森鴎外『じいさんばあさん』の登場人物、詳しいあらすじ、感想

 『じいさんばあさん』は、一九一五年に発表された森鴎外の短編です。江戸、天明期における文人、大田南畝(おおたなんぽ)が記した随筆『一話一言』に収録されている史料をもとに書かれた歴史小説で、麻布竜土町に隠居してきたひと組の老夫婦が経た、三十七年間にも及ぶ苦難の過去が描かれます。あまり知られていない作品ですが、高校国語の材料として使われることも多いようです。
 このページでは、『じいさんばあさん』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『じいさんばあさん』の登場人物

美濃部伊織
番町(現在の東京千代田)に住んでいた大番(平時は要地の在番、戦時は先鋒となる江戸時代の役職)の石川阿波守総恒組の侍。三十歳の頃、山中藤右衛門の仲介でるんと結婚する。

美濃部るん
伊織の妻。房州生まれの由緒ある家柄内木氏の娘。十四歳の頃から市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝と宗睦の召使として十四年勤めた後、妹の嫁ぎ先の外桜田の戸田邸にいるときに伊織と引き合わされる。

松平乗羨(まつだいらのりよし、松平佐平次乗羨)
一七九〇年〜一八二七年。三河奥殿藩の領主。幼名左七郎。現在の六本木にあたる麻布竜土町に領地を持つ。

宮重旧右衛門(みやしげきゅうえもん)
伊織の兄。松平左七郎の家中の侍で伊織とるんの隠居所を拵える。若い頃は七五郎を名乗る。

石川阿波守総恒(いしかわあわのかみふさつね)
もと伊織の上役。明和三年(一七六六年)に大番頭になる。

山中藤右衛門
伊織の叔母婿。大番を勤めている。伊織とるんを引き合わせる。

戸田淡路守氏之(とだあわじのかみうじゆき)
山中藤右衛門の妻の親戚。家来の有竹の妻がるんの妹。

内木四郎右衛門(うちきしろえもん)
るんの父親。

松平石見守乗穏
宮重久右衛門(幼名七五郎)の当主。

下島甚右衛門
伊織の大番勤めの仲間。伊織が刀を買うための金を貸す。

柳原小兵衛
大番勤めをしていた頃の伊織の友人。

貞松院
るんの祖母。

平内(へいない)
伊織とるんの嫡子。

笠原新八郎
戸田家の家来の有竹の分家。るんが一時期身を寄せる。

戸田淡路守氏養
戸田淡路守氏之の跡継ぎ。

松平筑前守治之
筑前国福岡の領主黒田家の当主。

『じいさんばあさん』の詳しいあらすじ

 文化六年(一八〇九年)の春、麻布竜土町(現在の東京の六本木のあたり)にある三河奥殿藩の領主、松平左七郎の邸の中で、家中の侍である宮重久右衛門が、田舎にいた兄のための隠居所を拵えるため、小さい空き家を修復しました。
 やがて久右衛門の兄の爺いさんが、その隠居所に入りました。その爺いさんは、真っ白な髪でも腰は曲がっておらず、両刀を挿した姿が立派で、田舎者には見えない風貌をしていました。
 それから二、三日経つと、婆あさんが同居を始めました。その婆あさんもまた、爺いさんに負けぬ品格を持っていました。
 二人は非常に仲の良い夫婦で、裕福ではないものの不自由ない生活を送っていました。しばらくすると、その婆あさんは、御殿女中(宮中や将軍家、大名家の奥向きに仕える女中)であったという噂が流れるようになりました。

 その年の暮れ、婆あさんは、邸の主人の松平左七郎に呼び出され、将軍徳川家斉からの命を伝えられました。それは、長年、遠方にいた夫のため貞節をつくしたために、褒美として銀貨十枚を与えるというものでした。
 隠居の婆あさんに銀十枚が下されたのは、異例の出来事で、世間に評判になりました。このことにより、夫婦の名は江戸で知られるようになりました。爺いさんは、美濃部屋伊織という名のもと大番の石川阿波守総恒組の侍で、婆あさんは、るんという名の、外桜田の黒田家に仕える表使格(奥女中のうち、年寄と中老の中間に位し、役人を応対する)になっていた女中でした。

 二人は、伊織が三十歳、るんが二十九歳の頃、伊織の叔母婿であった山中藤右衛門という男によって引き合わされました。
 当時、伊織は、明和三年(一七六六年)に大番頭になった石川阿波守総恒の組に所属する侍で、剣術に長け、書道や和歌の嗜みがありました。
 るんは、阿波国の由緒ある家柄の娘で、市ヶ谷門外にある尾州家の召使いとして、十四歳の頃から十四年間勤めていました。彼女が二十九歳の頃、二十四歳の妹が、山中の妻の親戚、戸田淡路守氏之の家来の有竹という者の嫁になったため、るんは尾州家を出て、妹が住む外桜田の戸田邸に手伝いに入りました。るんが旗本の相応な家に嫁入りを望んでいることを聞いた山中は、伊織の相手として、彼女を世話をしようと考えたのでした。
 美濃部に嫁にやってきたるんは、非常に伊織を大事に扱いました。伊織は良い嫁を持ったと思い、欠点であった癇癪もなりを潜めました。

 その翌年、伊織の弟の宮重七五郎(久右衛門の幼名)は、当主の松平石見守乗穏が大番頭になったので、自分も同時に大番組に入りました。

 伊織とるんが結婚してから四年が経った頃、松平石見守が、京都の二条城の在番になりました。宮重七五郎が病気になったため、伊織がその代理として石見守について上京することになりました。その頃るんは臨月を迎えていました。

