谷崎潤一郎作『卍』の詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。
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園子と光子の出会い
未亡人の柿内園子は、自分が関わった新聞沙汰にもなったある事件について、「先生」と呼ばれる人物に語り始めます。
以前、夫の他に恋人を持っていた園子は、その恋人について「先生」に相談し、非常な心配をかけていました。
肉体関係がないままその恋人と別れた園子は、少しずつその男への未練を断ち切っていきました。気のとがめから、その一部始終を話すことはありませんでしたが、夫はうすうす気づいている様子でした。
やがて恋人と別れた園子が出歩かなくなったことで、夫は安心したのか、大阪の今橋ビルディングに事務所を借りて弁護士を開業しました。
しかし夫が毎日仕事に出て、忘れていたことが思い出されるようになったため、園子は女子技芸学校に入り、音楽、絵、裁縫、刺繍を習い始め、それと共に夫との仲も良くなっていきました。
ある日、モデルの時間に校長が入ってきて、冷やかすような目つきで、園子の絵がモデルに似てないと笑いました。園子は癪に触り、顔は自分の理想にかなうように画いていたのだと言うと、校長はその理想は誰かと聞き、理想通りに画けないからモデルを写生するのであり、園子の理想は不真面目であると批判しました。園子と校長は、大勢の生徒の前で議論になり、その噂は学校中に広まりました。
その時園子が無意識にモデルにしており、のちに新聞沙汰にもなったのが、同じ学校に通う徳光光子でした。
その時、園子はまだ教室も違っていた光子と友達になったわけではありませんでしたが、その頃から無意識に好感を持っており、彼女が羅紗問屋の娘で、阪急の蘆屋川に住んでいたことを知っていました。それまでも園子は、光子が通るとそれとなくそばに寄り、顔を覗きこんでいましたが、光子はいつも園子など眼中にないような様子で、その場を通り過ぎました。
園子と光子は話したことすらなかったにもかかわらず、二人の関係が噂され始めました。園子は、迷惑に感じてはいないだろうかと、光子の顔色を伺うように見ましたが、彼女から不愉快な様子は見られませませんでした。
ある日、園子は光子にばったり出会い、微笑みかけられました。園子が思わずお辞儀をすると、光子は、校長が自分たちを陥れようとしているので気をつけるようにと言い、詳しい話をするために昼食につきあってくれないかと誘いました。
天王寺公園のレストランに入ると、光子は自分たちの悪い噂を流したのは校長だと言いました。光子は、大阪でも有名なお金持ちからの結婚を望まれていましたが、その男にはもう一人、市会議員の娘が縁談を持ちかけており、その市会議員が光子の悪い噂を広めるために校長を買収したというのでした。校舎の修繕費と称して金持ちの家を回る癖のある校長の言うことが怪しいと思った光子の父親が、寄付を断ったのも、原因の一つであるようでした。園子と光子には、電車に乗って奈良に出かけていたと言う噂すら立っているようでした。
光子は、妙な噂が出回ったことを園子に詫びました。すっかり友だちになった二人は、学校で話せなくなるのを名残惜しいと話し合いました。いっそのこと学校で仲良く振る舞い、周囲が自分たちを冷やかすのを見てみようと光子が提案したため、園子はすぐに同意し、次の日曜日に奈良に行こうと話し合いました。
その日二人は映画を見て、夕方まで遊びました。家に帰ると、夫は、園子が嬉しそうにしていることに気づきました。園子は光子と悪い噂を立てられたことと、その光子と今日友達になったことを夫に伝えました。
翌日、二人が食事や映画に行ったという噂は早くも広まっていました。光子はその噂を面白がり、わざと園子のそばへやってきました。
そのうち園子と光子は本当に仲良くなり、周囲からの目を痛快な気分で眺めるようになりました。
