島崎藤村『破戒』の登場人物、詳しいあらすじ、感想

 『破戒』は一九〇六年、詩人として活躍していた島崎藤村が初めて自費出版した小説です。日本における自然主義を確立した作品のうちの一つであり、夏目漱石が絶賛しました。

 この小説では、被差別階級出身の青年、瀬川丑松が自分の出生を周囲に告白するかどうかで苦悩する様子が描かれます。被差別階級とは、江戸時代に確立された身分制度「士農工商」のどれにも含まれない人々のことをさします。彼らはある地区にまとまって住み、他の階級の人々から差別を受けながら暮らしてきました。一八七一年に布告された解放令により、法律上の差別は撤廃されました。しかしこの作品が発表された当時はまだこの階級意識が根強く残っており、被差別階級の人々の結婚や就職は大きく制限されていました。現代の感覚でこの問題を考えるのはなかなか難しいものがありますが、この小説を読めば、彼らがどのように扱われ、どのように悩んでいたかが理解できます。

 またこの小説は瀬川丑松という個人が勇気を持って行動した記録を描いた作品でもあります。彼の行動はこの『破戒』を読破した全ての人に感動を与えることでしょう。

『破戒』の主な登場人物

※ネタバレ内容を含みます。

瀬川丑松
北佐久の小諸の生まれ。被差別階級出身であったが、八歳から身分を知られていない根津村の小学校へ移動し、普通の子供と同じように育てられた。長野の師範校を出て、飯山で小学校教師として赴任している。自分の身分を隠すよう父親から言われている。

猪子蓮太郎
被差別階級出身の運動家。被差別階級解放のために様々な著書を残し、代議士選挙に立候補する市村弁護士に協力する。

土屋銀之助
丑松の師範校時代からの級友。丑松と同じ小学校に赴任している。終盤で農科大学の助手になるために、小学校を離れる。

風間敬之進
もとは飯山の藩士であったが、零落して丑松の小学校の教師になった。体調の悪化を理由に、恩給をもらえるようになる直前で辞める。酒に溺れ、二人目の妻と多くの子供を抱え、貧乏な生活を送っている。

お志保
敬之進の長女。先妻の子。丑松が赴任する前に小学校を卒業し、今は丑松の下宿先である蓮華寺に奉公に入っている。

省吾
敬之進の長男。先妻の子。丑松が担任する少年。

勝野文平
新しく丑松の勤める小学校に赴任してきた教師。

市村弁護士
佐渡出身。長い政治上の経験や、国事犯としての牢獄の経験から、弱いものや貧しいものの見方になって、代議士選挙に立候補しようとしている。

高柳利三郎
市村弁護士のライバルとして代議士に立候補しようとしている男。金のために被差別階級出身の娘と結婚する。

校長
軍隊風に生徒を規律正しく教育することを目指し、功績表彰の文字を彫刻された金牌を授与される。丑松のことを快く思っていない。

奥様
蓮華寺(丑松の下宿)の尼。五十歳くらいで、丑松、お志保と親しくする。

蓮華寺の住職
奥様と同じ年。丑松が蓮華寺に引っ越したころは不在であったが、修行を終え、西京(京都市)から帰ってくる。

丑松の父
小諸の被差別部落のお頭であったが、丑松の出世のために身分を知られていない根津村に引っ越し、自身は牧場で牛追いとして生計を立てる。気性の荒い牛に胸を刺されて死亡する。

丑松の叔父
丑松の父の葬式を執り行う。丑松の父と同様、身分を隠して生活している。

『破戒』のあらすじと概要

 この物語は、長野県飯山市の小学校に赴任する主人公の瀬川丑松が、下宿先を引き払って、蓮華寺という寺へ引っ越すところから始まります。

 丑松が引っ越しを決意したのは、もともと丑松が住んでいた下宿に大日向という金持ちが来たことがきっかけです。大日向は飯山病院に入院するために丑松の下宿を訪れていました。しかし彼は被差別階級の出身だったため、病院も下宿も追い出されてしまいました。彼と同じ被差別階級の出身だった丑松は、これに憤慨して引っ越しを決意したのでした。

