太宰治『姥捨』の登場人物、あらすじ、感想

 『姥捨』は、昭和十三年に雑誌「新潮」に発表された短編小説です。その前年の昭和十二年、太宰治は、同棲していた小山初代と水上温泉で心中事件を起こしており、その時の経験をもとに書かれた作品です。

 過ちを犯した妻とともに心中しようとする夫を描いた私小説風の作品でありながらも、暗さはなく、むしろユーモア溢れた語り口で楽しませてくれる作品となっています。

 このページでは『姨捨』の登場人物、あらすじ、感想を紹介していきます。


姥捨

※ネタバレ内容を含みます。

『姥捨』の登場人物

嘉七
荒廃した生活を送っていたために、妻のかず枝を不貞へと走らせる。かず枝とともに死ぬことを決意し、水上を訪れるが、かず枝が死ぬことがあってはならないと考えている。

かず枝
嘉七の妻。過ちを犯し、一人で死ぬ覚悟をきめている。

老夫婦
谷川温泉の宿屋を営んでいる。嘉七とかず枝が前年の一夏を過ごしてから親しく付き合うようになった。

『姥捨』のあらすじ

 過ちを犯した妻・かず枝と、かず枝を不貞行為へと追い込むほど荒廃した生活を送っていた嘉七は、心中することを決めました。

 二人は質屋で金を借り、催眠剤を大量に買い、浅草で映画を見て寿司を食べ、漫才館へと入りました。質屋で返す当てのない金を借りて喜び、映画のつまらないギャグに笑うかず枝を見て、嘉七はこの生活の力を残すかず枝を死なせてはならないと思いました。しかし彼は、妻の過ちを倫理的に許していたものの、感覚的に平気でいることができず、昨年の一夏を過ごした水上を死ぬための場所として選び、そこへかず枝を誘いました。

 列車に乗り込むと、嘉七はウイスキーに酔いながら、改めて妻の自殺には意味がないと考えました。彼は、かず枝への非難のためではなく、自分の苦しみのために死ぬのだと言って、しっかりとやっていくようかず枝に説き、両手を合わせて「ポーズではない」祈りを捧げました。

 水上駅から自動車を雇い、二人は谷川温泉へと行きました。そこの宿屋の老夫婦と、二人は親しく付き合っていました。

 二人は温泉に入り、山腹の景色を眺めながら、今夜死ぬ場所を語り合いました。
 宿に帰ると、嘉七は、もう一晩死ぬのを延ばさないかと言ってみました。かず枝は、「どうでも、いいけど」と言いながら金の心配を始めました。
 嘉七は、かず枝が自分の肉親に気に入られていないことについて話し合おうとしましたが、かず枝は「理屈ばかり言ってるのね。」と言って取り合おうとはしませんでした。
 嘉七は、自分が理屈ばかりをこね、単純に妻の不貞に怒りを感じることができないことに情けなさを感じ、心中を決行すると決めました。

 一寝入りした嘉七は、かず枝を起こして杉林の中に入り、水上の街が見渡せる場所までやってきました。
 催眠剤だけではなかなか死ぬことができないことを知っていた彼は、帯を首に巻き付け、眠りに落ちたところで崖から滑り落ち、縊死できるようにしていました。何も知らないかず枝には、とうてい死ぬことのできない量の薬だけを飲ませました。

 嘉七も薬を飲みましたが、体が横転して、首に帯が巻きつかなかったために死ぬことができず、目を覚ましました。かず枝もまた崖の下にずり落ちながら、鼾をかいて眠っていました。
 嘉七はかず枝の肩を揺すぶり、自分はまだまだ子供で、子供がなぜこのような苦労をしなければならないのかと思い、嗚咽を始めました。

 自失したかず枝は、胸が痛い、寒いと大声で叫びながら勾配を転がって行きました。杉の枯れ葉を乱れた髪にいっぱいつけ、月明かりに照らされた姿は山姥のようでした。
 かず枝を抱きかかえ、何時間もかけて元の道を引き返すうちに、嘉七は、かず枝の存在が自分には重すぎると思い始め、別れることを決心しました。彼は生きていくために、かず枝のことを愛しながら遠ざかるという強さを得たように思いました。

