坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』の詳しいあらすじ

坂口安吾作『青鬼の褌を洗う女』の詳しいあらすじを紹介するページです。ネタバレ内容を含みます。

※もっと簡単なあらすじ、登場人物紹介、感想はこちら(『青鬼の褌を洗う女』トップページ)

妾となることを望まれて育ったサチ子

 三月十日の東京大空襲で、上野公園に逃げて助かったサチ子は、その二日後に人がたくさん死んでいる隅田公園に行き、母親の死骸を見つけました。その死骸は全然焼けておらず、生きていた頃より顔色が白くなり、善人になったように見えました。
 気が弱く、ちゃっかりしていて執念深い女だった母親が焼けて死んだのではなく、窒息で死んだことがサチ子には嘘のように思われました。この時の薄気味悪さを、彼女は近ごろ自分の中に現れるようになった母に似た部分を発見するたびに、思い出すようになりました。

 自身も妾であり、溺愛するサチ子を金持ちの年寄りの妾にしたがっていた母親は、娘の処女を高価なものと考え、男の恐ろしさについて教え込もうとしていました。サチ子は品物として愛されることに迷惑を感じ、母親を愛してはいませんでした。
 サチ子には弟と妹がいましたが、弟は航空兵に志願して行方が知れず、妹は、盲腸炎の手術の後、腹膜を起こして死んでいました。
 弟が航空隊に志願した時、見栄坊な母親は、内心は止めたいにも関わらず賛成し、その夜はさめざめと泣きながら、翌日になると近所にこれを吹聴してまわりました。
 妹の死の原因は、母親が溺愛のあまり、手術後に医者に禁じられていた水を与えたためでした。そのためサチ子は母に愛されるたびに殺されるような寒気を覚え、嬉しいと思ったこともありませんでした。

 サチ子は、女学校の四年の時に同級生の問屋の娘の登美子さんに誘われてゴルフを始めました。
 母親は、サチ子が金持ちの遊びであるゴルフに手を出すことに賛成し、年配の金持ちか、大華族に見染められるよう忠告を与えました。

 サチ子は母の望みに反して、三木昇という、美貌を鼻にかけ、下手なギターを趣味にしているだけの映画俳優と友達になりました
 三木はサチ子も登美子さんも口説いて拒絶されましたが、登美子さんは、女学校の卒業後も拒絶しながら、内心得意になって交際を続けていました。そのうちに彼女は、三木に金を出すパトロンのようになり、サチ子にアリバイを頼んで温泉や宿に泊まるようになりました。
 サチ子も登美子さんにアリバイを頼むことがあったものの、そのようなつまらない恋愛に関して誰にも言いたくないという理由だけで、誰と何をしているかは一切言わず、執拗に聞いてくる登美子さんを相手にしませんでした。

 登美子さんは、女学校を卒業後、事務員になり、その仕事を窮屈に感じて百貨店の売り子になりました。サチ子は働きたくなかったものの、母と一緒にいたくなかったため、勤めに出たいと思っていました。しかし母はそのようなことを許すはずもなく、娘をある土木建築の六十を超える親分の妾にしようとしました。
 サチ子は仁義の世界で生きることで自由を束縛されることが嫌だったので、その話を嫌がりました。母親は、その親分との約束を果たした後だったので、今更嫌だと言えば命が危ういと考え、母には内密にサチ子の方から断ることにして、近所の洗濯屋の娘で、薄馬鹿で潔癖ではっきりと物を言ってくれる娘に伝言を頼んでその話を断りました。
 その娘が、サチ子に言われた通り口上を述べたところ、親分はその娘にお駄賃をやって帰し、その日のうちに子分を使者に破約を告げ、高価な進物をくれました。