惹かれ合う光子と園子
四月の終わり、園子と光子は奈良の若草山へ行きました。園子は、ませて見えながらも、子供のように無邪気な一面を持ち合わせる光子に惹かれました。光子は、園子との噂のおかげで、それが縁談相手に伝わり、嫌な嫁入りをせずにすんだことにお礼を言いました。園子は、夫と結婚をするようになったわけや、以前の恋愛事件について話しました。二人は若草山の上で日が暮れるまで語り合い、以前の恋人と交際していた頃と同じような遅くに家に帰った園子は、夫に気がひける思いを味わいました。
光子をモデルにした観音様の絵ができあがり、園子は夫にそれを見せました。夫は表装にすることを勧めました。これを聞いた光子は、その絵は、顔は似ているが体つきが違っていると言いました。彼女の不満足な様子を見た園子は、裸を見せてほしいと頼みました。光子はあっさりとそれを了承しました。
その翌日、園子は寝室に光子を入れました。光子は裸になり、観音様の白衣の代わりにしたベッドのシーツを頭から纏いました。園子は、彼女がこれほどまでに綺麗なものを隠していたことを非難したいような気持ちになり、涙を流しながら光子に後ろから抱きつき、姿見を二人で覗き込みました。光子が着物を着ようとすると、園子は気が狂ったように掴みかかり、光子が纏っているシーツを剥がそうとしました。光子ははじめ抵抗しましたが、やがてされるがまま何も言わなくなりました。
園子は光子の美しさに驚嘆し、光子を殺したいと言いながら、顔を引き寄せて唇に持っていきました。光子は、園子に殺されたいと言いながら涙を流しました。
やがて園子が自分の事務所に来ると思っていた夫が、家に電話をかけてきたため、園子は幸福に水を刺されるように感じました。
夫が帰ってくると、園子は憎らしく感じました。初対面の光子は気が咎めている様子で、あまり話をせず、三人は話が弾みませんでした。
それ以来、光子と園子は、世間から隠れながら手紙をやり取りするようになりました。以前の恋人よりも何倍も強く光子を想うようになるにつれ、園子は夫の諦観したような態度が目につくようになり、夫婦間でいさかいを起こすようになっていきました。彼女は夫以外の男を愛するのは悪いけれども、女が女を恋することに夫が口出しをする権利はないだろうという理屈をつけ、自分の臆病さを嘲笑うかのように大胆に夫を騙し、その騙された夫を嘲弄するようになりました。二人はお互いの家を行き来し、人目が気になるようになると宝塚の温泉へ通いました。夫はやがて二人の関係をあやしむようになりました。
ある日曜日、園子は夫にいちご狩りに誘われ、たまには機嫌を取ろうと考えて出かけました。しかし光子のことばかりを考えていた彼女は、話しかけられてもろくな返事をせず、一日中塞ぎ込んでいたため、夫は内心腹を立てました。園子が夫と出かけていることを、留守に電話をかけて知った光子は、手紙で嫉妬の念を表し、その手紙を読んだ園子はすぐに電話をかけて光子と会い、学校へ行く代わりに宝塚の温泉へと出かけました。それから一週間、彼女たちは毎日宝塚に出かけました。
ある日、園子が光子と部屋で過ごしていると、夫が早くに帰りました。夫は二人が学校を休んでいることを知り、さらに光子が園子のことを「姉ちゃん」と呼んだことで、ついに夫は光子のことをどのように思っているのかと園子に問いただしました。
夫に弱みを見せてはならないと考えた園子は、自分は光子のことを好きには違いないが、美術品を見るような目で彼女を見ているのだと答えました。夫は、人の家庭に入り込んでくる光子のことを、悪い性質の女だと言うと、園子はむきになり、夫を挑発しにかかりました。夫は本気で怒りだし、灰皿を投げました。
その翌日の夜、夫は、前日に言い過ぎたのは園子を愛している証拠であり、自分に悪いことがあれば改めるので、光子とは交際しないでほしいと頼みました。
園子は、夫の願いに耳を貸さず、束縛をしないでほしいと言いました。
