芥川龍之介『芋粥』の登場人物、あらすじ、感想

 『芋粥』は1916年に発表された作品で、芥川龍之介のペンネームで発表されたものとしては、『羅生門』、『鼻』に続く三作目となります。前二作と同じく、古典を題材とした「歴史もの」のうちの一つで、『宇治拾遺物語』に含まれる説話を典拠としています。

 この作品の主人公は、四十歳を超した風采の上がらない五位(平安朝における位)です。五位は、からかわれても怒らないため、人々から軽蔑されていました。そんな五位の唯一の楽しみが、年に一度、臨時の招待客を摂政家に呼んだときに供される、芋粥という料理を食べることでした。ある宴の後、芋粥を年に一度の楽しみとして飲み終わった五位が「いつになったら飽きることができるのか」とつぶやいたところ、近くにいた藤原利仁という武将がそれを嘲笑い、五位に飽きるほどの芋粥を食べさせてやることにします。利仁に連れられて行った屋敷で五位が見たものは、食べきれないほどの量の芋粥でした。

 『羅生門』、『鼻』、『地獄変』、『杜子春』、『河童』など珠玉のような短編小説の数々の陰に隠れて目立たない存在の小説ですが、芋粥に憧れ、その憧れが叶った時の五位の心の変化が、芥川龍之介の冷徹な眼で書かれた作品です。

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『芋粥』の登場人物

五位
摂政藤原基経に仕える五位。四十歳を越した風采の上がらない男で、ほかの侍から質の悪い悪戯をされている。五、六年前に、酒飲みの法師と関係のあった妻と別れた。年に一度、摂政家に臨時の客があった時に供される芋粥を飲むことを唯一の楽しみにしている。

藤原利仁
民部長の長官の息子で、各地の守を歴任した武将。敦賀に住む藤原有人の娘の婿で、京都と敦賀を往復して生活している。ある宴の席で、芋粥に飽きたいという五位の言葉を聞き、彼を嘲笑うために、有人の邸に呼び、大量の芋粥を食べさせようとする。

『芋粥』のあらすじ

平安朝のころ、摂政藤原基経に仕える某(なにがし)という平凡な五位がありました。五位は四十歳を越した、風采の上がらない男で、侍たちの詰所では、相手にされることがありませんでした。

 同僚の侍たちは、彼をからかい、五、六年前に別れた妻と関係のあった酒飲みの法師の話題を出し、たちの悪い悪戯をしました。五位はどれだけからかわれても、顔色を変えず、「いけぬのう、お身たちは」と言うばかりでした。そのような五位にいじらしさのようなものを感じる者もいましたが、大概の者は、彼を軽蔑していました。

 ある時、五位は、道端で犬の首に縄をつけて、打ったり叩いたりしている子供を見ました。子供が相手だったので、五位はそれを制しにかかりました。すると子供は「いらぬ世話はやかれとうもない」「何じゃ、この話赤めが」と悪態をつきました。五位は恥をかいた自分が情けなくなり、黙ってまた歩き出しました。

 五位は五、六年前から芋粥に異常な執着を持っていました。芋粥は、山の芋を切り込んで、甘葛の汁で煮た粥で、当時は天皇の食膳に供されるくらいの料理でした。五位には、年に一度、臨時の招待客を、摂政家で歓待する時くらいにしか食べる機会がありませんでした。その芋粥を飽きるほど飲んでみたいということが、彼の一生における唯一の欲望でした。

 ある年の正月二日、基経の屋敷に臨時の客があった時のこと、五位は、他の侍達にまじって、その残りものを食べました。その中に芋粥がありました。毎年五位はその芋粥を楽しみにしていましたが、今年はいつもより、五位に回ってくる量が少なく、しかも美味に感じました。
 五位はそれを飲み終わると、いつになったらこれに飽きるだろうかと言いました。すると民部長の長官の息子で、各地の守を歴任した武将である藤原利仁がそれを聞き、五位を軽蔑しながら、飽きさせるまで食べさせてやろうと約束しました。五位が「忝(かたじけの)うござる」というと、一同は失笑しました。それから五位は芋粥のことばかりを考えました。

