『玄鶴山房』(げんかくさんぼう)は、1927年1月に発表された芥川龍之介の短編小説です。この一年ほど前から、芥川龍之介は、胃潰瘍、神経衰弱、不眠症などを患い、心身ともに変調をきたしていました。その影響もあってか、暗いテーマが扱われた、全体に重苦しい雰囲気が漂う作品となっています。
『河童』、『歯車』、『或阿呆の一生』など、芥川龍之介の晩年の作品は、自殺を念頭に書かれたものが多く、この『玄鶴山房』でも、登場人物が自殺を図る場面が書かれています。残念なことに、この作品が発表されたのと同じ年の7月27日に、芥川龍之介は服毒自殺を遂げました。
このページでは、『玄鶴山房』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。
『玄鶴山房』の登場人物
堀越玄鶴
玄鶴山房の主人。画家としても知られていたが、ゴム印の特許で資産を築いた。元女中のお芳を囲っていたが、肺結核に罹り妾宅通いができなくなる。自分の一生が浅ましいものであったと思っている。
お鳥
玄鶴の妻。ある大藩の娘で、昔は器量もよかった。六、七年前から腰抜けになり、便所へも通えない体になっている。玄鶴とお芳の関係を諦めた目で見ており、お芳が玄鶴の看病をすることも承諾するが、徐々にお芳に対する嫉妬に苦しむようになる。
重吉
玄鶴の婿。ある政治家の次男。銀行に勤めている。
お鈴
重吉の妻。
武夫
今年小学校に上がった重吉の子。お芳が連れてきた子供の文太郎を苛める。
お松
信州生まれの女中。
甲野
玄鶴に付き添う看護婦。お芳が来たことによる一家の感情のもつれを観察し、冷笑する。
お芳
玄鶴が囲っていた女中上がりの女。二十四、五歳。玄鶴の病で妾宅に通えなくなると、千円の手切れ金をもらい、上総の両親の家に帰ったが、人手が足りないのであればお芳を看病に上らせたいと申し出た兄の言葉に従い、堀越家へ来る。
お芳の兄
お芳の住んでいた妾宅にある書画骨董を返しに来た際に、お芳を玄鶴の看病に上がらせたいと申し出る。
文太郎
玄鶴がお芳に産ませた子。お芳と共に堀越家に住み始めるが、武夫と喧嘩が絶えない。
『玄鶴山房』のあらすじ
玄鶴山房と呼ばれる趣向を凝らした奥ゆかしい住居の主人、堀越玄鶴は、画家としても知られ、後にゴム印の特許で資産を築きました。彼は肺結核に罹っていました。
玄鶴の婿、重吉は銀行に勤めていました。重吉は帰宅すると、肺結核の玄鶴のいる離れに顔を出すようにしていましたが、中に入ることはありませんでした。玄鶴の様子を見た後、重吉は姑のお鳥を見舞うようにしていました。お鳥は七、八年前から腰抜けになり、便所へも通えない体になっていました。重吉は彼女にも一言かけるだけで、茶の間へと入りました。
重吉の妻のお鈴は、女中のお松と働いていました。重吉は、茶の間へ行くと、彼は今年小学校に入った一人息子の武夫をからかって過ごしました。
重吉はお鈴と武夫とちゃぶ台を囲んでいましたが、玄鶴につきそう甲野という看護婦のため、窮屈に感じていました。武夫は甲野がいると余計にふざけました。お鈴は時々眉をひそめましたが、重吉はそのような武夫に男らしさを感じ、微笑を浮かべながらそれを見ました。
玄鶴山房は十時になると静かになりましたが、甲野だけは夜伽をするために玄鶴のそばに起きていました。夜の間、甲野は、この一家の心持ちや、自分のいく末などいろいろなことを考えました。
ある日、この五、六年玄鶴が囲っていた女中上がりのお芳が、男の子の手を引いて、堀越家の台所に顔を出しました。男の子は玄鶴かお芳に産ませた文太郎でした。
もともと、玄鶴は、週に一二度はお芳のいた妾宅に通っていました。お鈴はそれを不快に眺めていましたが、お鳥は諦めている様子でした。お鈴はお芳に対して悪い感情は持っていませんでしたが、お芳の兄のことは悪がしこい男であると睨んでいました。
今年の冬に玄鶴の病が重なって妾宅に通えなくなると、お芳は重吉が持ち出した手切れの話に素直に従いました。お芳は千円の手切れ金をもらい、上総の両親の家に帰り、月々の文太郎の養育費を貰いました。やがてお芳の兄が妾宅にあった父の書画骨董を返してきて、人手が足りないのであればお芳を看病に上らせたいと申し出ると、お鳥がそれを承諾し、お芳が来たのでした。玄鶴はお芳が来たことを知りました。
お芳が泊まり込むようになると、武夫は文太郎をいじめ始め、一家の空気は険悪になりました。病家の主人や病院の医者と関係を持ったことがあり、他人の苦痛を享楽するようになっていた甲野は、冷ややかにこの一家を眺めました。彼女は玄鶴にはお芳親子に同情を示すふりをし、お鳥にはお芳親子に悪意のあるらしいふりをしました。
