夏目漱石『坊っちゃん』てどんな話?作品の内容を詳しく解説

 『坊っちゃん』は、一九〇六年、夏目漱石が三十九歳の時に発表されました。神経衰弱にかかった漱石が、一八九五年に養生を兼ねて松山の愛媛県尋常中学校に赴任していた時の体験に基づいて書かれた作品です。

 この物語の主人公は、「親譲りの無鉄砲」な性格の持ち主で、友達に囃されて二階から飛び降りて腰を抜かしたり、何でも切れると請け合ったナイフで右の手の甲を切ったりと、幼いころから問題ばかり起こしています。両親はそんな彼に手を焼き、勉強家の兄ばかりを可愛がります。しかし、年老いた女中の清だけは彼のことを可愛がり、将来大物になると決めつけています。
 題名の『坊っちゃん』は、清が愛しさを込めて主人公を呼ぶときの名前であり、世の中をうまく渡っている大人たちが、素直で純粋な主人公を揶揄して呼ぶときの名前でもあります。
 物語は、坊っちゃんが東京を離れ、中学校教師として愛媛に赴任するところから始まります。生粋の江戸っ子であった坊っちゃんは、その一本気な性格ゆえに、時に生徒たちから囃され、時に他の教師から騙されそうになっても、それに屈することなく自分のまっすぐな道を歩み続けます。そんな彼の人物像は、発表から百年以上たった今でも、多くの人々に愛され、日本人共通の愛読書として親しまれています。このページでは『坊っちゃん』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

※ネタバレ内容を含みます。

『坊っちゃん』の登場人物

坊っちゃん(おれ)
語り手。親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。両親からは手を焼かれていたが、召使の清からは寵愛を受ける。物理学校を卒業すると、四国で中学教師として働き始める。


坊っちゃんに手を焼いた。病気で死去する。

おやじ
坊っちゃんに手を焼き、色白の兄ばかり可愛がる。卒中で死去する。


色白で女型の芝居の真似ばかりしている。両親から可愛がられるが、清からは頼りにならないと思われている。両親が死ぬと、商業学校を卒業し、仕事で九州へと発つ。


坊っちゃんの家の十年来の召使い。もともと由緒正しい家の女だったが、明治維新の時に零落して、奉公するようになった。坊っちゃんのことを非常に可愛がり、兄よりも贔屓している。

校長
薄髭のある、色の黒い、目の大きな狸のような男。

赤シャツ
教頭。文学士。赤は体の薬になると信じ、いつもフランネルの赤いシャツを着ている。女のような声の持ち主。

うらなり
古賀。英語の教師。顔色が悪くむくれた男。坊っちゃんが、昔同じような顔色の子を見て、清に理由を聞くと、その人はうらなりの唐茄子ばかり食べるから蒼くむくれるのだと答えたため、うらなりとあだ名をつけた。(うらなりとは何なのか坊っちゃんは知らない)

山嵐
堀田。会津出身の数学の教師。生徒に最も人気がある。逞しい毬栗坊主のため山嵐とあだ名をつけた。坊っちゃんに指導を行い、下宿を周旋する。

野だ
吉川。画学の教師。江戸出身の芸人のような男であったため、のだいこ(野だ)とあだ名をつけた。つねに赤シャツに帯同し、追従している。坊っちゃんが引き払ったいか銀の下宿に住む。

いか銀
山嵐が周旋した下宿先の主人。下宿の住人である坊っちゃんに、偽物の品物を売りつけようとしてくる。

萩野の爺さん
いか銀を出た坊ちゃんが、うらなりによって紹介された下宿の主人。夜になると謡をうたう。

萩野の婆さん
いか銀を出た坊っちゃんが、うらなりによって紹介された下宿の主人の妻。坊っちゃんが清からの手紙を待ち受けているのを見て、東京に妻を残してきたと勘違いしている。教師同士の人間関係に精通し、坊ちゃんに様々な情報を提供する。

マドンナ
近所で一番の美人と言われている娘。もともとうらなりと結婚する予定であったが、うらなりの父親が死んで零落すると、赤シャツに手なずけられる。

『坊っちゃん』のあらすじ

※詳しいあらすじはこちら

 坊っちゃんは、親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていました。
 両親は乱暴者の坊っちゃんに手を焼き、実業家を目指す色の白い兄ばかりを贔屓しましたが、召使いの清だけは坊っちゃんのことを大変に可愛がりました。

 両親が死に、坊っちゃんが私立の中学校を卒業すると、兄は会社に入って九州の支店に行くことになり、家を売りました。坊っちゃんは神田の小川町に下宿し、清は甥の家に厄介になりました。

