フョードル・ドストエフスキー『賭博者』の登場人物、あらすじ、感想

 『賭博者』は、一八六六年に発表されたフョードル・ドストエフスキーの長編小説です。
 二十五歳の頃、作家として華々しいデビューを飾ったドストエフスキーですが、その後の作家生活は順風満帆ではなく、プライベートも波瀾に満ちたものでした。彼は社会主義サークルの会員であったかどで五年にわたり服役し、一八五九年にペテルブルクに復帰すると、自分の講義に顔を出した二十一歳のポリーナ・スースロワと不倫関係に陥ります。そして肺病の妻マリアを置いて、ポリーナとイタリア旅行に出かけ、滞在先でルーレットに大金を注ぎ込み、莫大な借金を背負います。
 返済に迫られたドストエフスキーは、期限内に作品を仕上げられない場合は以降の九年間の版権を失うという無謀な契約を、悪徳出版業者と結びます。『賭博者』は、そのような状況の中で、すでに連載を始めていた『罪と罰』と並行しながら、後の妻となるアンナの協力を得て、口述筆記を用いて二十六日間という短期間で仕上げられた作品です。
 スースロワとの恋愛関係や、彼女とのイタリア旅行の中で大金を注ぎ込んだルーレットの体験をもとに書かれた作品で、ドストエフスキーの人生を紐解くために重要な作品となっています。
 このページでは『賭博者』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

※ネタバレ内容を含みます。

『賭博者』の登場人物

アレクセイ・イワーノヴィチ
二十五歳の家庭教師。雇われ主の将軍とともに、カジノのあるドイツの街ルーレテンブルクに滞在する。将軍の義娘のポリーナに偏執的な恋心を抱いている。

将軍
アレクセイの雇い主。亡き妻との間に二人の子供がいる。マドモアゼル・ブランシュに熱をあげている。

ミーシャ
将軍の子供。

ナージャ
将軍の子供。

マリヤ・フィリーポヴナ
将軍たちと一緒にルーレテンブルクを訪れている気立ての良い女性。

ポリーナ・アレクサンドロヴナ
将軍の義理の娘。アレクセイが自分に恋をしていることを知りながら、彼に対する軽蔑の目を隠そうとせず、高慢な態度で接する。

デ・グリュー
ぞんざいな態度のフランス人。(デ・グリューというのは一七三一年に出版されたフランスの小説『マノン・レスコー』の主人公シュヴァリエ・デ・グリューに由来します。)

マドモアゼル・ブランシュ
将軍たちとルーレテンブルクの同じホテルに宿泊する二十五、六歳の美貌を持つ謎の多い女。

コマンジュ夫人
マドモアゼル・ブランシュの母親とされている女性。

アントニーダ・ワシーリエヴナ・タラセーヴィチェワ
死期が近づいている将軍の叔母。莫大な資産を持っており、その遺産の相続を、将軍やデ・グリューらが狙っている。

ポタープイチ
アントニーダの召使い。

マルファ
アントニーダの召使い

フェドーシャ
子供たちの乳母

ニーリスキー公爵
小柄なロシア人

『賭博者』のあらすじ

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 資金調達のためにパリなどを回っていた家庭教師のアレクセイ・イワーノヴィチは、ドイツにあるガジノの街ルーレテンブルクに到着し、雇い主の「将軍」や、その義理の娘で熱烈な恋心を抱いているポリーナ・アレクサンドロヴナらと合流しました。

 同じホテルには、将軍がロシアで共同で工場を建てる計画を立てている「デ・グリュー」と呼ばれるフランス人や、二十五歳くらいの美貌を持つ謎のフランス女性マドモアゼル・ブランシュらが泊まっていました。

 将軍は、マドモワゼル・ブランシュに熱をあげており、ペテルブルクで死に瀕している「おばあさま」と呼ばれる叔母の死後、その莫大な遺産を手に入れて、ブランシュと結婚しようと考えていました。

