坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』の登場人物、あらすじ、感想

 『青鬼の褌を洗う女』は、1947年に発表された坂口安吾の短編(中編)小説です。
 妾として生きることを望まれて育ち、さまざまな男を渡り歩く女を描き、坂口安吾の作品の中でも傑作と称されています。
 このページでは、『青鬼の褌を洗う女』の登場人物、あらすじ、感想を紹介します。

『青鬼の褌を洗う女』の登場人物

サチ子
語り手。妾の子として生まれる。自分のことを溺愛しながら、妾になるように勧める母親を愛しておらず、母の思惑に背いて、戦争前から六人の男に体を許していた。三月十日の空襲で母を含む身寄りを失い、徴用先の専務であった久須美に引き取られる。


サチ子の母親。大きな商店の主人を旦那に持つ妾で、その他にも二、三人の男がいる。サチ子を自分と同じ妾にしたがっている。
サチ子の他に息子と娘がいたが、息子は航空隊に志願して行方が知れず、娘は盲腸炎の手術の後に、医者に禁じられた水を飲ませて死なせている。
三月十日の東京大空襲で窒息死する。

登美子さん
サチ子の女学校の同級生の問屋の娘。サチ子をゴルフ遊びに誘い、そこで知り合った三木昇のパトロンのようになる。女学校を卒業後、事務員になり、その仕事を窮屈に感じて百貨店の売り子になる。
エッちゃんと別れて久須美の元へ戻ったサチ子のことを「天性の妖婦」と称する。

三木昇
美貌を鼻にかけ、下手なギターを趣味にしているだけの映画俳優。サチ子と登美子さんとゴルフ遊びで出会い、二人を口説いて拒絶されるものの、そのうちに登美子と温泉宿に泊まるようになる。

オソヨさん
サチ子の家の女中。富山出身。三月十日の空襲後、サチ子と共に国民学校の避難所に寝泊まりし、サチ子を口説きにやってくる男たちを撃退する。

久須美
サチ子の徴用先の会社の専務だった男。五十六歳。六尺ほどもある大柄な男で、獅子鼻でどんぐり眼の醜男。空襲後、国民学校で避難生活を送るサチ子を引き取り、家を与える。生来の妾気質であるサチ子が浮気をしても、そのすべてを受け入れて可愛がる。

エッちゃん
十両の力士。四股名は隅田川。サチ子と同じ町内の国民学校の牛肉屋の子供で、出征の前夜に体を許していた男のうちの一人。
大関までは行けると言われる有望な力士であるが、理知的な相撲を取るために、頭の中で負けたと思うと一気に押し込まれる癖がある。
親方と同じ病院に入院していたサチ子と再会し、女房になってほしいと頼み込む。

田代さん
久須美の秘書。久須美の女の始末などの裏の仕事に手腕を発揮している。久須美に金を借りて開いた飲食店でノブ子さんを雇う。損得を考えずに人の世話をするノブ子さんの人柄に感心し、店の営業不振を諦めている。サチ子の宿泊先に逗留し、ノブ子さんを毎日のように口説く。

ノブ子さん
サチ子と同じ徴用先の事務員で、戦争で肉親を一挙に亡くし、田代さんが開いた飲食店でマダムとして雇われている。サチ子よりも二歳年下。テキパキと働くが、損得考えずに人の世話をしてやるので、店では一向に儲けることができないでいる。
田代さんに想いを寄せている。

『青鬼の褌を洗う女』のあらすじ

※もっと詳しいあらすじはこちら

 遊ぶことが好きで貧乏が嫌いであったサチ子は、年寄りで金持ちの妾になることを母親から望まれて育ちました。
 自身も妾であった母親は、サチ子を高価な品物のように溺愛し、彼女がお金のない青年と恋に落ちることを何よりも心配していました。サチ子はそのような母親を愛しておらず、溺愛されることを薄気味悪く感じ、母の思惑に反して既に六人の男に体を許していました。

 サチ子は女学校の同窓である登美子さんに誘われてゴルフ遊びを始め、顔がいいということを鼻にかけているだけの映画俳優の三木昇と知り合いになりました。三木はサチ子と登美子さんの両方を口説き、一度は二人に拒絶されたものの、登美子さんは女学校を卒業すると三木に金を出すパトロンのようになり、サチ子にアリバイ作りを頼んで温泉や宿に泊まるようになりました。

 やがて妾が国賊のように思われる時世となると、サチ子は徴用を受けました。母親は、娘の妾としての売れ口がなくなったために、戦争を憎み、日本が負けることを望みました。

 徴用先でのサチ子は、作業能力の欠如にも関わらず、寛大な扱いを受け、男たちから次々と口説かれました。母親は、旦那の疎開先の隣家の農家に疎開しながら、娘を見回るためという口実をもうけて、若い男と密会するためにしばしば東京に戻りました。