 その年の秋、伊織は刀剣商の店で、よい古刀を見つけました。その刀は百五十両という大金を出さなければ買えませんでしたが、伊織はそれを百三十両にまでまけてもらい、胴巻に入れている百両と、大番勤めの仲間の下島甚右衛門に借りた三十両で、その刀を買い取りました。
 刀が出来上がると、伊織は、友人の柳原小兵衛らを招いて、刀を披露し、御馳走をしました。
 友人たちはその刀を褒めました。そこへ下島が訪れたため、伊織は自分たちの中に入れました。下島は、自分の貸した金で刀を買ったにも関わらず、伊織が自分を招待しなかったことを不平に思い、わざと酒宴の最中に訪ねてきたのでした。
 彼は、伊織を冷笑しながら、借金のある身で刀の披露をしたりするとは不心得だと言いました。伊織は、その言葉の返事は借金を返すときにするので、ここは席を外して欲しいと頼みました。
 すると下島は、前に据えてあった膳を蹴ってひっくり返しました。伊織は刀を持って下島と向き合い、その額を斬りました。
 伊織は、逃げ出す下島の後を追って、その奉公人の腕を切り、ようやく柳原に制止されました。

 下島は、額の傷が原因で、その二、三日後に息絶えました。伊織は江戸に護送されて取調べを受け、越前国の丸岡(現在の福井県東部)へと送られる刑に処せられました。

 伊織の祖母貞松院は、宮重七五郎の家に入り、るんは、嫡子の平内とともに、妹の嫁ぎ先である有竹家の分家の笠原新八郎方に身を寄せました。

 二年ほど経つと、るんは祖母の貞松院と済み始めましたが、間もなく祖母は八十三歳で死に、その翌年、平内が流行の天然痘で死にました。
 るんは、祖母と息子を松泉寺に葬ると、一生武家奉公をしようと思い立ち、笠原に奉公先を探すことを頼みました。

 しばらくすると、有竹氏の主家の戸田淡路守氏養の隣の邸、筑前国福岡の領主黒田家の当主松平筑前守治之が奥女中を欲しがっている噂が聞こえました。氏養は、六年前に氏之の跡を継いだ戸田家の当主でした。
 安永六年の春、黒田家は、るんを雇い入れることを決めました。

 るんはそれから三十一年間、四代にわたって黒田家の奥方に仕えました。その間、るんは美濃部家の墓に香華を絶やさず、給料から松泉寺に金を納め続けました。彼女は表使格になり、その後隠居して終身二人扶持(一人扶持は玄米一日五合分の支給)を貰うことになりました。
 隠居後、るんは一時笠原方に身を寄せた後、故郷の安房に帰りました。

 その翌年の、越前国の丸岡の配所で、三十七年間、人に手跡や剣術を教えていた伊織が、徳川家治の御追善(冥福を祈る行事)のために刑を許され、江戸に帰ることになりました。それを聞いたるんは、安房から江戸に出てきました。二人は三十七年ぶりに、竜土町の家で再会したのでした。

管理人の感想

 『じいさんばあさん』は、三十七年間の別離を経て再会したひと組の老夫婦の、壮絶な過去がえがかれた作品です。
 冒頭では、田舎から隠居所に引っ越してきた伊織とるんの幸福な様子が描かれます。二人は、とても田舎者には見えない気品のある風貌をしており、非常に仲が良く、もし若い男女であったなら、とても平気では見ていられないであろうと近所のものに噂されます。
 やがて、長年遠方にいる夫に貞節を尽くしたとして、るんが将軍から銀貨を授かります。このことをきっかけに、伊織が京都赴任中に仲間を斬って捕まったために、二人が三十七年間もの別離を経験していたという過去が明らかにされます。

 この作品における「現在」(伊織とるんが隠居所に越してきた一八〇九年)においても、「過去」(伊織とるんの結婚した一七六七年以降)においても、登場人物の心理描写はほとんど排除されています。書かれているのは、二人が結婚したこと、伊織が侮辱してきた仲間を斬って捕まったこと、るんが貞松院と平内と死別し、その後三十一年間にわたって女中を勤めていたこと、そして三十七年ぶりに二人が再会したことだけです。しかし、もはやその壮絶な事実の羅列だけで、私たちは二人に募っていた思いや、再会した時の喜びを想像することができるのです。

 これらの壮絶な過去が明らかになったあとで、冒頭の部分を思い出してみると、まるで若者の交際のようにも見える二人の関係が、とても深みがあるもののように感じられます。とても清々しい読後感を残してくれる作品だと思います。

 森鴎外の、特に後期の作品は、心理描写が極力排除され、いわゆる行間を読むことで、登場人物たちの感情を想像させるものが多いです。この『じいさんばあさん』もそうですし、『阿部一族』や『山椒大夫』のような作品はその典型です。これは、私情よりも信念のために生きた武士の潔さを表現するのにぴったりな文体であると思います。

 一方、明治期の作家として鴎外と双璧をなす夏目漱石の作品は、心理描写が頻繁に行われ、登場人物の心の揺れをこと細かに表現しています。『こころ』などは、心理小説の草分け的な存在として、百年以上も日本人に愛され続けている作品です。

 このような点から見ると、漱石と鴎外の作品は非常に対照的です。個人的には、明治期の悩める知識人を描くのなら夏目漱石、維新より前の武士を描くのなら森鴎外です。近代文学の黎明期に、このような二人の作家がいたことは、日本文学の発展において非常に大きな意味を持っているのではないかと思います。