 坊っちゃんは兄が九州へ発つ時にもらった六百円を、たまたま生徒募集の広告を見かけた物理学校入学の学費に当てました。そしてその学校を三年で卒業すると、四国の中学にある教師の口を紹介され、赴任することとになりました。
出立の日、清は目に涙を一杯にためました。

 愛媛の中学校へ着き、坊っちゃんは他の教師たちに紹介されました。
薄髭で色が黒く目が大きい校長には狸、体に薬になるという赤シャツを毎日着ている教頭には赤シャツ、顔色が悪くむくれた英語教師の古賀にはうらなり、逞しい毬栗坊主の数学教師の堀田には山嵐、芸人のような画学の教師の吉川にはのだいこ(野だ)と、坊っちゃんは次々にあだ名をつけました。

 宿に山嵐がやってきて、氷水を奢ってもらい、下宿を周旋してくれることになりました。翌日、坊っちゃんは紹介された下宿に移りました。下宿先の主人は、書画骨董を住人に売りつけているようで、坊っちゃんはそれを断り続けました。

 それから坊っちゃんは毎日学校へ出て規則正しく働きましたが、生徒たちから新米教師への恒例のいたずらを受けることとなります。

 蕎麦屋に入って天麩羅蕎麦を四杯食べると、黒板一杯に大きな字で天麩羅先生と書いてあったり、赤い手拭いを持って温泉へ行くと赤手拭と書かれたりと、まるで自分のことを見張られているようなからかい方をされ、坊っちゃんはこのような田舎へ来たことが情けなくなりました。

 宿直の日は蒲団のなかに大量のイナゴが入っていました。生徒たちはさらに、別室で大きな音を立て、そこに駆けつけると急に静まり返るというのを繰り返したため、坊っちゃんは悪戯をしてくる生徒に勝つまで動かないと決め、廊下に座り込んで、一夜を明かしました。翌朝、生徒たちを詰問しましたが、誰も白状はしませんでした。

 坊っちゃんは赤シャツと野だに誘われ、釣りへ出かけました。野だは赤シャツに追従し、マドンナと呼ばれる女のことをしきりに話していました。野だと赤シャツの話し声から、バッタやら天麩羅などの言葉が漏れ聞こえてきます。二人が自分の単純なことを嘲笑っているのがわかり、坊っちゃんは、単純な人間が笑われる世の中では仕方がないと思います。

 山嵐には用心しろという赤シャツの言葉を間に受けた坊っちゃんは、氷水を奢ってもらった一銭五厘を返しておこうと机の上に置きました。しかし山嵐はそれを受け取らず、机の上に乗せたままにします。山嵐は自分が周旋した下宿から、坊っちゃんへの苦情を言われ、下宿から出ていくように言いました。身に覚えのないことを言われた坊っちゃんは怒り、山嵐と喧嘩になりました。

宿直中に無礼を働いた生徒たちの処分を決める会議では、皆が生徒を擁護する発言をする中、山嵐だけは生徒に然るべき処罰を加えるよう発言します。坊っちゃんは、生徒からの謝罪がなければ辞めるつもりでしたが、この山嵐の発言により、寄宿生は坊っちゃんへの謝罪と一週間の停学という処罰を受けました。

 下宿を引き取った坊っちゃんは、うらなり君に下宿先を紹介してもらいます。下宿の婆さんによると、ここらで一番の別嬪で、皆がマドンナと呼んでいる遠山のお嬢さんは、もともとうらなり君のところに嫁に行く約束をしていました。しかし、うらなり君の父親が亡くなって暮らし向きが悪くなると、赤シャツが嫁に欲しいと言い出し、彼女のことを手なづけてしまったようでした。

 坊っちゃんは赤シャツを曲者だと決めこみました。反対に、会議の時に自分のことを擁護し、さらにうらなり君のために赤シャツと談判したという山嵐は、悪い男ではないと思うようになりました。

 ある日、坊っちゃんは赤シャツから昇給の話を受けました。しかし、赤シャツがマドンナを手に入れるために、うらなり君を九州へ転任させるという話を聞いた坊っちゃんは、そのために給料が増えるのを嫌い、増給の話を断りました。

 うらなり君の送別会の日の朝、喧嘩中の山嵐が話しかけてきました。自分が周旋した下宿の主人が、下宿人に偽物の骨董を売りつけていたことを知ったようで、坊っちゃんが乱暴者だから追い出して欲しいと言った主人の言葉も嘘だろうということでした。山嵐は下宿を出ろと言ったことを詫びてきました。坊っちゃんは机の上に残っていた一銭五厘を受け取り、二人は仲直りをしました。

 送別会では、うらなり君が下を向いて考えこんでいるため、気の毒になった坊っちゃんは一緒に帰ろうとして、止めに入った野だを殴りました。

 赤シャツが温泉の街の角屋という宿屋で芸者と会うという情報を得ていた山嵐は、角屋の前の枡屋という宿屋の障子に穴を開けて見張るという提案をしました。坊っちゃんもそれに協力すると約束しました。

