坂口安吾『白痴』の登場人物、あらすじ、感想

 『白痴』は1946年に発表された坂口安吾の短編小説です。
 坂口安吾は、太宰治、織田作之助らとともに、「無頼派」または「新戯作派」と呼ばれた作家の一人です。「無頼派」、「新戯作派」とは、人々の意識が急激に変化した戦後の社会の中で、それまでの既存の文学に対して、新しい文学を志した一派のことを指します。
 戦前、それほど名前を知られていなかった坂口安吾は、前作である『堕落論』と、この『白痴』で脚光を浴び、戦後の人気作家となりました。

 戦争のために映画演出家としての情熱を失い、白痴の女との生活を送ることになった男の、爆撃の中で一時的に燃え上がる情熱と、火の海から逃れた後の深い虚無が描かれます。

 このページでは、『白痴』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『白痴』の登場人物

伊沢
映画演出の会社に勤める二十七歳の男。
大学を卒業後に新聞記者になり、その後文化映画の演出家(単独ではない)になったことがある。仕立屋夫婦の肺病の息子が以前住んでいた、母家から独立した離れを借りて住んでいる。
戦時下の極度に統制された体制の中で、芸術の独創や個性の独自性を諦めることができず、凡庸で低俗な職場の同僚に馴染めないでいる。
夜遅くに仕事から帰ってきた時、家に入り込んでいた白痴の女を自宅に住まわせ始める。


伊沢の隣人である気違いが四国遍路の旅から連れ帰ってきた白痴の女。品のよい、瓜実顔の古風の人形か能面のような美しい顔立ち。意味がハッキリしない言葉をおどおどと口の中で話す。料理も、米を炊くことも知らず、配給物をとりに行っても自身では何もできず、気違いの母のヒステリーに怯えながら過ごしている。仕立屋の豚小屋を避難所として使っている。
気違いの母に叱られて家を飛び出し、伊沢の家に入り込み、ともに生活を始める。

気違い
三十歳前後の威風堂々たる好男子。度の強い近眼鏡をかけている。相当の資産があり、泥棒の侵入を防ぐために貧しい路地を選んで、門と正反対に玄関のある家を建てる。母親と白痴の女と住んでいる。時々垣根から侵入してきて仕立屋の豚小屋で残飯のバケツをぶちまけ家鴨に石をぶつけ、何食わぬ顔をして鶏に餌をやりながら突然蹴とばしたりする。防空演習をゲタゲタ笑いながら見物し、人のバケツを引ったくって水を投げ、屋根の上から演説を始める。

気違いの母
配給に不服があると裸足で町会に乗り込んでくるこの一画きっての女傑。
普段は品のいい老婆であるが、何もできない白痴の娘に不服で、強度のヒステリーを起こしながら叱りつけている。

仕立屋夫婦
伊沢の家主。豚と犬と鶏と家鴨の住む物置きのようなひん曲がった建物の階下に住み、屋根裏を母娘に貸している。伊沢には母家から離れた小屋を貸している。仕立屋のほかお針の先生も行なっている。夫は町会の役員。

間借りの娘
仕立屋夫婦の屋根裏を借りて母とともに住んでいる。もともと町会の事務員であったが、町会事務所に寝泊りしていて役員の男の大半と関係を結び、そのうちの誰かの子を妊娠した。仕立屋夫妻の屋根裏に移り住んだ後も町会の豆腐屋が通ってきたため、その妾のようになっている。痩せて大きな目と口を持つ。家鴨を嫌っている。

煙草屋
路地の出口にある煙草屋を営む五十五歳の女。七、八人目の情夫を追いだして、その代りを誰にしようかと煩悶している。

未亡人
煙草屋の筋向かいの米の配給所の裏手に住んでいる。職工の息子と娘が夫婦の関係になっていることを「安上がり」だと黙認していたが、息子の方に女ができたため、娘を五十か六十の親戚の老人に嫁にやろうとした。娘は殺鼠剤を飲んで死ぬ。

医者
未亡人の娘が自殺したことをうやむやにするために、心臓麻痺の診断書を書く。

『白痴』の詳しいあらすじ

 戦時下、映画演出の会社に勤務していた伊沢は、ある商店街の路地裏に部屋を借りていました。そこは、人間と家畜が同じ建物に住み、住民たちの私生活は背徳的に乱れ、賭博が横行する一画でした。

 伊沢は、町内の仕立屋夫婦から、母屋から分離した小屋を借りていました。主人夫婦の母家の天井裏に間借りしていた町会の事務員の娘は、役員の十数人と公平に関係を結び、そのうちの誰かの子を妊娠していました。

 そのような人々の中でも伊沢の隣人は気違いで、相当な資産があるにもかかわらず、泥棒の侵入を避けるために、この場所を選んで家を建てた人物でした。彼は時折仕立て屋の豚小屋に忍びこみ、残飯のバケツをぶちまけたり、家禽に暴力を振るいました。伊沢は、この男が防空演習をゲタゲタと笑いながら見物し、バケツの水を撒き散らし、屋根の上に登って演説を始めているのを見て、彼が気違いであることに気づきました。

