フローベール『ボヴァリー夫人』の登場人物、あらすじ、感想

 『ボヴァリー夫人』は、一八五六年に発表されたギュスターヴ・フローベールの代表作です。四年半をかけて書き上げられたこの小説は、フローベールの友人の主催する雑誌に掲載され、大きな反響を呼びました。主人公が不倫と借金に身を堕として自殺するという内容が、公序良俗に反するとして訴えられることとなり、その裁判でフローベール自身が「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったことは有名です。
 一八五七年に発売されると、裁判で話題となっていたことも手伝ってベストセラーとなり、当時それほど有名でなかったフローベールの名を、文壇で確固たる地位にまで押し上げました。その後は写実主義を確立した作品として、また文学史上稀に見る豊穣の時代であった十九世紀のフランスを代表する作品として、今日まで広く読まれています。
 サマセット・モームの『世界の十代小説』にも選出された作品です。


ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

『ボヴァリー夫人の』主な登場人物

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※ややネタバレします。

エマ・ボヴァリー
裕福な百姓の娘。修道院の寄宿学校に入るが、小説や音楽の詩に興味を持ち、その中に描かれる恋愛や結婚に想いを馳せながら成長した。父親の骨折を診にきた医師としてシャルルを知る。

シャルル・ボヴァリー
エマの夫。医者。十五歳の頃にルーアンの学校への転入を経て、母親の手引きによって開業する。エマとの結婚の前に、四十五歳の未亡人エロイーズとの結婚歴がある。

オメー
シャルルとエマの引越し先のヨンヴィルの薬剤師。旅館「金獅子」の常連で、新しくやってきたシャルルとエマと親しく交際する。新聞への寄稿を頻繁に行う。

レオン・デュピュイ
ヨンヴィルの旅館「金獅子」の常連であった、法律を勉強する青年。

ロドルフ・ブーランジュ
ヨンヴィル近くに所有地を持つ、裕福で女の経験が豊富な男。三十四歳の頃、自分の農場で働く男をシャルルに診せにきた時にエマを知る。

シャルルの父
かつて美男子であった退職軍医補。

シャルルの母
一人息子のシャルルを偏愛し、しっかりとした教育を授けて医学の道へ進ませ、最初の妻エロイーズを見つけてやる。

エロイーズ
シャルルの最初の妻。四十五歳の未亡人であった。

ナスタジー
シャルルの女中。

ルオー
エマの父。裕福な百姓。妻と息子を失っている。

フェリシテ
エマとシャルルが新しく雇い入れた女中。

ルウルー
抜け目のない服地の商人。ヨンヴィル中の商売を一手に引き受ける目論みを抱いている。

ルフランソワ
ヨンヴィルの旅館「金獅子」のおかみ。

ジュスタン
オメーの遠縁で、薬局の見習い。

ベルト
シャルルとエマの娘。

ブールニジアン
ヨンヴィルの司祭。

イポリット
旅館「金獅子」の馬丁。足が不自由であった。

カニヴェ
ヌーシャテルの高名な医学博士。

『ボヴァリー夫人』のあらすじ

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※ネタバレ内容を含みます。

第一部

 ルーアンの学校に編入したシャルル・ボヴァリーは、真面目に勉強して医者になり、母親の手引きによって開業し、四十五歳の未亡人であったエロイーズと結婚しました。
 しかし持参金があると思われていたエロイーズは、実は財産がほとんどないことがわかり、シャルルの両親と言い争いになり、これがきっかけで死んでしまいました。

 以前骨折の治療をしたルオーが治療費を払いに来て、妻を失ったシャルルを慰めました。以前からルオーの娘エマに惹かれていたシャルルは、これをきっかけにエマの元を訪れるようになり、結婚の申し込みをしました。十三歳で入った修道院の教育に馴染めず、音楽や文学に表現される恋や情熱に憧れて成長したエマは、結婚によって幸福を掴んだと思ったのも束の間、すぐに夫に退屈を感じ始めました。

 ある日、シャルルの患者の一人から舞踏会の招待を受けたエマは、子爵と呼ばれる男と踊りました。それ以来、エマは流行を追うようになり、追憶を繰り返していた舞踏会に再び呼ばれるのを待ちました。しかし一年経っても誰からも便りが届くことはなかったため、エマは次第に無気力になりました。そのような状態を心配したシャルルは、妻の気分を変えるためにヨンヴィルという村に引っ越すことを決意しました。

第二部

 シャルルとエマはヨンヴィルに着くと、旅館『金獅子』に入り、薬剤師のオメーや女将のルフランソワを知りました。一同は、法律の勉強をしている『金獅子』の常連レオンを呼び、親交を深めました。女性に対して臆病であったレオンは、文学についてエマと心置きなく話しあえる自分に驚きました。
 ある日、エマは新しく生まれた娘に会いに乳母のところへ向かっていると、レオンと偶然会いました。二人は話しながら歩き、レオンはエマに恋をしていることを確信し、それ以来頻繁に訪ねてくるようになりました。それと共にエマもレオンに惹かれるようになりましたが、敢えて貞淑な妻の振りをして、レオンを遠ざけました。恋を成就させることが不可能だと思ったレオンは、エマを諦めるためにヨンヴィルを旅立っていきました。
 置き去りにされたエマはしばらくは後悔と悲しみに浸りながら過ごしましたが、やがてその思い出も消えていき、再び平凡な日々を過ごすようになりました。