一週間ほどたち、武夫はまた文太郎と喧嘩をしました。お芳に強く叱られた武夫は泣き出し、お鈴の部屋に入りました。お鈴も怒り、武夫に謝らせました。お芳は文太郎と一緒に涙を流して謝りました。甲野はその仲裁に入り、この騒ぎを聞いているであろう玄鶴の心持ちを想像して、再び心の中で冷笑を浮かべました。
お鳥は知らぬ間に嫉妬し、お芳ではなく重吉にあたるようになりました。甲野はそれにも興味を感じていましたが、いつのまにか彼女自身が重吉夫婦に嫉妬するようになり、重吉に馴れ馴れしい素振りを見せるようになりました。そしてそれはさらにお鳥の怒りを買いました。重吉は甲野を避けるようになり、甲野はそれをみて重吉を嘲りました。
お芳の親子が帰る前日になると、重吉夫婦は喜びましたが、かえってお鳥は一層苛立ち、夫のいる離れの近くの縁側まで這い出してくるようにすらなりました。甲野はそれを知り、ふたたび、冷笑を漏らしました。
玄鶴は、お鳥の嫉妬や、子供たちの喧嘩に苦しみを感じ、お芳が去ると孤独を感じ、衰弱していきました。彼の一生は浅ましいものでした。ゴム印の特許を受けた頃も、同僚の嫉妬や、利益を失うまいとする焦燥に苦しみました。そしてお芳に惹かれてはいたものの、金の工面に苦労して、お芳親子を死んでしまえと思うこともありました。
彼は死んでしまえばこの苦しみからも解放されると思いました。苦しみを紛らわすために楽しい記憶を思い出そうとしましたが、浅ましい一生の中で明るい記憶として思い出されるのは、幼年時代のものだけでした。
大晦日の近づいたある午後、玄鶴は甲野に買わせた褌(ふんどし)で首をくくることを計画しました。玄鶴は甲野にその日ゆっくり休むように伝えましたが、甲野は仕事だからと言って眠りませんでした。玄鶴は甲野に計画を見破られたように感じ、眠ると恐ろしい夢を見ました。起きるとまだ薄暗く、彼のいる離れには誰も来ていませんでした。玄鶴は、褌を首に巻きつけそれを両手に持って引っ張りました。そこへ丁度武夫が顔を出して、その様子を囃しながら茶の間へ走っていきました。
一週間後、玄鶴は肺結核のために絶命しました。葬儀は盛大でした。火葬場へたどり着くと、予約をしていたにもかかわらず、一等の竃は満員になり、二等だけが残っていました。重吉はお鈴の思惑を考えて交渉を行い、一等の料金で特等で焼いてもらいました。
火葬を終えて門を出ると、お芳が彼らの馬車に目礼していました。重吉は従弟と話しながら、これからお芳が住むであろう、上総の海岸の漁師町のことを思い描きました。
管理人の感想
新潮文庫版で二十ページ程の短編ですが、玄鶴山房に出入りする人々の感情のもつれが細かに描かれ、非常にずっしりとした印象を与える作品です。
ゴム印の特許で財を成し、器量のよい妻を持ち、孫に恵まれるという、誰が見ても幸福そうな人生を送ってきた玄鶴は、実際は自分の人生が浅ましいものであったと思っています。彼はお芳が去ると孤独を感じ、近いうちに訪れることになる死を待ちきれずに自殺を図ります。
玄鶴とお芳の関係を、諦めの目で見ていたお鳥は、お芳の来訪により、歩けない体を廊下まで引きずってくるほどに嫉妬に身を狂わせます。
最も年長の二人が、この作品中で最も不幸に描かれており、いかに裕福な人間でも、老いによって生まれる苦悩を抱えることに、宿命のようなものを感じずにいられません。
その他の一家の人物たちも、それぞれのネガティブな感情を抱えながら、この作品を彩っています。
甲野は彼女は玄鶴にはお芳親子に同情を示すふりをし、お鳥にはお芳親子に悪意のあるらしいふりをして一家に起こる様々な問題を冷笑し、さらに自分も重吉夫婦に嫉妬して、重吉に馴れ馴れしく接するようになります。彼女の存在は、傍観者のようでもあり、なんとか保たれている一家の平穏を乱す爆弾のような存在でもあります。玄鶴の一家だけでも十分に面白い物語になり得る人間関係ですが、甲野看護婦という存在は、この作品に更なる厚みを加えていると思います。
「老い」、「死」、「嫉妬」、「家庭内の不和」といった、ネガティブなテーマばかりが扱われているこの作品ですが、これらは誰もが経験し得るものばかりです。これらのテーマを、発表当時三十四歳の若さにして、これほどまでに陰鬱に書き上げた芥川龍之介が、晩年に抱えていた感情とは、一体どのようなものだったのでしょうか。この作品が発表されてから約半年後、芥川龍之介は三十五歳の若さで自らこの世を去りました。天才と言われたこの作家は、普通の人が老年に感じるような孤独や不安と同じようなものを、この歳でもう既に抱えていたのかもしれません。