レーモン・ラディゲ『肉体の悪魔』の登場人物、詳しいあらすじ、感想

 『肉体の悪魔』は、二十歳の若さで夭折したフランスの天才作家レーモン・ラディゲの代表作です。
 ラディゲは、『肉体の悪魔』の作中にも描かれるマルヌ川のほとりにあるパリ近郊のヴァル=ド=マルヌ県のサン=モールで、1903年に風刺画家の息子として生まれました。 十一歳のころにパリのリセ シャルルマーニュ(日本の高等教育にあたる学校)に入学するも、ランボーやボードレールといった詩人や、スタンダール、ラ・ファイエット夫人、ラシーヌといったフランス文学者たちの作品を読みあさり、学業の方は芳しくありませんでした。14歳のころ、彼はパリに向かう列車の中で、出征中の夫を持つ二十四歳の女性アリスと出会い、恋に落ちます。そしてこれまでの文学への情熱に加え、アリスとの恋に身をやつした結果、学校から放校処分を受けてしまいます。
 その後ラディゲは、フランスの大芸術家ジャン・コクトーに才能を見出され、エリック・サティ、パヴロ・ピカソ、モディリアーニ、ココ・シャネルらの芸術家、著名人と親交を持つようになり、いくつかの作品の出版を経て、16歳ごろからアリスとの恋愛を題材にとった『肉体の悪魔』の執筆を始めます。1923年3月に発表されたこの作品は、発売とともに大ヒットを記録し、ラディゲを一躍、時の人に押し上げます。しかしその約半年後から体調を崩し、10月にもう一つの代表作『ドルジェル伯の舞踏会』を完成させると、間もなく腸チフスと診断され、12月12日に息を引き取ります。
 ラディゲの小説は、『肉体の悪魔』、『ドルジェル伯の舞踏会』と数編が知られているのみですが、冷徹な観察眼によって人間の心理を表現したこれらの作品は、日本においても三島由紀夫や横光利一などの作家に多大な影響を与えたと言われています。
 このページでは、『肉体の悪魔』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『肉体の悪魔』の登場人物


語り手。パリ近郊、マルヌ川のほとりのF‥市に住む少年。十二歳の頃に学校を辞め、二年間の独学後の後、友人ルネのいるアンリ四世校に入学する。十五歳でマルトに出会い、恋に落ちる。

マルト
出征中のジャックと婚約している。十九歳の時に僕と出会う。ボードレールとヴェルレーヌを好み、日本趣味を持つ。

ジャック
マルトの婚約者。第一次世界大戦で軍務に就いている。趣味が狭く、『悪の華』(ボードレールによる詩集。公序良俗に反するとして罰金刑を受けた。)を読むことをマルトに禁じている。

僕の父
僕の母が主催した慈善展覧会にマルトの絵を出品させたことで、グランジェ家と懇意になる。常に僕に寛容であろうと心がけている。

僕の母
慈善展覧会の会長を務めている。

ルネ
僕の友人。僕の募金活動に同行した少女の兄。美しくも大胆な少年で、自分達の周囲の少年を軽蔑している。アンリ四世校に通っており、後に入学した僕を案内する。

グランジェ氏
マルトの父。退役の下士官で、実直そうな人物。

グランジェ夫人
マルトの母。野暮ったく、背が低い。眉をひそめる癖がある。

カルメン
僕が十二歳の頃に恋に落ちた少女。

メサージュ
カルメンに僕からの手紙を届けた少年。(メサージュという名には使者という意味があります。)

マレショー
僕の隣に住む町会議員。白い顎髭をはやし、頭巾を被った、小柄で不恰好な老人で、僕や弟たちから小馬鹿にされている。

狂女
マレショーの家の女中。庭や並木通りに灯される提灯をフットライト代わりに初舞台を踏もうと、主人の家の屋根から降りてこなくなる。

スペイン娘
ルイ大王校に通うことになったルネが愛した娘。腕を脱臼させることが上手かったので、サーカス女だったに違いないと思われている。

マラン氏
結婚後のマルトの部屋の下に住む、胡麻塩髭の品の良い老人。もとJ‥の町会議員。政界に返り咲くために開いた自宅のパーティーで、僕とマルトの愛撫の音を盗み聞きするという余興を企もうとする。