翌日、園子が学校に行くと、光子はいませんでした。電話をしてみると、光子は京都の親類のところへ行っていたようでした。園子は光子に会いたくなって手紙を書き、夫との経緯を伝えました。その翌日、光子は、園子へと駆け寄り、心配していたと言って涙を流しました。
光子と園子は、もしもの時は二人でどこへでも逃げていく覚悟を決めました。
やがて夫が口出しをしなくなると、園子は大胆に振る舞い、夫の帰宅後も、光子と夜まで部屋で過ごすようになりました。
光子は夫の前で、園子を「姉ちゃん」と呼び、夜中でもかまわず電話をかけてくるようになりました。
綿貫の出現
ある日、夫と二人で夕飯を食べ終わった園子に、昼頃まで一緒に過ごしていた光子から電話がありました。光子は、大阪の南で風呂に入っていて着物を盗まれたようで、詳しい話は後日するので、大阪の笠屋町の井筒という料亭まで大急ぎで着物を届けて欲しいと言いました。光子は、園子の知らない人と一緒にいるらしく、電話口で誰かと相談をしながら、もう一人着物を盗まれた人がいるので、夫の着物とお金も一緒に届けてほしいと頼みました。
園子は、梅田駅に行って光子の使用人のお梅と会い、光子と一緒にいる人が誰なのかと聞きました。お梅によると、光子は一人で出かけることが多くなり、その度に園子のところへ行っているということにしておいてほしいと頼んでいたようでした。
園子は、光子が男と料亭に行き、風呂に入ったことを知りました。園子は腹を立てましたが、光子のことを可哀想だと思う心に勝てず、タクシーで現地へと向かいました。運転手によると井筒は料亭ではなく、宿屋であるようでした。
園子がその宿屋に入り、部屋へと取り継がれると、そこへ二十七、八歳の整った顔の男が座っていて、畳に頭をつけながら今回のことを詫びました。光子は奥の間にいるらしく、着替えをするまで出てこようとはしませんでした。園子は着物だけを差し出して帰ろうとしましたが、その男に引き止められました。男は光子の以前の住居の船場の近所に住む綿貫栄次郎というもので、去年の暮れ頃から光子と愛し合うようになって結婚の約束までした仲のようでした。綿貫は、縁談話が持ち上がった光子との結婚を一度諦めたものの、彼女に同性愛の噂によってその縁談が破談になったため、再び会うようになった経緯を語りました。
綿貫は、光子と園子との関係を知っていました。しかし園子との交際を認めてくれなければ、自分との仲も続けられないと光子に言われ、その付き合いを容認しながら再び結婚を約束する仲になったようでした。
その晩は、博打を売っている宿屋の別の部屋に検挙が入り、自分たちが密会のためにこの宿に来ていると見せかけようとしたひと組の賭博者が、光子と綿貫の着物を盗んだようでした。
綿貫は、今夜のことが光子の家に知られないよう、光子を蘆屋の家まで送ってやり、それまで一緒に過ごしていたように装ってほしいと園子に頼むと、ようやく光子を呼びました。
光子は泣き腫らした目で襖を開けました。園子は腹を立てながらも、光子をお梅とともに車に乗せました。綿貫も平気な顔をしてその車に乗り込み、車を降りた後も物騒な道を送りたがりました。綿貫を無理やり帰した園子は、自分が光子と遊んでいたふりをして、彼女を家まで送り届けてやりました。
家に帰ると、滅多に飲まない夫が、葡萄酒の壜を傍らに置いて寝ていました。園子は、夫の隣で横になりながら、光子に復讐をすることばかりを考え、夫の飲み残した葡萄酒をあおりました。
園子が動悸を感じ始めた頃、だしぬけに夫は園子に抱きつき、よく帰ってきてくれたと言いました。
園子は悔しさのあまり涙を流しながら、夫の優しさを有り難いと思い、後悔の念に囚われ、その夜のことをすべて打ち明けました。
気を入れ替えた園子は、光子と会うかもしれない外へ出るのも恐ろしく感じ、光子とやりとりした手紙の入っている引き出しすら開けるのを避けました。夕方に夫が帰ると、園子は夫の愛情にすがるようになりました。
光子との再会
