谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』の登場人物、あらすじ、感想

 『猫と庄造と二人のおんな』は、1936年(昭和11年)に発表された谷崎潤一郎の小説です。タイトルの通り、一匹の猫を巡って、その猫の飼い主である庄造という男と、その庄造の前の妻と現在の妻が織りなす人間模様が描かれた作品です。美しい日本語を書く谷崎潤一郎の小説の中でも、非常に読みやすく、入門書としてお勧めしたい作品です。
 このページでは、『猫と庄造と二人のおんな』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

※ネタバレ内容を含みます。

『猫と庄造と二人のおんな』の登場人物

庄造
蘆屋で荒物屋を開く甲斐性のない男。飼い猫のリリーを溺愛している。前妻の品子を気に入らないおりんの言いなりになって離婚し、福子を妻に迎え入れた。

リリー
庄造の愛猫。十年前から庄造の家に暮らしている。

品子
庄造の前妻。おりんによって家を追い出され、離婚後は妹夫婦のいる六甲で暮らしている。リリーを預かりたいという手紙を福子に向けて書く。

福子
庄造の従妹で現在の妻。裕福な家庭の出。品子の後釜として庄造の家に入ったものの、庄造の愛情を独占するリリーに嫉妬している。

おりん
庄造の母。気に入らなかった品子を家から追い出し、福子を庄造の嫁に迎え入れた。

『猫と庄造と二人のおんな』のあらすじ

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 蘆屋で荒物屋を営む甲斐性なしの男・石井庄造は、十年前から飼っている猫リリーを溺愛していました。彼は四年前に前妻の品子と結婚した後、品子を嫌う母親のおりんの言いなりになって離婚し、裕福な家庭に育った従妹の福子と結婚したばかりでした。

 福子のもとへ、リリーを譲ってほしいという品子からの手紙が届きました。その手紙を読んだ福子は、品子がリリーを使って庄造を繋ぎ止めようとしているのではないかと考え、腹立ちを覚えました。しかし彼女は以前から庄造のリリーに対する愛情に嫉妬していたため、リリーを品子のもとに送るよう、庄造に詰め寄りました。

 リリーを手放すように言われた庄造は、福子を思いとどまらせるよう、おりんに頼みました。しかし、福子の持参金をあてにしているおりんは、彼女の肩を持ち、リリーを一度品子にやってから、機会をうかがって取り戻せば良いと言って庄造をまるめ込みました。
 庄造は、しかたなくリリーを手放すことを決めました。

 妹夫婦と一緒に暮らしていた品子のもとにリリーが届きました。品子は、庄造への未練は強くはありませんでしたが、自分たちの夫婦関係を壊した福子には忌々しさを感じていました。彼女は、不良少女あがりの福子がそのうちに庄造に愛想を尽かすだろうと考えており、それまでリリーを預かっておき、いつか蘆屋の家に帰ろうと考えていました。
 品子は豪勢な食事を用意していましたが、リリーはそれらの食べ物に目もくれず、部屋の隅に体を寄せて身動きをしなくなりました。品子は、自分に心を開こうとしないリリーが逃げだそうとしているのではないかと思い、電燈のコードにくくりつけました。

 翌朝になってもリリーはそのままの姿勢を崩していませんでした。とうとう品子はリリーが気の毒になり、縛るのをやめました。するとリリーは品子が目を離したすきに逃げ出しました。品子はかえってほっとした気分になりました。

 それから三日目の雨の晩、品子はリリーの鳴き声を聞きました。窓を開けてやると、リリーは媚びるように鳴きながら部屋に入ってきました。品子はリリーのことがたまらなく可愛くなり、寝床をこしらえてやりました。翌日から、リリーは品子を信頼している様子を見せ、出された食事も美味しそうに食べるようになりました。品子はリリーへの本物の愛情に目覚めました。

 一方、庄造は、だらしのない福子と、その福子の肩を持つおりんに愛想を尽かして外へ飛び出しました。彼はあてもなく自転車を走らせ、品子との結婚を取り持った仲人の塚本を見かけ、リリーの様子を聞きました。塚本は、リリーのことを諦めるように言いましたが、想いを募らせた庄造は、リリーのいる六甲へ行くことを決意しました。彼は、知り合いのラジオ屋に入り込んで金を借り、そこの台所で鶏肉の水煮を作りました。そして貸してくれた古提灯を持ち、六甲の山を登って行きました。品子の家に着くと、庄造は裏口の空き地に忍び込み、リリーが現れるのを待ちました。しかしどれだけ待ってもリリーは現れず、彼はしたかたなく鶏肉をそこに置いて家へと帰りました。