 赤シャツの弟に呼ばれ、坊っちゃんと山嵐は祝勝会の余興に参加しました。自分たちの中学校と師範学校の喧嘩が起きると、二人はその中心に割って入り、仲裁を試みましたが、翌日の新聞には自分たちが喧嘩を煽動したと書かれていました。それが原因で、山嵐は校長に辞表を出すように言われました。

 山嵐によると、赤シャツが弟を使って自分たちを呼び、わざと喧嘩に巻き込ませるように仕組んだのだろうということでした。彼は例の計画を断行し、赤シャツと芸者の密会を突き止めるつもりだと言いました。同じように生徒の乱闘に加わって、自分だけ何も処遇がからないことに納得できない坊っちゃんは、校長に談判に行きました。二人が辞めると、数学を教えるものがいなくなるので、校長は蒼くなって坊っちゃんを引き止めようと説得にかかりました。坊っちゃんは一旦引き下がりました。

 山嵐は辞表をだし、温泉の町の枡屋の二階の障子に穴を開けて、向かいの角屋を覗き始めました。坊っちゃんも枡屋に通い、山嵐に協力しました。八日目に、赤シャツと野だが馴染みの芸者のいる角屋から出て来る現場を押さえ、坊っちゃんと山嵐は二人を殴りつけました。

 坊っちゃんは下宿を出て辞表を郵送し、山嵐と二人で船に乗り、東京に帰りました。その足で清の元へ帰ると、清は涙を流して喜びました。その後坊っちゃんは、鉄道の技師になり、清と住み始めました。

 清は今年の二月に肺炎で死んでしまいました。死ぬ前日、自分が死んだら坊っちゃんのお寺に埋めてほしいと頼み、墓の中で坊っちゃんのくるのを楽しみに待っていると言いました。だから清の墓は小日向の養源寺にあります。

管理人の感想

 ユーモアに満ちた文章、個性豊かな登場人物、勧善懲悪の心地よいあらすじと、様々な魅力を持つ本小説ですが、やはり主人公「坊っちゃん」の人柄が、百年以上にわたって日本国民に愛読され続けている大きな理由でしょう。

 素直で単純。風呂にはいればすぐ上がる。金に頓着せず下女に大金をやってしまう。向こう見ずで正義感が強く喧嘩好き。と、まさに江戸っ子の特徴のオンパレードのような性格の坊っちゃんは、土地も文化も違う四国の地で、生徒たちにからかわれ、下宿先の主人からは騙されそうになり、同僚からは変わり者だと思われます。しかし彼は周りの評価を気にすることなく、人に何と言われようと自分の道をまっすぐに通して生きています。時には誤解を生み、争いの種になることはあっても、そのような彼の一本筋の通った姿勢が読者の感動を呼びます。

 多くの人々に愛され続けてきた彼ですが、現代においては、受け入れがたい人物になってきているのも事実であると思います。彼の性格は、裏を返せば、乱暴、独りよがり、おせっかいといったネガティブな側面も持ち合わせています。物事が多様化して善悪の境界があやふやになり、それに伴って他人と関わることを避けるような現代では、彼の行動に反感を持ち、赤シャツや野だに同情を示す人も多いのではないでしょうか?たしかに赤シャツは、自分の恋愛を成就させるために、恋敵のうらなり君を九州へと追いやり、何かと邪魔者である山嵐を退職させるような策を弄します。しかし坊っちゃんや山嵐の方も、隣りの宿の障子に穴を空けて(笑)、彼らの芸者遊びの証拠を握ろうとします。彼らのこのような行動も、現代の感覚でいうと咎められるべきものです。釣りに誘ってもすぐに飽きて一人で空を眺め続けている新米教師というのも、受け入れがたい存在でしょう。

 もちろんこのようなこの作品の見方は発表当時からあったものだとは思います。そうでないと赤シャツや野だのような人物像が生まれる筈がありません。しかし空気を読むことが賛美される現代において、坊っちゃんのような人物像は、以前よりも「厄介者」としてのレッテルを貼られやすくなってしまっていることは否めません。

 それでもこの作品が不朽の名作として色あせる事がないのは、坊っちゃんのような人物を人々が求める心というのが不変であるためではないでしょうか。自分の倫理観に合わない他人の行動を目にして、「誰かが自分の代わりに怒ってくれたら」とか「自分から咎め立てできれば」とか思うことは誰にでもあるでしょう。それを物語の中で行ってくれているのが、この坊っちゃんなのです。どれだけ時代が変化しても、嘘や欺瞞に満ちた社会に対して憤りを感じる心がある限り、坊っちゃんは人々の中で生き残るでしょう。