夏目漱石『坊っちゃん』の詳しいあらすじ

夏目漱石作『坊っちゃん』のあらすじを詳しく紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

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 坊っちゃんは、親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていました。小学校の時は、同級生に囃され、二階から飛び降りました。二階から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと父に言われ、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えました。
 親類からもらった西洋製のナイフを友達に見せていたら、切れそうもないと言われたので、なんでも切って見せると受けあい、友達に言われるがまま右の手の甲を切りました。その傷跡は今でも残っています。
 菜園の栗を盗みに来る、山城屋という質屋の倅の勘太郎と揉み合って、垣を半分崩して向うへ落としたこともあります。
 父親は乱暴者の坊っちゃんを可愛がらず、母は女形の芝居の真似をする色の白い兄ばかりを贔屓しました。
 母が病気で死ぬ二、三日目前に、坊っちゃんは台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨を打って痛がりました。これ以上顔を見たくないと母に言われたので、親類に泊まりに行っていると、死んだという知らせが来ました。兄が親不孝者だと言ったので、横っ面を張ったら叱られました。
 それから坊っちゃんは、父親と兄と三人で暮らしました。兄は実業家になると言って勉強していました。兄弟仲は良くありませんでした。
 将棋で卑怯な持ち駒をした兄が冷やかしてきたので、飛車で眉間をたたき、父から勘当されかけたこともありました。その時は十年来の召使いの清(きよ)が父に謝って勘当は解けました。清はもともと由緒正しい女でしたが、明治維新の時に零落して、奉公するようになりました。清だけは坊っちゃんのことを大変に可愛がりました。坊っちゃんは他人からどのように扱われても平気でしたが、清は、坊っちゃんのことを、まっすぐでよい気性だと褒めました。その意味がわからず、お世辞は嫌いだと答えると、それだからよいご気性です、と清は返しました。
 清は、父親や兄がいないときに物をくれたり金を貸してくれました。坊っちゃんは自分だけ得をするのが嫌でした。それを清に言うと、兄には父が買ってあげるから構わないのだと言います。父親は頑固でしたが依怙贔屓はしませんでした。しかし清は坊っちゃんへの愛へ溺れていたようで、坊っちゃんは将来立派な人物になり、兄は色が白くて役に立たないと決め込んでいました。
 清は、坊っちゃんが家を持って独立したら置いてください、と頼みました。置いてやると返事すると、清は住む場所や間取りの計画を勝手にたてました。西洋館にも日本建も欲しくないと言うと、あなたは欲が少なくて心が綺麗だとまた褒めました。
 母が死んで六年目の正月に父も卒中で亡くなりました。その年の四月に坊っちゃんは私立の中学校を卒業しました。兄は六月に商業学校を卒業して会社に入り、九州の支店に行くことになり、家を売りました。坊っちゃんは神田の小川町に下宿しました。清は家を出るのを嫌がりましたが、坊っちゃんが家を持つまでと言って、甥の家に厄介になることになりました。
 兄は六百円を坊っちゃんに、五十円を清に渡して九州へ発っていきました。坊っちゃんはその六百円をどうしようか考えながら物理学校の前を通りがかると、生徒募集の広告が出ているのを見て、入学の手続きをしました。そしてその学校を三年で卒業すると、四国の中学にある教師の口を紹介されました。坊っちゃんは教師になる気はありませんでしたが、「親譲りの無鉄砲」によって行くことにしました。
 発つ三日前に清を訪ねると、風邪を引いて寝こんでいました。田舎へ行くと言うと、失望した様子で、越後の笹飴を土産に欲しい言ったり、箱根の先か手前どちらに行くのかと聞きました。
 出立の日、清は坊っちゃんの世話を焼き、別れの時は目に涙を一杯にためました。坊っちゃんも泣きそうになりました。汽車が動き出して振り返ると、清は大変に小さく見えました。