 気違いには、四国遍路の旅で意気投合して連れて帰った白痴の妻がいました。美しい顔立ちの女でしたが、聞き取ることが困難な言葉を口の中で言うだけで、米も炊けず、配給も貰うことができずにただ立っていることしかできませんでした。そのため気違いの母親からヒステリックな叫喚を浴びせかけられ、豚小屋を避難所としてしばしば使っていました。

 伊沢の仕事場では、自我の追求や個性や独創というものは意味をなさず、企画通りに退屈な映画を作ることが求められました。芸術の独創を信じ、個性の独自性を諦めることができない伊沢は、上司に反駁を試みたこともありましたが、このような時代に美や芸術について語ることを叱られたり疎んじられたりするうちに、やがて情熱は消えていきました。
 芸術を夢見る一方で、彼は二百円の給料をいつまでもらうことができるのだろうかという卑小な不安を抱いており、戦争が、自分を含めたすべてを公平に破壊してくれることを期待していました。

 ある晩、終電を逃した伊沢が夜道を歩いて家に帰ると、押し入れに積み重ねた蒲団の中に白痴の女が隠れていました。

 白痴の女はぶつぶつと呟くようにしか物を言わず、伊沢は、女が叱られて逃げ出し、窓から入ってきたことをなんとか理解しました。深夜に隣人を叩き起こして女を返すのもはばかられたため、伊沢は彼女を一夜保護することが義務であると考えました。
 寒い冬のことで、伊沢は女を蒲団に寝かせようと二つの寝床をこしらえて電燈を消すと、女はすぐに部屋のどこか片隅にうずくまり、蒲団に入ろうとはしませんでした。女が自分を恐れているのではないかと考えた伊沢が、身体に触れるようなことはしないと言い聞かせても、彼女はすぐに蒲団から這い出してしまいました。
 伊沢が腹を立てると、女は自分が嫌われていると思っていなかったという意味のことを言いました。伊沢は、女が自分の愛情を信じて家にやってきたこと、蒲団からすぐに出ていってしまうのは、自分が身体を触ってこないために嫌われたと思っていることを悟りました。
 その女には分別ではなく、子供らしい素直な心が必要なのだと考えた伊沢は、女を寝かせて額の髪の毛を撫でてやり、そのうちに慟哭したいような思いが込み上げるようになりました。
 白痴の女が自分のために作られた人形のように思われた伊沢は、その女と歩む旅路を夢想しました。しかしその考えは突飛なもので、伊沢は女に対する愛情も虚妄のものにしか感じられず、女と関係を持つことを世間に知られることを恐れ、枕元でただ髪の毛を撫で続けることしかできないまま一夜を明かしました。

 それ以来、白痴の女は家に住み着きました。伊沢は会社に行き、空襲警報が鳴るたびに女が家を飛び出して、彼女が家にいることが近所に知れ渡ってないかと不安になりました。
 女は、頭の中は空虚であっても、無自覚な肉欲を持っており、肉体は伊沢のことをただ待っているようでした。

 近所に爆弾が落ちると、女の顔には抑制のない恐怖と苦悶の表情が表れました。人間のものとは思われない本能的な死への恐怖に、伊沢は醜さを感じ、空襲によって元々魂のない彼女の肉体が焼け落ちるのを冷静な気持ちで待ち構えました。

 四月十五日、罹災届が手に入った伊沢は埼玉に買い出しに出かけ、学生時代に縁故のあった農家に荷物を預けました。家に着くと同時に空襲警報が鳴りだしましたが、疲れ果てていた彼は居眠りを始めました。ふと目を覚ますと、敵機の迫っている情報がラジオから流れ、伊沢はこの町の最後の日だと直感しました。

 女を押し入れに入れて井戸端へ出ると、敵機が焼夷弾を落とし始め、北方の一角を残して周囲が火の海となりました。
 リヤカーに荷物を積み込んでいた仕立屋夫婦は一緒に逃げようと伊沢を誘いました。
 しかし、女の姿を見られることを懸念した伊沢は、自分が焼け死ぬだろうと思いながら、ここに残ると言いました。周囲の建物が火を噴き始めると、彼は家の中に飛び込み、白痴の女を抱くように蒲団をかぶって走り出ました。
 二人は火の海の中を走り、人々が逃げまどう道へと辿り着きました。群衆は火の手から遠い方を目指していましたが、敵機の焼夷弾がその道を塞いでしまえば、その先には死があるだけでした。

 伊沢は意を決して群衆と別れ、溝に蒲団を浸し、女が群衆の方へ行こうとするのを引き止めました。そして女の身体を自分の胸に抱きしめて、自分たちは死ぬ時も一緒なのでついてくるようにと囁きました。
 女は稚拙に頷きました。それは彼女が示した初めての意思表示でした。伊沢は、自分が抱きしめている「人間」の女に無限の誇りを感じました。
 二人は肩を組みながら火の海を走り、小川に辿り着くとその中に飛び込みました。女が自発的に水に身を浸しているのを見て、伊沢は新たな可愛い女が生まれでたような感覚を覚えました。