半月後の六月下旬、園子の元へある病院から電話が入り、以前園子が英語の避妊法の本を貸したことがある、光子の友人の中川という婦人が、その本に書かれていることで大変なことになったということを伝えました。その病院の医師は、このままでは園子の責任問題となることもあり得るので、今日中でも光子に会って話を聞いてみてほしいと指示しました。園子は、夫に了承を得て、光子に会うことを決めました。
病院からの連絡のあと、予想外の速さで光子がやってきて、遠慮しながらも馴れ馴れしい口調で、まだ怒っているのかと園子に聞きました。園子は、自分は中川の奥さんのことで訪問を受けたので、その用件だけを伝えてほしいと言い、姉ちゃんと呼ばれることも拒否しました。
すると光子は、避妊法が上手くいかなかったのは中川の奥さんではなく自分なのだと答えました。彼女は、妊娠がだんだんと人目につくようになってきたために、その本に書いてある処方に従って調合した薬を飲んで腹痛を起こし、病院で堕胎を頼みました。しかしそこは光子の父親が融資して建てた病院であり、また堕胎に取り締まりの厳しくなっていたこともあり、院長は引き受けるのを渋りました。その間にも光子の腹痛は激しくなっていくので、その本を貸した人が証人になるのであれば手術を引き受けると院長は約束したようでした。そのため、光子は園子に証人になってほしいと頼みに来たようでした。
その言葉を信用しかねた園子が迷っていると、光子は苦しみ始めたため、園子は彼女を寝室に寝かせ、促されて帯を解きました。
やがて園子は光子が苦しんでいるふりをしているだけで、出血も血糊のようなものを仕込んでいたことに気づきました。光子も自分の嘘が見透かされていることを知りながら芝居を続けました。そのうちに、園子は光子の罠にはまり、以前のような馴れ馴れしい態度で接するようになりました。
一度よりが戻ると、園子は、以前にも増した恋心に支配され、翌日も会いたいとせがむようになりました。
光子は、翌日大阪へ行こうと園子を誘い、帰って行きました。その後帰ってきた夫が事情を聞くと、園子は、光子が家に来たことを隠し、翌日病院まで行くつもりだと嘘をついて、光子と会うための算段を立てました。
翌日、夫が出かけると、園子はすぐに光子に電話をかけ、九時半に梅田で待ち合わせる約束を交わしました。二人は奈良の若草山に行き、人目のつかない草の陰に隠れ場所を見つけて入り込み、雨が降ってくるとホテルの温泉に入りました。
光子を送った園子は十時頃に家に帰り、心配していた夫に、妊娠していたのは中川の奥さんではなく光子であったこと、綿貫と一緒になりたいと思っている光子に手を貸して欲しいと頼まれ、その話を突っぱねているうちに光子が苦しみ始めて騒ぎになったと作り話をでっちあげ、その場を言い逃れました。
その後も園子は、見舞いに行くと言いながら、光子と会い続けました。光子は二人の逢引きの場所に、自分が綿貫と会っていた笠屋町の宿屋を提案し、園子は嫉妬を感じながらもその提案に乗りました。その宿屋の電話番号を光子の家族は知っているようでしたが、光子は宿屋の仲居と口裏を合わせ、そこが園子の事務所であるということにしているようでした。
園子は、そのように自分が利用されていることを知っていましたが、別れることができずに深みにはまっていきました。
綿貫との誓約を交わす園子
ある日、綿貫が自分に会わせてほしいと言っていることを光子から聞かされた園子は、言われるがまま、会うことを決めました。綿貫は、畏まって現れ、以前のことを詫び、「お姉さん」と園子を呼びました。三人は食事と映画に行ったものの、園子は恋敵の綿貫から陰険な印象を受け、打ち解けることができませんでした。
園子は、光子が妊娠したために引き取られた父親の妾の家といつわって、笠屋町の電話番号を夫に教えました。夫は光子が妊娠したということを間に受けて、気の毒がりました。園子は、光子が笠屋町の家に押し込められて退屈しており、自分だけを頼りにしているのだと嘘をつき、光子に会う許可を夫から取り付けました。
