芥川龍之介『藪の中』の登場人物、あらすじ、感想

芥川龍之介作『藪の中』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要や管理人の感想も。

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『藪の中』の登場人物

武弘(たけひろ)
若狭の官僚の侍。二十六歳。藪の中で胸元を刺され、死んでいるところを発見される。

真砂(まさご)
武弘の妻。十九歳。武弘の遺体が見つかった後、行方不明になっている。

多襄丸(たじょうまる)
名高い盗人。女好きで、人を殺したこともあると言われている。

木樵(きこり)
武弘の遺体の第一発見者。

旅法師
殺される前日に、真砂と連れ立って歩いている武弘を見たと証言する。

放免
多襄丸を捕らえる。武弘の持ち物を数多くもっていたため、多襄丸こそが犯人であると主張する。
(放免とは、検非違使のしもべのこと)


真砂の母。武弘の遺体が発見された後、真砂の行方が知れないことを心配する。

『藪の中』のあらすじ

※ネタバレ内容を含みます。

検非違使に問われたる木樵りの物語

 木樵りは、その朝いつものように裏山の杉を切りに行ったときに、胸元に突き傷を抱え、仰向けに倒れている死骸を見つけました。その周りには縄と櫛が落ちていて、落ち葉が踏み荒らされていたため、その死骸となった男は殺される前に痛い目にあったに違いないと、その木樵りは語りました。

検非違使に問われたる旅法師の物語

 旅法師は、死骸の男が殺される前日、太刀や弓矢を携えながら、馬に乗った女と一緒に、山科から関山へと向かう道を歩いていくのを見たと語りました。旅法師は、その殺された男が気の毒だと嘆きました。

検非違使に問われたる放免の物語

 その放免は、前日の午後八時頃、多襄丸という名高い盗人を捕らえていました。多襄丸は、死骸の男のものを数多く持っていたため、犯人に違いないと放免は語りました。
 多襄丸は非常な女好きで、昨年ある母娘が殺されたのも、この男の仕業だと言います。放免は、多襄丸について、このような点も取り調べるよう、検非違使に頼みました。

検非違使に問われたる媼の物語

 その死骸の男は、媼の娘の嫁ぎ先の、武弘(たけひろ)という二十六歳の若狭の官僚の侍でした。媼の娘(武弘の妻)は、十九歳になる真砂(まさご)という女でしたが、その娘も行方がわからなくなっていました。
媼は娘を心配し、多襄丸のことを憎みながら泣き入りました。

多襄丸の白状

 多襄丸は、武弘を殺したのは自分であると白状しました。しかし真砂は殺していないようです。
 前日の昼過ぎ、その夫婦に出会った多襄丸は、真砂を一目見ただけで、武弘を殺して真砂を奪うことを決意しました。
 多襄丸は夫婦に話しかけ、向こうの山にある古塚を暴いたら、鏡や太刀が沢山出たので、それを安値で売り払いたいと嘘をつきました。その話を聞いた夫婦は、多襄丸と山路を歩き始めました。
 藪の前に来ると、多襄丸は真砂を待たせて武弘と一緒に藪の中へ分け入りました。しばらく進んだところで武弘を組み伏せると、多襄丸は真砂のところへ戻り、武弘が急病を起こしたので来て欲しいと言いました。真砂は多襄丸について藪の中を歩き、縛られた夫を見ると、小刀を取り出して多襄丸に向かっていきました。多襄丸はその小刀をなんとか打ち落とし、真砂を手ごめにしました。
 その後、真砂は多襄丸に泣きつき、二人の男に恥を見せるのは死ぬよりも辛いと言い出し、多襄丸が死ぬか、夫を殺すかを選んで欲しいと言いました。多襄丸は武弘を殺すことを決心しました。
 卑怯な手を使いたくなかった多襄丸は、武弘の縄を解き、太刀打ちをしろと言いました。武弘は憤然と向かってきましたが、多襄丸はその胸を突いて殺しました。しかしその時にはもう真砂は馬も捨てて姿をくらましていました。
 ここまでを語ると、多襄丸は極刑を望みました。

