アベ・プレヴォ『マノン・レスコー』の登場人物、あらすじ、感想

 マノン・レスコーは、1731年に出版されたアベ・プレヴォ(アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ・デグジル)の長編小説です。
 アベ・プレヴォは、1679年、フランス北部の町の検事の次男として生まれた人物で、修道僧として勉強した後で軍隊に入り、オランダに渡ると二人の女性と結婚して別れたと言われています。その後フランスへ戻り、修道院生活を送りながら文筆活動を行うも、宗教の掟に反して追放され、イギリスへ渡っています。
 『マノン・レスコー』は、そんな波瀾に満ちた生涯を送ったアベ・プレヴォの代表作です。その類い稀なる美貌で数々の男を魅了し、自身も破滅していく主人公マノン・レスコーは、その後数々の小説に描かれることとなる妖婦型の女性の典型として、発表から三百年ほど経つ現在でも読み続けられています。
 このページでは、『マノン・レスコー』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

※ネタバレ内容を含みます。

『マノン・レスコー』の主な登場人物

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シュヴァリエ・デ・グリュー
物静かな、学問を好む名家の貴族。十七歳の頃、修道院に入ろうとして自分の住む街を訪れたマノンに出会い、その美しさに一目惚れし、駆け落ちを持ちかける。

マノン・レスコー
たぐい稀なる美貌を持つが、快楽や遊戯を満たすことに目がない享楽的な性格の持ち主の。自分の意思に反して修道院に送られようとしていたところをデ・グリューに見染められ、駆け落ちを果たす。

チベルジュ
デ・グリューの学生時代からの三歳年上の親友。裕福でなく、僧侶になるための勉強をしながら神学校に通っている。マノンに夢中になるデ・グリューを心配し、堅実な生活を送るように忠告する。

デ・グリューの父
名家の貴族。デ・グリューを貴族教育を行う学校のアカデミーに入れる予定であった。デ・グリューがマノンに夢中になるのを快く思っていない。

B‥氏
司税官。デ・グリューとマノンが初めて共に生活を始めたパリの部屋の隣人。

レスコー氏
マノンの兄。粗野な近衛兵。デ・グリューとマノンがパリに借りた部屋に転がり込んでくる。

G‥M‥氏
好色な老人。レスコー氏によってマノンを紹介され、愛人として囲おうとする。

G‥M‥
G‥M‥氏の息子。父親同様、マノンの美しさに魅了され、大金を叩いて近づこうと試みる。

T‥氏
オピタル(品行の悪い女性を監禁する施設)の管理人の息子。

セヌレ
アメリカ植民地ヌーヴェ・ロルレアンの首長の甥。三十歳ほどの、勇敢で気短な独身男。


この物語の書き手。罪を犯してアメリカへ連行されようとするマノンとデ・グリューに出会い、援助を与える。その二年後、帰国したデ・グリューと偶然再会し、これまでの経緯を聞く。

『マノン・レスコー』のあらすじ

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第一部

 フランス北部の町パシーに寄った「私」は、ある宿屋でアメリカへ売られていく女たちを見かけました。その中の一人の、オピタルという悪い生活を送っている女を監禁している場所から来た非常に美しい女に「私」は目を引かれました。その女の傍には、パリから泣きながらついてきた家柄のよい男が座っていました。その男は、女のことを深く愛しており、護送の兵卒たちに金を渡しながら、共にアメリカへ渡るつもりでした。「私」はその男に同情し、援助を与えてやりました。

 その二年後、「私」はフランス北部の町カレーで、偶然その男に再会しました。男はアメリカから帰ってきたばかりでみすぼらしい格好をしていたため、「私」はその男が不自由のないようにしてやり、身の上話を聞きました。

