梶井基次郎『城のある町にて』の登場人物、あらすじ、感想

梶井基次郎作『城のある町にて』の登場人物、あらすじを紹介します。作品の概要や管理人の感想も。


檸檬・城のある町にて (角川文庫)

『城のある町にて』の登場人物

※ネタバレ内容を含みます。

峻(たかし)
可愛盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、姉夫婦のいる城下町を訪れる。肺を悪くしたことがある。


結婚して北牟婁(三重県南部)を経て松阪市に移り住んだ。北牟婁に住んでいたころに回虫によって体を壊し、峻の滞在中には腎臓を壊して熱を出す。

義兄
北牟婁で姉が寝込んだ時の話や、自分が心臓脚気を起こしていた時に、川に落ちた勝子を助け出した話を峻に語る。

勝子
姉夫婦の娘。北牟婁にいた幼い頃に川にはまったことがある。言葉遣いの拙いところを両親に笑われて泣きそうになる。他の子供との遊びで、自分だけが強く地面に叩きつけられても強がっていたが、その夜になって痩せ我慢を爆発させるかのように泣き始める。

信子
義兄の妹。普段は学校の寄宿舎に住んでいる。生まれつき平和の性分で、少し我儘なところのある峻の姉とも無理なく付き合っている。

義母
天理教を信じている。

『城のある町にて』のあらすじ

※ネタバレ内容を含みます。

ある午後

 峻(たかし)は、可愛い盛りで死んだ妹が死んで間も無く、伊勢湾にある姉の家を訪れました。その翌日の夜、家の近所にある城跡を姉と義兄とその娘と散歩をしました。除虫灯の美しさに峻は涙ぐみました。
 峻はその城跡を度々訪れ、伊勢湾の風景が眺められる石垣のベンチに座りました。空は悲しいまでに晴れていました。社の桜の木で泣くツクツクボウシ、景色を眺めては去っていく人、米つきばったを捕まえて遊ぶ女の子達、それらは取り立てた光景ではありませんでしたが、変に心を惹かれるものでした。峻はこの光景を見て、悲しい唸り声をあげたいような、得体の知れない想いが湧き上がってくるのでした。

手品と花火

 夕食の後、峻は城に登ると、花火が上がるのが見えました。三人連れの男の子が来て、その花火に気づきました。一番年上の子供が、花を英語で何というか聞かれ「フロラ」と答えました。

 家に帰ると、姉夫婦、義兄の妹の信子、姉夫婦の娘の勝子と「松仙閣」という劇場に、奇術を見に行くことになっていました。峻は、信子や姉といった若い女達と歩くことに幸福を感じました。幼い勝子は、言葉の間違いをからかわれ、泣き出しそうになりました。
 幕が上がると、インド人の奇術師は、観客の一人の男を馬鹿にして笑いを取りました。峻はそれを不愉快に感じ、なぜ観客の男が怒らないのかと疑問に感じました。手品はお粗末なものでした。峻は先ほどの花火を思い出しました。その場にいた子供が、「Flower」と言わずに「Flora」といったことが、どんな手品師でもかなわないような立派な手品だったような気がして、不愉快な気持ちが洗われるのを感じました。

病気

 姉が病気になり、腎臓の故障と診断されました。嫁いでから姉が病気で寝込むのは二度目でした。一度目は北牟婁(きたむろ)の山の中に住んでいた頃、回虫によるものでしたが、義兄は夜中に四里の道を氷を買いに自転車を走らせたそうです。
 峻もまた、肺を悪くしたことがありました。その時は義兄は北牟婁で神詣をしてくれました。義兄は北牟婁にいた頃の話を続けました。勝子が幼かった頃、義兄が心臓脚気で寝ていると、義兄の七十を越した祖母が勝子を連れて外へ行き、勝子が川に落ちました。それを知らされた義兄は、病気の中、川を泳いで勝子を助けました。この事件があってから、祖母はだんだんとぼけていき、一年ほど経ってから死にました。峻は、勝子の世話をするために北牟婁まで行ったその祖母の運命を残酷なものだと感じました。

勝子

 峻は、原っぱの中で三人の女の子と、一人の男の子が遊んでいるのを眺めていました。その中の一人は勝子でした。三人の女の子は、男の子に手を引かれ、その引っ張られる力の加減を楽しんでいるようでした。男の子は軽く手を引っ張るかと思うと、突然強く引き、女の子を地面に叩きつけました。女の子たちにとってはそれが面白いらしいようでしたが、勝子だけが強く地面に叩きつけられているように峻は感じました。それはおそらく、勝子がわがままであるためでした。自分だけ強く地面に叩きつけられていることに、恐らく勝子は気づいてやせ我慢しているように峻には思われました。峻は勝子を抱きすくめた時にもっと強くしてとせがまれたことを思い出し、もしかすると自分から強くしてもらっているのではないかとも思いました。
 夜、掌に棘を立ててきたようで、勝子が泣き始めました。峻は、昼間の遊びで勝子が棘を立てたことに気づくと共に、その時の痩せ我慢を今この場で破裂させているのかもしれないと思い、その泣き声を悲しいもののように思いました。

