レフ・トルストイ作『クロイツェル・ソナタ』の詳しいあらすじを紹介するページです。
※ネタバレ内容を含みます。
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ポズドヌイシェフとの出会い
早春、「私」は、二昼夜にわたり汽車の旅を続けていました。「私」の他には、不器量なタバコ好きの中年の婦人、その知り合いで、四十歳くらいの話し好きな弁護士、そして一人で離れて座っている中背の紳士の三人の客が、始発からずっと乗り続けていました。その紳士は、咳払いや、笑いかけてふと止める声のような異様な物音を発する男で、眼光が鋭く、神経質な様子でした。彼は他の乗客たちの交流を避けようとしているように見え、斜め向かいに座っていた「私」には、話しかける機会はありませんでした。
二日目の日暮れ前、大きな駅に停車すると、婦人とその知り合いの弁護士は、駅舎へお茶を飲みに行きました。弁護士と婦人が出ている間に、一人の商人らしい長身の老人が乗り込んできました。
商人は、婦人と弁護士の向かいに腰を下ろし、同じ駅で乗り込んできた商店の番頭風な男と、すぐに話を始めました。
商人は、ニージニイ・ノヴゴロドの郊外の村で、大きな声では言えないような乱痴気騒ぎをした話をしてその番頭と笑い転げました。
やがて弁護士と婦人、商人と番頭は、ロシアで増えるようになった離婚問題についての会話を始めました。
「私」は、その話が面白そうだったので、彼らの近くに席を移しました。一人で座っていた眼光の鋭い神経質な紳士も耳を傾けているのがわかりました。
婦人は、昔のように顔も知らない相手と結婚する方がよかったのだろうかと、聞き始めました。商人の老人は、昔は結婚において愛情のあるなしは詮議されなかったのだと答えました。彼は、女に必要なのは夫を恐れる気持ちであり、現代の教育から生まれるのは、愚劣さだけであると考えているようでした。
婦人は敵意を込めて、そのような時代は終わったのであり、愛情がなければ一緒には暮らせないだろうと反論し、世間の男たちが自分の妻を閉じ込めて、好き勝手なことをしていることを非難し、女にも感情があるので、愛情がなければ、夫のことを愛するように強制などすることはできないのだと主張しました。
番頭は、自分が雇う男の妻が浮気を繰り返し、夫から捨てられた今でもさまざまな男を渡り歩いているという話をしました。老人は、最初から妻に好き勝手をさせず、しめあげておかなければならなかった夫を馬鹿だと評しました。
老人がデッキに出て行くと、婦人は、彼の考えを野蛮な女性観や結婚観だと非難し、結婚を神聖にするのは愛情だけであると言いました。
すると、「わたし」の背後にいた、眼光の鋭い白髪の紳士が、笑い声とも嗚咽ともとれる声を漏らしました。その男は興奮した様子で、結婚を神聖にする愛情とはどのようなものかと、婦人に聞きました。
婦人と弁護士は、相手に惹かれる心こそが愛情であり、結婚はそのような気持ちが存在してこそ神聖なものになるので、その気持ちは一生涯続くこともあるのだと答えました。
しかしその紳士は、ひとりの人間を何年も思い続けるということは、ほとんど不可能に近いことなのだと主張しました。
「私」、婦人、弁護士は声を揃えて彼に反論しましたが、その紳士はそれを制するかのように、人間の愛情は、すぐに飽きがきて心変わりするもので、結婚は性行為のためにあるのであり、その結果は、欺瞞か強制で終わるので、世の中の夫婦はつねに憎み合う結果になるのだと語りました。
その紳士は、ポズドヌイシェフと名乗り、妻を殺す事件を起こしたことがあると言いました。この話を聞いた「私」は、言うべきことが思いつかず、眠そうなふりをしました。弁護士と婦人は別の車室へと移っていき、番頭は座席の上で眠りにつきました。
目を開けた「私」に、ポズドヌイシェフは突然話しかけ、自分が妻を殺した経緯を話そうかと聞きました。「私」は、もし辛くないのであれば、話して欲しいと言いました。
ポズドヌイシェフの結婚まで