スヴェア
結婚後のマルトの友人であったスウェーデン人。双子の妹がいる。

ポール
マルトの従兄。飛行士でなくバーの常連でもないジャックを軽蔑し、僕たちの恋愛を歓迎し、パリの自分の独身部屋を使うことを僕たちに提案する。

『肉体の悪魔』のあらすじ

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 宣戦布告の数ヶ月前に十二歳を迎えた「僕」は、両親や歳下の弟妹と共に、マルヌ川のほとりのF‥町に住んでいました。
 十二歳の頃、カルメンという名の少女に恋文を出したことがきっかけで、僕は校長に叱られました。父は校長のやり方に不満を持ち、僕を退学させることを決めました。退学後の二年間、僕は一人で家で勉強し、勉強が終わると一人でマルヌ川のほとりを散歩し、父の舟に寝転がりながら本を読んで過ごしました。

 第一次世界大戦が間近に迫った一九一四年七月十四日のこと、僕の家の隣人の町会議員の老人マレショーの家の若い女中の気が狂い、提灯をフットライト代わりに初舞台を踏もうと、屋根の上から降りてこなくなりました。マレショー家の人々は醜聞を恐れて固く戸を閉ざし、集まった人々はその行為に憤慨の声をあげていました。町の警防団が駆けつけても、狂女は瓦を掴み、それを投げつけました。マレショーの政敵の町会議員は、門の小壁によじ登り、マレショー家の人たちを口撃しました。狂女は、その演説に対する拍手を自分に向けられたものだと思い込み、感謝の意を示しながらお辞儀をしました。
 僕は、父親に肩車をしてもらいながら、その光景に見入りました。やがて狂女が屋根から飛び降り石段の上にうつ伏せに落ちると、僕は意識を失い、父の肩から転げ落ちました。

 やがて戦争が始まると、僕は弟や妹たちと、家から二キロほどのところにあるJ‥駅へ行き、兵士たちの乗る軍用車両を見に行きました。
 翌年の春になると、僕は募金を口実にして、あちこちを歩き回りました。その募金には少女が同行し、僕はその少女の兄のルネと仲良くなりました。ルネは、美しくも大胆な少年で、自分達の周囲の少年を軽蔑していることが僕と共通していました。ルネは僕が通うことになっていたアンリ四世校に通っており、僕と同じ級になることが決まっていました。
 その年の九月、僕はルネに案内され、アンリ四世校に通うようになりました。僕はそこで三年間を過ごしました。

 一九一七年の四月のある日のこと、僕たちは父に連れられて、ラ・ヴァレンヌ行きの汽車に乗りました。そこで僕たちは、父の知り合いであったグランジェ家という一家に会うことになっていました。僕はグランジェ家の娘であるマルトの名を、ある絵画博覧会の目録の中に見たことがあり、彼女のことを優等生だと考えていました。
 ラ・ヴァレンヌ駅で、僕たちはグランジェ夫妻と落ち合い、やがて僕たちの次の汽車でやってきたマルトが汽車を降りました。僕は、客車のステップでやってくる彼女のお転婆なところに惹かれました。
 マルトは、趣味の狭い婚約者ジャックから、『悪の華』を読むことや、絵画研究所に行くことを禁じられていたため、僕は彼女が興味を持った本を次の木曜日に持っていくことを約束しました。
 約束の木曜まで待ちきれなくなった僕は、火曜日の夕方には口実を設け、新聞と本を持って、マルトの家までの十五分ほどを走りました。しかしマルトは半月早く休暇を取ることができた婚約者のところへ夕食に行っていました。僕はその場を去り、二度と会う機会がないであろうマルトのことばかりを考え続けました。