ある日、光子と遊んだあと、笠屋町の宿屋を出た園子は、綿貫に呼び止められました。綿貫は、光子が一時自分との子供を妊娠したものの、一向に自分と結婚しようとしないことを嘆いており、光子が自分よりも園子の方を愛しているようにしか思えないのだと訴えました。園子は、光子が妊娠していたことを初めて知りました。光子が自分を崇拝してくれる人を身近に置いておきたいという理由から、園子や綿貫に嫉妬心を起こさせるつもりで別れずにいるのではないかと考えた綿貫は、お互いに焼き餅を焼くのを辞めて、光子を共有することを認め合い、彼女から利用されないように結託しようと園子に持ちかけました。園子は、もし光子と結婚できるのなら、その後も自分のことを味方と思ってくれると言う綿貫の提案に乗り、これから連絡を取り合うことを決めました。
その四、五日後、園子は綿貫から誓約書を突きつけられました。そこには、二人が兄弟としての契りを結び、光子が第三者に奪われないために結託すること、もしどちらかが光子に捨てられた場合は、もう一方も光子と別れること、逃亡や情死を認めないこと、秘密を厳守することなどが書かれていました。園子の意見により、結婚後は新たな子供を作らないことを追加すると、綿貫は、園子と自分の肘の上を刃物で切り、その誓約者に血で判をつけました。園子は綿貫のことを恐ろしいと思いましたが、逃げることもできず、されるがまま血で判を押しました。
光子は、綿貫と同じところに傷を作った園子が自分に隠し事をしていることを悟り、問い詰めました。
園子は誓約書のことを話そうとせず、反対に妊娠のことを光子に問い詰ました。すると光子は涙を流しながら妊娠を否定し、そもそも綿貫には子供を作る能力がないのだと説明しました。
光子によると、綿貫は、交際し始めの頃、肉体関係を求めてこなかったようで、光子はそんな綿貫のことを立派な人間だと思っていました。しかしそのうちに、綿貫が女性と結婚の話が出ると、いつも逃げてしまうということを友人から知りました。探偵を使って調べさせたところ、綿貫は芸娼妓の女の間で、子供を作ることができない体であるという噂が広まっていたことが分かりました。おそらく綿貫は玄人の女に、自分の体を悲観することはないと教え込まれ、光子を狙ったのではないかと思われました。
綿貫の秘密を知ることとなった光子でしたが、自分の方でも綿貫を捨てることができなかったため、一緒に死ぬことすら考えました。綿貫は、普通の男と同じような世帯を持ちたい、また光子のような美人と結婚して周囲をあっと言わせたいという考えから、光子の親に事情を隠してでも結婚に漕ぎ着けたいと考えていました。
光子は、綿貫のような男に見込まれたことを悲観し、毎日のように会っても喧嘩が絶えませんでした。やがて大きな喧嘩になり、綿貫は光子に頭の上がらないようにると、余計に陰険に、疑い深くなりました。
そのような時に、光子に縁談が持ち上がり、綿貫は嫉妬のために脅迫めいたことを言うようになりました。そこで光子は園子との同性愛の噂を流し、その縁談を破断にしたのでした。しかし、初めは園子を利用するつもりだけだった光子は、園子が自分に熱をあげるのを見て、本物の愛情を感じるようになりました。
光子は、二人が着物を盗まれたのも、自分に園子への電話をかけさせ、園子に腹を立てさせるための綿貫の企みなのではないかと考えていました。その企みは成功し、一時光子は園子に会うことができなくなりましたが、綿貫の計略にはめられた悔しさと、園子と仲直りしたいという気持ちによって、妊娠したと嘘をついて連絡をとってきたようでした。
やがて綿貫は、光子と園子のよりが戻ったことに気づきましたが、光子が園子との関係への口出しを拒否したため、泣き寝入りして二人の交際を認めるようになったのでした。
ここまでを話した光子は、自分の不幸せな運命を嘆き、頼りにできるのは園子だけだと言って激しく泣きました。