 その男は、シュヴァリエ・デ・グリューという名でした。名家の出身であった彼は、優秀な成績でアミアンの学校を卒業し、貴族教育を行う学校・アカデミー入学を控えていました。
 アミアンを去る前日、三歳年上の親友チベルジュと歩いていたデ・グリューは、修道院へ入る予定で街にやってきたマノン・レスコーと出会い、一目で恋に落ちました。マノンが修道院に入るのは、その享楽的な性格を矯正させようという両親の試みによるものでした。デ・グリューはマノンに話しかけ、その両親に強制された境遇から助け出すと約束しました。修道院生活から逃れて身分の高い愛人を手に入れることができると思ったマノンは、喜んでデ・グリューに同意しました。
 デ・グリューは、自分たちの愚行を止めようと忠告してきたチベルジュを欺き、マノンを連れてパリへ行き、部屋を借りました。数週間、二人はそこで蜜月の時を過ごしましたが、間もなくデ・グリューは、マノンが隣人のB‥氏と通じていることを知りました。B‥氏は、マノンを説き伏せてデ・グリューの父親に手紙を書き、その手紙を読んだ父親は、従僕を差し向けてデ・グリューを連れ去り、自宅に監禁してしまいました。マノンに裏切られたデ・グリューは復讐を考えました。しかし段々と心の苦痛がおさまってくると、僧になるための勉強を続けていたチベルジュの影響により、自身も僧になりたいと思うようになっていきました。
 デ・グリューは、パリの神学校に入ってアベ・デ・グリューという僧名となり、神学の勉強に没頭しました。一年近くを神学校で過ごした後、彼は僧になるための試験を受けるため、パリ中の名士を勤行に呼び寄せました。そのためデ・グリューの名はパリ中に広まり、その噂を聞きつけたマノンは、再び会いにやってきました。
 マノンは涙を流しながら、B‥氏とのことは、金のためにしたことに過ぎないと主張しました。以前にも増して魅惑的になったマノンに、デ・グリューは一目で虜になり、彼女に言われるがまま、神学校を逃亡しました。

 二人はパリ近郊のシャイヨーで新しい生活を始めました。デ・グリューは質素に生活するつもりでした。しかし、マノンの希望によりパリにも家を持つこととなり、また近衛兵であるマノンの兄が訪れてきて、家の金を使い込んだため、出費はかさんでいきました。さらにシャイヨーの家が家事になり、家の金庫が野次馬に持ち去られたことが追い討ちをかけ、デ・グリューはマノンの心をつなぎとめるため、チベルジュに金を借り、マノンの兄に相談していかさま賭博師の仲間に入りました。
 しかし、デ・グリューの召使いとマノンの小間使いが恋仲になり、家の財産を全て持ち逃げしてしまったことで、マノンも自分たちが落ちぶれてしまったことを自覚するようになりました。マノンの兄は、年老いた好色家のG‥M‥氏のことをマノンに話し、その男に身を任せると非常に利益になることを説きました。マノンは、金を得るためにG‥M‥氏のところへ向かいました。それを知って憤慨したデ・グリューは、レスコー氏に詰め寄りました。レスコー氏は、マノンの弟のふりをして、G‥M‥氏に取り入ることをデ・グリューに勧めました。デ・グリューはレスコー氏に勧められた通り、マノンの弟のふりをして、G‥M‥氏がマノンに用意した家に入りました。そしてマノンがG‥M‥氏からの贈り物や現金を受け取ると、二人は街を遠ざかりました。
 騙されたことを知ったG‥M‥氏は警察に行き、二人は捕らえられ、デ・グリューはサン・ラザールの感化院に、マノンは悪い生活を送っている女を監禁しているオピタルに入れられました。

 デ・グリューは、感化院で大人しく生活し、院長を満足させましたが、マノンがオピタルに入れられた恥辱を知ると、訪れてきたG‥M‥氏に襲いかかり、六ヶ月の刑期をそこで過ごさなければならなくなりました。
 デ・グリューは、チベルジュを呼び出して巧みに騙し、レスコー氏に手紙が渡るように画策しました。そして手紙を読んで訪れてきたレスコー氏に短銃を調達してほしいと頼み、短銃を手に入れると、院長を脅し、飛びかかってきた小間使いを撃ち殺して外に出ました。
 感化院を抜け出したデ・グリューは、マノンのいるオピタルの管理人の息子T‥氏に、これまでの経緯を語って同情を誘いました。そのT‥氏の協力を得てデ・グリューはマノンを助け出すことに成功しましたが、レスコー氏は、その際に馭者と諍いを起こし、撃ち殺されてしまいました。
 デ・グリューとマノンはレスコー氏の遺体を残したまま逃げ出し、チベルジュやT氏に援助してもらいながら、新しい生活を始めました。