 それからひと月ほど経ったある日の朝、バスティーユ駅でマルトを偶然見かけて声をかけた僕は、その日一日は学校をさぼり、彼女を自分につきあうように決心させようと決めました。
 マルトは、僕が学校に行かないことに驚きながら、自分の買い物に付き合ってほしいと言いました。僕はマルトのために学校をさぼったということをほのめかしながら下着屋に付き合いました。
 僕は、舅夫婦のところへ行くつもりであったマルトを説き伏せ、アメリカ式のバーに誘いました。するとマルトは、ジャックの母に電話をかけ、遠いところへ来ているのでお昼に間に合わないと嘘をつきました。僕たちはパリにあるバーへ入り、その後、彼女がパリへ来た口実を作るために、新しい住居に使うための家具屋へと行きました。僕はジャックへの嫉妬を覚え、あえてマルトの趣味とは反対のものを勧めました。マルトはその意見に譲歩し、僕の言う通りに買い物を進めました。

 以来、僕は学校をさぼるという自由の魅力に取り憑かれました。ルネもまた僕に影響されて学校をさぼりはじめたものの、うまく立ち回れなかったために放校処分となりました。僕は退学にはなっていなかったものの、自分が放校になったと思い込んでおり、両親に退学を報告し、最終的に学校を辞めました。

 僕は徐々にマルトのことを忘れて行きましたが、結婚通知が届いたひと月後、なぜ来てくれないのかという文面が添えられた招待状を受け取り、ラコンブ夫人と名を変えたマルトの住んでいるJ‥へと出かけて行きました。マルトは、マルヌ川へと続く道沿いの家の二階を借りて住んでいました。
 暖炉の光に照らされたマルトのことを見た僕は、彼女のことを美しいと感じ、恋愛に必要な駆け引きなどできそうもないと考え、彼女に優しい尊敬の念を抱きました。そしてこの変化が恋であるということが分からず、愛情がなくなった代わりに美しい友情が芽生えたのだと思い込みました。
 以来、僕は毎晩彼女を訪れるようになり、暖炉のそばで体を寄せ、黙って幸福に浸りました。その時僕のことを愛するようになっていたマルトは、退屈しているように見えた僕を自分に惹きつけるため、眠ったふりをして両腕を僕の腕に巻きつけ、その後で悲しい夢を見たという口実を語りました。
 僕はそれでもマルトへの愛情を信じませんでしたが、彼女に対する権利を自分が有さないことが許せなくなり、眠っているマルトの髪や首筋や頬の匂いを嗅ぎ、手で触れました。
 ある日、僕は彼女の寝顔を見るためにかがみ込み、そのまま彼女の唇に自分の唇が押し当てられていることを感じました。マルトは眠っているふりをして、自分の近くにきた僕の顔を自分の唇に引き寄せたのでした。僕はマルトが自分のものになったことに有頂天になりました。
 マルトは、ジャックが戦線から送ってよこす手紙を火の中に投げ入れ、返事にも愛情を欠くようになりました。ジャックは不器用な男で、マルトの愛情が冷めているのがなぜなのかを説明してほしいと懇願する手紙をよこしました。

 一九一八年の三月、僕の十六歳の誕生日、マルトは自分と同じ化粧着を渡し、僕がそれを着たところを見たいと言いました。それは恋愛関係を許可するという印でした。
 その日から、僕はマルトの部屋の鍵を手に入れ、両親に嘘をつきながらそこへ通いました。マルトを手に入れながらも、ジャックへの嫉妬に苦しんだ僕は、戦争で彼が死ぬことを望みました。
 マルトは僕に会うために、母親にも躊躇なく嘘をつくようになり、僕は望むものを手に入れたがために、自分の不当さを自覚しながらも、彼女が母に嘘をつくことや、ジャックの帰りが近いことを隠していたことを責めました。

 そのようなときにジャックからの手紙が届き、彼の勤務が延期されたことが分かりました。このことを知った僕は、かえってジャックのことが気になりながら、毎晩のようにマルトの家へ通う生活を続けました。
 J‥では、マルトが僕を家に連れ込んでいると、家主の家族や老夫婦が僕を悪意のある目で見るようになりました。彼女の近所での評判は落ち、たった一人の友人だったスウェーデン人のスヴェアも手紙に返事をよこさなくなりました。
 やがて十一日間の休暇を得たジャックが帰って来ると、僕はマルトに会いにいくことができなくなりました。しかしマルトはその間も僕に手紙を送り続けたため、僕はジャックに対する嫉妬を起こしませんでした。僕は危険を避けるために返事を書かず、ルイ大王校に通っていたルネとも再会を果たし、付き合うようになりました。ルネは、ある一人のスペイン娘を愛しており、この女が自分を欺くかどうかを知るために、僕にわざと言い寄ってくれと頼みました。
 僕は、臆病に思われたくなかったために、その役を引き受け、その女と関係を持ちました。しかしルネを裏切ったという意識に苛まれながらも、僕は、マルトに対しては後悔を感じることはありませんでした。