 昼少し前にかず枝は目を覚まし、嘉七から昨夜のことを聞き、「とうさん、すみません」と言いました。二人はこれからのことを相談しました。服を汚したかず枝は、転んだと嘘をついて宿で養生しました。その間に嘉七は東京に帰り、かず枝の叔父に一切を打ち明け、その叔父がかず枝を連れ帰って面倒を見ることとなりました。

 その叔父は、嘉七がかず枝と別れてからも、こだわりなく酒を飲み交わしました。ただ時たま「かず枝も、かあいそうだね」と言って、嘉七のことを困らせました。

管理人の感想

 『姥捨』は、荒廃した生活を送っていた嘉七が、過ちを犯した妻・かず枝とともに心中しようとする物語です。

 自分の犯した不貞行為に対し、「きちんと始末いたします。はじめから覚悟をしていたことなのです。」というかず枝の呟きを聞いた嘉七は、自分もふと死にたくなり、心中することを決めます。

 しかし、質屋で金を得てはしゃぎ、映画を見て笑い転げ、寿司の味を酷評するかず枝を、嘉七は死なせてはならないと考え、死ぬのを考え直さないかという提案を何度も持ちかけます。決行の時も、到底死ねない量の睡眠剤をかず枝に渡します。

 命を取りとめた嘉七は、髪を乱した山姥のような姿になったかず枝を林の奥まで引きずり上げ、その途中でかず枝は自分には重すぎると考え、別れることを決心します。

 ああ、もういやだ。この女は、おれには重すぎる。いいひとだが、おれの手にあまる。おれは、無力の人間だ。おれは一生、このひとのために、こんな苦労をしなければ、ならぬのか。いやだ、もういやだ。わかれよう。おれは、おれのちからで、尽せるところまで尽した。
 そのとき、はっきり決心がついた。
 この女は、だめだ。おれにだけ、無際限にたよっている。ひとから、なんと言われたっていい。おれは、この女とわかれる。

『姥捨』より

 このように考える嘉七からは、かず枝を愛しているという気持ちは微塵も感じられません。その後で以下のように語られる彼の心境も、もはやかず枝と別れるための言い訳としか考えられません。

おれは、この女を愛している。どうしていいか、わからないほど愛している。そいつが、おれの苦悩のはじまりなんだ。けれども、もう、いい。おれは、愛しながら遠ざかり得る、何かしら強さを得た。生きて行くためには、愛をさえ犠牲にしなければならぬ。

『姥捨』より

 自分や、近しい人物をここまでネタにして作品を書くことには賛否両論あると思います。この作品をかず枝のモデルとなった小山初代が読んでいたとしたら、どのような感想を抱いていたのだろうと、余計な心配すらしてしまいます。

 しかし、この作品は、私小説風ではありますが、自殺直前の暗い個人的な心境を書いているわけではなく、心中がテーマになっているからこそ味わうことのできる面白みに満ちており、しっかりと読者を楽しませる工夫がされているのは確かです。

 最後まで心中の覚悟を決められない嘉七に対し、かず枝は覚悟がブレないのか、無頓着なのか、これから死のうとしているとは思えないような発言を繰り返します

「おい、もう一晩のばさないか?」
「ええ、」妻は雑誌を見ながら答えた。「どうでも、いいけど。でも、お金たりなくなるかも知れないわよ。」

『姥捨』より

「さあ、もう起きるのだよ。出発だ。」
 かず枝は、口を小さくあけて眠っていた。きょとんと眼をひらいて、
「あ、もう、そんな時間になったの?」

『姥捨』より

 これらのやりとりは、それだけを取り出したら、なんでもない夫婦の会話のようですが、これから心中しようもしている二人の間で交わされるからこその面白みがあります。

 そして、この「山姥のような妻との別れを決心する」物語に対してつけられた題名が『姥捨』とは、なんとも辛辣でブラックではありませんか。この自伝的な作品にこの題名をつけることで、太宰治が敢えて自分自身に罪を被せているようにも感じますし、初代への未練を断ち切ろうとしているようにも感じます。

 自分の人生を切り売りしながらも、しっかりと読者を楽しませることを意識した、太宰治でなければ書けない作品であると思います。