 ある日、近所の土地を所有している裕福な独身男ロドルフが、農場で使っている男をシャルルに診せにやってきました。
 ロドルフは、その場に居合わせたエマの美貌に惹かれ、彼女がシャルルのような退屈な夫に退屈していることを見抜き、エマを自分のものにしようと企みました。
 ロドルフは何度かエマのもとに通いつめ、始めは抵抗されていたものの、口説き落とすことに成功しました。エマは自分に恋人がいることにはじめ幸福を感じましたが、ロドルフの態度が次第に冷淡になると、恋の駆け引きに敗北したことに屈辱を感じながら、快楽の虜となって逢瀬を重ねました。
 エマがロドルフとの恋を後悔するようになった頃、シャルルはオメーの勧めにより、足の歪みの手術を取り入れることにしました。村の馬丁で足の不自由なイポリットが、初めての患者として手術を受けました。しかし、イポリットの足は手術後に壊疽を起こし、切断することとなってしまいました。夫の名声が上ることを期待していたエマは、悪評を恐れて家に閉じこもるシャルルに幻滅し、再びロドルフとの愛を深めるようになりました。
 次第にエマの態度は悪くなり、ロドルフとの不倫関係を村の皆が気づくようになりました。彼女は贅沢な品を買い集め、イポリットに送るための義足を頼んだ商人ルウルーに多額の借金をするようになりました。そのような状態に苦言を呈したシャルルの母親と口論になり、エマはロドルフに駆け落ちを持ち出しました。
 始めのうちは駆け落ちに賛同していたロドルフでしたが、異国で子供の面倒を見ながら送る生活などとてもできるものではないと考え、ルーアンへと逃げ出してしまいました。その手紙を読んだエマは混乱して倒れ、脳炎を起こしました。妻の不倫に気づくことのなかったシャルルは必死の看病を行い、エマはなんとか命を持ちこたえました。
 快方に向かっていったエマは、一度は信仰にすがるようになったものの、そのうち何もかもに無関心になっていきました。そのようなエマにオメーは芝居見物を勧め、妻の気晴らしになると考えたシャルルは、エマをルーアンの劇場へと連れて行きました。
 エマは芝居に見入っていましたが、偶然同じ劇場を訪れていたレオンと三年ぶりの再会を果たすと、芝居に意識を向ける事ができなくなりました。シャルルが途中退席した芝居の続きを観る許可を与えたため、エマはひとりでルーアンに残りました。

第三部

 情熱を取り戻したレオンは、三年前に伝えられることのなかった想いを伝えました。始めのうちエマは以前のような貞淑を装っていましたが、すぐにレオンとの不倫関係を結びました。
 それ以来、エマはルーアンでピアノを習うという嘘をつき、毎週木曜日にレオンとホテルで会うようになりました。レオンはエマに骨抜きにされました。
シャルルに嘘を重ねていたエマは、嘘をつくこと自体に快楽を感じ、外泊までするようになりました。
 そのようなエマに、ルウルーはこれまでつけで渡していた商品の料金を請求しました。エマは、シャルルの死んだ父親が持っていた家を売り払って借金の一部を支払いました。

 レオンの臆病なところを見るにつれ、不倫関係に倦怠が伴うようになり、エマのレオンへの情熱は次第に冷めて行きましたが、別れる勇気を持つことまではできず、却ってまだ見ぬ男への欲望を募らせました。
 次第にエマは仕事中のレオンを呼び出すようになり、会えないと怒り出し、質屋に出入りさせるようになりました。レオンは言われることに従っていたものの、次第にエマの態度に辟易とし、別れを決意しました。

 ある日、ルウルーが知人の銀行業者に依頼した、借金の取り立ての手紙が届きました。エマはあらゆる方面に金の工面を頼み、家の品を売り払いましたが、借りた分を揃えることはできず、二十四時間以内に借金を払わないと、差し押さえを受けることとなってしまいました。
 エマはレオンに事務所で不正を働いて金を作るよう強要し、公証人のギヨーマン氏に頼み込むも体を要求されて逃げ出し、最後の手段として、体を売る覚悟で三年ぶりにロドルフの家を訪れました。しかしそれも徒労に終わり、借金を返すための金を得ることはできませんでした。
 半狂乱になったエマはオメーの家の薬品倉庫に入り、砒素を食べ、家に帰って横になりました。
 エマからの手紙を読んだシャルルは、高名な医者を呼びましたが、エマの体には既に毒が周り、助けることはできませんでした。エマは司祭によって聖体拝領を受け、安らかな顔になりましたが、オメーに瘰癧を治してもらうという約束を果たしてもらいに来た盲目の乞食の歌声を聞くと、その乞食の醜悪な顔が、地獄の淵に立っているような気がして、不気味に笑いながら息絶えました。