 やがて妾など国賊のように思われる時世となり、母は徴用逃れにサチ子の女房の口を探そうとしたものの、その願いも叶わず、サチ子は徴用を受けました。サチ子は悲観したものの、母が自分以上に慌てふためくのを見て、その気持ちをいやらしく思いました。
 サチ子は、戦争に関心を持っておらず、世界のことは人が動かしてくれると決め込んで、その時々の愉しみを見つける生活を好んでおり、退屈を楽しんでいました。彼女は、そのような自分が、男に従属する女房になり、その男が戦争にとられるだけで、軍部を憎み政府を呪うような惨めなことは耐えられないと考えました。
 母親は、サチ子の妾としての売れ口がなくなったために、戦争を憎み、日本が負けることを望み、戦争が終われば、サチ子が敵軍の妾になることを目論みました。
 サチ子はそのころ母の気付かぬうちに、六人の男に体を許していました。彼女はその男たちの名前や年齢を全然問題にしておらず、現在ただ好きであればよいと考えており、言い寄ってくる男たちに対し、出征の二、三日前だけ体を許しました。

徴用と母親の死

 徴用先で、サチ子は作業能力のなさのために事務の方にまわされました。そこでも充分な働きができませんでしたが、彼女は引け目に感じることはなく、人々からも寛大に扱われました。
 サチ子は平社員、課長、部長、重役に口説かれ、重役にだけ好感を持ちました。

 大きな商店の主人であった母親の旦那は、山の別荘に疎開しました。死ぬことを恐れていた母は、その旦那の隣村の農家に空きがあるという連絡を受けて疎開して行きましたが、娘を見回るためにやってくるという口実で、若い男と密会しているようでした。
 三月十日の陸軍記念日に大空襲があるため、九日のうちに山に帰ろうと思っていた母は、その男との連絡がつかず、九日の夜になってようやく男に会い、家に連れてきて酒を飲みました。
 サチ子が薄暗がりで料理する女中につきあって起きていると、敵機が来襲し、あたり一面に火の手が上がりました。母は酔っ払っていて、身支度に時間がかかりました。
 サチ子は、母よりも先に身支度を整えていた男にのしかかられながらも、それをすりぬけて立ち上がり、外へと出ました。
 空を見回したサチ子は、その壮観な景色に爽快な気持ちになり、この火の海から脱出できれば、新しい新鮮な世界が開かれるような期待に興奮しました。

 翌日、空襲の破壊のあとを眺めた時、サチ子は住む家も身寄りの人も失っていたものの、新しい何かが近づいてくるという希望に燃えていました。
 人々は皆、焼け残った国民学校に避難し、汚い顔で平気で人のものを奪い、どこで何人死んでいるという噂をしていました。
 サチ子と女中のオソヨさんは、一日三枚の乾パンで飢えを凌ぎました。サチ子は、母とは別な世界に自分だけで座っていることを感じ、母には会いたくないということばかりを考えており、他の人とは異なり、空腹には平気で、不潔を厭わず、不安も恐怖もありませんでした。

 避難所の国民学校では、本能的に親切にするサチ子のところに、入れ替わり立ち替わり男が訪れてきて口説きにかかりました。それらの男はオソヨさんによって撃退されましたが、二人は夜の間は眠ることができませんでした。
 サチ子は、オソヨさんが郷里の富山に帰る途中の赤倉にある山の別荘へ、母の死去を報告に行こうか迷っていたところを、専務の久須美によって探し出され、引き取られました。

久須美に引き取られるサチ子

 久須美は五十六歳で、獅子鼻の背の高い醜男でした。しかし男の年齢を気にしないサチ子は、彼の白髪やドングリ眼を可愛いと思いました。
 久須美はサチ子の本性をすべて見抜いた上で、それを全て受け入れ、労ってくれるという意味で、彼女を可愛がりました。

 生来の妾であったサチ子は、寝ている時や病気の時を含め、どのような時でも久須美の愛撫を求め、彼を愛撫するための媚態を身につけました。その媚態は、感謝の真心から自然と生まれでるものでした。しかし彼女は、あまりに満ち足りるので、久須美という年寄りの醜男に媚態を捧げていることが口惜しく感じられ、反抗したい気持ちになることがありました。そのようなもの思いから我に帰ったとき、サチ子は母を殺した火の海を思い出しました。その時に彼女が待っていたものは久須美ではありませんでした。
 久須美に愛撫されている間、サチ子は病気の時であっても、その苦痛を忘れることができたため、盲腸の苦痛も感じることがなく、久須美が気づいた時には三時間の手術が必要な体になっていました。 