 その頃、ジャックはマルトの無言に戸惑っていました。グランジェ夫人は、娘の変化の原因がジャックの不器用であると考え、マルトを自分の家に引き取りたいと言い出し、ジャックはその意見に折れました。
 ジャックは元気なく戦線に帰って行きました。途端にマルトはJ‥に帰ることを決め、娘をジャックから取り戻したことを喜んでいたグランジェ夫人を驚かせ、娘に対する疑念を起こすことになりました。

 その日早速、僕はJ‥でマルトに会いましたが、ジャックに対して良心の呵責を軽くするために、嫌がるマルトに無理やり愛情のこもった手紙を書かせました。
 J‥の人々は、ますますマルトに話しかけようとしなくなりました。休暇で帰ってきた家主の息子は、マルトにお茶に呼ばれたために、翌日畑を耕すという懲罰を与えられました。部屋の下に住む、もと町会議員であった老人マラン氏は、政界に返り咲くために開いた自宅でのパーティーで、マルトと僕の愛撫の声を盗み聞きするという余興を企みました。そのパーティーに呼ばれた名士の息子がマラン夫妻の計画を話してくれたため、僕たちは声を聞かれることを免れましたが、これらの出来事はマルトを苦しめました。

 五月になると、僕は、快楽が味気なく感じられ、マルトを所有しているということを実感するためだけに彼女と戯れるようになりました。彼女を愛しているのか深く考え込むようになった僕は、家に泊まりに行くことが少なくなりました。

 六月の初め、マルトはジャックから病気になったという手紙を受け取りました。ジャックはその手紙の中で、ブールジュの病院に搬送される途中でJ‥を通過するので、駅のプラットフォームで待っていて欲しいと頼んでいました。マルトはその手紙を僕に見せ、指図を待ちました。僕は引き止めることはできずに沈黙し、その翌日はマルトの家に行きませんでした。
 マルトはJ‥駅に行かなかったため、ジャックは、自分に安心させてくれと懇願し、ブールジュに会いに来てくれという手紙を寄こしました。
 マルトは僕が一緒に来てくれるのであれば行くと言いました。
 僕は彼女の愛情に感謝しながらも、それが不道徳であることを彼女に諭しました。道徳という言葉はマルトの心に響いたものの、彼女は行くことを嫌がりました。

 やがてマルトは妊娠し、僕にそれを打ち明けました。僕はすぐにお腹の子供を愛するようになり、その子供がジャックの息子として生まれなければ不幸になると考え、七月十五日にグランヴィルでジャックと会うことになっていたマルトに、交わりを結ぶよう説き伏せました。マルトはその言葉に気を悪くしたものの、以前の休暇でジャックに征服されたことを隠していたため、僕の言うことを聞くことにして、グランヴィルでは体の変調を口実にして、ジャックに身を任せないことを決めました。

 七月十二日の出発の前の晩、僕は一晩中眠らずにマルトを愛撫しようと決めていたものの、横になって十五分も経つと、ぐっすりと眠ってしまいました。マルトは僕を起こしかね、目を覚ました時は汽車の時間までは三十分しかありませんでした。マルトは自分の家の鍵を僕に渡し、ここに来て自分を思い出して欲しいと言いました。
 僕はパリまで彼女を送り、モンパルナス駅で無遠慮に彼女にキスをして別れました。
 僕はF‥に帰ると、ジャックに対する良心の呵責と嫉妬の間で揺れ動きながら、毎日マルトからの手紙を待ち受けて過ごしました。