 三月九日に疎開先に帰ろうとしていた母親は、男と連絡がつかなかったために東京を離れず、九日の夜になってようやく男と会い、自宅に連れ帰って酒を飲みました。
 やがて敵機が来襲して火の手があがると、サチ子たちは逃げるための身支度を整えました。酒に酔った母親は身支度に時間がかかりました。サチ子は、母の男にのしかかられそうになりながら、身をかわして外へと飛び出しました。
 空襲の壮観な景色は、サチ子に新しい何かが近づいてくるという希望を与えました。彼女は女中のオソヨさんと共に上野公園に逃げて助かりました。

 空襲の二日後、サチ子は隅田公園で母親の死骸と遭遇しました。窒息死であったために遺体は焼けておらず、執念深くちゃっかりしていた母親が焼死しなかったことに、サチ子は薄気味の悪さを覚えました。

 サチ子とオソヨさんは、焼け残った国民学校に避難し、一日三枚の乾パンで飢えを凌ぎました。国民学校では、本能的に親切にするサチ子のところに、入れ替わり立ち替わり男が訪れてきて口説きにかかったため、オソヨさんはそれらの男を撃退しなければなりませんでした。

 やがてオソヨさんが富山の富山に帰ることになり、サチ子は、五十六歳の専務の久須美によって探し出され、引き取られました。
 久須美はサチ子の全てを受け入れ、可愛がりました。生来の妾であったサチ子は、どのような時でも久須美の愛撫を求め、彼を愛撫するための媚態を自然と身につけました。久須美の愛撫は、病気の苦痛すら忘れるほど、サチ子を満たしました。そのため、サチ子は盲腸の痛みも感じることがなく、久須美が気づいた時には三時間の手術が必要な体になっていました。

 サチ子の入院先と同じ病院に、相撲部屋の親方が入院しており、弟子たちが見舞いにやってきました。そのうちの一人であった十両の隅田川という力士は、サチ子と同じ町内の出で、出征の前夜に彼女が体を許していた一人でした。隅田川はエッちゃんと呼ばれていました。エッちゃんは、サチ子と再開すると、巡業から戻るたびに彼女のもとを訪れるようになりました。サチ子は彼の稽古や取組を見に行きました。
 本場所の始まる前、エッちゃんは、サチ子に女房になってくれと頼みました。全勝したら泊まりに行くとサチ子が約束すると、エッちゃんは一勝もできないまま本場所を終えました。しかし彼のことをいじらしく思ったサチ子は、二人で海辺の温泉に出かけ、そこに逗留することとなりました。

 やがて二人の資金が底を尽きると、サチ子は、以前自分と同じ家に住んでいたノブ子さんにお金を届けて欲しいと頼みました。
 ノブ子さんは、サチ子よりも二歳年下の同じ会社の事務員で、戦争で肉親を一挙に亡くしており、久須美の秘書の田代さんが、久須美から金を借りて開いた飲食店で、マダムとして雇われていました。彼女はテキパキと働きましたが、損得考えずに人の世話をしてやるので、一向に儲けることができず、田代さんも、そのようなノブ子さんの人柄に感心し、店の営業不振を諦めていました。

 サチ子からの知らせを受けたノブ子さんは、田代さんと一緒に温泉までやって来ました。二人は同じ部屋に泊まり、田代さんは毎晩のようにノブ子さんを口説きました。ノブ子さんは、田代さんのことを好きでしたが、あとで惨めな思いをするのが嫌で、体を許すことはありませんでした。
 サチ子は田代さんに、身寄りのないノブ子さんは、処女であることが身寄りのようなものなのだと説きました。執念深い田代さんは、純潔というものは処女であるかどうかという問題ではなく、魂に属するものであるのだと反論しました。
 その夜、サチ子はエッちゃんと別れ話をしました。するとエッちゃんは、サチ子の胸に両手を突いて虚脱させて担ぎ上げ、一緒に死んでくれと頼みました。サチ子が抵抗すると、彼は一人で外へと出て行きました。

 エッちゃんと別れたサチ子は、東京に帰る汽車の中で熱を出し、そのまま数日間寝込みました。久須美はサチ子を許し、献身的な看病を行いました。

 夏が来ると、サチ子たちは海岸の街道筋の高台の旅館で過ごしました。久須美と田代さんはここから東京に通い、サチ子とノブ子さんは昼は海水浴を楽しみました。
 サチ子はお茶やダンスに誘わってくる数々の男たちと浮気をしないことで、久須美に対する感謝の気持ちを表しました。彼女は退屈が魅力あるということを知っており、久須美や自分の身体を眺めることにいくらでも費やすことができ、いくらでも眠ることができました。
 久須美は妻も子供も捨てたような身でありながら、自分の幸福よりも、サチ子の幸福のためにエッちゃんとの結婚を認める物言いをしました。彼は孤独で冷酷な魂を持っていて、自分のことも見放しているため、常に地獄の苦しみを味わっていましたが、その地獄をも愛しているために、サチ子と別れて孤独になるのも定めであると考えることができるのでした。
 ノブ子さんと襖を隔てて生活している田代さんは、女が身を任せたくとも嫌だと思うことがあるのを知らず、暴行によってしかノブ子さんの体と感謝を受け得ることを理解できなかったため、未だに目的を達することができていませんでした。
 彼は、人のためにいつも損をしているノブ子さんを聖処女と見なし、すべて許してやっていました。