 しかし、火の海から逃れ、死の恐怖から解放されると、伊沢は大きな疲れと虚無とを感じ、何もかもが馬鹿馬鹿しく思われるようになりました。
 二人は川をわたり、麦畑に出ました。伊沢は眠そうな女を蒲団にくるんでやり、煙草に火をつけました。巡査たちが解除を知らせに回ってきて、焼け出された人々が去ってい行き、伊沢は眠っている女と二人で取り残されました。
 伊沢は、鼾声を立てながら眠る女を豚そのものだと思い、爆撃の中で男と肉体の関係を結び、尻の肉をむしりとられながらも肉欲のことだけを考えている女の姿を想像しました。

 明け方になり、耐え難い寒気を感じた伊沢は、女の眠っているうちに立ち去りたいと考えました。彼は微塵の愛情も未練も感じられませんでしたが、明日の希望を失っていたために、彼女を捨てる張り合いすら感じられませんでした。そして明日をどのように生きればよいのかわからないまま、戦争の破壊という愛情が、全てを裁いてくれるだろうと考えました。

 夜が白みかけてくると、伊沢はあまりの寒さに、これから空が晴れてくれば、自分と、自分の隣にいる豚の背中に太陽の光が注ぐだろうかと考えました。

作品の概要と管理人の感想

 『白痴』の舞台は、売春婦、妾、人殺しだった男、スリの達人などの人々が集う、蒲田の安アパートが林立する一画です。その一画では、町会の十数人と等しく体の関係を結び、誰が父親か分からない子を妊娠している娘、七人目か八人目の情夫を追い出して、その代わりを誰にしようか悩んでいる煙草家の老人、夫婦のような関係を結んでいた兄に女ができたために自殺した妹など、なんとも醜悪で入り組んだ人間関係を持つ人々が住んでいます。

 そのなかでも最も特殊な人物は、相当に資産があるものの、侵入者を防ぐためにこの貧しい路地に家を建てた三十前後の気違いです。その男は、防空演習をゲタゲタ笑いながら見物し、バケツに汲んだ水を投げながら屋根の上から演説を始め、豚小屋に侵入して残飯をぶちまけ、家禽に暴力を振るいます。彼には白痴の妻がいて、母親のヒステリーに怯えながら暮らしています。

 主人公の伊沢は、その気違いの男と白痴の女の隣人で、映画演出家として会社勤めをしています。彼はもともと芸術家の情熱を持っていましたが、戦争で使われる映画のコンテを作ることだけを命じられ、とうにその情熱を失っています。

 そのような伊沢の家に、ある日白痴の女が入り込みます。伊沢は、「生活上の感情喪失に対する好奇心と刺激」を満たすため、この女を保護することを決意します。以来、伊沢の家に女は住みつきますが、彼にとってその出来事は、「一つの家に女の肉体がふえた」に過ぎず、思念のないまま無自覚な肉欲のみを有し、爆撃の時だけは本能的な恐怖で凄まじい苦悶の表情を見せる女に対して醜悪さを感じます。そして、たとえ彼女が死んでも「元々魂のない肉体が焼けて死ぬだけのことではないか」と彼は考え、女が死ぬことを冷静に待ち受けます。

 このように芸術家として生きることを禁じられた伊沢は、ストーリーのはじめから虚無を抱え、感情を失っていますが、その伊沢が抱える虚無は、皮肉にも爆撃によって一時的に満たされます。火の海の中、彼は女を抱きしめ、「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。怖れるな。そして、俺から離れるな。」と囁き、こくんと頷く女の稚拙な意思表示に「人間」を感じ、狂いそうなほどに感動し、彼女を連れて火の海を走ります。
 しかし、安全な場所に辿り着くと伊沢はその高揚感を忘れ、鼾をかいて眠りこける女を豚そのものだと考えます。そして微塵の愛情も未練も感じないまま、彼女を捨てるだけの張り合いもなく、明日には自分たちの背中に太陽の光がそそぐだろうかと考えます。

 火の海とともに燃え上がる愛の高揚感と、死の恐怖から解放された後の幻滅の落差は激しく、伊沢は、それまでにも増して生きるための希望を失い、「戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう」と考えます。

 爆撃で一時的に燃え上がった伊沢の女への情熱は化学反応のようなもので、空襲下という特別な状況下でしか生まれ得るものではなく、伊沢にその感情を取り戻そうとする意思は見られません。
 はじめから虚無を抱えていた伊沢が、「生活上の感情喪失に対する好奇心と刺激との魅力に惹かれ」て女と住み始めることを決意した頃は、自分が戦争で失った感情を取り戻すことができるかもしれないという淡い期待を抱いているようにも見えます。しかし、空襲が終わり、白痴の女に対する情熱が一時的な偽りであったことを悟ってしまった時、彼は、生きるための希望を失います。それは単に住処がなくなったことだけではなく、芸術に対する情熱を取り戻すための希望すら失ってしまったことを意味しているのだと思います。
 その時に彼が抱えることになった虚無は、それまでに感じていた虚無とは比べものにならないくらいに重いもので、それはこれから一層彼のことを苦しめるのではないでしょうか。戦争というものは、生きている人間の心をも破壊するものだったのかもしれません。