 丑松は北佐久の小諸の生まれで、幼少期は被差別階級としての扱いを周りから受けていました。丑松が八歳になると、父親は身分を知られていない根津村の小学校に丑松を入れ、他の子供と同じように育てました。
 父親は叔父夫婦とともに近くに居を構え、牧場で牛追いの仕事を始めました。

 その後丑松は、長野の師範校(教員を養成する学校)に入り、二十二歳の時に、飯山の小学校教師になりました。そこでも彼が被差別階級出身だとは誰一人として知りませんでした。

 しかし丑松には被差別階級としての自覚が徐々に芽生え、それとともに自分の身分が周りに知られることへの恐怖を感じるようになり、沈鬱な気分になることが多くなっていきます。

 丑松は同じ被差別階級出身の運動家、猪子蓮太郎という人物を崇拝していました。蓮太郎は信州高遠出身の人物で、丑松が入学するより前に長野の師範校に心理学の講師としてきていましたが、被差別階級出身だということが知れ渡り、自分の身分を自白して師範校を辞めました。その後蓮太郎は、被差別階級の地位向上のため、様々な著書を残しました。その著述は高い評価を得ていました。丑松は蓮太郎の著書を全て読むようにしていました。

 新しい転居先の蓮華寺は、五十歳ほどの尼が仕切っていました。尼は奥様と呼ばれ、転居してきた丑松の世話をすることとなりました。

 赴任先の小学校では、丑松は生徒から慕われた存在でした。師範校時代からの親友である土屋銀之助も同じ小学校に勤務しており、悩んでいる様子の丑松を心から心配しています。

 また丑松の同僚には風間敬之進という初老の教師がいました。敬之進はもともと飯山の藩士でしたが、零落して教員になった男です。今では酒に溺れて体調を崩し、退職をせざるを得ないような状況に陥っていました。二人目の妻と多くの子供を抱え、貧乏な生活を余儀なくされており、丑松は敬之進に深い同情を寄せています。

 敬之進の長女であるお志保は、丑松の転居先である蓮華寺に奉公に出ています。丑松と蓮華寺の中で顔を合せることはあっても、あまり会話を交わすことはありませんでした。

 敬之進の長男である省吾は、丑松の生徒でした。お志保と省吾は敬之進と先妻の間にできた子で、今の母親からはあまり可愛がられていませんでした。省吾はまだ無邪気な少年でしたが、大人びたお志保は退職して酒に溺れる父親の身を案じていました。丑松はお志保と省吾に対しても深く同情していました。

 小学校の校長は、丑松や銀之助のことを良く思っていませんでした。校長は、軍隊風に生徒を規律正しく教育することを目指し、功績表彰の文字を彫刻された金牌を授与されていましたが、丑松や銀之助はそのような金牌に価値を見出さず、冷笑するような態度をとっていたのです。
 校長は新任の勝野文平を味方に引き入れ、丑松や銀之助を辞めさせられるような口実はないかと探らせました。

 ある日丑松に、父親が死んだという知らせが届きます。丑松は父を弔うため、小学校時代を過ごした根津村へと帰ることにしました。丑松が汽車に乗ると、猪子蓮太郎が同乗していました。蓮太郎は、この冬代議士の選挙に立候補しようとしている市村という弁護士を連れていました。市村弁護士は長い政治の経験があり、国事犯としての牢獄に入ったこともある人物で、それらの経験から、今では弱いものや貧しいものの見方になって活動しています。蓮太郎は市村弁護士の友人で、彼の選挙活動を応援するために、この地を訪れているのでした。
 丑松は以前に蓮太郎に会ったことはありましたが、この汽車での出会いにより蓮太郎との交流を更に深めることに成功します。