 汽船と汽車を使って中学校へとたどり着くと、放課後で誰もいませんでした。坊っちゃんは山城屋という宿屋に連れていかれ、二階の梯子段の下の暗く暑い部屋に案内されました。こんな部屋は嫌だと言いましたが、ここしか部屋は空いてないようでした。坊っちゃんは、湯を勧められて、ざぶりと飛び込んですぐ上がりました。宿には涼しそうな部屋がたくさん空いていました。宿の者がみな、坊っちゃんを馬鹿にしているようでした。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていたので、坊っちゃんは下女に五円をやって学校へ出かけました。
 坊っちゃんは校長室へ通され、薄髭のある、色の黒い、目の大きな狸のような校長から、辞令を渡されました。校長は教育の精神について談義をしました。校長の言うような模範的な人間にはなれそうもないと思った坊っちゃんは、辞令を返そうとしたら、今のはただの希望であるので心配しなくていいと答えました。
 坊っちゃんは校長に言われたように皆に挨拶しました。
 教頭は女のような優しい声を出す文学士であり、赤は体に薬になると信じ、年中赤シャツを着ていました。
 英語の教師の古賀は顔色が悪くむくれた男でした。昔同じような顔色の子を見て、清に理由を聞くと、その人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから蒼くむくれるのだと答えました。坊っちゃんはうらなりとは何かわからないものの、彼にうらなりというあだ名をつけました
 数学の教師の堀田は、逞しい毬栗坊主で、山嵐とあだ名をつけました。坊っちゃんはこの山嵐の下で働くようでした。
 画学の教師の吉川は、東京出身の芸人のような男で、のだいこ(野だ)とあだ名をつけました。
 山城屋に帰ると、下女に五円をやったことが知れ渡り、十五畳の表二階の立派な座敷に通されました。坊っちゃんは手紙が嫌いでしたが、清が心配しているだろうと思い、書いてやりました。
 大の字になって寝ていると、山嵐が入ってきました。授業の打ち合わせが終わると、山嵐は下宿を周旋してくれることになりました。主人は骨董を売買するいか銀という男で、女房はそれより四つほど上の魔女のような女だといいます。坊っちゃんは明日から引き移ることにしました。山嵐は氷水を奢ってくれました。山嵐の最初の印象は横柄でしたが、悪い男ではなさそうだと坊っちゃんは感じました。

 教壇へ上がり、「先生」と言われた坊っちゃんは、足の裏がむずむずするような感覚になり、最初の授業はいい加減にやってしまいました。
 二時間目は前より大きな生徒相手に講釈しました。弱みを見せると癖になると思ったので、江戸っ子口調で授業をすると、もう少しゆっくり話してくれと一番強そうな生徒に言われました。早すぎるならゆっくりやるが、江戸っ子だから君たちの言葉は使えないので、分かるまで待っているがいいと坊っちゃんは答えました。帰りがけに生徒の一名に質問をされましたが、できそうもない幾何の問題を持ってきたので、分からないと答えたら生徒たちに囃されました。授業が終わって山嵐に様子を聞かれたので、ここの生徒は分からず屋だと答えました。
 授業が終わっても三時まで待たなければないことに不平を言うと、学校の不平は他のものには話さない方がよいと山嵐は助言しました。
 下宿へ帰ると主人が茶を入れにやってきました。坊っちゃんのことを風流人だと思い込んだ主人は、書画骨董を進めてきました。坊っちゃんはそのような隠居のやるようなことは嫌いだと言いましたが、主人は毎日品物をすすめにやってきました。
 それから坊っちゃんは、毎日学校へ出て規則正しく働きました。合わなければすぐに辞めるつもりだったので、自分の評価が気になることはありませんでした。
 ある日汚い蕎麦屋に入り、大きな声で天麩羅を頼み四杯食べると、隅の方で蕎麦を食っていた男たちが学校の生徒でした。翌日黒板一杯に大きな字で天麩羅先生と書いてあり、生徒たちに笑われました。天麩羅を食べたらおかしいかと聞くと、次の授業では、天麩羅四杯也。但し笑う可らず、と書かれていました。このいたずらは卑怯だと言うと、次の授業では、天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてあったので、坊っちゃんは腹を立てて授業をせずに帰りました。それ以来、坊っちゃんは団子を食べても同じようないたずらをされ、赤い手拭いを持って住田の温泉へ行くと赤手拭と書かれました。さらに住田の温泉で上等に入ると贅沢だと言われ、湯で泳ぐと湯の中で泳ぐべからずと書かれていました。坊っちゃんは生徒全体が自分を探偵しているように思われ、この狭苦しいところに来たことを情けなく思いました。