 将軍は、デ・グリューやブランシュを招き、正餐を開きました。その正餐には、アレクセイがプロイセンとスイスで二度も出会っていたイギリス人のミスター・アストリーも参加していました。

 正餐のあと、アレクセイは、パリでポリーナのダイヤを抵当に入れて受け取った金を渡すため、彼女に会いました。
 ポリーナは、アレクセイの自分に向けられた恋心を知りながら、彼に向ける軽蔑と嫌悪の目を隠そうともせず、「お祖母さま」からの遺産が入れば、将軍に金を貸しているデ・グリューは自分に結婚を申し込むであろうこと、ミスター・アストリーもまた自分に惚れ込んでいる様子であることを語りました。彼女は、アレクセイが持ってきたダイヤの値に不満を表し、ルーレットで自分の金を増やしてくるよう命じました。アレクセイは、自分がポリーナを愛しながらも憎んでいるのだと思いながら、賭博場へと向かいました。

 腹立たしい気持ちを抱えたまま賭博場へ入ったアレクセイは、手元にあった十フリードリヒ・ドルを百六十フリードリヒ・ドルに増やし、その場を引き上げ、金をポリーナに渡しました。
 ポリーナから、今後は儲けを折半にして欲しいと頼まれたアレクセイは、彼女がこれほどまで金を欲しているのはなぜなのかと考えながら、再び賭博に向かいました。しかし彼は立て続けに負け、ポリーナから預かった金をすべて失くしてしまいました。これを知ったポリーナは、物思いに沈みながら、アレクセイに散歩についてくるように命じ、自分が指名する人を殺すことはできるかと聞きました。アレクセイが殺すことができると答えると、ポリーナは、カジノの手前にいるヴルマーヘルム男爵夫人の帽子をとり、フランス語で何かを言うように命じました。アレクセイはその通りに行動し、ヴルマーヘルム男爵夫妻を侮辱しました。

 このことが問題になり、将軍から首を言い渡されたアレクセイは、この事件の責任を自分ではなく将軍に問うたヴルマーヘルム男爵に釈明を求めると宣言しました。ブランシュとの結婚を目論む将軍は、問題を起こされては困ると、アレクセイを説得にかかりました。この騒ぎの調停役を務めたデ・グリューは、アレクセイがヴルマーヘルム男爵との決闘も辞さない構えを見せると、これ以上事件に深入りしないようにと書かれたポリーナからの手紙を見せました。アレクセイは、ポリーナに手紙を書かせることのできたデ・グリューの影響力の大きさを知り、「おばあさま」からの遺産がポリーナに入れば、二人は結婚することになるだろうと考えました。

 そこへ危篤状態を脱して元気になった七十五歳の、「お祖母さま」ことアントニーダが、ルーレテンブルクに到着しました。アントニーダはルーレットに興味を持ち、アレクセイを指南役にして賭け始め、最終的には、八千ルーブルもの大金を手に入れました。将軍やデ・グリューは、これ以上の深入りを避けるよう勧めましたが、アントニーダは、その後もカジノに赴いて大金をはたき、最終的には九万ルーブルにもおよぶ全財産を失くしてしまいました。

 アントニーダの遺産を期待していた将軍は、デ・グリューに借りていた金を返す機会も失い、マドモアゼル・ブランシュにも逃げられてしまいました。彼は混乱して泣き崩れ、自分のところへ戻ってくるようにブランシュを説得してほしいとアレクセイに頼みました。
 アレクセイは泣き崩れる将軍を置いて部屋を出て、破産してしまったアントニーダを列車の駅まで送り、自分の部屋に戻ると、そこにポリーナがいることに気づきました。

 ポリーナは、ルーレテンブルクを離れたデ・グリューからの手紙をアレクセイに見せました。
 デ・グリューは、アントニーダの破産により、結婚相手として考えていたポリーナを置いて去り、返済能力を失った将軍が自分に抵当に入れている財産を売却することを決め、そのうちの将軍が使い込んだポリーナの財産に相当する五万フランだけを免除するための抵当証書を送りつけてきたようでした。自尊心を傷つけられるポリーナの姿を見たアレクセイは、部屋を飛び出してカジノに入り、闇雲に賭けて大勝を収め、その金をポリーナに渡しました。