 丑松と蓮太郎が乗った汽車に、高柳利三郎という、代議士の選挙に立候補しようとしている男も偶然乗り合わせていました。高柳は丑松と顔見知り程度の関係でしたが、高柳は明らかにこちらを避けているようでした。
 その後、自分を訪ねてきた蓮太郎によって、丑松は高柳が列車で移動していた理由を知ることとなります。高柳は、飯山で演説をした後、丑松の故郷の近くにいる、差別階級出身の娘と結婚するために移動していたのでした。婚約者の家は、被差別階級でもかなりの財産を成しており、高柳にとっては金目当ての結婚でした。また高柳は、妻の身分を隠して選挙活動を行おうとしていました。
 被差別階級との結婚を隠しながらも、金のために利用しようとする高柳の行動に、蓮太郎は怒りを感じ、どうしても選挙へは市村弁護士を勝たせたいと言うのでした。

 死んだ丑松の父親は、丑松が身分を隠せるようにと、彼を故郷から離し、自身も牧場でひっそりと生活していました。生前は自分の身分を隠すように丑松になんども伝えており、気性の荒い牛の角に刺されて死ぬ間際も、その訓戒を忘れないように丑松に伝えるよう、丑松の叔父に頼んでいました。
 根津村に蓮太郎が訪ねて来た時も、丑松は蓮太郎だけには身分を明かしたいという強い欲求にかられますが、父の言葉を思い出し、なかなか踏み切ることができませんでした。

 父親の一連の葬儀中、丑松は自分の身分について深く考えるとともに、お志保のことを頭の中に思い描く時間が多くなっていました。丑松は、自分がお志保に好意を抱いていることに気づきます。

 丑松は飯山に帰りました。不在にしていた住職が修行を終えて蓮華寺に戻ってきていました。住職は立派な人物に思われていましたが、女に関しては病気のように執着する人物で、蓮華寺で奉公するお志保に言い寄っていました。それによりお志保が傷つけられていることを丑松は知りました。

 丑松が被差別階級出身であるという情報を妻の実家で仕入れた高柳は、勝野文平にそのことを話してしまいます。文平は校長へその情報を流し、その噂は学校中に広まっていました。

 お志保を助けようにも身分違いでは助けられず、自分の身分が知れ渡っては、小学校教師の職も辞めざるを得ないと思った丑松は、絶望して死ぬことを考えます。 

 市村弁護士の応援演説をするために、飯山をちょうど訪れていた蓮太郎だけには、死ぬ前に真実を伝えようと丑松は考えます。

 もともと病気をしていた蓮太郎の演説は、血を吐きながら行われた壮絶なものであり、聴衆の心を撃ちました。そして演説の終わりには、蓮太郎はライバルの候補である高柳の結婚の卑しい動機を暴露しました。聴取は感動し、市村弁護士への投票を叫びました。

 演説を終えた蓮太郎は高柳派に襲撃され、命を落としました。丑松の身分を伝えたいという想いがかなうことはありませんでした。

 蓮太郎の死を嘆き悲しむ丑松でしたが、そのうちに新たな勇気が芽生え、学校で自分の身分を打ち明けることを決心します。そして翌日の最後の授業の時に、生徒たちに自分の身分を告白し、小学校を辞めていく決意を表明しました。

 職員室で噂を聞いた土屋銀之助は、泣き崩れる丑松のもとへ行って抱き起し、後の処理を引き受け、丑松を帰しました。丑松に深く同情した銀之助は、お志保のもとへ向かいます。常に丑松のことを心配してた銀之助は、丑松がお志保を慕っていることに気づいていたのでした。

 お志保は蓮華寺の住職から逃れるために敬之進のもとへ帰っていましたが、継母は夫婦喧嘩を行い家を出て、敬之進は酔いつぶれて雪の中に倒れ、余命いくばくもない状態でした。お志保はいつ一人になってもおかしくない状況にいました。