 妻の死後、シャルルはエマの思い出の品を処分せずに暮らしたため、エマが作った借金を完済することができませんでした。村の人々や母親にも見捨てられたシャルルは、娘を可愛がることだけに執心して暮らしました。ある日、シャルルはエマの引き出しを開け、ロドルフやレオンからの手紙を見つけました。それ以来、彼はみすぼらしくなり、仕事もせずに泣きながら暮らしました。
 ある日、シャルルはロドルフと偶然再開しました。始めうろたえたロドルフは、次第に厚かましくなり、シャルルを飲みに誘いました。その席で、シャルルは、妻の死は運命の罪であり、ロドルフを恨んでいないと語りました。
 その翌日、娘のベルトは、椅子に腰掛けて死んでいるシャルルを発見しました。
 オメーは、自分の悪評を立てる盲人の乞食を勾留することに成功したことがきっかけとなり、反宗教主義者として危険な人物となりました。彼は野心を抱くようになり、多くの著作を残して民衆の支持を得て、レジオン・ドヌール勲章を授かりました。

管理人の感想

 写実主義の傑作として有名なこの作品は、徹底した客観的視点によって書かれています。時に文学作品に色取りを加える仰々しい文章や含蓄、感情の分析といった、いわゆる「作者による語り」はほとんど見られません。そこに書かれているのは、生涯を通じて情熱に憧れ続けた主人公エマと、そのエマを取り巻く人々の描写だけです。それにも関わらず、この小説がこれほど魅力的なのは、エマの人生そのものが非常に面白く、かつ共感を呼ぶからに他ならないと思います。

 十三歳のころから修道院に入ったエマは、その規律正しい生活に倦怠を感じ、小説に描かれる恋に憧れます。彼女は幻滅するシャルルとの結婚生活を経て、ロドルフやレオンとの不倫に興じ、贅沢によって身を滅ぼします。
 この悲劇の原因は、エマにもともとあった資質によるものかもしれませんし、彼女の不運な人生によるものかもしれません。エマにもともとあった資質や、彼女に訪れた不運は、決して珍しいものではありません。小説を読んで(現代だと映画やテレビドラマでしょうか)まだ見ぬ恋や結婚に憧れを抱くのは、ほとんどの人が経験することでしょうし、結婚後に彼女が抱くさまざまな感情も、口に出されることが少ないだけで、家庭を持つ人なら誰もが一度は抱いたことのある感情だと思います。それは退屈な結婚生活や、情熱的な不倫によって引き起こされる感情に限らず、何かしらの欲望に囚われて歯止めが効かなくなった経験のある人や、周囲にいる人々に満たされず、孤独を感じたことのある人にも共通する感情です。彼女と同じような経験をした人でなくとも、彼女が人生の中で抱く感情のどれかに共感する人は多いのではないでしょうか。

 また、罪深いことを繰り返しているはずのエマには、悔恨の気持ちがほとんど見られず、それどころか、不倫の原因を自分の感情を満たすことのできないシャルルのせいにしているようにも見えます。気まぐれに宗教に熱中してみても、長く続くことはありません。彼女の自制心や貞節のなさに眉をひそめる人も多いでしょう。しかし、どれだけ罪深いことをしても心から悔い改めることなく、表向きだけは慎み深いふりをして、欲望のはけ口を探し続けるのが人間らしさなのではないかとも思います。

 そのような欲望に囚われた人々を現実世界に引き戻す役割を果たすのが、周囲にいる人々なのですが、エマの場合はそのような人物に恵まれません。彼女の母親は幼い頃に死に、父親とは結婚と同時に引き離されます。ロドルフやレオンは肉欲のため、ルウルーは金銭欲のために、進んでエマを貶めようとします。オメーやブールニジアンも、エマの悩みに気付いて親身になってやろうとはしません。そしてシャルルは、夫でありながらエマの本質に気づくことはなく、自分たちは幸福なのだと信じ切っている愚鈍な人物です。まるで周りの俗人がよってたかってエマの狂気を育てているかのようです。そのように考えると、エマ自身に罪があったのではなく、ただ不運にも、周囲の人物に恵まれなかっただけのようにも思われます。フローベール自身が、『ボヴァリー夫人は私だ』と言ったように、エマはどこにでもいる凡庸な人物なのです。

 もしかすると、彼女が息を引き取る直前に見た、盲人の乞食が醜悪な顔で立っている地獄の縁に誰もが立っていて、少し背中を押されただけで、簡単にエマと同じところまで堕ちてしまうものなのかもしれません。エマをどこにでもいる凡庸な人物として書き、その凡庸な人物が陥った数奇な悲劇が描かれているのが、この作品の魅力ではないかと思います。