 坊っちゃんに宿直の番がやってきました。初めて来た時に、宿直のものが用事に出ていたことを思い出し、坊っちゃんは温泉へ出かけました。帰りに校長と山嵐に会いました。山嵐は坊っちゃんが出歩いていることを咎めました。
 床へ入ると、蒲団の中からバッタが五、六十も飛び出してきました。三十分ほどでそのバッタを退治し、寄宿生を呼んで、バッタをなぜ床に入れたのかと談判しました。寄宿生たちはバッタではなくイナゴだと言い、イナゴは暖かいところが好きだから一人でに入ったのだろうと言い張りました。シラを切り続けるので、中学校へ入って上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだと言って寄宿生たちを追いはらうと、坊っちゃんは清の人間性の立派だったことを思いだし、会いたくなりました。
 すると二階から三、四十人が床板を踏み均す音を立てました。腹を立てて二階に行くと、急にそこは静まり返りました。すると廊下の真ん中から、また床板を踏み均す音が聞こえ、その後を追うと、廊下の真ん中で硬いものにすねをぶつけました。走ることができなくなり、片足で寝室へと向かうと鍵がかけられていました。するとまた廊下で騒ぎが聞こえてきました。坊っちゃんはどうすればいいかわからなくなり、廊下の真ん中に座り込んで、いたずらをしている生徒たちに勝つまでここにいることを決心しました。うつらうつらすると夜があけ、生徒が立っていたので、宿直部屋へ連れて行き詰問しましたが、誰も白状はしませんでした。
 校長が来て、生徒を帰しました。坊っちゃんは一晩寝なかったうえに蚊に刺されて顔が腫れていましたが、授業には差し支えないと言うと、校長は皮肉のように、大分元気ですねと褒めました。

 坊っちゃんは赤シャツに誘われ、釣りへ出かけました。野だも一緒でした。野だは赤シャツに追従し、マドンナと呼ばれる女のことをしきりに話していました。坊っちゃんはマドンナとは赤シャツの馴染みの芸者ではないかと勘ぐります。船頭が船を止めると、二人は糸を垂れて釣りを始めました。
 坊っちゃんはベラを釣り上げましたが、ヌルヌルして針が取れず、船の中央に叩きつけたら死んでしまいました。二人はゴルキ(ベラ)ばかりを釣り、ゴーリキーにかけて、ロシア文学の大当たりだなどと言っています。坊っちゃんは一匹で釣りには懲りたので、船に寝転がって、このようなところに清を連れてきたらさぞ愉快だろうと考えました。
 野だと赤シャツの話し声から、バッタやら天麩羅などの言葉が漏れ聞こえたので、坊っちゃんは、彼らが自分のことを噂しているのがわかりました。
 帰り際、赤シャツと野だは、色々な事情があって、前任者が生徒たちにやられており、腹がたつこともあるだろうが辛抱して気をつけてほしいと言いました。事情を詳しくわからないのに気をつけようがないと思い、悪いことをしなければいいのだろうと言うと、赤シャツは笑いました。坊っちゃんは、単純や真率が笑われる世の中では仕方がないと考えました。
 彼らは山嵐のことを暗に話し、油断ができない人物だと警告しました。