 それから三、四日後、庄造と福子は有馬で紅葉と温泉を楽しむことにしました。出かける日の朝、庄造が床屋へ髪を刈っている間に、六甲に行った時に借りた金と古提灯を、ラジオ屋が取り返しに来ました。福子は、庄造がラジオ屋で鶏の水煮を作っていたことを知り、彼が六甲の品子の家に行ったことに気づきました。その古提灯に気づきながらも福子に黙っていたおりんは、庄造とグルになって彼をリリーに会わせたと思われ、福子からの叱責を受けていました。家に帰り、その騒ぎに気づいた庄造は、福子が出てきた音を聞き、逃げ出しました。彼は品子の家に行き、品子が家を出るのを物陰から伺い、台所にいる品子の妹・初子に話しかけ、リリーに合わせてほしいと頼みました。初子はあきれながら、庄造を家に入れました。座布団の上に寝ているリリーを見た庄造は声をかけました。

 しかし、その声を聞いたリリーは、庄造に無愛想な一瞥をくれると、何の感動も示さずに再び目を閉じてしまい、庄造に撫でられても、目をつぶったままゴロゴロと言うだけでした。自分の家を飛び出し、リリーが品子に可愛がられているのを知った庄造は、本当の宿無しはこのリリーではなく、自分なのではないかと考えました。彼は品子が帰ってきたと聞くと、慌てて表玄関から家を飛び出し、裏口へ回ろうとする品子の後ろ姿を見て、怖いものに追われるように、逃げて行きました。

管理人の感想

 誰かに翻弄されることに喜びを感じ、より深く翻弄されていく人の姿を描くのが、谷崎潤一郎の文学の醍醐味です。翻弄する側の人物描写は、どの作品においても非常に魅惑的で印象深く、かつ個性豊かです。それは、『痴人の愛』のナオミだったり、『春琴抄』の春琴であったり、『卍』の光子であったりするのですが、『猫と庄造と二人のおんな』では、それを猫でやってのけています。

 蘆屋で荒物屋を開く甲斐性のない主人公・庄造は、飼い猫のリリーを溺愛しています。

 彼は母親のおりんの言いなりになる形で、前妻の品子と別れ、従妹である福子の夫に収まっています。しかし、品子と出会うよりも前から飼っていたリリーだけを彼は一貫して愛し続けており、品子にも福子にも執着といったものが全くありません。

 あさましさばかりが描写される品子、福子に比べると、リリーははるかに可愛らしく、色気があり、優美で、気品に富んでいます。まるでどのようにすれば人間の心を掴めるのかが本能的に分かっているかのようでもあります。

庄造はわが眼を疑う如く、
「リリー」
と呼んだ。するとリリーは
「ニャア」
と答えて、あの大きな眼を、さも嬉しげに一杯に開いて見上げながら、彼が立っている肘掛窓の真下まで寄って来たが、手を伸ばして抱き上げようとすると、体を躱してすうッと二三尺向うへ逃げた。しかし決して遠くへは行かないで、
「リリー」
と呼ばれると、
「ニャア」
と云いながら寄って来る。そこを掴まえようとすると、又するすると手の中を脱けて行ってしまう。

『猫と庄造と二人のおんな』より

 このような仕草を見せられたら、誰であろうと情にほだされるのではないかと思うほど、リリーの可愛らしさの表現はこの作品で傑出しています。個人的な見解ですが、この作品に限らず、何かどうしようもなく惹きつけられるものの表現において、谷崎潤一郎の右に出る作家はいないと思います。

 猫であろうと、異性であろうと、物であろうと、人間が何かに惹きつけられるというのは本能的な資質なので、部外者がいくら頭を使ったところで、そこに介入する余地はないのでしょう。庄造にとっては、自分の大切なものを奪っていこうとする品子からは浅ましさしか感じ得ず、福子からは非寛容さしか感じ得ないはずで、二人が自分のことでお互いに嫉妬し合っていることなど、どうでもいいに違いありません。

 リリーを失った庄造も可哀想ですが、その庄造とこれからも生活していかなくてはならない福子は、この先もっときついんじゃないかと思います。彼女は、庄造と結婚し、リリーを追い出し、何もかも自分の思い通りに事を進めているようにも見えますが、いつか庄造が品子と結びつくのではないかという懸念を抱きながら、嫉妬という醜い感情とどうにか折り合いをつけていかなければなりません。そのように考えると、自分のわがままで品子を追い出し、半ば金のために福子を嫁に迎えたおりんの罪は大きいようにも思われます。

 一方の品子は、リリーの来訪により、嫉妬に左右されない、本当の本能的な愛に目覚めたようにも思われます。この作品で一番損をしているように見えて、最も幸福を掴んだのは彼女なのかもしれません。