第二部

 新しい生活を始めたマノンに、新たな誘惑の手が伸びました。それはG‥M‥氏の息子でした。G‥M‥氏の息子は、マノンに四万フランの年収と、馬車、家具付きの邸宅、小間使い、下男、料理人を約束しました。しかし、マノンの見せる愛情に安心しきっていたデ・グリューは、G‥M‥氏の息子がマノンに近づいても動じませんでした。
 デ・グリューとマノンは、G‥M‥氏の息子を騙し、高価な贈り物を受け取った後で姿を消す算段をつけました。しかし、マノンはG‥M‥氏に会いにいったまま、約束の場所に現れず、その代わりに美しい少女がマノンの手紙を持ってデ・グリューの前に現れました。マノンはG‥M‥氏の息子の贈り物に目がくらみ、デ・グリューのところへ帰らないことを決め、その代わりにその美しい少女を送り込んだのでした。
 手紙を読んで憤慨したデ・グリューは、G‥M‥氏の息子の友人であるT‥氏にお願いして、G‥M‥氏の息子を呼び出してもらい、その間に一人でいるマノンを訪れ、T‥氏からの勧め通り、近衛兵を雇ってG‥M‥氏の息子を拉致し、G‥M‥親子への復讐を果たそうとしました。しかし、G‥M‥氏の息子の従僕が、犯行の一部始終を父親の老G‥M‥氏に報告しに行ってしまい、二人は警察に取り押さえられてしまいました。

 シャトレーの牢屋に入ると、デ・グリューは自分を訪れてきた父親にこれまでの経緯を語りました。デ・グリューに同情した父親は、老G‥M‥氏のもとを訪れ、息子を刑務所から出すように説得し、デ・グリューは釈放を果たしました。しかし父と老G‥M‥氏の相談の結果、マノンはアメリカへ送られることとなってしまいました。
 マノンが移送される日になると、デ・グリューは護送の兵卒を襲撃してマノンを救おうと試みました。しかしこれに失敗したため、護送の兵士に金を渡しながらマノンについて行き、ともにアメリカへと渡ることを決めました。

 ヌーヴェ・ロルレアンという小さなアメリカの植民地の町に着くと、二人は結婚をしているふりをして生活を始めました。デ・グリューは真面目に働き、安定した生活を手に入れました。デ・グリューはマノンに正式な結婚を申し込み、植民地の首長にそのことを報告しに行きました。
 しかし、マノンに惚れ込んでいた首長の甥のセヌレという男が、二人の結婚を阻止するために叔父の首長を説き伏せ、フランスから植民地に護送されたマノンの処置を決めるのは自分たちの権限あると主張し、二人の結婚を禁止しました。
 デ・グリューとセヌレは決闘をし、デ・グリューはセヌレを剣で一突きにしました。
 デ・グリューはセヌレを殺したと思い込み、マノンとともに逃亡を図りました。しかしマノンは荒野の真ん中でそれ以上歩けなくなり、その翌朝、息を引き取りました。
 デ・グリューはマノンの墓を彫り、そこで自分も死ぬつもりでした。しかし、セヌレが村人を使って二人を探したため、デ・グリューは助け出されました。

 デ・グリューは死を願いながら、三か月の間、床につきました。しかしそのうちに、彼は心に静けさを取り戻し、仕事に身を入れ、正しい生活を送るようになりました。

 デ・グリューのことを思って心を痛めていたチベルジュが、帰国を勧めるためにアメリカにやってきました。デ・グリューは、自分のために遠い異国の地まで来てくれた友人に深く感謝し、フランスへと帰りました。

管理人の感想

 『マノン・レスコー』は、名門の貴族であったシュヴァリエ・デ・グリューが、類まれなる美貌の持ち主マノン・レスコーに振り回される物語です。

 良識を重んじる性格であったデ・グリューは、両親によって修道院へと送られようとしているマノンに一目惚れをします。マノンが修道院に送られるのは、幼い頃から芽吹いていた享楽を求める性格を矯正するためです。彼女自身は修道院生活を送ることを嫌がっており、自分に惚れこんだデ・グリューが一緒に逃亡することを持ちかけると、喜んでそれに同意します。
 マノンは、デ・グリューという身分の高い愛人を得て、鼻高々になってパリでの生活を始めますが、間もなく自分により多くの金をかけてくれる隣人B‥氏になびき、デ・グリューを裏切ります。自宅へ連れ戻され、マノンと会う道を閉ざされたデ・グリューは、徐々に改心し、神学の道へ進むことを決意しますが、そこへ再びマノンが現れ、デ・グリューの心を鷲掴みにします。二人は再び逃亡します。金がないとマノンをつなぎとめることができないことを知っていたデ・グリューは、親友に金を借りたり、いかさま賭博をやったりと、ありとあらゆる方法で金を得ようとします。マノンは相変わらず様々な男性から誘惑を受け、その度にデ・グリューは嫉妬に身を焦がします。二人はマノンに近づく男たちの金品を持ち去ることを計画し、失敗して捕まり、アメリカへと送られることとなります。デ・グリューはマノンについて行くことを決心します。アメリカの植民地で堅実な生活を送った二人は、結婚の約束をしますが、それも束の間、植民地の首長の甥でマノンに恋い焦がれるセヌレの陰謀により結婚を禁じられ、デ・グリューはセヌレを剣で刺し、追われる身となります。二人は逃亡するも、マノンはアメリカの荒野で息耐えます。

