森鴎外『山椒大夫』ってどんな作品?登場人物やあらすじを詳しく解説

江戸時代に流行した説経節という伝統芸能の演目『さんせう太夫』を題材に書かれた森鴎外の代表作『山椒大夫』の登場人物やあらすじを紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。

『山椒大夫』の登場人物

※ネタバレ内容を含みます。

厨子王
冒頭では十二歳。三歳のころに、父である陸奥掾正氏(むつのじょうまさうじ)が筑紫の安楽寺へ行ったきり帰らなくなり、岩代の信夫郡(のぶごおり、現在の福島県福島市)に住むことになる。母、姉の安寿と共に父を探す旅をしていたが、安寿と共に山椒大夫の元に売られ、萱草(わすれぐさ)と名付けられ、草刈りや藁打ちに従事させられる。安寿の言葉に従って山椒大夫のもとから逃亡し、中山の国分寺に匿われながら京都の清水寺に辿り着く。清水寺で隣に寝ていた藤原師実により、平正氏の子であることがわかり、元服して正道と名乗る。丹後の国守になると、最初の政として、人の売買を禁じる。結末では、佐渡に渡り、盲目となった母親との再会を果たす。

安寿
冒頭では十四歳。厨子王と母親と共に岩代から歩いている。人買いに騙され、母と離れ離れになって、厨子王とともに山椒大夫の元へ売られる。自分の名を名乗らなかったため、垣衣(しのぶぐさ)と名付けられ、潮汲みや糸紡ぎに従事させられる。厨子王に一人を逃がし、入水する。厨子王が丹後の国守になると懇ろに弔われ、入水した沼には尼寺が建つ。


冒頭では三十歳くらい。筑紫(九州)へ行って帰らない夫を探すため、安寿と厨子王を連れて、岩代から旅をしている。人買いに騙され、二人の子どもと離れ離れにさせられて佐渡へと売られる。佐渡では盲目となるが、元服して佐渡へ渡ってきた厨子王が守本尊を額に押し当てると、目を開ける。

姥竹
四十歳くらい。厨子王たちの女中。人買いに騙されたことを悟ると、海へと身を投げる。

潮汲女
越後から今津へ出る道で、悪い人買いが増えたために旅人を泊めることが禁じられていると厨子王たちに伝え、風を防げる場所を教える。

山岡大夫
四十歳くらい。橋の袂の材木が立てかけてある場所に泊まっている厨子王たちに話しかけ、これまでに何人も旅人を助けているので自分の家に泊まるようにと促す。その正体は人買いの協力者で、親子を宮崎の三郎と佐渡の二郎に売り飛ばす。

宮崎の三郎
人買いに従事する船頭。安寿と厨子王を山岡大夫から引き渡されるが、なかなか買い手がつかず、丹後の山椒大夫に売り払う。

佐渡の二郎
人買いに従事する船頭。安寿と厨子王の母親を佐渡に売り払う。

山椒大夫
六十歳になるどんな人でも買う丹後の富豪。もともと三人の子がいたが、一人は逃亡し、二郎と三郎が残っている。厨子王と安寿を宮崎の三郎から買うと、草刈り、糸紡ぎ、などの仕事に従事させる。逃亡した厨子王が丹後の国守になり、人の売買を禁じると、奴婢を解放し、給料を払うようになり、一族を繁栄させる。

二郎
山椒大夫の子。邸を常に見回っており、安寿と厨子王には情けをかけている。

三郎
山椒大夫の子。三十歳。二郎よりも容赦ない性格で、厨子王が逃亡すると、中山の国分寺まで追ってくる。

小萩
山椒大夫のもとへ、伊勢から買われてきた娘。安寿に糸つむぎを教える。厨子王が丹後の国守になり、人の売買を禁じると、国に帰される。

曇猛律師
中山の国分寺の住職。山椒大夫のもとから逃げてきた厨子王を匿い、京都まで送り届ける。厨子王が丹後の国守になると、僧都(位の高い僧)となる。

鐘楼守
中山の国分寺の鐘楼を守る親父。厨子王を追ってきた三郎に嘘の行き場所を教え、寺に匿われている厨子王を助ける。

藤原師実
清水寺で厨子王の隣に寝ていた老人。拝むようにとのお告げがあった厨子王の守本尊を見て、厨子王のことを筑紫へ左遷させられた平正氏の子であることに気づき、客人としてもてなす。