 山嵐には用心しろという赤シャツからの助言を信じた坊っちゃんは、山嵐から氷水を奢ってもらった一銭五厘を返しておこうと思いました。山嵐は出てこなかったので、坊っちゃんは一銭五厘を机の上に置いて授業へと出かけました。
 山嵐は遅刻して来ました。坊っちゃんは奢られるのが嫌だから返すのだと言って、一銭五厘を山嵐に返しました。
 山嵐は自分が周旋した下宿先の亭主の訪問を受け、坊っちゃんが乱暴者で下宿の女房に足を拭かせたというので、下宿から出るようにと言いました。身に覚えのないことを言われた坊っちゃんは怒り、周旋した山嵐を不埒だと言って攻め、喧嘩になりました。
 午後は、無礼を働いた生徒たちの処分を決める会議に出ました。会議が始まると、校長はまずこのような問題が起きたことを一同に謝りました。坊っちゃんは校長がこのように責任を受けて謝るくらいなら自分から免職になればいいのだと思いました。
 赤シャツと野だは、生徒たちが問題を起こすのは、教師の方にも問題があるのではないかとは言って、情状酌量を望みました。
 彼らの話に納得ができなかった坊っちゃんは、生徒が悪いのだから謝らせなくてはいけないと発言しました。
 皆が赤シャツに賛成する中、山嵐だけは、坊っちゃんのようなまだ日が浅い新米教師の正当な評価を下すことができないなかで、生徒が行ったことは、教師の人間性が原因ではないと言いました。そして生徒に対して厳罰を求め、謝罪をさせるのが真っ当な処置であると意見しました。その発言は、坊っちゃんの言いたいことの全てでした。
 山嵐はその後すぐ、坊っちゃんが宿直のときに温泉に行ったことをしっかりと咎めるよう校長に意見しました。坊っちゃんは温泉に行ったことを謝り、皆に笑われました。
 坊っちゃんは謝罪がなければやめるつもりでしたが、寄宿生は謝りに来て、一週間の停学になりました。
 この事件により、生徒の風儀を正すため、教師は飲食店にはあまり行かないようにという決まりができました。赤シャツは物質の快楽を求めずに精神的娯楽を求めるよう皆に説きました。坊っちゃんはマドンナに会うのも、精神的娯楽なのかと聞いてやりました。赤シャツは苦しそうに下を向きました。

 山嵐に言われた通り、下宿を引き払おうと荷物をまとめていると、女房が自分たちに不都合があるなら改めますと言ってきました。自分のことを追い出したいと下宿の夫婦が言っていたということを聞いていた坊っちゃんは、その言葉に驚きましたが、車夫をつれて下宿を出ました。

 あてもなく歩いていると、士族屋敷のある鍛治屋町へでました。坊っちゃんはうらなりがこの辺に住んでいることを思い出し、彼を訪ねていい下宿がないかを聞きました。うらなりは、裏町に萩野という老夫婦が貸せる部屋を持っているということを思い出し、そこまでつれて行ってくれました。
 その夜から坊っちゃんは萩野の家に下宿を始めました。
 下宿の婆さんは、どうして奥さんを連れてこないのだと坊っちゃんに質問しました。坊っちゃんはまだ二十四だと言ったら、その歳で嫁をもらうのは当たり前だと言いました。婆さんは、坊っちゃんが清からの手紙を待ちわびているのを、東京にいる嫁からの手紙を待っているのだと勘違いして、嫁がいるのだと思っていたのでした。
 婆さんによると、ここらで一番の別嬪で、皆がマドンナと呼んでいる遠山のお嬢さんは、油断ができない女であるようでした。マドンナは、うらなりのところに嫁に行く約束をしていました。しかし、うらなりの父親が去年亡くなってからは、暮らし向きが悪くなり、そこへ赤シャツが嫁に欲しいと言い出したようでした。マドンナはすぐには返事をしませんでしたが、そのうちに赤シャツは彼女のことを手なづけてしまったようでした。山嵐はそれを見かねて意見をしに行きましたが、赤シャツは、横取りをするつもりはなく、破談になればもらうかもしれないが、今は遠山家と交際しているに過ぎないと言い張ったようでした。
 二、三日後、清からの手紙が来ました。ほとんどが平仮名で読みにくい手紙を、坊っちゃんは全て読みました。清は手紙で、坊っちゃんを心配し、為替で十円を送ってきました。坊っちゃんはここにいるのが長くなるなら、清を東京から呼ぼうと考えました。
 湯に行くために汽車を待っていると、うらなりに会いました。坊っちゃんは婆さんの話を聞いたので、彼のことを気の毒に思いました。するとハイカラな背の高い美人と、四十五、六の奥さんが来ました。うらなりはその女の方へ行き、挨拶を始めました。その女がマドンナのようでした。
 汽車が来る直前になって赤シャツが駆け込んできました。赤シャツとマドンナの親子は上等に乗り、坊っちゃんとうらなりは下等に乗りました。
 湯に入ると、坊っちゃんはうらなりに話しかけましたが、彼はあまり話したがらないようでした。湯では赤シャツには会いませんでした。坊っちゃんは自分の許嫁に他人へと心を移されたうらなりのことを気の毒に感じました。
 温泉の町を離れ、川沿いに土手を歩いていると、赤シャツとマドンナが二人で歩いていました。