地主で貴族会長であったポズドヌイシェフは、十五歳のころ、兄の友人に連れられ、売春宿と入ると、まもなく放蕩にふけるようになりました。以来、堕落の味を知った彼は、三十歳まで放蕩を行いながらも、清らかな家庭生活を築こうという夢を抱き、妻になる女性を探し続けていました。
やがて彼は、そのような妻になる値打ちのあると思われる女性を見つけました。それはペンザ県の破産した地主の娘でした。
その娘は美人で、ポズドヌイシェフは一緒に遊んだ後、聡明で貞淑な女性だと思い、彼女こそが妻になるにふさわしい女だと感激して結婚を申し込みました。彼女はそのプロポーズを受け入れたものの、ポズドヌイシェフが道義的な人間であると信じ込んでいたため、彼のこれまでの女性関係を知ると、恐怖と絶望の表情を見せました。
男性と対等な権利を常に奪われ続けてきた女性は、どのような清純無垢に見える娘でも、皆、男が女の体のみを求めていることを無意識に知っており、知らず知らずのうちに男の性欲に働きかけるような格好をすることで、自分の望む男を支配するのだという主張をポズドヌイシェフは持っており、その時も、彼はその娘が身につけていた、性欲を刺激する服装や装飾品によって、熱烈に彼女を愛するようになりました。
婚約者としてしばらく付き合う間、彼は自分の愛が肉体的なものでなく、精神的なものであると信じ切っていました。しかし実際には二人の間での精神的な交流は全くなく、必要なこと以上の会話は何もありませんでした。
結婚後のいがみ合い
ハネムーンは、ポズドヌイシェフにとって、美しいものではなく、忌まわしく恥ずかしく退屈なものでした。彼はそれを苦痛に感じました。
三日目か四日目の頃、妻が寂しそうに泣いているのを見たポズドヌイシェフは、抱きすくめようとして手を払い除けられました。妻は母親と離れているのが悲しいと言いましたが、ポズドヌイシェフは、それは嘘ではないかと考えて説得しにかかりました。妻は母親の件を黙殺させて気を悪くし、憎悪に満ちた顔で彼の薄情さを責め始めました。
そのいがみ合いは、性欲が満たされたことによって恋心が薄れ、お互いの本当の関係が表面化したものでした。
そしてハネムーンの最初のひと月の頃に再び二人は和解し、やがて再び喧嘩となりました。その喧嘩は、くだらないきっかけで始まったものでしたが、親や兄弟との間に起こるようなものではなく、常に存在しているお互いへの敵意を表すための口実であり、残酷で冷たいものでした。
しかしそのような敵意も、恋慕という名の性欲によって、まもなく覆い隠されてしまうということとなりました。ポズドヌイシェフは、この繰り返しによって、夫婦間の性的な関係とは、不自然な罪悪であり、性欲は、人間の本心を覆い隠す一番悪質な欲望だと考えるようになりました。そして彼は、期待していた結婚生活が裏切られたと感じ、結婚とは幸福ではなく辛いものであると悟りました。
妻は結婚したその月に身籠りました。ポズドヌイシェフは、妻の妊娠後も肉体を求め続け、自分は他の女に心を動かさない誠実な人間なので、夫婦喧嘩の原因はすべて妻にあるのだと思い込んでいました。
その間にも繰り返される妻のヒステリーにより、ポズドヌイシェフは、そのようなヒステリーは、女性が快楽の手段であるという男の中の女性観により、常に虐げられているために起こることであり、女性に権利を与えるためには、その女性観を変化させなければならないのだという考えに至りました。
それができない限り、女の仕事は、婿選びや夫の支配のために、よりおおくの媚態を身につけることから逃れられず、これを辞めることができるのは、女が子を産み、自分で乳を与えるときに限られるのだと彼は主張します。
やがて妻は、五人の子供を産みました。一人目の時は、身体の具合を悪くしたために、子供は乳母に預けられ、育児をすることがありませんでした。医者が授乳を禁じたとき、授乳という役割を放棄した妻を見て、ポズドヌイシェフは、彼女が妻としての義務も放棄するだろうと考えました。育児をすることのなかった妻は、それまで眠っていた女性特有の媚態が現れ始め、ポズドヌイシェフは激しく嫉妬するようになりました。
