太宰治『パンドラの匣』ってどんな話?作品の内容を詳しく解説

太宰治作『パンドラの匣』の登場人物、あらすじを詳しく紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。

『パンドラの匣』の主な登場人物

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ひばり(小柴利一)
二十歳。中学校卒業時に肺炎にかかり、喀血して健康道場に入れられる。親友の「君」に宛てて手紙を書いている。


ひばりの親友。詩人を目指している。

田島場長
健康道場の院長。あだ名は清盛。新しい結核の治療法を確立し、健康道場に招聘された。

越後獅子(大槻松右衛門)
健康道場の桜の間の一員。ひばりの隣のベッドを使っている。寡黙な中年。

かっぽれ(木下清七)
健康道場の桜の間の一員。越後獅子の隣のベッドを使っている。流行歌が好きな独身の美男子。

つくし(西脇一夫)
健康道場の桜の間の一員。かっぽれの隣のベッドを使っている。三十五歳の妻帯者。

固パン(須山五郎)
転院したつくしの替わりに桜の間に移ってきた二十六歳の法科の学生。

マア坊(三浦正子)
健康道場の助手。丸顔で色白の十八歳。お喋りで可愛らしいので塾生から人気がある。

竹さん(竹内静子)
健康道場の助手の組長。二十五、六歳。てきぱきと働く姿からは品性が感じられ、塾生から最も人気が高い。

キントト
健康道場の助手。眼鏡をかけている。

孔雀
健康道場の助手。化粧が濃い。

『パンドラの匣』のあらすじ

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※ネタバレ内容を含みます。

 中学を卒業すると同時に肺炎を患ったひばりは、高等学校に行くことができず、焦りを募らせて畑仕事を行ったせいで喀血し、終戦と同時に結核療養所「健康道場」へ入所しました。
 この健康道場は、結核の新しい闘病法を考案した田島院長を招いて作られた療養所で、医学界でも注目の的になるほど業績のよいところでした。この療養所では、田島院長を場長、看護婦を助手、入院患者を塾生と呼ぶことで、病院であるという意識を患者から取り除く試みがなされています。塾生たちは、屈伸鍛錬と呼ばれる運動と、助手たちによってブラシでこすられる摩擦を、毎日規則正しく行います。助手と塾生には、それぞれあだ名がつけられ、お互いに親しみを抱いています(ひばりというあだ名は、小柴利一という本名が小雲雀(こひばり)に似ていたためにつけられました)。
 ひばりの同部屋の塾生には、寡黙な中年の越後獅子、流行歌の好きな美男子のかっぽれ、上品で痩身のつくし、つくしが転院後に入って来た固パンがいて、各々が親交を深めました。
 塾生たちに摩擦を行う助手たちの中では、助手の組長である竹さんと、若くて愛嬌のあるマア坊が、特に人気がありました。
 ひばりはこの「健康道場」に入ってから、親友である「君」に手紙を書く生活を送っています。その手紙の中で、ひばりは、いつも陽気にはしゃいでいるマア坊に惹かれている様子でした。一方で、竹さんに関しては、そのてきぱきとした働きぶりや、孤独な気品のある様子を尊敬してはいても、全く色気がなく、女としては見ることができないと書いていました。
 マア坊は、ひばりに惹かれているのか、思わせぶりな態度を取り、竹さんもまた、ひばりを特別扱いしました。ひばりはマア坊の行動に一喜一憂する一方で、竹さんから贔屓されることは有難いと思えないと「君」宛の手紙に書きます。
 しかし、「君」がひばりの見舞いに訪れると、竹さんはひばりの言ったような色気のない女性ではなく、驚くほど美しい女性であることに気づきました。
 その後のひばりからの手紙で、竹さんが田島場長と結婚すること、ひばりは実は初めから竹さんに恋をしていて、自分の想いを消すために、竹さんに色気がないという嘘を書いていたことが明かされました。
 ひばりは、涙を流しながら自分を慰めてくれるマア坊によって失恋から立ち直り、竹さんを心から祝福できるようになりました。
 ひばりの隣にいる塾生の越後獅子が、実は大月花宵という有名な詩人であったことが知れ渡り、講和を依頼されました。その講和の中で、越後獅子は、「献身とは、自分を偽って行うものではなく、ありのままの姿で行うべきものだ」と説きました。ひばりはこれまで自分が献身の身支度に凝りすぎていたことを反省し、ありのままの自分で、まっすぐに歩いていくことを心に決めました。

作品の概要と管理人の感想

 『パンドラの匣』は、1945年から1946年にかけて連載されました。結核療養所に入院する二十歳の青年が、その親友に向けて書いた手紙という形式の小説です。
 主人公で、手紙の書き手であるひばりは、喀血して結核療養所の「健康道場」へと入ります。「健康道場」では、「助手」と呼ばれる看護婦が、「塾生」と呼ばれる患者の面倒を見ています。その中でも、いつもてきぱきと仕事をこなす竹さんと、仕事はあまり得意ではなくても愛嬌のあるマア坊について、ひばりは頻繁に手紙に記します。ひばりは、可愛らしいマア坊に惹かれ、マア坊の思わせぶりな態度に翻弄されます。その一方で、竹さんのことは、善良で気品があっても、女としての魅力はないと評します。
 しかし、竹さんが結婚することを知り、当初から竹さんに恋心を抱いていたことをひばりは明かします。失恋しながらも、まっすぐに人生を歩んでいこうとするひばりの手紙は、非常に前向きに書かれています。『人間失格』や『斜陽』といった、破滅的な恋愛が書かれている作品からこの『パンドラの匣』を読み進めてきた人にとっては、意外に感じることもあるかもしれません。

 この作品は、「信頼できない語り手」という手法を採用している作品に分類することができると思います。「信頼できない語り手」とは、子供や老人といった記憶が曖昧な人物や、意図的に嘘をつく人物(『パンドラの匣』はこちらに当たります)を語り手にすることで、読者を惑わせる手法のことを指します。物語の進行とともに客観的事実が明るみに出ることが多く、読者をあっと言わせる手法としてしばしば用いられる技巧です。古くはマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』や、サリンジャーの『ライ麦畑で使われて』など、最近では、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロによる『日の名残り』などが「信頼できない語り手」を採用した作品として有名です。『パンドラの匣』においては、竹さんが色気のない女性として繰り返し書かれていたことが全て嘘であったというのが、終盤で明かされます。なんだかんだでひばりと竹さんが惹かれあっていたという結末はなんとなく予想できるものの、まさか最初からひばりが竹さんに一目惚れしていたとは、なかなか予想できるものではないでしょう。読者はここであっと言わされ、ひばりのどの言葉が真実で、どの言葉が嘘であったのか、立ち止まって考えさせられるのです。

 太宰治が、この「信頼できない語り手」を意識していたかはわかりません。しかし、当時としては非常に斬新な方法で、読者を楽しませようと考え抜かれた作品であることは間違いないでしょう。太宰治は、自分は道化になってでも読者を常に楽しませようとした作家です。『斜陽』や『人間失格』といった最も著名な作品とは一線を画すものの、「読者を楽しませる」といった意味合いでは、太宰治らしい作品であると、管理人は思います。