 この非常にダイナミックな展開の中で、情熱的な心理の描写が行われるこの物語は、18世期の後半になって花開いた、ロマン主義文学の先駆けとして語られることの多い作品です。
 ロマン主義とは、個人の感情や主観を重視した芸術全般のことを指します。
 それより以前、17世紀から18世紀前半のヨーロッパでは、良識や秩序を重んじる古典主義という芸術が優位を占めており、個人的な恋愛や情熱といったものは、表現において重要視されてはいませんでした。しかし、ごく一部の貴族が社会の規範を作る封建的な社会からの脱却を目指す潮流の中で、個人の自我というものが強く意識されるようになり、生まれたのがロマン主義です。1731年に発表された『マノン・レスコー』は、このロマン主義が花開くよりも少し前の時代の作品ですが、愛するマノンのために良識を捨て、なりふり構わず金を得ようとするデ・グリューの姿は、当時の表現の枠を飛び越えた、画期的なものだったに違いありません。

 そしてヒロインであるマノンは、世界で初めて文学作品に描かれたファンム・ファタール(運命の女。転じて、男を破滅させる妖婦型の女性)と言われています。
 喜び、憎しみ、嫉妬、悲しみなどの様々な感情を男たちにいだかせ、彼らを愚かな行動へと導くこのタイプの女性は、その存在自体にインパクトがあり、また「道徳・倫理」とか、「自分らしく生きるとはどのようなことか」といった文学的なテーマと直結するために、格好の材料として、時代、国籍問わず多くの作家に描かれています。
 代表的なところでは、エミール・ゾラ『ナナ』におけるナナ、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』のグルーシェニカ、ツルゲーネフ『はつ恋』のジナイーダ、日本では谷崎潤一郎『痴人の愛』におけるナオミや、芥川龍之介『偸盗』の沙金などが挙げられるでしょう。
 このタイプの女性は、男を虜にするという意味では同じジャンルに当てはまりますが、描く作家によってそれぞれ魅力が異なり、男たちを愚かで滑稽な行動へと駆り立てるテクニックも様々で、読者を楽しませてくれます。

 その中でも、マノン・レスコーは、その存在自体がたぐい稀な魅力を放っており、手練手管に頼らずとも男たちを惹きつける印象です。デ・グリューを始めとして、隣人のB‥氏、G‥M‥親子、外国の貴族、セヌレと、彼女はほとんど「一目惚れ」といったかたちで、出会う男をことごとく夢中にさせています。いったいどれほどの美貌持ち主だったのか気になってしまうほどです。
 その一方で、数多くの男たちの間でうまく立ち回ったり、金品を得るために索を弄する抜け目のなさを感じることはあまり多くありません。たしかに彼女はデ・グリューを含めた数々の男を騙そうとします。しかしその多くは、彼女を独占しようとする男たちの口車に乗せられて行っただけの行為です。まるで、その場にいる人と上手く付き合うために、その場にいない人を欺いているような印象です。その軽薄さが、彼女自身をも破滅に導いていくのですが、それもまた彼女の魅力の一つであり、デ・グリューは彼女のそんなところを愛おしく思えばこそ、傷つきながらも深みにはまっていったのだと思います。

 そんな彼女も、アメリカへ渡ることになってからは、デ・グリューに深く感謝し、心から愛しているかのように振る舞います。しかしこの小説に書かれていることは、すべてデ・グリューの主観から成り立っており、その中には、「こうであったならよかった」というデ・グリューの願望も多分に含まれているはずです。
 マノンはデ・グリューによって破滅させられたという見方もでき、もしG‥M‥と一緒になっていたら、外国の貴族と一緒になっていたら、セヌレと一緒になっていたら‥と考えつつも、デ・グリューのことを愛しているかのように振る舞いながらついて行く選択肢しか残されてなかったという可能性も、完全に否定することはできません。
 果たしてマノンはデ・グリューのことを本当に愛していたのか、また、愛していたのだとしたら、それはどの時点からなのか、その辺のことを考えてみるのも面白い読み方かもしれません。