その後、妻は八年間に五人もの子供を産み、二人目からはすべて自分の乳で育てました。ポズドヌイシェフは、妻が妊娠と育児を繰り返している間は、その嫉妬の感情から解放されました。
この子育ての期間、妻は子供の心配で、拷問のように悩み通しました。子供たちの体調が一度悪くなると、どのように治療すべきかでひと騒動となり、ポズドヌイシェフにとっても心休まることはありませんでした。
そのため、子供は夫婦にとって、生活を改善しなかったばかりか、不和のきっかけになりました。子供たちが大きくなるにつれ、自分たちはお気に入りの子供を、自分の側に引き入れて対抗するようになりました。子供たちはそれを思い悩んでいましたが、ポズドヌイシェフに彼らの気持ちを考える余裕はありませんでした。
結婚後四年が経つと、二人は、お互いに理解し合うことができないのだという結論に達しました。ポズドヌイシェフは必ず妻の意見に反対し、妻は彼に対して自分の方が常に正しいと主張しました。二人は譲歩することがなかったため、沈黙か、当たり障りのない会話だけをしなければ、お互いの心の中に憎悪の念が持ち上がるのを抑えることができなくなりました。
妻は、忙しい家政によって、ポズドヌイシェフは、仕事や狩猟、カードなどで自分自身の惨めな状態を忘れようと試みました。
やがてポズドヌイシェフの家族は都会での生活を始め、空疎ながらも忙しい日々を送るようになりました。そのため、彼らは夫婦の関係について思い悩むことも少なく、一冬を過ごしました。
その次の冬、妻は体調を崩し、これ以上子供を産むことを医者に禁じられると、ポズドヌイシェフの反対を押し切って堕胎をするようになりました。
やがて二年が経ち、三十歳を迎えてふくよかになった妻は、念入りに化粧をするようになり、精力を持て余した挑発的な魅力を発揮し始め、周囲の視線を惹きつけるようになりました。ポズドヌイシェフは、子育てから解放された妻が、新しい恋愛を求めているように思いました。
ある日、ポズドヌイシェフは、乱暴な言葉を使う自分に慄然としながら、妻と恐ろしい言い争いをして、一人で書斎に走り込みました。彼は妻が玄関から外へ飛び出し、その日の夜になっても帰りませんでした。ポズドヌイシェフは、家を留守にして自分や子供たちを苦しめようとしている妻に憎しみを感じました。
妻は翌日の朝、妻の姉がやって来て、妻がひどい状態にあることを伝えました。ポズドヌイシェフは、自分から歩み寄ることはないと宣言し、離婚も辞さない考えを伝えました。妻の姉が引き上げていくと、彼は怯え切った子供たちをみて後悔し、酒を飲みました。
三時ごろ妻が帰ってきて、これ以上一緒には暮らせないので、子供たちを引き取りに来たと言いました。ポズドヌイシェフは、自分が腹を立てたのが妻のせいだと答えると、妻は叫び声をあげて部屋の中へ走り込んで行きました。
三十分ほどすると、長女のリーザがやってきて、部屋の中に母親のいる気配がしないと泣きながら訴えました。
ドアをこじ開けると、妻は阿片を飲んで倒れていました。ポズドヌイシェフは、妻を正気づかせ、ようやく仲直りをしましたが、二人の間に芽生えた憎しみが消えることはありませんでした。
二人の間には、このような喧嘩が幾度となく繰り返されました。
トルハチェフスキーの出現
そのような時に、以前のポズドヌイシェフの友人トルハチェフスキーという男がやってきました。彼はセミプロのバイオリニストで、物腰に品位のある、女受けの良い社交会の人間でした。ポズドヌイシェフはトルハチェフスキーのことを気に入りませんでしたが、彼を帰さず、むしろ自分から近づきになろうとして妻に紹介しました。トルハチェフスキーは、一目で妻を気に入った様子でした。
妻は無関心なそぶりをしながら、トルハチェフスキーの眼差しに喜びを感じているようでした。しかしポズドヌイシェフは、自分が妬いていないということ、恐れてはいないことを見せつけるために、彼にバイオリンを持ってこさせ、妻との合奏を頼みました。トルハチェフスキーは、妻を助けながら見事な演奏を行いました。