師実の娘
仙洞(上皇の御所)に仕えている養女で、実は師実の妻の姪。長い間病気であったが、厨子王の守本尊を借りて拝むと、すぐに回復する。

『山椒大夫』の詳しいネタバレあらすじ

 三十歳くらいの母親が、十四歳と十二歳の姉弟と、四十歳くらいの女中を連れ、越後から今津へ出る道(現在の新潟県から兵庫県へと至る道)を歩いていました。娘の名は安寿、息子の名は厨子王、女中は姥竹といいます。彼らは、筑紫(現在の九州地方)へ旅立って帰らない父親を訪ねに岩代の信夫郡(現在の福島県福島市)から歩いているのでした。
 この辺りに宿はないかと、姥竹は地元の潮汲女(しおくみおんな)に聞きました。潮汲女は、この土地には悪い人買いが来るようになったため、旅人に宿を貸すことを禁じられていることを教え、橋の袂にある材木の下に風を通さない場所での野宿を勧めました。
 川にかかる橋の下に行くと、潮汲女が言ったとおり大きな材木が立てかけてあり、四人はその中に潜り込みました。
 しばらくすると四十歳くらいの男がこの材木の陰に入ってきました。男は山岡大夫と名乗り、旅人をこれまで幾度も救っていると言いました。山岡は、自分の家は街道から離れていて、旅人を泊めても安心なので来るようにと言いました。母親は山岡に深く感謝して、家に泊めてもらうことにしました。

 その日の晩、母親は自分の身の上を山岡に語りました。西へ行く方法を尋ねられた山岡は、陸路は難所であるため、海路で行くことを勧めました。母親は半信半疑のまま山岡を船頭とする舟に乗りました。山岡は、直江の浦(現在の新潟県の海)を進むと、人気のない岩陰に四人を連れて行き、宮崎の三郎と佐渡の二郎という二人の船頭に親子を引き渡しました。宮崎の三郎の舟に二人の子供が乗せられ、もう一つの佐渡の二郎の舟には母親と女中が乗せられると、四人は同じ方向に向かうものだと思っていましたが、宮崎の舟は南に、佐渡の舟は北に漕ぎ始めました。離れ離れになった親子は、人買いに騙されたことを悟りました。姥竹は佐渡の二郎の足にすがりつきましたが、蹴り倒されたため、観念して海に身を投げました。佐渡の二郎は母親を綱で縛り、佐渡へと舟を進めました。
 宮崎の三郎は方々を回りましたが、買い手がつかないので、丹後の国にいるどんな人でも買う富豪の山椒大夫に二人を売り払いました。
 山椒大夫には二郎と三郎という二人の息子がいて、安寿と厨子王の働きを管理しました。
 姉弟は名乗らなかったので、安寿には垣衣(しのぶぐさ)、厨子王には萱草(わすれぐさ)と、山椒大夫は名付けました。安寿は潮汲み、厨子王は草刈りを命じられ、それぞれの持ち場につき、厨子王は樵(きこり)に、安寿は伊勢の小萩という買われてきた女に手ほどきを受けました。