 サチ子が入院している時、相撲部屋の親方が同じ病院に入院しており、一門のお弟子たちがご馳走を運んで見舞いにやってきました。
 その一人であった十両の隅田川という力士は、サチ子と同じ町内の国民学校の牛肉屋の子供で、出征の前夜に体を許した一人でした。隅田川はエッちゃんと呼ばれていました。
 サチ子はエッちゃんに結婚を求められ、十両くらいで結婚などおかしいでしょう、と断りました。
 すると彼は、時々会って欲しいと頼んできて、巡業から戻るたびに、毎日のようにやってくるようになりました。
 サチ子は彼の稽古や本場所を見に行きました。エッちゃんは大関までは行けると言われる有望な力士でしたが、理知的な相撲を取るために、頭の中で負けたと思うと一気に押し込まれる癖がありました。
 自分の不利に敏感なところがいけないのだと忠告を与えると、エッちゃんは、二、三度勝って気を良くしたものの、その後の接戦で敗れ、かえって自信をなくして負けるようになりました。サチ子は、力だけの勝負だと思っていた相撲が、心のデリケートな問題でハッキリ勝負のついてしまう世界あることを知り、やりきれない気持ちになりました。
 本場所の始まる前に巡業からかえってきたエッちゃんは、サチ子に女房になってくれと頼みました。その時彼は十両二枚目で、入幕できるかどうかの瀬戸際でした。
 サチ子は、全勝したら泊まりに行くことを約束しました。エッちゃんは全勝を誓いましたが、結局一勝もできないまま本場所を終わりました。サチ子はエッちゃんのことをいじらしく思い、励まして外へ出ました。エッちゃんは義理で行かなければならない花相撲に行かず、サチ子を海辺の温泉へと連れ込みました。

エッちゃんとの生活

 久須美のことはほとんど気にかけないまま、サチ子はエッちゃんと出かけ、寝床に着いた時に、全勝するようにという侮辱を言ったことを詫びて手を差し伸べ、久須美のほかに見せたことのない媚態を見せました。
 翌朝、エッちゃんは明るさを取り戻し、自分のちょんまげを人に見せてお米と鶏、卵を手に入れて宿に持ち帰り、女中たちにも大盤振る舞いをしました。
 サチ子とエッちゃんは、この温泉町に長逗留することとなりました。

 サチ子が住んでいた家には、同じ会社の事務員で、戦争で肉親を一挙に亡くしたノブ子さんという二歳歳下の娘が同居していました。
 ノブ子さんは、久須美の秘書の田代さんが、久須美から金を借りて開いた飲食店で、マダムとして雇われた娘でした。彼女はテキパキと働きましたが、損得考えずに人の世話をしてやるので、一向に儲けることができず、田代さんも、そのようなノブ子さんの人柄に感心し、店の営業不振を諦めていました。
 資金のなくなったサチ子とエッちゃんがお金を届けてほしいと頼むと、ノブ子さんは田代さんと一緒に温泉までやって来ました。二人は同じ部屋に泊まり、田代さんは毎晩のようにノブ子さんを口説きました。ノブ子さんは、田代さんのことを好きでしたが、寝床の中で口説かれて惨めな思いをさせたくなくて許してしまうことで、あとで侘しい気持ちになるのが嫌で、身体を許すことはしませんでした。
 サチ子は田代さんに、身寄りのないノブ子さんは、処女であることが身寄りのようなものなのだと説きました。執念深い田代さんは、純潔というものは処女であるかどうかという問題ではなく、魂に属するものであるのだと反論しました。

 その夜田代さんが別室に去ってから、サチ子はエッちゃんに別れを切り出しました。するとエッちゃんは、サチ子の胸に両手を突いて虚脱させて担ぎ上げ、一緒に死んでくれと頼みました。
 サチ子は死を強要するエッちゃんを卑怯だと言って、死にたいならなぜ一人で死なないのかと聞きました。
 エッちゃんは、雨戸から外へと出て行きました。
 怖くなったサチ子は、ノブ子さんと田代さんの部屋で眠らせてもらうことにしました。田代さんはノブ子さん相手に持参したウィスキーを飲んでいましたが、サチ子は先に眠ってしまいました。

