芥川龍之介『河童』の登場人物、詳しいあらすじ、感想

芥川龍之介の晩年の代表作『河童』の登場人物、あらすじを紹介するページです。作品の概要や解説、管理人の感想も。ネタバレ内容を含みます。

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『河童』の登場人物、キャラクター

(この物語の書き手)
精神病院院長S博士とともに、第二十三号の話を聞く。

S博士
精神病院の院長。第二十三号を診る。

(精神病院の第二十三号)
ある精神病院の患者。河童の国に行ってきたという話を誰にでもする。

バッグ
上高地の山奥で「僕」が後を追った漁師の河童。

チャック
鼻眼鏡をかけた医者の河童。

ゲエル
硝子会社の社長。毎日チャックに血圧を測ってもらっている。天下を取っている内閣やその内閣を支配する新聞と癒着し、大きな権力を握るが、妻には支配されている。

ラップ
学生の河童。僕が世話になる。雌の河童に追いかけられて寝込んでいるうちに嘴が腐る。

トック
詩人の河童。髪を伸ばしている。自由恋愛主義者で、細君を持たないが、雌の河童と暮らしている。自分のことを超人と自称し、超人倶楽部に出入りする。詩人として疲れ、拳銃自殺する。

マッグ
哲学者の河童。醜い外見のため、雌に追いかけられたことがない。

クラバック
音楽家の河童。超人倶楽部に参加し、天才と呼ばれている。

ペップ
裁判官の河童。職を失って発狂する。

ロック
クラバックと双璧を成す天才音楽家。クラバックに恐れられている。

グルック
僕の万年筆を盗んだ河童。

年を取った河童
生れた時は白髪頭をしていたが、徐々に若くなっていった。今では十五、六歳に見える。「僕」に人間界への帰り方を教える。

『河童』の詳しいあらすじ

 これは、S博士が院長をしている、ある精神病院の患者の第二十三号が誰にでもしゃべる話です。その男は語り終わると、拳骨をふりまわしながら、「出て行け!この悪党めが!貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、うぬ惚れきった、残酷な、虫の善い動物なんだろう。出て行け!この悪党めが!」と、誰に対しても怒鳴りつけます。

 三年前の夏のこと、「僕」は上高地の温泉宿から穂高山に登るために、梓川を遡っていました。「僕」は熊笹の中を進みましたが、疲労と空腹で梓川の谷へ下ることにしました。
 水ぎわの岩に腰掛けて食事に取り掛かることにした「僕」が腕時計をみると、気味の悪い顔が時計のガラスに影を落としました。振り返ってみると、河童が見下ろしていました。
 「僕」はしばらく呆気にとられていましたが、河童にとびかかりました。河童は逃げだし、放牧の牛に驚いて熊笹の中に飛び込みました。「僕」はその後を追い、深い穴の中に転げ落ち、気絶しました。

 気づくと「僕」は仰向けに倒れて、大勢の河童に取り囲まれていました。太い嘴に鼻眼鏡をかけたチャックという医者の河童が「僕」に聴診器を当てていました。「僕」は担架に乗せられ、チャックの家へと運ばれました。チャックは一日に二、三度は診察に訪れました。「僕」が最初に見たバッグという漁師の河童も、三日に一度くらいは訪ねてきました。彼らの話によると、人間は度々河童の国に迷い込んでいるらしく、迷い込んだ人間の中には、人間であるがゆえに働かないでも食っていけたので、河童を妻に娶り、一生この国で暮らした者もいるということでした。

 一週間ほど後、「僕」は特別保護住民としてチャックの隣に住むことになりました。河童の住居は、家具の寸法が少し小さいことを除けば、人間のものと大した変わりはありませんでした。「僕」は部屋にチャックやバッグを迎え、河童の言葉を習いました。特別保護住民ということで、河童の好奇心を買い、毎日チャックに血圧を調べてもらっているゲエルという硝子会社の社長なども顔を出しました。「僕」はバッグと最も親しくしました。

 ある日はバッグがひどく黙ったかと思うと、いきなり立ち上がって下を出し、飛びかかる景色を示しました。あとで聞くところによると、それは「僕」が気味悪がるのを楽しんで悪戯をしているのでした。

 河童は背丈が一メートルくらい、短い毛の生えている頭の真ん中に楕円形の皿があり、その皿は年齢により硬くなっていきます。水掻きがついていて、皮膚の色は周囲の色と同じになります。着物はつけませんが、カンガルーのように腹に袋を持っていて、ものを持ち歩くことができます。腰の周りすら隠さないのはなぜかとたずねると、バッグは笑いながら、人間が隠している方がおかしいのだと言いました。