 銀之助は、丑松の力になってあげてくれないかとお志保に頼みました。お志保はそのつもりでいると答えました。お志保もまた丑松のことを慕っていたのです。

 丑松は蓮太郎の弔いに参加していました。蓮太郎の協力者であった市村弁護士は、故人の遺志を成就させるため、選挙活動は継続するつもりでいました。丑松が飯山にいられなくなるだろうという話を聞いた市村弁護士は、費用を全て受け持ち、丑松に蓮太郎の遺骨を守らせて、蓮太郎の妻と共に東京へ行かせる手配を進めました。

 丑松が最初の下宿先にいるときに宿を追放された大日向が、テキサスで農業に従事しようとしていることを、市村は丑松に話しました。丑松は大日向とテキサスへ行くことを考えながら、飯山を離れることになりました。弔いのために訪れていた蓮太郎の妻は、丑松とお志保の身の上を銀太郎から聞き、行く行くはお志保を東京にひきとり、丑松と結婚させたいと申し出ました。

 しばしの間別れることになったお志保に「ご機嫌よう」と声をかけ、飯山を出発した丑松は、ため息をついて熱い涙を流すのでした。

管理人の感想

※ネタバレ内容を含みます。

教訓を得るもよし、ただ楽しむだけもよしの名作

 『破戒』は、身分制度で悩む丑松が、勇気を出して告白するまでが描かれています。題名になっている『破戒』の意味は、父親によって教えられた、「絶対に自分の身分を明かすな」という訓戒を破るという行為のことをさしています。

 『破戒』を行うまでの丑松は、小学校教師として安定した職を持ち、生徒からも慕われる比較的恵まれた環境にいるように描かれています。これらはすべて、自分の身分を隠せるような環境に置いてくれた父親のおかげとも言えるでしょう。

 『破戒』を行った後、丑松は職を辞すことを余儀なくされます。テキサスを目指す彼にとっては更なる苦労が待ち受けているでしょう。一つの悩みが消えた後で、また一つの苦労をしなければならない。

 この小説からは「勇気をもって行動すれば、悩みは解消する」などとはとても言うことはできません。

 しかし、『破戒』をしたことで、彼は胸が軽くなったように感じ、それでも自分のために骨を折ってくれる人々に気づくことができます。それは土屋銀之助、お志保であり、また彼が担任する多くの生徒たちでありました。

 この小説から何かしらの教訓を得るのも素敵なことですし、丑松の感情にただただ共感し、今後の彼の人生を応援するだけでも、良い読後感に浸れることでしょう。

銀之助の振る舞いに酔いしれる

 土屋銀之助は、丑松の師範校時代からの級友で、悩める丑松を常に観察しては、さりげなく励まします。
 丑松に被差別階級ではないかとの噂が広まった時も、真っ先にそれを否定し、丑松の味方であろうとします。
 丑松の告白により、欺かれたと思ってもいいようなところを、誰よりも先に駆け付け、涙を流す丑松を抱き起し、後の処理を引き受けます。
 更に丑松の恋の相手であるお志保に相談し、お志保もまた丑松の事を慕っているということを確かめます。

 丑松の告白により、銀之助がどのように反応するのか、不安に思いながら読み進めてきた読者は、ほっと息をなでおろし、さらにこの文学史上まれにみる名脇役に惚れ直すことができるでしょう。

『破戒』シーンに感動する

 この小説の一番のクライマックスシーンは、やはり丑松が『破戒』を行って、生徒の前で自分の身分を明かすところでしょう。

 丑松が悩みを抱えている描写はやや長いと感じますが、その分あの告白のシーンは感動的です。

 ここのセリフは、是非実際に読んで、丑松の胸中を味わってみてください。

 丑松の悩みに共感してこそ感動するセリフとなっていますので、きちんと最初から読破することをお勧めします。