太宰治作『正義と微笑』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。
※ネタバレ内容を含みます。
『正義と微笑』の主な登場人物
芹川進
十六歳から日記をつけ始める。一高受験を控えた旧制中学校の四年生。心の奥底では映画俳優になりたいという夢を抱いている。
兄
帝大の英文科の四年生だが、これまでに何度も留年している。毎日徹夜で小説を書いている。映画俳優になりたいという進に理解を示している。
姉
二十六歳。病身の母親の世話に青春を費やした。鈴岡家に嫁ぐことが決まっている。
母
脊椎カリエスを患い、身体の自由が利かない。進の姉の世話になっていた。
鈴岡さん
進の姉の嫁ぎ先。四十近い重役で、柔道四段の腕前。
チョッピリ女史
進たちの叔母。未婚。お花の大師匠。「『チョッピリ』お酒をいただく」という洒落た言葉遣いをしたために、進の兄によってこのあだ名がつけられた。
津田さん
進の兄の高等学校のドイツ語の先生。小説家。
斉藤市蔵
津田さんの大学時代の先生。
『正義と微笑』のあらすじ
旧制中学校四年で十六歳の芹川進は、母、姉、兄と共に暮らしていました。父親はアメリカの大学を出た実業家でしたが、政界に入ってから財産の大半をなくし、進が八歳の時に他界していました。父の死後、一家は麹町の狭い家に引っ越し、母親は病気になりました。
兄は帝大の英文科に四年在籍していましたが、落第を繰り返し、いまだに卒業できていませんでした。徹夜で小説を書いており、進はそんな兄を尊敬していました。進は兄から教えてもらったマタイ六章の十六節から、「微笑もて正義を成せ」というモットーを掲げました。
二十六歳の姉は、四十歳近い重役の鈴岡さんのところに嫁に行くこととなり、家から出ていくことになりました。
進は所属している蹴球部のキャプテンと喧嘩したり、不良の木村と付き合ったりして中学校生活を送りました。翌年に一高受験を控えていましたが、次第に勉強をしなくなり、修学旅行にも行かなくなりました。
年が明け、一高入試を控えた十七歳になっても、進は怠惰な生活を送りました。
四月、進は一高入試に落ちました。落胆した進は、呑気に結果を聞いてくる兄を殴り、自活を始めようと決意しました。こっそりと家を抜け出し、映画俳優になろうとして大船の撮影所まで行きましたが、日曜日であることに気づき、東京に引き返しました。有楽町で泣いていると、一人の紳士に交番に連れられ、家に帰りました。
その翌日、進は兄に連れられて、九十九里浜の別荘へとやってきました。
兄は進が俳優になりたいことを見抜いており、劇団に通いながら大学生活を送ることを勧めました。進はR大学に合格したため、兄の言葉に従うことに決めました。
東京に帰ると大学に通い始めましたが、同級生に秀才と呼べるライバルのいないことに、進は幻滅を感じました。
姉は鈴岡さんと別れたいと言い出したようでした。原因を聞いても、ただ嫌になったと言うだけでした。兄は怒り、姉が自宅に帰るのを拒みました。そのため、姉は未婚の叔母の家で生活を始めました。叔母は、姉の結婚披露宴のときに、「『チョッピリ』お酒を頂く」という洒落た言葉を使ったため、進と兄は密かにチョッピリ女史と呼んでいました。兄は鈴岡さんの家を訪れ、酒を飲みながら色々と話し合うようになり、鈴岡さんの人柄に好感を持つようになりました。
進は、今回の姉の件で、裏で糸を引いていると思われるチョッピリ女史の家を訪れ、姉と会いました。進は不良のような口の利き方をして、兄が今回のことで心を煩わせ、酒を飲むようになったと伝えました。それを聞いた姉は泣き出しました。
姉は、なかなか遊びに来ない兄や進が、鈴岡さんのことを嫌っていると思いこみ、傷ついていたようでした。