昼と夜

 峻は城のそばの崖の陰に立派な井戸があるのを見つけました。彼は、若い二人の女が洗濯物をすすいでいる光景を見て、素晴らしく健康的な眺めだと感じました。
 峻は国定教科書に載っていた詩や画を思い出し、今その世界が目の前にあることを感じ、自分の営むべき生活を示唆されたような気がしました。
 そのような風景に対する愛着、幼い時の回顧、新しい生活の想像で眠れない夜を度々過ごすうちに、得体の知れない変な気持ちになり、葉書にいたずらな文章を書きました。その変な気持ちを、妖術が使えそうな気持ちだと思うことが、峻にはありました。それは、彼が子供の時に弟と一緒に行った遊びに由来したものでした。それはうつ伏せになって両手で垣を作り、顔で蓋をして暗黒を見つめるというもので、峻はその遊びを行うと、暗黒の中に田園や都会などの広大な風景が見え、騒音すら聞こえるような気すらするのでした。

 八月終わりになり、信子は市の学校の寄宿舎に帰ることとなりました。義母と姉が勝子を連れて、信子を停車場まで送ると聞き、峻はその出発を心に浮かべ、美しいと感じました。
その前日の夜、峻は眠ることができず、夕立の音を聞いていました。蚊帳から外に出て雨戸を開けると、信子の着物が物干し竿に干されたままで雨に濡れていました。その着物からは、信子の身体つきが髣髴とされました。峻は自分の熱い額を感じながら、もう一つ夕立が来るのを待ちました。

作品の概要と管理人の感想

 『城のある町にて』(一九二五年発表)は、梶井基次郎が三重県松阪市に滞在した頃の体験をもとに書かれた短編小説です。
 「可愛いさかりで死なせた妹のことを落ち着いて考えてみたいという若者めいた感慨」から、松阪城址にほど近い姉夫婦の家を訪れた峻が見た風景、聞いた話が美しく描かれる作品です。「今、空は悲しいまでに晴れていた」という一文の、当時としては画期的であった表現方法は有名です。

 この小説は、六編のほとんど独立した短い小説から成り、それぞれが異なった魅力を持っています。

 最初の章『ある午後』で書かれるのは、峻が訪れた松阪城址から見ることのできる町の描写です。

 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた。
 白堊(はくあ)の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。ある家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好に刈られた松も見える。みな黝ずんだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。

『城のある町にて』より

 まるで本当に高台から町を見下ろしているかのような錯覚を起こさせる文章です。その後も美しい文章で日が翳っていく様子が書かれます。そのような光景を峻はこのように感じます。言葉で伝えようとしても何かが足りないといったもどかしい気持ちが、見事に表現されています。

 それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。
 なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。
 たとえばそれを故のない淡い憧憬と言ったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。
 人種の異ったような人びとが住んでいて、この世と離れた生活を営んでいる。―そんなような所にも思える。とはいえそれはあまりお伽話めかした、ぴったりしないところがある。

『城のある町にて』より

また、この章では、峻がこの土地に来て、妹の死に対する悲しみがどのように変わっていたのかが書かれています。

彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗(ヴェイル)のあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心が馴染んで来るにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。

『城のある町にて』より

 『ある午後』以下の章では、峻と姉の家族との関わりが書かれます。

 勝子と両親のほのぼのとさせるような会話や、信子の優しい性格が垣間見られる『手品と花火』、話し上手な義兄によって北牟婁での出来事が語られる『病気』、幼いながらも何かやりきれないような心理を抱えている勝子に焦点を当てた『勝子』では、峻がこの一家の中で経験したことと、峻から見た姉一家の各々の登場人物の印象が書かれます。
 そしてその次の『昼と夜』では、再び風景の描写に比重が置かれ、最後の章『雨』では、寄宿舎へ帰って行くという信子に向けた、峻の淡い想いのようなものが書かれます。

 冒頭以外の章では、妹の死に対して峻がどのように考えるようになったのかは書かれていません。それは、何かぽんと空中に投げ出されたまま置き去りにされたような感じを与えます。
 しかし、『手品と花火』以下の章からは、この家族の温かさや精神の健全さといったもの(勝子に関しては少し心配ですが)が断片的に読み取れ、その温かさや精神の健全さによって峻は悲しみから救われたのではないかとも思わされます。
 美しく心惹かれる風景と、姉の家族との何でもない出来事が書かれているだけのような小説ですが、その底を流れているのは、冒頭で書かれている峻の悲しみです。その悲しみが、美しい風景や、そこにいる人々によって癒されていく様子が推し量られるところに、この小説の良さがあると管理人は思います。