『憂国』は一九六一年に発表された三島由紀夫の短編小説です。四十ページ足らず(新潮文庫版)の作品ながら、『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』などの錚々たる顔ぶれの小説と並び、三島由紀夫の代表作と言えるものです。この作品を有名にしているのは、なんといってもその官能表現と、苦痛の表現でしょう。これはもう非常に生々しく、読んでいて実際に痛みを感じる人も多いのではないでしょうか。三島由紀夫にとっても、自身の作品の中でもお気に入りのものらしく、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と表現しています。この文章の通り、三島由紀夫のエッセンスがギュッと詰まったような作品になっています。
『憂国』のあらすじ
昭和十一年二月二十八日、二・二六事件から三日目に竹山信二中尉は、親友が反乱軍に加わったことで、妻の麗子とともに自害したということが冒頭で語られます。
信二と麗子は、結婚式の写真を見た人々が感嘆の声をあげるほどに麗しい容貌の二人でした。
結婚後最初の夜、信二は軍刀を膝の前に起き、軍人の妻はいつ何時でも、夫の死を覚悟していなければならない、それがいつ来てもろたえない覚悟があるかと聞き、麗子は懐剣を自分の膝の前に置いて、それに答えます。
二月二十六日の朝、集合喇叭の音で目が覚めた信二は駆け出していきました。夫の顔に死の決意を読み取った麗子は、自分も死ぬ準備を始めます。麗子はやがてラジオのニュースで事件の全貌を知ることとなります。信二の親友たちも息を引き取ったようでした。夫は二十八日の夕刻に帰ってきました。彼は新婚であることを考慮され、事件には誘われなかったようでした。信二の親友たちは反乱軍の汚名を着させられたため、部下を指揮して彼らを討たなければならない立場になった信二は、死ぬことを決意し、麗子はお供すると言いました。
『憂国』管理人の解説と感想
究極の快楽と究極の苦痛の描写がすごい
死を決意した後、信二と麗子が貪るように快楽を求める様子は、官能の極致を表現したものであり、その後に行われる二人の自死の様子は、苦痛の極致を表現したものであります。しかしその快楽と苦痛は、それぞれ独立したものではなく、快楽の中に苦痛があり、苦痛の中にも快楽があるように感じられます。そして信二の死を見とった後の、麗子の死の表現は、苦痛よりもむしろ歓喜の感情の方が際立っているかのような印象を受けます。それにはある理由があるのですが、その理由というのがまた、究極の愛を感じられるものとなっています。
小説でこそ、また三島由紀夫でこそ美しく表現できる題材
もともと原色で彩られたような小説を書く三島由紀夫ですが、この作品は更にどきつい極彩色のような小説となっています。「エロ、グロ」というジャンルに分類することもできそうですが、そのような言葉を使うにはあまりに美しすぎる作品です。エロくてグロい題材を、三島由紀夫の筆力が芸術的なものに昇華させています。これこそが、映像作品では達成できない小説の魅力でしょう。その凄まじい表現は、あらすじを読んだだけでは絶対に味わえません。
『金閣寺』あたりを読んでみて、「三島由紀夫もうちょっと行ってみたい」と思った人には是非読んでもらいたい作品です(『潮騒』からの『憂国』はおススメできませんね)。また「三島由紀夫の作品の登場人物の自己顕示欲が苦手」という人にも、この小説にはそのような要素はないのでおススメです。