園子は、綿貫と姉弟の関係を結んでしまったことを光子に白状し、綿貫と光子がそのうちに手を切れるようにすることを約束しました。
誓約書のことを夫に知られる園子
それから半月ほどは、園子は夫が出かけるとすぐに笠屋町に行く生活を続けました。光子は会うたびに心配そうな表情を浮かべるようになり、園子はなおさら彼女のことを愛おしいと考えるようになりました。
やがて光子は、自分の名誉を傷つけるつもりで、わざと綿貫と駆け落ちして園子に居場所を教え、頃合いを見計らって捕まえてもらうことで綿貫と手を切ろうという計画を立て始めました。
園子は夫にある程度白状してでも、光子が法的に綿貫の迫害から免れる方法はないものかと考えました。そんなある日、夫が突然笠屋町の宿屋を訪ねてきました。園子は慌てながら玄関に降りて行きました。夫は、近くに寄ったついでに光子の見舞いがてら、夕飯をご馳走しようとしてやってきたと言いました。園子は光子と相談して、光子に帯を身体に巻きつけた上に服を着て、お腹を大きく見せるようにして夫に会いました。
不機嫌な夫に連れられて家へと帰った園子は、綿貫の間に交わされた誓約書を突きつけられ、そこに書かれているサインは本物なのかと問い詰められました。
夫は数日前に綿貫の訪問を受け、園子が自分たちの結婚の邪魔をしてくるので、夫の立場から意見して欲しいと頼まれ、その誓約書を見せられたのでした。夫は、園子が自分のことを騙していたことに加え、自分の知らない間に他の知らない男と兄弟の約束を交わしていたことに不愉快を覚え、他人の妻とこのような誓約を結んだことへの弁明を綿貫に求めました。すると綿貫は、そもそも正式な結婚を望んでいる自分がこのような誓約を求める事が譲歩しているのであり、このような結果になったのは夫が園子を甘やかしたためであると訴え、自分の正当なことを主張し始めました。夫は園子に突きつけるために、その誓約書を貸してほしいと頼みました。しかし綿貫は、自分と夫の利害が一致するので、園子と光子に逃げられないためにも、決して園子と別れないことを約束してくれなければ、その誓約書を貸すことはできないと言いました。その無礼な態度に豪を煮やした夫は、その誓約書をもらうことを拒否しました。
すると綿貫は憎まれ口を叩きながら出て行きましたが、すぐに戻ってきて園子が光子と逃げないよう、監督を厳重にすることを約束してほしいと頼み、誓約書を渡しました。
夫は、綿貫の計算高さが惨めになり、誓約書を受け取ることに同意しました。
この綿貫との一連の出来事を話した夫は、誓約書が本物なのかと園子に聞きました。園子は仕方なく、自分の誓約書を出し、夫に見せました。
彼女は綿貫のことを憎らしく思い、彼を貶めるために、光子の妊娠が嘘であることや、自分が夫を騙していたことなどを洗いざらい話しました。
夫は探偵に綿貫のことを聞いていたらしく、すべての事実を知っていました。
夫は、このことが世間に知れたら、園子や光子自身にも害が及ぶと説き、自分が憎んでいるのは綿貫だけで、園子や光子に対しては同情しているのだと言いました。彼は園子が自分の罪を後悔し、その罪を償うつもりがあるのなら、自分はこれ以上問題をほじくり返さないと言いました。しかし園子は、どのようにしたら今後も光子と会えるのだろうかということばかり考え、家出を仄めかしたり、死なせて欲しいと言って、離縁せずに光子との関係を認めさせようと考えました。
光子の誘惑に堕ちた夫
翌日から夫との睨み合いが続きました。しばらく夫は会社も休み、園子のそばを離れませんでしたが、ある時どうしても事務所に行かなければならないと出かけていきました。その隙に、園子は光子を呼び出して事情を話しました。光子もまた、綿貫が園子を裏切って夫に誓約書を見せたことを、綿貫本人の口から聞き、さらに結婚を約束する誓約書を書かされようとしていて拒否したようでした。綿貫は、夫に預けた園子との誓約書を写真に写しており、これを新聞に送りつけると脅したようですが、光子は弱いところを見せないようにその脅しには乗らず、綿貫と喧嘩別れしていました。