 デ・グリューが送りつけてきた分をゆうに超える額を見たポリーナは、混乱して感情を制御できなくなり、アレクセイの愛を確かめたがりました。

 その夜を共に過ごした二人でしたが、翌朝になるとポリーナは、アレクセイを突き放し、彼の差し出した金を受け取らず、部屋を走り出て行きました。

 アレクセイは、ミスター・アストリーに会いに行き、ポリーナが彼のところにいることを知りました。愛するポリーナからの相談を受けていたミスター・アストリーは、数日前から彼女が病気になっていることを悟っていました。彼はポリーナが死ぬようなことがあったらその責任を問うと言い、アレクセイがこれからパリへと行くことになるだろうと予言しました。

 ミスター・アストリーと別れたアレクセイが将軍のところへ行こうとすると、マドモアゼル・ブランシュが彼を部屋に招き入れました。ブランシュは、アレクセイを自分の寝室に入れて誘惑し、一緒にパリに行かないかと誘いました。ブランシュに惑わされたアレクセイは、同じパリ行きの車室に乗り込みました。

 アレクセイはパリで三週間を過ごし、ルーレットで儲けた十万フランを使い果たしました。その金で、マドモアゼル・ブランシュはパリでの立場を揺るぎないものに固めました。彼らは結婚式を挙げ、パリに居を構えました。

 その一週間後、ブランシュに捨てられて病気になった将軍が彼らを訪れました。マドモアゼル・ブランシュは、快く彼を出迎えました。やがてアントニーダが息を引き取ったという知らせが届くと、ブランシュはアレクセイを捨て、物事の的確な判断ができなくなった将軍と結婚し、ほかの男と会い続けました。やがてアレクセイは、ブランシュが、もともと素性のわからない女であることを知りました。

 その後アレクセイは、賭博の町を巡り、債務を抱えてルーレテンブルグで刑務所に入りました。その負債は、何者かによって払わられ、出所後、彼はある参謀官の秘書や召使いとして金を貯めると、再び賭博場へと向かいました。
 ほとんど一文なしになったころ、アレクセイは、ミスター・アストリーと再会しました。ミスター・アストリーは、ポリーナが長い間病気から回復せず、自分の家族と共に北イギリスで過ごしていること、将軍は卒中を起こして死んだことをアレクセイに伝えました。

 アレクセイは、フランス人の男がロシアの令嬢を射止めるのはいとも簡単なことなので、ポリーナの心を支配するのは、結局のところデ・グリューなのだろうと語りました。するとミスター・アストリーは、自分がここに来たのは、ポリーナからの頼みであり、アレクセイの彼女に対する気持ちを聞くためなのだと言いました。

 ポリーナが自分を愛していることを知ったアレクセイは、生まれて初めて涙を抑えることができなくなりました。ミスター・アストリーは、アレクセイは滅びた人間なので、賭博をやめることはできないだろうと語り、幾ばくかの金を渡して去って行きました。アレクセイは、すぐにでもポリーナのもとに駆けつけたいと思いながらも、そのために手元にある金を増やさなければならないと考えました。彼は賭博場へと行くことを決心し、翌日になれば、自分の運命は決するであろうと考えました。

管理人の感想

 『賭博者』は、賭博によってこしらえた莫大な借金を返済するため、ドストエフスキーが悪徳出版業者と不利な契約を結び、二十七日間で仕上げた作品であると言われています。
 たったの二十七日間で、しかも口述筆記で仕上げた作品というだけあって、登場人物のバックグラウンドの説明が不十分だったり、急な設定のつけ足しがあったり、大した役割を残さないまま作品から姿を消してしまう登場人物がいたりと、荒削りな印象を受ける作品です。