 十日が過ぎると安寿と厨子王はそれぞれ男女の組みに入ることなっていましたが、二人が死んでも離れないと言ったので、小屋の中に二人で置かれました。
 安寿は夢の中で、一人で両親を探すようにと厨子王に言いました。その会話を三郎に立ち聞きされ、山椒大夫の所まで連れられて額に十文字の焼印を施されました。二人は気絶しそうになりながら小屋に帰り、持っていた守本尊(小さな仏像)を枕元に置くと、額の痛みは消えました。そこで安寿は目を覚まし、弟も同じ夢を見ていたことを知りました。守本尊を取り出してみると、両方のこめかみの所に十文字の傷がついていました。
 それ以来、安寿は言葉少くなり、何か内に秘めている様子になりました。その様子を見た厨子王は、姉のことを心配しました。

 春になり、外の仕事が始まることを二郎が伝えにくると、安寿は弟と一緒に山へ行かせて欲しいと頼みました。安寿が山に行くのであれば、男のように髪を切らなければならぬという命令を三郎が出したため、安寿は髪を切り、山へ向かうことを許されました。
 安寿は厨子王の手をひきながら山の頂まで連れて行き、小萩に聞いた京都までの道を教え、一人で佐渡に渡って母親を助け、その後で自分を助けに戻ってくるようにと言いました。厨子王は姉の言葉に従って逃げました。自分の持っている守本尊を厨子王に渡した安寿は、入水しました。

 厨子王は、姉に教えてもらった道を走り、中山の国分寺に匿われました。三郎は大勢の追手を連れ、国分寺を訪れましたが、住持の曇猛律師(どんみょうりつし)は、天皇の命で建てられたこの寺で狼藉を働いても得にならないと諭し、三郎を退けました。寺の鐘楼守は、十二、三歳の子供が通り過ぎていったのを見たと嘘をつき、三郎をそちらの方向へ向かわせました。

 数日後、曇猛律師は、頭を剃って袈裟を着た厨子王を連れ、京都まで送り届けました。
 厨子王は都へ上り、清水寺で夜を明かしました。目を覚ますと、一人の老人が厨子王に話しかけました。老人は、関白藤原師実と名乗り、左の格子で寝ている子供が良い守本尊を持っているので、それを借りて拝むようにという夢のお告げを見ていたようでした。厨子王はこれまでのいきさつを語り、仏像を見せました。師実は、その仏像が平氏の先祖である高名な家柄に伝えられているものだと知っていたため、厨子王のことを筑紫へ左遷させられた平正氏の子に違いないと言い、自分の家の客人としてもてなしました。

 厨子王は元服(成人になること)し、正道と名乗りました(以下正道)。父親の正氏は死んでいることがわかりました。正道は丹後の国守になり、最初の政(まつりごと)として、人の売買を禁じました。
 正道は佐渡に渡りましたが、なかなか母の行方はわかりませんでした。ふと大きい百姓家を見ると、盲目の女が襤褸(ぼろ)を着て筵(むしろ)に座っています。女は安寿や厨子王を恋しがる歌を歌っていました。正道はその百姓家の中に駆け込み、守本尊を額に押し当てると、母は涙で濡れた目を開きました。二人は抱き合いました。

作品の概要と管理人の感想

 『山椒大夫』は、一九一五年に発表された森鴎外の代表作の一つです。江戸時代に流行した、伝承を語り聞かせる芸能「説経節」の有名な演目である『さんせう太夫』を題材にした作品です。
 人買いに騙されて母親と離れ離れになった姉弟が、山椒大夫のもとで労働に従事し、後に入水することになる姉の言いつけに従って逃亡した弟が、苦労を経て母親と再会するまでが書かれます。
 森鴎外の作品は、心理描写が少なく、客観的な描写が多いため、淡々とした印象を受けます。同じ時代の文豪である夏目漱石が、細微な心理描写を行なっているのとは非常に対照的です。
 しかし、心理描写が少ない分、かえって壮絶な人生を歩んできた厨子王の苦しみを想像しながら読むためでしょうか、母親との再会の場面は非常に心を揺さぶられます。
 文庫版にして約四〇ページの短編ですが、無駄の一切ない文体で書かれているため、内容はぎゅっと詰まっており、まるで長年の苦労を厨子王と共有してきたかのような感覚を味わえる作品だと思います。