 河童は人間の真面目に思うところをおかしがり、おかしいと思うことを真面目に捉えます。その中でも河童のお産ほど、おかしいものはありません。「僕」はバッグの細君がお産をするところを見に行きました。父親は母親の生殖器に口をつけ、子供に向かって、この世界に生まれてくるかどうかを聞きました。お腹の中の子供は、父親の精神病の遺伝が大変なのと、河童的存在を悪いと思っているので生まれたくないと言います。それを聞いた産婆が細君の生殖器に注射を差し込むと、細君の大きかった腹は縮んでしまいました。

 「僕」はここへきて三ヶ月目に、ある大きなポスターを見ました。一緒に歩いていたラップという学生が読み上げたところによると、悪遺伝を撲滅するために不健全なものと結婚せよと呼びかけ、そのための義勇隊を募るものでした。人間ではこのようなことは行われないと言うと、人間が身分違いのものに惚れ込むのも、無意識に悪遺伝を撲滅しているのだとラップは言い、一本の鉄道を奪い合うために殺し合いをする人間の義勇隊よりも、河童の義勇隊のほうが高尚ではないかと主張しました。

 その時、「僕」の万年筆をある河童が盗みました。しかし「僕」は皮膚の滑らかな河童を捕まえることはできず、逃げられてしまいました。

 「僕」はこのラップにも世話になり、彼にトックという詩人に紹介されました。トックは髪を長くしていて、自由恋愛家であるため、細君を持たず、詩を書いたり煙草をのんだり、気楽に暮らしていました。
 トックは、親子兄弟は互いに苦しめあうことを楽しみに暮らしていると言い、家族制度をバカにしていました。主義を聞くと、自分は超人だと言いました。芸術は何者の支配も受けないため、芸術家というものは善悪を絶した超人でなければならないというのです。「僕」はトックに連れられて、彼がよく参加する超人倶楽部に遊びに行きました。彼らは皆超人で、男色を楽しんだり、アブサントを六十本も飲んで死んだりしていました。

 ある超人倶楽部からの帰り、トックは晩餐に向かっている家庭を外から見て、沈んだ様子で羨ましがりました。超人的恋愛家であるトックに、家庭を羨ましがるのは矛盾しているとは思わないかと聞くと、彼は家庭の中にある玉子焼きを見て、それが恋愛よりも衛生的だから羨ましいのだと言いました。

 河童の恋愛もまた人間のものとは変わっていました。雌の河童が雄の河童を追いかけるのです。雄の河童は散々に逃げ回りますが、たとえ捕まらなかったとしても、二、三ヶ月は床についてしまいます。雌の河童に抱きつかれたラップは何週間か「僕」の家の床の上に寝ていましたが、そのうちに嘴が腐って落ちてしまいました。時には雌の河童は、雄が追いかけてくるように策を練って、わざとつかまるようにするようなこともあるようです。

 マッグという、トックの隣に住んでいる哲学者だけは、その醜さと、ずっと家にいるために雌に追われることはありませんでした。彼によると、官吏に嫉妬心の強い雌の河童が少ないために、雄の河童が追いかけられるようです。彼は恐ろしい雌の河童に追いかけられてみたい気もすると言いました。

 「僕」はトックやトックの雌の河童、マッグと音楽会へ出かけ、超人倶楽部の名高いクラバックという天才と言われる作曲家の演奏を聞きました。するとある巡査が「演奏禁止」と叫びました。すると大混乱が始まり、観客たちはクラバックに「弾け!弾け!」と喚き続けました。
 マッグによると、絵画や文芸に禁止はないようですが、耳のない河童には風俗を壊乱する曲かどうかがわからないため、演奏禁止がよく行われるとのことでした。このような検閲は横暴ではないかと尋ねましたが、マッグは日本における検閲よりも進歩していると言いかけました。すると、この混乱の中、脳天に空き瓶が落ちてきて、マッグは気を失いました。

 「僕」は硝子会社の社長のゲエルに好意を持ちました。「僕」は医者のチャックや、裁判官のペップに連れられて、彼の晩餐や、色々な工場を見て回りました。書籍製造会社では、本の材料である紙とインクと、驢馬の脳髄だという灰色をした粉末を漏斗型の口へ入れるだけで無数の本ができるのを「僕」は目撃しました。この国では、このような工業の奇跡があらゆるところで起きているのでした。ペップによると、人手を待たずに大量生産が行われるため、数多くの労働者が解雇され、その職工を殺して肉を材料に使うようでした。「僕」はそれを不快に思いましたが、ペップは人間の国でも労働者階級の娘たちが売笑婦になっているではないかと言いました。ここにあるサンドイッチの肉も職工の肉だと言われた「僕」は家を飛び出して反吐を吐きました。