ポズドヌイシェフは、妻がトルハチェフスキーの近づきになりたいという欲望を了承していることに気づき、嫉妬に悩まされましたが、妬いているが故に余計に愛想良く振る舞い、以降も妻と合奏をしてほしいと彼に頼みました。
それから二、三日後、ポズドヌイシェフが展覧会から帰ると、トルハチェフスキーが家に来ていて、妻と共にピアノを奏でていました。ポズドヌイシェフは激しい嫉妬に駆られて部屋に入ると、妻は、日曜日に演奏する曲目を決めていたのだと言いました。トルハチェフスキーは、ベートーヴェンのバイオリン・ソナタにするか、小品にするかで妻と意見が分かれていることなどを説明しました。
ポズドヌイシェフは、口もきけないほどに狼狽しましたが、二人の合奏を認めるように愛想良く振る舞い、トルハチェフスキーを玄関まで送り、握手をしました。
その日、ポズドヌイシェフは妻に激しい憎しみを感じました。夕食の時、妻は、貴族会の総会に旅立つのはいつなのかと聞きました。ポズドヌイシェフは、その日時を教えると、無言のまま書斎に引き上げました。しばらくすると、妻がポズドヌイシェフの部屋に現れ、日曜に自分が合奏しようとしているのを不満に思っているのだろうと言い当てました。ポズドヌイシェフはそれを否定し、自分にとって大切なのは妻ではなく、家族の名誉なのだと答えました。
侮辱された妻は怒りだし、以前、ポズドヌイシェフが彼女の姉に乱暴な口をきいたことを引き合いに出し始めました。
ポズドヌイシェフは恐ろしいほどの憎しみにかられ、その憎しみが心のうちに燃え盛るのを嬉しく思いながら、テーブルの上のものを床に叩きつけながら、「出て行け」とわめき続け、妻を追い出しました。
一時間ほど経つと乳母がやってきて、妻がヒステリーを起こしていると伝えました。妻は話すことができず、泣いたり笑ったりしながら全身を痙攣させていました。
やがて妻の気分が収まると、二人は仲直りをしました。ポズドヌイシェフが嫉妬していたことを白状すると、妻は笑いながら、トルハチェフスキーに惹かれる可能性を否定しました。
クロイツェル・ソナタの合奏
妻とトルハチェフスキーが合奏することになっている日曜日になると、ポズドヌイシェフは妻を信じたいと思い、嫉妬から解放されながらも、二人の行動をうかがい続けました。
二人はベートーヴェンのクロイツェル・ソナタを演奏しました。ポズドヌイシェフは最初のプレストを聞いて、自分でも知らなかった、説明のできないような、まったく新しい情感が開けたように感じました。その状態は彼にとって喜ばしいもので、その夜会の間、心が軽くなったような気になりました。
妻もまた、演奏している間に音楽によってもたらされる幸福を感じている様子でした。
ポズドヌイシェフは、良い音楽を聞かせてもらったことに感謝すらして、トルハチェフスキーと別れました。トルハチェフスキーは、ポズドヌイシェフの留守の間は家に出入りすることを遠慮するようでした。
二日後、ポズドヌイシェフは落ち着いた気分で妻に別れを告げ、貴族会の総会のために郡部に旅立ち、山積みになった仕事を行いました。妻からの手紙で、自分が留守の間に、約束の楽譜を届けにきたトルハチェフスキーから合奏の誘いを受けたが断ったという知らせが届きました。
楽譜を届ける約束をしていたことを知らなかったポズドヌイシェフは、再び嫉妬の感情が芽生え、妻のことを信じようとする心と、疑惑の間で心が揺れ動き、眠れない夜を過ごしました。やがて彼は、クロイツェル・ソナタを演奏し終えた時の妻の顔を思い出し、あの瞬間に二人の間ですべてが成就していたことを悟りました。
ポズドヌイシェフは朝になると、急用ができたと言って馬車にのり、家へと帰りました。帰途、彼は旅の快適さに悩みを忘れかけたものの、やがてどれだけかき消そうとしても妻の不貞の情景ばかりが頭に思い浮かび、憎しみや怒りといった感情に心を燃やすようになりました。