久須美のもとへ戻るサチ子

 エッちゃんと別れたサチ子は、東京に帰る汽車の中で熱を出し、そのまま数日間寝込みました。久須美はサチ子を許し、献身的な看病を行いました。
 夏が来ると、サチ子たちは海岸の街道筋の高台の旅館で過ごしました。久須美と田代さんはここから東京に通い、サチ子とノブ子さんは昼は海水浴を楽しみました。
 サチ子は朝の九時ごろに久須美を送り出してからうとうとし、昼前に目を覚まし、海へ行って風呂に入り、再びうとうとと眠り、久須美が帰ると化粧をして食卓に向かうという生活を送りました。彼女は、朝と昼と夜、衣装を変えなければ生きた心地にならず、そのための衣装を与えてくれる久須美に感謝の気持ちを表すのに心を悩ませました。お茶やダンスに誘わってくる数々の男たちと浮気をしないことで、彼女は久須美に対する感謝の気持ちを表しました。
 サチ子は退屈というものが魅力あるということを知っており、久須美や自分の身体を眺めることにいくらでも費やすことができ、いくらでも眠ることができました。

 久須美は、サチ子が自分のような年寄りに束縛されているのが可哀想になり、隅田川が好きで忘れられないなら自分がお金を出して結婚させてあげると言いました。サチ子のことを病気だと思い込んだ時期があった久須美は、自分が先に死んでしまいたいと考えたことがあり、そのような自分であれば、若いサチ子の幸福のために、自分の幸福を切り離して考えても不自然ではないだろうと言いました。
 久須美はこの旅館から東京に通っているので、サチ子のために妻も娘も息子も捨てたようなものでした。彼は孤独な魂を持ち、サチ子を「最愛の人」という観念の上で見ているので、現実のサチ子のことを愛しているわけではありませんでした。そのため、サチ子は、自分よりも可愛い人ができれば、彼が冷酷に自分を忘れるであろうことを知っていました。久須美は人を冷たく見放すことができるぶん、自分のことも見放しており、地獄の罰を受けていましたが、その地獄をも愛しているので、サチ子が他の人と結婚して孤独になることもいいだろうと考えられる鬼でした。
 それでもサチ子に逃げられることが不安な久須美は、逃げられるくらいなら自分の意思で逃した方がよいと考えているようでした。

 田代さんは、ノブ子さんと襖を隔てて生活し、未だに目的を達することができていませんでした。
 商売女に慣れていた田代さんは、女が身を任せたくとも嫌だと思うことがあるのを知らず、暴行によってしかノブ子さんの体と感謝を受け得ることを理解できないようでした。サチ子はバカバカしいので、それを田代さんに教えてやりませんでした。
 ノブ子さんは、人のために損をしていることも、田代さんは許してくれるけれども、独立したらこのようにやっていくことはできないだろうと考えて懊悩していました。そのようなノブ子さんを田代さんは聖処女と見なし、すべて許してやっており、その甘さがサチ子にはおかしくて仕方ありませんでした。

 サチ子は、自分がいつか野垂れ死するだろうと考えました。そして戦災のあとの国民学校の避難所で、ムシロにくるまって死にかけている時に、青鬼赤鬼が夜這いに来るところを想像し、誰もいないところで死ぬよりも、鬼でも化け物でも男でさえあれば誰でも媚び、媚びながら死にたいと考えました。
 彼女は眠りこけそうになる久須美を揺さぶり起こし、にっこりと見つめながら、自分の男が赤鬼青鬼になっても、媚びを含んだ笑顔でその顔を見つめるだろうと考えました。そして、自分が谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗うところを想像し、それを干し忘れて谷川のふちで眠っているところを青鬼に揺さぶり起こされても、目を覚ましてにっこりとして、青鬼に腕を差し出すだろうと考えました。