光子と園子は結託し、園子の夫を味方に引き受けなければならないと話し合い、二人で駆け落ちし、薬を飲んで死ぬふりをして、お梅に二人が心中を図ったと知らせてもらい、夫に自分たちの関係を認めさせようとしました。
死ぬふりをするための薬は、昏睡に陥っても死ぬようなことがないバイエル製の薬に決めました。
駆け落ちは、三日後、園子が海水浴を夫に許してもらうことにしました。
その三日後、園子は夫に海水浴を許してもらって海岸に出ると、待っていたお梅に合図をしてから光子の別荘に向かいました。
その別荘にある茅葺きの家で光子と会った園子は、本当に死ぬのではないかと思いながら、二人で薬を飲みました。
それから園子は現実世界と幻覚なのかわからないような夢を見ながら、二、三日のあいだ昏睡状態に陥りました。
その間に光子は飲んだ薬を全て吐いてしまったようで、園子よりも早く目を覚ましていました。
お梅に呼び出された夫は、二人が昏睡に陥っている別荘に駆けつけました。やがて光子が起きだし、園子のほうに寄ってこようとしたため、夫はそれを引き離して世話をしているうちに光子から逃げることができないようになっていたようでした。やがて夫と光子は、園子に隠れて関係を持ち始めました。もともと芸者遊びなどをしなかった夫は、園子にすまないと思いながらも、光子にのめり込むようになりました。
園子は自分が裏切られたことを知りましたが、夫に涙ながらに真実を打ち明けられ、自分が光子との関係を維持するため、二人の関係を許さざるを得ませんでした。
その翌日、夫は光子の家に行き、自分の妻と光子が綿貫によって同性愛だという噂を流されたものの、二人の潔白は夫である自分が保証するので、この問題を一任して欲しいと嘘をつき、実家の方から綿貫が光子に寄り付かないようにして欲しいと頼まれました。
その後夫は綿貫を訪ね、証拠となるような誓約書を全て買い取り、綿貫に光子から手を引かせました。
お梅は、光子の状況について黙っていたことを実家から咎められ、解雇されました。
園子と夫は、光子の実家から信用され、光子が泊まりに来ることも許されました。
夫と園子の間には、隠し事をしない約束が結ばれましたが、二人はお互いに対する嫉妬の念に苦しむようになりました。光子は、夫婦に焼き餅を焼いているのか、二人を支配するためなのか、毎日のように園子と夫に睡眠薬と葡萄酒を飲ませ、二人が寝なければ家に帰らないと主張しました。園子と夫は、自分だけが寝かされるのではないかという疑いを持ちながらその睡眠薬を飲み続け、やがてその薬が効かなくなると分量を増やされ、朝起きてからも、一日中ぼんやりとした意識で過ごさなければなりませんでした。
それまでにも増して生き生きとするようになった光子は、人の感覚を麻痺させてでも、自分のことを崇拝しているのを試したかったのではないかと園子は思い、このように光子がなったのは、綿貫の執念が乗り移ったのではないかと考えました。夫は綿貫と同じように陰険で卑屈な表情を見せながら光子のご機嫌を取るようになり、園子は夫に綿貫の生霊が乗り移ったのではないかと考えました。
園子と夫は自分が死ぬことを覚悟しながら、その運命に身を任せているように生きました。
心中
やがて、自分たちに恨みを持つお梅が、綿貫とグルになり、これまでのことを全て新聞にすっぱぬきました。
記事がいく日も出続け、抜き差しならない状況になると、光子は、園子と夫を道連れにして死のうと言いだしました。
園子と夫は、あの世ではお互いに焼き餅を焼かないことを誓い合いました。三人は光子を真ん中にして横になり、薬を飲みました。
翌日、園子は目を覚まし、光子と夫が死んだことを知りました。彼女は二人の後を追おうと考えたものの、もしかすると、生き残ったのは偶然ではなく、二人に騙されていたのではないかと思い、死んでもあの世で邪魔者扱いされるのではないかと考え、光子への恋しさを募らせながらも生き残ってしまったのでした。