 ゲエルの倶楽部は「僕」には居心地のいいものでした。そのころ天下を取っていたクオラックス党の内閣は名高い政治家のロッペでしたが、ロッペを支配しているのはプウフウ新聞の社長のクイクイであり、クイクイを支配しているのはゲエルだと言います。そのゲエルも夫人に支配を受けているようでした。プウフウ新聞は労働者の見方であると銘打っていましたが、結局は大資本家のゲエル(とその妻)によって支配されているのでした。

 河童はいつも獺(かわうそ)を仮想の敵にしていました。ある日獺がある河童の夫婦を訪ねました。その夫婦の雌は、道楽者の亭主を殺すつもりで茶碗の中へ青酸カリを入れておきました。それを間違って獺が飲んでしまったため、その獺は死んでしまいました。その獺は勲章を持っていたので、河童と獺の間で戦争が起きました。その戦争で河童は勝ち、この国の毛皮は大体獺の毛皮になりました。ゲエルはその時に戦地にいる河童の食料となる石炭殻を現地に送りました。

 この倶楽部の給仕が入ってきて、隣家に火事が起きたが、すぐに消したと言ってきました。ゲエルはうろたえた様子でしたが、隣は自分の貸家なので、焼けても火災保険の金は取れると言って、微笑しました。

 その翌日、ラップが「おや虫取り菫が咲いた」と言ったところ、妹が「どうせわたしは虫取り菫よ」と言ってた当たり散らしてきたことを「僕」に語りました。それがもとで母親と叔母も喧嘩の仲間入りをして大混乱となったようでした。そこへ父親がこの喧嘩を聞きつけ、誰彼構わず殴り散らしました。ラップはこのことでひどく落ちこんでいたため、僕は彼を連れてクラバックを訪れました。クラバックは、紙屑が一面に散らばった中に苦い顔をして座っていました。僕がどうしたのかを尋ねると、自分の抒情詩はトックの抒情詩と変わらないと批評され、さらにロックという音楽家の足元にも及ばないという批判を受けていたと言います。ロックは名高い音楽家でした。クラバックはロックの影響をどうしても受けてしまうと言って、彼を恐れている様子でした。クラバックは、皆が自分を嘲るためにロックを前に出すのだと言って、マッグの書いた「阿呆の言葉」という本をわたしに投げてよこし、マッグは何もかもを承知でこれを書いたのだと言いました。

 ぼくはラップと往来に出るとトックに出会いました。トックは通りがかった自動車の窓から一匹の緑色の猿が顔を出したような気がしたと言いました。「僕」はチャックの診察を受けるようにトックに勧めました。トックは自分が無政府主義者ではないので、チャックの診察を受けるのはごめんだと言って去っていきました。

 ラップは往来の真ん中に脚を広げて股眼鏡にし、憂鬱だから世の中を逆さまに眺めていたが、同じことであったと言いました。

十一

 (この章ではマッグの書いた「阿呆の言葉」に含まれる数々のアフォリズムが書かれています。)

十二

 「阿呆の言葉」を読み飽きた「僕」がマッグを訪れようと出かけると、ひと月ほど前に僕の万年筆を盗んだ河童を見つけました。「僕」は巡査を呼び止め、その河童を取り調べるように頼みました。その河童はグルックといい、二、三日前まで郵便配達夫をしていたようです。彼は子供の玩具にしようと「僕」の万年筆を盗みましたが、その子供は一週間前に死んだと言いました。巡査はグルックは無罪だと主張しました。「僕」は巡査に教えてもらった刑法の箇所をマッグの家で読みました。マッグの家にはペップ、チャック、ゲエルが集まっていました。そこには、犯罪を行わしめた以降の事情が変わった場合は罪に問われないと書いてありました。つまり万年筆を盗んだ河童は親ではなくなったので、犯罪も消滅したというのです。「僕」がそれを不合理だというと、マッグは親だった河童と親である河童を同一に見ることこそ不合理だと言いました。
 この国では犯罪の名を犯人に聞かせて死刑を行うようでした。河童の神経作用は微妙なので、それだけで彼らは死に至るのです。その方法は殺人にも使われます。河童は蛙だと言われただけで死んでしまうと、マッグは言いました。

