川端康成『雪国』ってどんな話?作品の内容を詳しく解説

言わずと知れた川端康成の代表作『雪国』を紹介します。この小説は、日本のみならず海外でも評価が高く、多くの翻訳がなされています。冒頭の一文

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった

はあまりにも有名であり、読者を一気に「雪国」という夢幻の世界へと引きずり込みます。多少読みにくく、難解な部分も多いですが、繰り返し読むことで味わいが増してくる作品です。

※ネタバレ内容を含みます。

『雪国』の登場人物

島村
東京に妻子を持ち、「無為徒食」の生活を送りながら、翻訳業などの文筆活動を行っている。五月の新緑の時期に雪国を訪れ、駒子と初めて出会う。

駒子
東京に売られ、芸者の見習いのようなことをやっていたときに身請けされたが、すぐにその相手が死ぬ。故郷の港町に帰った後、今はこの雪国で踊りと三味線の師匠の家で生活している。十九歳の時に島村と出会う。

葉子
雪国の出身。東京で病人の行男の世話をしていたが、行男に付き添い、雪国へと帰ってくる。東京では看護婦になろうとしていた。美しい声の持ち主。

行男
駒子が師事する踊りと三味線の師匠の息子。駒子の許嫁と言われている。東京で腸結核を患い、故郷である雪国に死ぬために戻る。二十六歳。

女按摩
島村が声をかけて施術を頼んだ盲目の按摩。駒子が行男の許嫁であると島村に伝える。

きみちゃん
駒子に慣れ親しんだ女児。三歳。

佐一郎
葉子の弟。雪国の信号所に勤める。

『雪国』のあらすじ

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 東京で文筆活動をしている島村は、国境の長いトンネルを抜け、雪国へとやって来ました。同じ汽車には、美しい声を持つ葉子という女が病人を連れて乗っていました。

 島村は、その年の五月に知り合った駒子に会いに来ていたのでした。駒子は若い時に東京に売られ、その後身請けされましたが、その相手が一年半で死に、今はこの雪国で踊りと三味線の師匠の家に落ち着いています。そしてその三味線の師匠の息子が、葉子が連れていた病人の行男でした。久しぶりに会う駒子は芸者になっていました。

 駒子からの一途な愛に、島村は良心の呵責を覚えながらも関係を続け、駒子の許嫁と噂される行男の恋人であった葉子に対しても惹かれ始めていきます。

 島村と駒子の機微なやりとりが、トンネルの向こう側にある「雪国」で夢想のように展開され、美しくも悲しい物語が繰り広げられます。

管理人の感想

『雪国』で表現されているのは、島村、駒子、葉子の、三者三様の悲しみであると思います。

 葉子は愛する男の死を経験します。甲斐甲斐しく世話をしてきたその男は、死の間際に駒子の名を呼びます。葉子は駒子を呼びにやりますが、駒子は男の死を看取るのを拒否します。それでもなお、男の死後も一途に愛し続けるその姿は、痛ましさすら感じます。

 幼い頃から様々な男に身を任さざるを得ない状況に育ち、身を立てる機会をつかめずに、今なお芸者として生きる駒子もまた、悲しい存在と言えるでしょう。彼女もまた、島村という、決して手に入れることのできない男を愛し、いつか去っていくと知りながらも、ただ頻繁に会いに来ることしかできません。

 駒子に対して呵責を感じながらも、雪国を訪れてしまう島村もまた、ある種の悲しみを背負っていると言えるでしょう。

 それぞれの登場人物に違う種類の悲しみを背負わせ、それらを書き分けていくのは、川端康成の一つの得意技で、それは後の小説『山の音』で見事に結実しています。

 この小説は雪国に度々訪れる島村の視点で書かれていますが、駒子や葉子にとっての島村は、普段の生活にはない存在であり、二人の生活にとっては、島村よりもむしろ行男のほうが大きなウエイトを占めていたはずです。

 葉子にとっては行男が生活の中心であり、島村はもはや「部外者」といってもいいくらいの存在です。自分が愛した男を看取らなかった駒子と、その駒子に見送られて妻子の元へ帰っていった島村に対して、葉子はどのような感情を持っているのでしょうか?

 東京に連れて行ってくれと島村に頼み、そのことを駒子に相談したのかと聞く島村に対して、

 駒ちゃんは憎いから言わないんです。

と葉子は言います。駒子は自分の恋人である行男がおそらく愛した女であり、それにもかかわらず墓参りもしないと言い張る女ですから、「憎い」というのは当たり前かもしれません。そして「憎い」駒子に相談しないまま、島村についてこようとするところに、葉子の底の知れない怖さと魅力があるということもできます。

 しかし、その前後には葉子は次のような発言を繰り返します。

駒ちゃんをよくしてあげて下さい。

 この二つの言葉は全く矛盾したものです。これは葉子の駒子に対する複雑な感情のあらわれではないでしょうか。島村のいない間にも、行男を含めた三人の間にさまざまなドラマがあったはずであり、駒子と葉子の間には様々な感情が入り乱れていたはずです。作中では書かれていないそのドラマを想像せざるを得ないところが、この作品の奥深さであると言えるでしょう。​​

 また、駒子が行男の関係を否定し、死を看取らず、墓参りすらしない、その意地ともとれるような行動の原因は、一体何なのでしょうか?

 駒子にしてみれば、その関係を島村に対しては否定しているものの、結婚を望まれ、自分が芸者になってまで金を送った男です。駒子と行男の関係がどのようなものであったかのかはわかりませんが、駒子の行男に対する感情は、「関係ない」と簡単に言い切れるものではなかったのではないかと思います。

 行男との関係を否定することで、自分の島村への愛を証明したかったのでしょうか?

 やきもち焼きの葉子の手前、行男のことを葉子に全面的に任せてあげたいという優しさから出る行動でしょうか?

 葉子のことが憎くて、わざと傷つけるようなことをしているのでしょうか?

 それとも本当は行男の死を受け止められずに忘れようとしているのでしょうか?あるいはその逆で、本当に行男への想いなど駒子の中にはなかったのでしょうか?

 このように、駒子にしても葉子にしても、どう考えていいのかわからない、矛盾ともとれる行動ばかりとっています。そこに存在する多くの嘘とまこと、本音と建前を想像してみるのも、雪国を紐解く楽しみとなるでしょう。

 雪国の魅力が少しでも伝わったでしょうか?この小説は何度も読んでみて、少しずつ魅力がわかってくるものだと思います。この究極のスルメ本を是非深く味わってみてください。