだらどうするか聞きました。奥さんは老少不定(人の生き死には予測できないこと)だから仕方がないと答えました。先生は自分が死んだら家を全て奥さんにやろうと言いました。奥さんは、死について語る先生の話を聞いてだんだんと心が重くなってきたようでした。
 私がすぐに家に帰らずに町の方へ歩いていくと、一緒に卒業した男に会いました。彼は私を酒場に連れて行きました。

 翌日、私は実家からの頼まれ物や、必要な書物などを買いに歩きました。それから三日目の汽車で東京を発って国へ帰りました。
 私は国で見込みのない病気にかかっている父のことや、夫婦のどちらが先に死ぬかという先生の言葉を思い出し、人間を儚いものに感じました。