 その時、詩人のトックの家から、ピストルの音が聞こえてきました。

十三

 トックは拳銃自殺をしていました。その側には雌の河童が大声をあげて泣いていました。トックはゲーテの詩を机の上に引用していました。彼は詩人として疲れていたようでした。そこへちょうど訪れてきたクラバックに、トックの死についてどう思うかと聞くと、自分もいつ死ぬかわからない、とだけ答えました。親友であったのではないかと問いかけられると、トックはいつも孤独であったのだとクラバックは言いました。泣き叫んでいる雌の河童の代わりに子供の河童をあやしているうちに、「僕」は涙を流しました。
 クラバックは、素晴らしい葬送曲ができると言って、急いで帰って行きました。
 マッグは死骸を眺めたまま、河童の生活を全うするためには、河童以外の何ものかの力を信じることだ、と言いました。

十四

 「僕」はこの言葉に河童の宗教は何であるかと思い、学生のラップにそれを尋ねました。この国では近代教という宗教がもっとも力があるようでした。僕はラップと近代教の寺院へ出かけました。ラップは長老と呼ばれる年老いた河童に挨拶して、「僕」のことを紹介しました。ラップは長老に、寺院の案内を頼みました。両側にある大理石の半身像が「僕」の目を引きました。老人はその半身像について説明を始めました。
 その半身像はストリントベリイ、ニーチェ、トルストイ、国木田独歩、ワグネル、ゴーギャンのものでした。彼らは皆、近代教の信者であったと言います。正面の祭壇には「生命の樹」が祀られていて、その教えは「食えよ、交合せよ、旺盛に生きよ」だといいます。長老は、トックは不幸にも信仰を持たなかったのだと言いながら、実は自分も神を信じることはできないと、秘密裏に「僕」に教えました。ちょうどそのとき、雌の河童が部屋に入ってきて長老に跳びかかりました。彼女は、長老が自分の財布から飲み代に消える金を盗んでいったことに怒っているのでした。「僕」らがその大寺院を出ると、ラップは、あれではあの長老も「生命の樹」を信じないわけだと、言いました。

十五

 その一週間後、「僕」はトックの家に幽霊が出るという話をチャックから聞きました。その頃は雌の河童も家を出て、そこは写真のスタジオになっていました。本屋でトックの幽霊に関する記事を読むと、部屋の写真にはトックらしき河童が、ぼんやりと写っていました。
 心霊学協会は次のように報告していました。十七名の心霊学協会の会員は会長のペック、メディアム、ポップ夫人を同伴しこのスタジオに集まりました。ポップ夫人はスタジオに入るとすぐに痙攣を始め数回嘔吐しました。それはトックが煙草を愛していたために、心霊的空気もニコチンを含んでいるためでした。ポップ夫人が黙坐すると、トックの心霊が憑依してきました。
 トックの幽霊に会員は質問を始めました。トックは死後の名声を知るために幽霊になったようでした。トックによると、死後の名声を軽蔑していた芭蕉の句「古池や蛙跳びこむ水の音」は、悪くありませんが、蛙を河童にすればさらに良くなるといいます。その理由は、河童はいかなる芸術にも河童を求めるからでした。
 会員がトックに自殺を後悔しているかを聞くと、トックは後悔しておらず、心霊的生活に倦めば、またピストルを取り出すだろうと言いました。幽霊になった彼は、他の自殺者と友達になっていました。
 トックは自分の死後の名声を聴きはじめました。会員は、全集は出たものの、売上は悪いことを伝えました。トックは、自分の全集は三百年後に評価されるであろうと言い、妻や子の消息を聞くと去って行きました。

十六

 このようなことがあってから「僕」は憂鬱になり、人間の世界に帰りたいと思うようになりました。バッグによると、町外れにいるある年取った河童に尋ねてみれば、帰る方法がわかるかもしれないようでした。そこを訪れてみると、いかにも若い河童が笛を吹いていました。彼は生まれた時には白髪頭をしていたようですが、だんだんと若くなっていったそうでした。彼は幸せに見えました。年寄りほど欲に乾かず、若者のように色に溺れない。それが彼の幸せに暮らしているように見える所以であると言います。

 「僕」は帰りたいと相談すると、彼は天井から降りていた一本の綱を引きました。すると天窓が開き、綱梯子から外へ出て行くがよいと言います。歳をとった河童は、出て行って後悔しないようにと「僕」に言いました。

十七

 河童の国から帰り、「僕」は人間の匂いが気になりました。そして河童の清潔さを思い出し、人間が気味の悪いものに思えてきました。一年ほど経ち、ある事業に失敗すると、河童の国に帰りたいと思うようになりました。そして家を出て中央線の汽車に乗ろうとしたところを巡査に捕まり、病院に送られました。