 ドストエフスキーは、その人生の大半を生活のために書いた作家で、このような「行き当たりばったり感」は、ほかの作品にも散見されます。同時代のロシア文豪として比肩されるトルストイが、金銭的にも時間的にも余裕がある貴族であったために何度も推敲を重ね、バランスの整った作品を作り上げているのとは非常に対照的です。

 しかし、ドストエフスキーの作品の場合、このような欠点は「お家芸」みたいなもので、これを折り込み済みにして読むコツのようなものを掴んでしまえば、細かい設定など気にならないほど、グイグイと作品に引き込まれるような読書体験を与えてくれる作家だと思います。
 特にキャラ立ちした登場人物を描くという面においては他の追随を許さず、『罪と罰』におけるロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフや、『カラマーゾフの兄弟』におけるフョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフといった数々の名人物が、ドストエフスキーの筆によって誕生しています。

 『賭博者』の主人公アレクセイ・イワーノヴィチもまた、その例に漏れず非常に興味深い主人公です。賭博の町ルーレテンブルクにやってきた家庭教師のアレクセイは、雇い主の「将軍」の親戚であるポリーナという女性に狂わしいほどに恋焦がれており、彼女に命じられたのであれば死ぬことも厭わないと公言している男です。彼は、自分のことなど眼中にないかのように振るまうポリーナの、賭博で金を増やしてくるようにという無理難題や、ある男爵のことを侮辱しろなどという大それた命令をこなしていきます。

 やがてアレクセイは、デ・グリューというフランス人に傷つけられたポリーナのために賭博で大勝利を収めます。自身が賭博狂であったドストエフスキーの実体験をもとに書かれた作品と言われるだけあり、アレクセイがルーレットで勝ちを収めていくときの描写は、まるでこちらがその勝負に参加していると思わされるような高揚感や臨場感に満ちています。
 しかし賭博の快楽の味が、ポリーナへの熱烈な思いを凌駕してしまうという皮肉な結末を迎えることとなり、絶望した彼は、マドモアゼル・ブランシュとの享楽的な生活を送ることとなります。そしてブランシュに捨てられたあと、ポリーナが自分を愛していたことを知っても、アレクセイは、賭博の沼にはまり込み、彼女と生活を共にするための財力も気持ちも失ってしまいます。

 このアレクセイは、賢いようで愚かだったり、一途なようでやぶれかぶれだったりと、なんとも不思議な人物です。彼は時に、自分をわざわざ貶めるような行動を取り、不幸に向かって自ら進んでいきます。このような一言では形容することのできないものの、「これこそが人間なのだ」と思わせてくれる登場人物の描き方は、同時期に書かれていた『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフにも通じるものがあると思います。

 アレクセイを惑わせたポリーナのモデルは、ドストエフスキーの愛人ポリーナ・スースロワであった女性と言われています。
 ドストエフスキーは、肺病で死の床についていた妻を置いて、スースロワとイタリア旅行に出かけますが、彼よりも前に現地に到着していたスースロワは、その間にほかの男性と関係を持ちます。そのことを知ったドストエフスキーは絶望しながらも旅先でルーレットに明け暮れ、莫大な借金を背負うこととなります。
 自分の妻に激しく嫉妬しながらも、ほかの男と関係を持ったスースロワとドストエフスキーの恋は、アレクセイとポリーナの関係のように、破滅的であったようです。『賭博者』は、このスースロワとの旅行をもとに書かれた作品と言われていますが、たったの二十六日間で仕上げなければならなかったため(物語を「創る」時間がなかったため)にかえって、ドストエフスキーが実際に愛人に抱いていた感情に近いものが描かれているんじゃないかと思います。

 『賭博者』は、『罪と罰』などの作品と比べても、重要でない作品と目されている向きがあるようです。たしかにこの作品は、『罪と罰』の登場人物たちが繰り広げる、迫力ある思想の戦いが描かれているわけではありません。しかし結末のオチも含めて、読み手を楽しませてくれるとともに、ドストエフスキーその人を知るための手がかりを与えてくれる作品でもあると思います。