 坊っちゃんは赤シャツを曲者だと決めこみました。反対に、会議の時に坊っちゃんを擁護し、さらにうらなりのために赤シャツと談判した山嵐に対しては、悪い男ではないと思うようになりました。山嵐は坊っちゃんとはいまだに一言も口をきかず、机に返した一銭五厘は未だに机の上に乗っていました。
 ある日、坊っちゃんは、赤シャツに呼び出されて家に行きました。赤シャツは、坊っちゃんがきてから成績も上がっているので、今までどおりにしてくれれば俸給を上げられると言いました。さらに赤シャツは、うらなりが当人の希望で延岡に転任になるということを告げました。
 坊っちゃんは下宿の婆さんに、延岡に行きたいとはうらなりは物好きだという話をしました。すると婆さんはそれを否定しました。婆さんによると、うらなりは父親が亡くなってから暮らし向きが悪くなったので、母親は校長に給料を上げて欲しいと頼みに行ったそうです。すると校長は、自分の学校では給料は上げられないが、延岡だったら毎月五円を余分に取れるのでそちらに転任するように言ったようでした。うらなりは転任を望みませんでしたが、校長はもう決まって代わりの人も呼んだので、仕方がないと言ったようです。うらなりがいなくなる分で給料が上がるくらいなら、上がらない方がいいと思い、坊っちゃんは赤シャツの元を訪ね、玄関先で月給をあげてもらうのを断りました。赤シャツは、解せない様子で、弁舌豊かに坊っちゃんが昇給を断るのを考え直すよう諭しました。坊っちゃんは説得させられそうになりましたが、赤シャツへの不信感から、増給を断りました。

 うらなり君の送別会の日の朝、山嵐が話しかけてきました。山嵐は、いか銀の主人が下宿人に偽物の骨董を売りつけていたことを知ったようでした。いか銀の主人は坊っちゃんが乱暴者だから下宿から追い出して欲しいと言いましたが、それも嘘だろうということでした。山嵐は、それを見抜けずに坊っちゃんに下宿を出ろと言ったことを詫びてきました。坊っちゃんは机の上に残っていた一銭五厘を受け取り、仲直りをしました。
 坊っちゃんは送別会の前に山嵐を家に呼び、赤シャツは腑抜けの呆助だと言い合いました。増給を断った話をすると山嵐は誉めました。今回の事件は赤シャツがうらなり君を遠ざけてマドンナを手に入れる策略だろうと二人は推測しました。坊っちゃんは送別会で、赤シャツと野だを殴ってやらないかと山嵐に提案してみました。すると山嵐は、今夜殴るのはうらなりに気の毒だし、二人の悪いところを見届けて現場で殴らなくてはこちらの落ち度になると言いました。
 会場に着き、送別会が始まると、狸と赤シャツは、うらなりが一身の都合で転任を希望したことを、いかにも残念そうにしていました。
 山嵐は、ここのような、「君子を陥れるハイカラ野郎」が一人もいない延岡に一刻も早く行って、円満な家庭を作ることを望むと言いました。うらなりは校長や赤シャツにも礼を述べていました。酒が入り、場は賑やかになりましたが、うらなりだけは下を向いて考え込んでいました。坊っちゃんは気の毒になって、うらなりと一緒に帰ろうとして、止めに入った野だを殴りました。