 ある日のこと、かつてマルトと会うことを禁じられたスウェーデン人のスヴェアに汽車で会った僕は、その娘を驚かせてみたいという気持ちに駆られ、マルトが留守であることを隠しながら、こっそりとJ‥に行ってお茶を飲まないかと誘いをかけ、マルトの家に彼女を誘い込みました。僕はスヴェアにリキュールを飲ませ、彼女の手を握り、キスをして彼女の服を脱がせにかかりました。
 スヴェアの抵抗が激しくなると、僕は飽きがきて、マルトが旅行中であるということを打ち明け、このことを伝えないで欲しいと約束させました。
 それから数日後、僕がスヴェアを誘い込んだという家主からの手紙が同封されたマルトからの手紙が届きました。マルトは二度と僕に会わないと書いていました。
 僕はマルトの家にいた時にスヴェアの訪問を偶然受けたのだと嘘をつきました。マルトは僕を非難したことを詫びました。

 八月の下旬に帰ってきたマルトは、J‥には住まず、別荘暮らしをしている両親のいない実家に暮らしました。僕は、毎晩その家に行き、誰にも邪魔されることなくマルトのそばで過ごしました。両親の家にも病気の時しか帰らないようになると、父は僕とマルトの縁を切らせようとし始めました。やがて両親は、マルトからの手紙を押収し、僕たちの子供を彼女が妊娠していることを知りました。それまで母から僕をかばっていた父も母の味方になり、至急帰らなければマルトを未成年誘拐のかどで起訴するという手紙をよこしたり、マルトからの手紙をグランジェ夫人に送ると僕を脅したりするようになりました。

 僕が自分の家に帰りたがらないために、僕の愛情に対して安心するようになったマルトは、もっと分別を持って家に帰るようにと勧めました。僕はマルトを責め、一晩を過ごすことを彼女に承諾させました。しかし僕の両親のところから使いが来た時に、家主に家にいることを知られないため、それは彼女の家ではないところでなければなりませんでした。僕たちは、これまでに行ったことのないホテルを探さなければならなくなり、冷たい雨に打たれながら、バスティーユ駅からリヨン駅とのあいだをさまよいました。結局僕はホテルに入る勇気が持てず、今日はお互いに帰ろうと頼みました。
 マルトは疲れ果て、震えながら帰りの汽車に乗りました。
 翌日からマルトは熱を出し、お産まで両親の家で家にこもっていなければならないと医者に言われました。僕はこれ以上会えなくなることを悟りながらマルトを両親の家まで送り、ろくに挨拶もできないまま別れました。

 家に帰ると、うるさく言われることがなくなり、僕は久々に父と語り合い、妹たちと再び打ち解けました。
 マルトのお産の知らせを待ちながら日々を過ごしていると、ジャックが帰還したという知らせが届きました。父は、途方に暮れている僕に気晴らしをすすめ、パリに連れて行きました。しかし僕は休暇を楽しむ群衆を眺めても、気が紛れることはありませんでした。
 マルトは容態を崩しながらも、翌年の一月に男の子を産みました。その子供は、二ヶ月早く生まれた紛れもない僕たちの子であり、人工保育器で育てられているようでした。その子供には僕と同じ名前がつけられました。僕は、マルトと、まだ会うことのない子供を深く愛するようになりました。
 マルトの子が僕に似ていたことで、グランジェ家の人々の疑惑は現実のものとなり、彼らはマルトを責めながらも、この醜聞が近所に知れ渡らないように彼女の共謀者になりました。
 僕はマルトが手紙をよこさないのを当然のことと考え、幸福を感じ、以前より父と母と親しくなりました。

 ある日の午後、弟たちが、マルトが死んだことを叫びながら学校から戻りました。
 その瞬間呆然として何の感情も示さなかった僕は、父が泣いているのを見てようやく咽び泣きました。僕は卒倒し、以来弟たちの足音が聞こえるたびに、マルトの死が告げられる気がして気を失うようになりました。

 数ヶ月後、僕の父がマルトの絵を持っていることを知ったジャックが、僕の家にやって来ました。
 ジャックは父に向かい、マルトが子供の名前を呼びながら死んでいったこと、その子供がいるからこそ自分が生きていけるということを語りました。その様子を息を殺しながら見ていた僕は、マルトが自分の名前を呼びながら死んでいったこと、そして子供が合法的に立派な生活をしていけることを知り、世の中の物事が長いうちに自ずとうまく納まっていくものだと悟りました。

