魯迅作『阿Q正伝』ってどんな話?作品の内容を詳しく解説

魯迅唯一の中編小説『阿Q正伝』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要や管理人のコメントも載せています。

阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊) (岩波文庫)

『阿Q正伝』の登場人物


この物語の書き手

阿Q
家も決まった職もなく、人々に馬鹿にされて生活している。

趙(チャオ)旦那
この地方の名士。

趙家の若旦那
秀才の試験に合格した、趙旦那の息子。

ひげの禿の王(ワン
ひげが濃く、なおかつ禿のある人物。

銭(チェン)旦那の長男(にせ毛唐)
洋式学校で学び、日本に留学したことがある。

静修庵(チンシウアン)の尼さん

呉媽(ウーマー)
趙家の女中。

雛七嫂(ツォウチーサオ)
趙家の隣人。

趙白眼(チャオパイエン)
趙家の一族。

趙司晨(チャオスーチェン)
趙家の一族。

小D(小Don)
やせこけた、力のないチンピラ。

挙人旦那
城内に住む科挙に合格した名士。

『阿Q正伝』のあらすじ

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 阿Qはその姓や素性も分からず、家も職もなく、土地廟(土地神の堂)で雨風を防ぎ、日雇いをしながら、その日暮らしの生活を送っていました。頭には禿があったし、喧嘩も弱かったので、罵倒されたり殴られることもありましたが、我こそは誰よりも偉いと思うことによって、精神的な勝利を得ていました。
 いつものように喧嘩に負けた阿Qは、憂さ晴らしのために若い尼さんの頬をつねりました。しかし女の頬の感触が忘れられず、村の得意先の趙旦那の女中にせまったために、彼は解雇を言い渡され、他の村民からも相手にされなくなってしまいました。仕事もなくなり、腹を空かした阿Qは、お寺の大根を盗み、村から姿を消しました。
 再び村に姿を現した阿Qは、真新しい服を着て、現金をわしづかみにして酒を飲みました。彼は城の中で、科挙に合格した者の屋敷で働いていたようでした。女たちは阿Qからキャラコやスカートを買い求めました。しかし阿Qには、どこか胡散臭いところがあったので、一部の遊び人が問い詰めたところ、盗人の下っ端をしていたということがわかりました。
 ある日、革命軍が入城したことを知った阿Qは、革命が何なのかもわからないまま、「謀反だ!謀反だ!」と言って参加しようとしましたが、革命軍には相手にはされませんでした。しかし逆に、革命軍に参加したと思われて逮捕され、見せしめのために街中を引き廻された後、刑場に連れていかれ、銃殺されました。世論は彼の死が見栄えのする首切りでなかったことに不満を言い、引き廻されている間に阿Qが歌ひとつうたえなかったので、彼のことを間抜けな死刑囚だと言いました。

作品の概要と管理人の感想

 『阿Q正伝』は、1921年から1922年にかけて発表された魯迅唯一の中編小説です。清が滅びて中華民国が誕生する原因となった、1911年から1912年にかけての辛亥革命の時代が舞台になっています。19世紀、阿片戦争や日清戦争により国力を弱めていた清は、大日本帝国や欧米諸国からの半植民地化を許し、国内での不満を増長させていました。孫文らが主導して行われた革命運動は、武漢での武装蜂起から各地に拡まり、1912年に新しい政府である中華民国が発足します。
 1902年から7年間にわたり日本に留学していた魯迅は、日露戦争の勝利などによって国力を高めている日本と、支配されることに慣れてしまった自国の人びとを目の当たりにして、文芸活動によって中国国民の啓蒙に努めることを決心します。
 『阿Q正伝』はこのような背景の中に生まれた作品で、無知で自尊心だけはやたらと高い阿Qを通し、中国の民衆を批判しています。

 その氏素性もわからず、家も職もない最下層の貧民で、同じ村の人々から馬鹿にされている阿Qは、日雇い主の女中に言い寄ったことで村を追われ、盗人の下っ端として働きます。彼は、革命が何であるかもわからないまま参加しようと試みますが、革命軍からは相手にされず、逆に革命軍の掠奪に参加したと思われて、無実の罪で処刑されることとなります。しばらくは自分が死ぬことにピンときていない様子の阿Qですが、処刑の直前になってようやく自分が死ぬことを実感し、恐怖に襲われた直後、銃殺されてしまいます。

 魯迅はこのような惨めな最期を迎える阿Qを通して、「恐怖を感じてからではもう遅い」と、中国の民衆に語りかけているかのようです。しかし、阿Qの人生は、反面教師にするにはあまりにも愛おしすぎる書かれ方がされているようにも思われます。彼はどれだけ人々に馬鹿にされても、「精神的に勝利する」ポジティブ思考の持ち主で、最貧民であるという悲壮感を全く感じさせません。むしろ彼の幼稚さや危なっかしさからは、可愛らしさすら感じられてしまいます。読み進めるにつれ、生き生きとしたキャラクターにどんどん魅せられ、逆に彼のような愚かな生き方に憧れてしまう人の方が多いのではないかと、管理人は余計な心配すらしてしまいます。
 阿Qがこのような書かれ方をしているのは、魯迅が祖国を批判しながらも、祖国の人々を心から愛していた何よりの証拠なのではないでしょうか。おそらく阿Qは、魯迅が中国国民に対して抱く感情が、そのまま投影されたものなのでしょう。

 そして、阿Qが愛おしい人物として書かれていることこそ、この作品が時代を超えた名作として、世界中で愛され続けている理由なのかもしれません。ただ単に自国民の批判としてではなく、自国民への愛を持って書かれているために、当時の時代背景を理解していなくても、私たちはこの『阿Q正伝』を、普遍的なテーマを持つ作品として楽しむことができるのだと思います。