彼は苦しみながら終着駅で列車を降り、自分の精神状態を思い出すことができないほどに混乱しながら馬車を走らせました。
事件
夜中の一時ごろ、ポズドヌイシェフはようやく家に帰ると、玄関ホールにトルハチェフスキーのオーバーがかかっているのを見かけました。
彼は、今こそ妻を罰し、自分の憎悪を爆発させ、妻から解放されることができると考え、二人でいる現場を抑えようと、短剣を手に取り、不意に客間のドアを開けました。トルハチェフスキーは彼の登場に恐れ慄き、立ちすくみました。妻も同じような恐怖の表情浮かべましたが、その表情の中には、幸福を破られたことへの落胆と不満が含まれていました。
やがてトルハチェフスキーの顔は、まだ騙しおおせることができるだろうかという表情に変わり、妻には彼を心配する表情が現れました。
ポズドヌイシェフは妻に飛びかかりました。トルハチェフスキーは、その腕を掴んで制止しようとしましたが、ポズドヌイシェフと目が合うと、戸口へと逃げ出して行きました。
ポズドヌイシェフがその後を追おうとすると、妻が彼の腕にぶら下がり、ふり払おうとしても離しませんでした。
ポズドヌイシェフは、自分が狂人のような形相をしているであろうことに喜びを感じながら、肘で妻の顔を突いてソファに倒しました。彼はトルハチェフスキーの後を追おうとしましたが、靴下だけの姿で後を追うのは滑稽に見えるだろうと考え、妻のところへ引き返しました。
妻は、彼とは何もないのだと誓い、正気に戻ってほしいと懇願しましたが、ポズドヌイシェフは彼女の咽喉を締め、自分が恐ろしい行為をしているということを感じながら、短剣を左の脇腹に突き刺し、その後ですぐに、自分のやってしまったことを訂正したいと思って短剣を引き抜きました。
妻のコルセットの下から血が噴き出すと、ポズドヌイシェフは取り返しのつかないことをしたことを悟りましたが、すぐに自分の部屋に入り、装填してあるピストルをテーブルの上に置き、召使いに警察へ知らせるように命じました。彼はタバコを吸い始めると、眠気に襲われ、二時間ほど眠りました。夢の中では、彼は妻と仲睦まじく暮らしていました。
やがてドアを叩く音に目を覚ました彼は、警察だと思ってピストルに手をかけました。これまで何度も自殺について考えていたにもかかわらず、彼は不思議と死ぬ気持ちになれませんでした。
ポズドヌイシェフはドアの掛け金を外し、妻の姉の姿を認めました。妻の姉は、妻が危篤だと涙を流しながら訴えました。
ポズドヌイシェフは、妻を殺そうとした夫は、そばへ行かなければならないしきたりなのだと考えて部屋へ入り、自分の肘の一撃で腫れ上がった彼女の顔に強いショックを受けました。彼は寛大になろうとしてそのそばに寄りました。妻は憎しみを込めて『人殺しをして本望でしょう』と言い、子供たちを渡さないと言い渡しました。
子供たちや、妻の顔を見たポズドヌイシェフは、はじめて自分のしでかしたことの重大さや、嫉妬のくだらなさに思い至り、妻に赦しを乞いました。
妻はポズドヌイシェフを憎みながら、うわ言を言うようになり、その日の昼近くに息を引き取りました。
ポズドヌイシェフは、刑務所に移送されました。事件の翌々日、棺に横たわる妻の姿を見た彼は、自分が妻を殺したのだという事実のすべてと、このことは永久に取り返しがつかないのだということを悟りました。彼は十一カ月間刑務所に入りましたが、裁判では、裏切られた夫であり、汚された名誉を守るために殺したと言う結論になり、無罪になりました。
ポズドヌイシェフとの別れ
「私」の前でこれだけのことを話すと、ポズドヌイシェフは啜り泣きながら「どうも、失礼しました」と言って毛布にくるまり、座席に身を横たえました。
朝になり、下車駅に着いたので「私」は別れを告げるため、眠っているように見える彼に触れました。
ポズドヌイシェフは、「私」の握手に応じ、痛々しい微笑を浮かべ、「どうも、失礼しました」と、これまでの話の終わりに用いた言葉を繰り返しました。