管理人の感想

 『肉体の悪魔』は、十六歳の早熟な青年と、第一次世界大戦に出征した夫を持つ女性との不倫関係を描いた作品です。わずか二十歳でこの世を去ったフランスの天才作家ラディゲの実体験に基づき、年上の既婚女性との出会いから別れまでの心の移り変わりを冷徹な観察眼で描いた本作品は、1923年に発表されるや否や、ベストセラーになったようです。
 主人公の語り手がヒロインのマルトと出会うのは、わずか十五歳の頃です。彼は列車のステップに乗ってやってきた奔放なマルトに一目で魅了され、ジャックという婚約者がいることを知りながら、彼女の心を手に入れようと躍起になります。ほどなくしてマルトも主人公に惹かれるようになり、その半月後にジャックとの結婚を果たしながら、不倫の恋に身を堕としていきます。出会いからおよそ一年が経つ主人公の十六歳の誕生日からほどなくして、二人は肉体関係を持つようになります。その後も出征中のジャックの目を欺きながら関係を続けるものの、近所にはその関係が知れ渡り、居心地の悪い思いを背負いながら生活することを余儀なくされます。妊娠の発覚後、体調を崩したマルトは、両親の家に戻らなければならなくなり、二人はついに別れを決意します。その後子供は無事に生まれるものの、まもなくマルトは死んでしまいます。
 主人公は、およそ二年に及ぶマルトとの出会いから別れまでを、冷徹な観察眼で語ります。そこには、恋というものにつきものの「思考停止」はまったくありません。官能に敗北しながらも、頭だけは冷静を保ち続けているといった印象で、その考え方は十六歳の少年のものとはとても思えません。恋は盲目という言葉がありますが、彼の頭の中は盲目になるどころか常に冴えわたり、普通の人がよく分からないままはまり込んでいく恋愛の心理を解き明かしています。
 この類まれな分析能力は、一般の人には持ち得ないものなので、この作品の主人公の妙な頭の良さばかりが鼻について、なかなか共感することができないという読者も多いのではないかと思います。他の女性との関係を結ぼうとするという不誠実な行動もあいまって、主人公はマルトを妊娠「させ」、利己的な恋の犠牲に「した」という、ぬぐいきれない印象が残ります。
 しかし、この主人公は、自ら進んでマルトを欲望の餌食にしたわけではありません。彼は十代の少年が陥るにはあまりにも荷が重い恋愛に身をやつし、ジャックへの嫉妬と罪の間で揺れ動き、マルトを奪うことも捨てることもできない自分の未熟さに歯痒さを味わっています。他の女性との関係を持とうとしたのも、早熟ゆえの無為に陥ったためであり、制御できない己の欲望に敗北し、結果的に否応なくマルトを傷つけ続けてしまったという見方の方が適当なのではないかと思います。また生まれてくる子供がジャックの子供として育つことを望むなど、極めて理性的にものを考える一面も持ち合わせています。
 一方のマルトは、悲劇的な最期を迎えたこともあって、主人公に比べると同情的な目を向けられることが多いのではないかと思います。しかし実際に肉体の関係を始めにほのめかしたのはマルトの方であり、彼女が実はさまざまな計算を行いながら不倫関係を続けていたということが物語の端々から窺い知れ、その罪の深さは、主人公のそれと大して変わらないようにも思われます。
 それにもかかわらず、主人公のエゴイズムばかりに目が行ってしまうのは、それだけ普通の人間が無意識のうちに行なっている恋の打算が、的確に言語化されていることの確たる証拠であると思います。人間の心は、掘れば掘るほど膿が出てくるもので、周囲から見れば美しい恋が、本人からしてみれば計略まみれの心理戦だった、なんてことはよくあるものです。その分、これ以上ないほどに自らの心理を深掘りした主人公の嫌な部分ばかりが目につくのも無理はありません。
 しかしこのような人間心理の細密な解剖こそが、この作品の最大の魅力であり、これは他のどのような芸術作品(映像作品や音楽、絵画)でも成し遂げることのできない、いわば文学の専門分野です。その点、二十歳に満たない年齢で、この作品を書き上げたラディゲは、もし腸チフスによってこの世を去らなかったならば、あらゆる芸術家の中でも傑出した存在になり得たのではないかと思います。