 祝勝会で学校が休みになりました。練兵場で式があるので、校長は生徒を引率して参列していました。坊っちゃんも職員の一人としてついていきました。生徒たちの隊列について行くと、街の中で坊っちゃんの中学校と師範学校(小学校教員育成のための学校)が衝突し、格が上の師範学校に、中学校が道を譲りました。
 祝勝の式が終わり、坊っちゃんは午後の余興までの間を清への手紙を書くことに費やしました。書くことはたくさんありましたが、なにから書き出していいかわからず、面倒くさくなって横になりました。そして遠くから清の身を案じてさえいれば真心は通じるに違いないから、手紙などはやる必要がないと考えました。
 祝勝会だからと言って山嵐が牛肉を持ってきました。山嵐は、赤シャツが芸者と馴染みになっていることを話しました。赤シャツは品性や精神的娯楽などというくせに、裏では芸者と関係していたのでした。
 温泉の街の角屋という宿屋で赤シャツが芸者と会うという情報を得ていた山嵐は、角屋の前の枡屋という宿屋の障子に穴を開けて見張るという提案をしました。坊っちゃんもそれに協力すると約束しました。
 生徒が山嵐を呼びにきて、祝勝会の余興を見に行こうと誘いました。誘いに来たのは中学の生徒でもある赤シャツの弟でした。会場に入り、高知の踊りを見物し、太鼓の音に合わせて刀を振り回して行う踊りに熱中していると、再び師範校との喧嘩が始まったようでした。山嵐と坊っちゃんは喧嘩を止めるためにそちらへ向かい、喧嘩の一番激しそうなところに飛び込みました。師範校の生徒たちが投げた石が頭をかすめました。巡査が来て、生徒たちが撤収すると、山嵐は殴られて鼻血を出していました。坊っちゃんと山嵐は警察に行って一部始終を話し、下宿に帰りました。

十一

 翌日、婆さんが持ってきた新聞を読むと、昨日の喧嘩のことが載っていました。そこには、坊っちゃんと山嵐が生徒を煽動して喧嘩が始まったとあり、さらに坊っちゃんと山嵐に処分を加えるべきであるという内容も書かれていました。
 ひどい顔で学校に行くと教員の皆には笑われましたが、生徒からは拍手で迎えられました。
 赤シャツは同情した様子で新聞に取り消しを求めたと言っていました。しかし山嵐曰く、赤シャツは弟を使って自分たちを誘い出し、喧嘩の中へ巻き込ませて新聞に手を回して記事を書かせたようでした。それが本当なら、自分たちは免職に追いやられるかもしれないと二人は話し合いました。坊っちゃんと山嵐は、この事件とは別に赤シャツの芸者遊びの現場を抑えてやろうという意見で一致しました。新聞にはその翌々日に小さく取り消しが出ただけでした。
 三日後、校長に辞表を出すように言われた山嵐がやってきて、例の計画を断行するつもりだと言いました。同じように生徒の乱闘に加わって、自分だけ何も処遇がからないことに怒りを覚えた坊っちゃんは、校長に談判に行きました。山嵐と坊っちゃんが辞めると、数学を教えるものがいなくなるので、校長は蒼くなって坊っちゃんを辞めさせまいと説得にかかりました。坊っちゃんは一旦引き下がりました。
 山嵐は辞表をだし、温泉の町の枡屋の二階の障子に穴を開けて、向かいの角屋を覗き始めました。坊っちゃんも枡屋に通い、山嵐に協力しました。八日目に、赤シャツの馴染みの小鈴という芸者がもう一人の女を連れて角屋へ入ったと山嵐が報告しました。
 十時を回ると、赤シャツと野だが話しながら角屋に入りました。彼らの話声が聞こえ、野だは坊っちゃんのことを勇み肌の坊っちゃんとバカにしていました。
 朝五時まで角屋を見張ると、二人が出てきました。坊っちゃんと山嵐は、枡屋を出て二人に追いつくと、角屋に泊まったことを詰りました。赤シャツは野だと二人で泊まったのだと主張したので、坊っちゃんは芸者がその前に入ったのを見ていると言って二人を殴りました。
 坊っちゃんは下宿に帰って荷造りをし、婆さんには奥さんを連れてくると言って下宿を出ました。そして山嵐が泊まっている浜の港屋に行き、辞表を郵送しました。
 坊っちゃんと山嵐は船に乗り、東京に帰って新橋で別れました。
 その足で清の元へ帰ると、清は涙を流して喜びました。その後坊っちゃんは、ある人の周旋で鉄道の技師になり、清と住み始めました。
 清は今年の二月に肺炎で息を引き取りました。死ぬ前日、自分が死んだら坊っちゃんのお寺に埋めてほしいと頼み、墓の中で坊っちゃんのくるのを楽しみに待っていると言いました。だから清の墓は小日向の養源寺にあります。