進は、鈴岡さんと兄が意気投合して毎日飲み歩いており、自分も鈴岡さんのことを好きになったと伝えました。その話を聞いた姉は、自分のこれまでの態度を改め、鈴岡さんの家に戻る決心をしました。進はそのことを兄に伝え、兄は姉と和解しました。
家庭内の問題を解決して有頂天になっていた進でしたが、学校のくだらなさには嫌気がさしていました。本格的に演劇を勉強したくなり、兄に相談すると、兄のドイツ語の先生で小説を書いている津田さんのところへ相談してくれることになりました。
進は、兄と共に本郷の津田さんの家に向かい、映画俳優になりたいことを伝えました。津田さんは、大学時代からの先生である斉藤市蔵に手紙を書いてくれることになりました。
二度目の訪問で、進はやっと斉藤氏に会うことができました。斉藤氏は傲然とした様子で、ほとんど相手にしてくれませんでしたが、鷗座の話を持ち出してみると、「そこで研究生を募集している」とだけ言いました。その言葉をあてにして、進は鷗座の試験を受けることにしました。
試験はファウストの朗読でした。試験官の人々は横柄でしたが、進は自分に才能があることを自覚し、意気揚々と家に帰りました。
進は、鷗座からの合格通知を受け取りましたが、入る気にはなれず、他の劇団はないかと斉藤氏に相談しに行きました。斎藤氏は会ってくれませんでしたが、「春秋座」という一言を紙に書いて寄こしました。春秋座は、歌舞伎役者が揃っている劇団で、進はとても無理だと言いました。すると奥から「ひとりでやれ!」と一喝する声が聞こえたため、進は退散しました。
進は、春秋座の芝居を観に行き、役者のうまさに感心し、この劇団を受けてみようと思いました。
春秋座の試験では、鷗座の試験でも朗読したファウストを選びました。面接ではなぜ春秋座を選んだのかを聞かれました。進は正直に、入りたい理由はなく、自分が勝手に先生と呼んでいる人が、春秋座を教えてくれたのだと言いました。
面接官は、その先生が斉藤氏であることを見破りました。
進は、六百人中二人だけが合格した、難関の春秋座の合格通知を受け取り、学校を休業して劇団に入ることを決心しました。
厳しい稽古に嫌気がさしながらも、進は初舞台を踏みました。そしてその秋から興行旅行へ出始め、十二月に東京に帰りました。迎えに来た兄を見て、自分はロマンチシズムを捨てたリアリストとして、兄とは違った世界に住んでいることを感じました。進は企画部の委員になり、志賀直哉の小説「小僧の神様」のラジオ担当を一人で任されました。そして十八歳を前にして、まじめに努力していこうと心に決めるのでした。
作品の概要と管理人の感想
『正義と微笑』は、1942年に発表された、日記形式の一人称の中編小説で、太宰治が弟子の弟の日記から着想を得て書かれた作品と言われています。
題名の『正義と微笑』は、「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。」という、主人公の芹川進が兄から教えてもらったマタイ伝六章十六節の文言から、掲げたモットーです。
この日記は、一高入学を目指す16歳の進が、受験に落ちるという挫折を経て、本当の夢である役者になるまでが書かれています。
零落したとはいえ、父は政界に入ったこともある実業家、兄は帝大生というエリート一家に生まれた進は、19歳になる不良の木村とつきあったり、年上の蹴球部のキャプテンを殴ったり、自分を馬鹿にしてくる教師に反感を抱いて退学しようとしたりと、かなりプライドの高い学生であるようです。
進は学年から唯一、中学4年生から一高を受けようとしています(旧制中学校は5年生が最高学年で、4年生を終了した時点で、旧制高等学校や大学予科に進学することが認められていました)。しかし心の奥底では、俳優になりたいという願望が芽生えており、勉強に打ち込むことができません。その結果、進は受験に失敗します。
帝大生とはいえ、小説家を目指して落第を繰り返している兄は、俳優になりたいという進に理解を示します。その兄の手引きもあり、進は春秋座のメンバーに合格します。