清水寺に来れる女の懺悔

 多襄丸に手ごめにされた後、真砂が夫のそばへ駆け寄ると、その眼の中に、蔑みの冷たい光を感じました。その眼を見た真砂は、思わず叫び声をあげ、気を失いました。
 目を覚ますと、多襄丸はもうすでに逃げていて、夫は縛られたまま、先ほどと同じ蔑みの眼をしていました。
 真砂は、こうなった以上、一緒に死んで欲しいと夫に言いました。武弘は、笹の落ち葉を詰められた口を動かし、真砂を蔑んだまま、「殺せ」と言いました。真砂は、足元に落ちていた小刀を、夫の胸に突き刺しました。
 真砂はもう一度気を失って目を覚ますと、息絶えた夫の横で死のうとしましたが、死に切ることができませんでした。
 これらのことを懺悔した真砂は、これから自分はどうすればいいのかと言って、すすり泣きました。

巫女の口を借りたる死霊の物語

 多襄丸は、自分が手ごめにした真砂を慰め始めました。笹を口に詰め込まれ、体を杉の根に縛られていた武弘は、多襄丸の言うことを信用してはならないと目配せで妻に訴えました。しかし真砂は、じっと座ったまま、多襄丸の言葉に聞き入っているように見えました。
 多襄丸は、夫を捨てて自分のところへ来るよう説得を始めました。真砂はその言葉にうっとりとした顔を見せ、どこへでも連れて行ってくださいと頼みました。そして多襄丸に手を取られながら藪の外へ行こうとした真砂は、武弘を指差して、あの男を殺してくださいと叫びました。多襄丸は、この言葉に狼狽して真砂を蹴倒し、武弘に向けて妻を殺すか、助けてやるかと聞きました。その途端、真砂は逃げ去ってしまいました。多襄丸もまた、武弘を縛っていた縄を切ってやると、姿を消しました。
 武弘は、杉の根から起き上がると、妻が落とした小刀を手に取り、自分の胸に突き刺しました。苦しみを感じることなく、藪の中の深い静けさに包まれた武弘は、誰かが自分のところへやってきたのを感じました。その誰かは、胸に突き立ててある小刀を抜きました。武弘は、それが誰なのかわからないまま、闇の中へと沈んで行きました。

作品の概要と管理人の感想

 『藪の中』は、一九二二年に発表された芥川龍之介の短編小説で、平安時代の伝承を集めて作られた『今昔物語集』を題材とした作品です。
 この小説は、藪の中で発見された遺体に関連した七人の人物の独白という体裁をとっています。それぞれの登場人物の語ることは食い違っており、誰がその遺体の男を殺した犯人なのか、これまで多くの考察がなされてきましたが、未だ犯人の特定には至っていません。未解決の事件を表す時に使われる、「真相は藪の中」という言い回しの語源になった小説とも言われています。推理小説のようでありながら、最後まで犯人が特定されることなく、また死んだ男も巫女の口を借りて証言するという、推理小説の定石を完全に破っている作品です。

 この小説はとても面白いです。数多くの論文で考察されている犯人探しが無駄なことだとはわかっていても、つい誰が武弘を殺したのか考えてしまいます。個人的な考察としては、安全な場所で語ることのできる懺悔という方法を選んだ真砂が何か怪しいような気がするのですが、わざわざ懺悔をした意味を考えると、どうしても腑に落ちない部分は残ります。
 結局、武弘、真砂、多襄丸の証言のうち、誰のどの部分が嘘でどの部分が真実なのか、一つ一つ検証しても、どこかで謎が残るような作りになっていて、明確な答えはでてきません。
 しかし、多襄丸、真砂、武弘の三人が、武弘を殺したのが自分だと言っている(武弘自身は自害を主張)以上、少なくとも二人が嘘をついているのは確実です。彼らの真意はわかりませんし、誰が誰を庇い、誰を恨んでいるのかもわかりませんが、その嘘は、何か残酷な欲望によって作られた、非常に罪深いもののような印象を与えます。犯人がわからないというのがかえって、人間の持つ恐ろしい「業」のようなものを、より際立たせているように感じます。
 犯人が誰なのか、あれこれ考えながら読むのも楽しいですし、登場人物の「誰か」が抱えている底知れない闇のようなものを、ただ漠然と感じるのも、この小説の楽しみ方の一つであると思います。『羅生門』や『地獄変』に比べると、やや知名度は落ちますが、この『藪の中』は、芥川龍之介の新しい魅力を知ることのできる作品として、数多くの人に読んでもらいたい名作です。