 サチ子は、自分がいつか野垂れ死するだろうと考えました。そして戦災のあとの国民学校の避難所で死にかけている時に、青鬼赤鬼が夜這いに来るところを想像し、誰もいないところで死ぬよりも、鬼でも化け物でも男でさえあれば誰でも媚び、媚びながら死にたいと考えました。
 彼女は眠りこけそうになる久須美を揺さぶり起こし、にっこりと見つめながら、自分の男が赤鬼青鬼になっても、媚びを含んだ笑顔でその顔を見つめるだろうと考えました。そして、自分が谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗うところを想像し、それを干し忘れて谷川のふちで眠っているところを青鬼に揺さぶり起こされても、目を覚ましてにっこりとして、腕を差し出すだろうと考えました。

作品の概要と管理人の感想

 妾の子として生まれ、自身も妾となることを望まれて育った語り手のサチ子は、戦争にも関心を持たず、「世界のことは人が動かしてくれる」と決め込んで、その時々の愉しみを見つけながら、退屈を好んで暮らしています。彼女は自分の処女を売り物にしようとしている母親の思惑に反して、すでに複数の男に体を許しており、「その男たちの姓名や年齢、どこでどうして知りあったか、そんなことは私はいいたくもないし、全然問題にしてもいないのだ。ただ好きであればいい、どこの誰でも、一目見た男でも、私がそれを思い出さねばならぬ必要があるなら、私は思いだす代りに、別な男に逢うだけだ。私は過去よりも未来、いや、現実があるだけなのだ」と語ります。

 徴用先では、作業能力のなさにも関わらず、サチ子は引け目を感じることなく、人々からも寛大に扱われ、さまざまな男から口説かれます。空襲で焼け出された避難所の国民学校でも(この空襲で母親は窒息死します)、彼女はさまざまな男から入れ替わり立ち替わり口説かれます。

 戦後、彼女は徴用先の専務であった久須美に養われます。久須美は妻子ある五十六歳の醜男ですが、男の年齢を気にしないサチ子は、どのような時でも彼の愛撫を求め、また彼を愛撫するための媚態を身につけます。それは盲腸の苦痛すら忘れるほどの満ち足りた愛撫です。やがて隅田川という力士との生活を経て、サチ子は久須美のもとへ戻り、久須美の秘書の田代さんや、同じ会社の事務員であったノブ子さんと海岸の旅館で共に暮らします。

 その生活の中で、感謝の真心から媚態が自然と生まれ出るという生来の妾体質により、サチ子は久須美を魅了し続けます。その媚態により、彼女は「天性の妖婦」とも称されますが、それでもなお、彼女は自分が野垂れ死ぬであろうという宿命を想像し、赤鬼青鬼が入れ替わり立ち替わりやってきて夜這われても、男であれば誰にでも媚び、媚びながら死にたいと考えます。

 近代文学が始まってから、国内海外問わず、数多くの文豪が「妖婦」と呼ばれる女性を自分の作品に描いてきました。男を良いように利用しているわけではないサチ子は、妖婦と呼ぶには少し違うのかもしれませんが、打算も、自己顕示もなく、真心から表れる媚態のみで男を純粋に魅了し続けることのできる彼女は、文学史上においても稀有な存在なんじゃないかと思います。

 坂口安吾は、『堕落論』の中で、特攻隊だった青年が闇屋になり、聖女が体を売るようになった戦後の社会を冷静に観察し、戦争に負けたから堕落するのではなく、人間には堕落の本能が本来備わっているのであり、それは人間が変わったのではなく、本来の人間に戻ってきたのだと洞察しています。堕ちるべき道を堕ち切ることで、自分自身を発見し、救うことができるのだと説いたこの評論は、希望を失っていた戦後の人々に勇気を与えたと言われています。

 貞操観念を持たず、ただ好きな男のお膝元で退屈を楽しむサチ子は、世間の感覚から見ると「堕ちている」女です。しかし、世間の人々と違った生き方をしていることに後ろめたさを感じることのない彼女からは、「堕ちている」という印象をそれほど強く受けることがありません。

 「堕ちて行くのは簡単だ」などと言われますが、彼女のような徹底的な堕ち方をここまで実践するのは、普通に生活するよりも余程難しいのではないかと思います。本当の意味での「堕ちる」とは、おそらく堕ちたことを意に介さずに生きて行くことです。彼女のように自分と他人を比べたりすることなく、思うがままに生きることができれば、自分を含めた周囲の人間を分け隔てなく幸福にすることができるのかもしれません。

 一方、サチ子のような女性に望めるのは、一時的な至福であり、恒久的な生活を求めることは不可能で、久須美もサチ子も、いつか来る別れのことを意識しています。男に至福を与えながらも、いつかは地獄のような苦しみを味わわせることになるというのは、妾の子として生まれた女の悲しい宿命と取ることもできるかもしれません。

 数々の男を渡り歩くサチ子の姿を読むだけでも充分に楽しむことのできる作品でもありますが、堕ちてなお我が道を生きるサチ子の人生は、『堕落論』と同じように、戦後の人々に、生きるための新しい指針のようなものを与えたのかもしれないと思います。