合格後、すぐに進は春秋座の猛烈な稽古から逃げ出したいと思うようになります。しかし嫌々ながらも稽古を重ね、進は劇団の中で順調に成長していきます。
そして興行旅行へと出かけた帰りに、出迎えてくれた兄を見て、自分がロマンチシズムを捨てたリアリストとして、兄とは違った世界に住んでいることを感じるのです。
戦前に俳優を目指すということが、どれほど大変なことだったのかは想像するしかありませんが、おそらく現代よりも相当の覚悟が必要だったに違いありません。ましてや進のようなエリート一家ではなおさらそのハードルは高かったでしょう。このようなハードルを越えて、進が夢を叶えたのは、何よりも彼が自分にも他人にも正直であったためであると思います。さすがに自分から映画俳優になりたいとは言い出せなかったものの、兄がそのことに感づくと、進は素直に肯定します。
鷗座や春秋座の試験や、斉藤市蔵との会話などからも、進が臆することなく、いかに正直に返答しているかが読み取れるかと思います。
「役者の、使命は、何か!」愚問なり。おどろいた。あやうく失笑しかけた。まるで、でたらめの質問である。質問者の頭のからっぽなことを、あますところなく露呈している。てんで、答えようがないのである。
『正義と微笑』より
「それは、人間がどんな使命を持って生れたか、というような質問と同じ事で、まことしやかな、いつわりの返答は、いくらでも言えるのですが、僕は、その使命は、まだわかりませんと答えたいのです。」
「春秋座の、どこが気にいりましたか?」
『正義と微笑』より
「べつに。」
「え?」試験官たちは、一斉にさっと緊張したようであった。主任のひとも、眉間にありありと不快の表情を示して、「じゃ、なぜ春秋座へはいろうと思ったのですか?」
「僕は、なんにも知らないんです。立派な劇団だとは、ぼんやり思っていたのですけど。」
「ただ、まあ、ふらりと?」
「いいえ、僕は、役者にならなけれぁ、他に、行くところが無かったんです。それで、困って、或る人に相談したら、その人は、紙に、春秋座と書いてくれたんです。」
「紙に、ですか?」
「その人はなんだか変なのです。僕が相談に行った時は風邪気味だとかいって逢ってくれなかったのです。だから僕は玄関で、いい劇団を教えて下さいって洋箋に書いて、女中さんだか秘書だか、とてもよく笑う女のひとにそれを手渡して取りついでもらったんです。すると、その女のひとが奥から返事の紙を持って来たんです。けれども、その紙には、春秋座、と三文字書かれていただけなんです。」
「どなたですか、それは?」主任は眼を丸くして尋ねた。
「僕の先生です。でも、それは、僕がひとりで勝手にそう思い込んでいるので、向うでは僕なんかを全然問題にしていないかも知れません。でも、僕はその人を、僕の生涯の先生だと、きめてしまっているんです。僕はまだその人と、たった一回しか話をした事がないんです。追いかけて行って自動車に一緒に乗せてもらったんです。」
「いったい、どなたですか。どうやら劇壇のおかたらしいですね。」
「それは、言いたくないんです。たったいちど、自動車に乗せてもらって話をしたきりなのに、もう、その人の名前を利用するような事になると、さもしいみたいだから、いやなんです。」
このような正直さは、時に反感を生みますが、「夢を掴む」という目的においては、必要な要素であるのかもしれません。進が鷗座にも春秋座にも合格したのは、朗読が上手だったのが一番の原因であることは間違いありませんが、正直な言葉で自分を伝えたのが面接官に伝わったというのも、一因であるような気がします。
そして、そのような進の生き方に惹きつけられた読者の方も多いのではないでしょうか?『人間失格』の主人公のような、暗闇の中を迷い続ける人物も魅力的ですが、進のような「明るい」人物の描写も、太宰治の作品の魅力の一つだと思います。