魯迅作『故郷』ってどんな作品?登場人物、あらすじを詳しく解説

日本の中学校の国語教育にも採用されている魯迅作『故郷』の登場人物、詳しいあらすじを紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。

※ネタバレ内容を含みます。

『故郷』の登場人物


一族が住んでいた家が他人のものになることが決まり、二十年ぶりに故郷を訪れる。

閏土(ルントー)
「私」の家の雇い人の息子。普段は海岸近くに住んでいたが、人手が足りない時に祭器の番などに呼ばれていた。海辺での生活を語り、少年時代の「私」を魅了した。


閏土が「私」に会いたがっていたことを伝える。

宏児(ホンル)
八歳。「私」の初対面の甥。

水生(スイション)
閏土の息子。

楊(ヤン)おばさん
故郷の家の筋向かいの住人。「私」が自分のことを覚えていないことに腹をたてる。

『故郷』のあらすじ

 一族が長い間住んでいた家が他人の持ち物となり、明け渡しの期限までに引っ越さなければならなくなったため、私は二十年ぶりに故郷を訪れました。

 自宅の庭先で、母と八歳になる初対面の甥の宏児(ホンル)が私を迎えました。母は引越しの話をした後で、閏土(ルントー)が私に会いたがっていたと言いました。閏土は、私の家の雇い人の息子で、当時は新年に人出が足りないときに祭器の番のために呼ばれていました。少年だった私は、同じ歳の頃の閏土とすぐに仲良くなりました。海辺に住んでいた閏土は、鳥を捕る方法や、西瓜畑を荒らしに来るチャーという動物を突く話を教えてくれました。少年時代の私は、閏土の話に魅了されました。
 母に聞くと、閏土の暮らし向きは良くないようでした。

 四、五日後、閏土が訪ねてきました。閏土は長年海風に吹かれた男らしく、深い皺が刻まれた顔は黄ばみ、眼の周りが赤く腫れていました。私は胸がいっぱいになり、昔のことを話そうとしても言葉が出てきませんでした。
閏土は、うやうやしい態度になり、「旦那さま!」と言いました。私は閏土との間に悲しむべき厚い壁ができたことを悟りました。閏土は、息子の水生(シュイション)を紹介しました。水生は三十年前の閏土にそっくりでした。宏児は水生を誘い、一緒に遊び始めました。
 私が暮らしむきについて聞くと、物騒な世間や重い税金のせいで、とても生活が追いつかないと閏土は言いました。私と母は、彼の境遇を憐れみ、いらない家の品物を好きなように選ばせました。

 九日後、私たちの旅立ちの日に、閏土はまたやってきました。私は忙しく、閏土と話す機会はありませんでした。
 船に乗り込むと、宏児が私に、いつ戻ってくるのかと聞きました。水生が自分の家に宏児を誘ったようでした。私と閏土との距離は離れてしまいましたが、若い世代は心を通わせているようでした。彼らは心を隔絶することなく、新しい生活を持つようにと私は希望しました。
 閏土が香炉と燭台を持ち帰るのを希望した時、私は偶像崇拝だと心密かに笑いましたが、自分のこのような希望もまた、手製の偶像に過ぎないのではないかと、私は思いました。

作品の概要と管理人の感想

 『故郷』は、1921年に発表された、魯迅の代表作です。日本では中学国語の教科書に採用されているので、『阿Q正伝』を目当てに魯迅の短編集を買ってみたら、どこかで読んだことがある作品が収録されていたと思う人も多いのではないでしょうか。
 語り手である「私」が、没落して引っ越しを余儀なくされる故郷に二十年ぶりに帰るところからこの作品は始まります。故郷の母親は、昔の雇い人の息子であった閏土が「私」に会いたがっていたことを伝えます。
 閏土は、かつての「私」の友人でした。彼は海辺に住んでいたため、西瓜を取って食べたり、チャーと呼ばれる動物を捕らえたりする生活を、幼い頃の「私」に語りました。彼の話は未知のものばかりで、少年期の「私」は魅了されました。「私」の家と閏土の家は主従関係にあったにも関わらず、その頃の「私」たちの友情は、少年期特有の、身分を超えたものとして書かれています。
 大人になった閏土との久々の再会に「私」は喜びますが、「旦那様!」と呼ばれたことで、かつて自分をわくわくさせていた彼との関係は失われてしまったことを「私」は悟ります。閏土と再会する前の「私」の高揚感と、再会した後の失望感はとても対照的です。幼い頃に魅力を感じていたものが、今ではもう失われたことに気づき、胸が締め付けられるような気持ちを味わったことのある人であれば、この感覚は非常に共感できるのではないでしょうか。

 魯迅は中国の貧しく無知な民衆を書き、当時の祖国の人々に、国民性の改革の必要性を訴え続けてきた作家です。暮らし向きが悪く、偶像崇拝に頼る閏土や、短気で欲深い楊おばさんからも、魯迅が民衆に対して発しているメッセージが読み取れるかと思います。また、貧しくても実直に生きている閏土の描写からは、魯迅が無知な国民を深く愛していたということも理解することができるでしょう。
 故郷を去る時間になり、宏児と水生の友情を目の当たりにした「私」は、子供たちは自分たちのように友情を隔絶することのないようにと希望します。魯迅が生涯をかけて伝えたかったことを考えると、この希望は、単に子供たちの友情が続くことだけではなく、国民全体が手を取り合って、中華民国を良い方向に導いて欲しいという願いが含まれているのかもしれません。