 四、五日後、利仁と五位は、加茂川の河原に沿って馬に乗っていました。利仁は、東山の近くに湯に行こうと五位を誘ったのです。しかし利仁は東山を通り過ぎても、馬を歩かせ続け、しばらくの後、敦賀まで行くのだと言いました。敦賀は利仁の嫁の父親である藤原有人が住んでいる場所でした。敦賀までの道は遠く、盗賊が出る道を二人は進まなければなりません。五位は怖がりましたが、利仁は狐を捉えると、その狐に、今から敦賀へ行くので、近くまで男たちを遣わし、高島(現在の滋賀県高島市)まで馬を二匹引かせてくるように命令し、その狐を野に放ちました。

 翌日、高島に着くと、二疋の馬を連れた、二、三十人の男が琵琶湖のほとりをやってきました。彼らによると、昨日、狐に乗り移られた奥方が、明日高島のあたりまで利仁を迎えにくるように言ったようです。五位は利仁の獣すら使うことに驚嘆しました。
 その夜、五位は利仁の屋敷に着きました。彼は翌日になると芋粥が食べられると考え、眠れない夜を過ごしました。

 翌朝目を覚まし、部屋の蔀を開けてみると、四、五枚の長筵の上に、山のように積んである長芋がありました。五位は、自分がその芋粥を食べるためにわざわざ旅をしてきたことを考えるほど情けなくなり、食欲は失せてしまいました。
 大量の芋粥ができると、利仁と、その舅の有仁は意地悪く、それを勧めました。五位はそれをすくって椀に入れ、嫌々飲み干しましたが、それ以上もう一口も飲みたくないと思い、有仁が勧めるのを辞退しました。

 その時、利仁が、昨日捕らえた狐を見つけました。利仁はその狐にも芋粥を食わせてやりました。

 五位は、ここに来る前の自分を懐かしみました。それは人々に愚弄され、罵られ、孤独な憐れむべきものでありながら、芋粥に飽きたいという欲望を大事に持ち続けている自分でした。彼はこれ以上芋粥を飲まずに済むことに安心し、敦賀の朝の寒さを感じ、大きなくしゃみをしました。

管理人の感想

 積年の夢が叶うとき、人は何故か直前になって、夢を追っていたころの自分を懐かしみ、その夢が叶わないでほしいとすら思うもののようです。夢は追っている時が一番幸せである、というのは真実で、叶ったとたんに自分の進むべき方向性を見失い、不幸になる人々もたくさんいます。この『芋粥』はまさに、そのような状況にある人の心理状況を巧みに描いた作品です。

 この物語の主人公である五位は、飽きるほど食べるのが夢であった大量の芋粥を見ただけで食欲を無くし、やっとのことで一杯の芋粥を嫌々飲み干し、利仁や有人に勧められても辞退します。そして、利仁が狐に芋粥をやったことで、もう食べなくてもよいことに一安心します。その後で五位が大きなくしゃみをしたのは、敦賀の朝の寒さを感じたからであり、裏を返せば、それまで寒さを感じられないほどに焦っていたということでしょうか。

 そして彼は、芋粥を飽きるほど食べたいと思っていた頃の自分を懐かしみます。夢が叶ってしまった途端に、自分が大事に抱えていたものは、芋粥を食べることではなく、芋粥を食べたいという夢であったことを、五位は理解するのです。もともと孤独でうだつの上がらない人物であった五位は、夢を奪われて、この先何を支えにして生きていくのでしょう。そのように考えると、人の夢というのは慎重に扱わなければならないもので、利仁が遊び半分で行ったことは、けっこう罪深いことであるように思えます。