 ある曇った日、バッグが水道管を通って「僕」を見舞いに訪れました。それからは二、三日おきに色々な河童が「僕」を訪れました。S博士によれば「僕」の病気は早発性痴呆症ということですが、医者のチャックによると、早発性痴呆症なのは、「僕」ではなくてそのほかの人間なのだそうです。クラバックは土産に今机の上にある黒百合の花束を持ってきてくれました。(書き手は机の上を見ましたが、そこには花束はありませんでした。さらに「僕」は電話帳を広げて、トックの全集だと言って詩を大声で読みはじめました。)

 その詩の内容は次のようなものでした。

 仏陀も基督ももう死んだが、我々は芝居の背景の前であろうと休まなければならない。そしてその芝居の背景は、裏を見れば継ぎ接ぎだらけのキャンバスばかりだ。

 裁判官のペップは職を失って発狂し、河童の国の精神病院にいるということです。S博士の許しがあれば「僕」は見舞いに行ってやりたいのです。

作品の概要と管理人の感想

『河童』は、一九二七年に発表された短編小説です。芥川龍之介が自殺したのと同じ年に発表されており、作品中にも自殺を意識した内容が書かれています。
 この作品の書き手は、ある精神病院を訪れ、院長のS博士とともに、ここに入院している患者(第二十三号)の話を聞きます。患者は上高地を散歩中に河童に出会い、その後を追っているうちに河童の世界に迷い込んできたと言います。患者の物語る河童の世界は、人間の世界とは全く異なっているものでした。

 この作品中に描かれる河童の世界は、人間社会の合わせ鏡のようでもあり、なにもかもがあべこべのようにも見えます。しかし非情な合理性に満ちており、彼らの言うことは納得さざるを得ないものばかりです。

 たとえば、河童が生まれるときには親の都合ではなく、子供がこの世に生を授かりたいかを判断します。
 悪遺伝を撲滅するために、不健全な男女との結婚が推奨されています。
 雌の河童が雄の河童を追いかけ、追われた雄の河童は、たとえつかまらなくても二、三か月は寝込んでしいます。
 耳のない河童は音楽がわからないために、風俗を乱すものであるかもしれないという理由で演奏禁止が行われます。
 工業が発達しているがために、大量の職工の解雇が行われ、解雇された職工は肉にされて食膳に提供されます。

 このように、人間社会とは全く異なった世界が描かれているようにも感じる河童の世界ですが、実は人間社会も河童の社会も同じようなものなのかもしれません。

 悪遺伝を撲滅するために、不健全な男女との結婚が推奨されていることに、「僕」は人間の世界ではそのようなことは行われないと言います。これに対し、人間の令息が女中に惚れたり、令嬢が運転手に惚れたりするのも、無意識に悪遺伝を撲滅しようとしているのだとラップは主張します。

 芸術を理解しない者たちが、その真髄を見ることなく発禁処分や芸術破壊を行う人間社会も、音楽がわからないために演奏禁止が行われる河童の世界と同じようなものでしょう。

 解雇された職工が屠殺され、その肉が食膳に提供されるというのは、資本家が貧乏人を搾取している人間界を揶揄しているようで、人間の国でも労働者階級の娘たちが売笑婦になっているではないかとペップは言います。

 雌(女性)が雄(男)を追うというのも、人間とは正反対の社会のようでもありますが、なんとなく真を突いているような感じもします。

 そしてラップは往来の真ん中に脚を広げて、股の間から世界を眺め、このように言います。

「いえ、あまり憂鬱ですから、さかさまに世の中をながめて見たのです。けれどもやはり同じことですね。」

 正反対に見える河童の世界も人間の世界も、とらえ方が違うだけで本質は同じであるということでしょう。芥川龍之介は、人間の世界とは真逆の河童の世界を描くとともに、人間の世界と同じ河童の世界を描いているのです。

 そして前者であれ後者であれ、河童の世界を通して描かれた人間社会の矛盾点や非合理性、政治の腐敗が痛烈に批判されています。

 それにしても、この小説はとくに後半になると難解になります。そしてその難解さが、文章の難しさから来るものなのか、自分の教養のなさから来るものなのか、そもそも人間の世界の話ではないから難しいのかわからなくなります。天才と呼ばれた芥川龍之介に翻弄されているような気分にさせられる作品です。一般に、「代表作」と言われるものは易しいものが多いのですが、この『河童』はかなり曲者であると言えるでしょう。

 ただし、難しいことを考えずに、ただ河童たちの不思議な生態を楽しむという読み方もできると思います。チャック、トック、ラップ、ゲエルといった(ある意味)愛らしいキャラクターを、この精神病患者とともに訪れてみるだけでも、十分に楽しめる作品です。