太宰治『富嶽百景』ってどんな作品?登場人物、あらすじを詳しく解説

太宰治作『富嶽百景』のあらすじ、概要、コメントを紹介するページです。

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

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『富嶽百景』の登場人物


甲州の御坂峠にある天下茶屋に宿泊する。

井伏鱒二氏
御坂峠の天下茶屋にこもって仕事をしていた。「私」の見合いの世話をする。

甲府の娘さん
「私」の妻となる人。

おかみさん
「私」が滞在した御坂峠の茶店を営む。

茶店の娘さん
その娘。十五歳。

『富嶽百景』のあらすじ

 昭和十三年の初秋、「私」は思いを新たにする覚悟で、甲州へと旅に出ました。海抜千三百メートルの御坂峠の頂にある天下茶屋という茶店の二階に、井伏鱒二氏がこもって仕事をしていたので、「私」はそこの隣室を借りるつもりでした。
 その茶店では富士と真正面から向き合うことになりました。富士三景に数えられる展望でしたが、「私」は風呂屋のペンキ画のようなその景色に狼狽し、顔を赤らめました。

 井伏氏が御坂峠を引き上げることになり、「私」は甲府までお供をしました。そこで「私」は見合いをすることになっていました。井伏氏が「おや、富士」と言ったので、振り返ってみると、富士山頂大噴火口の鳥瞰写真がかけられていました。体を元に戻した時、そこにいる娘さんがちらっと見え、多少の困難はあっても、その人と結婚したいものだと「私」は思いました。

 「私」を訪ねてきた青年と吉田で酒を飲み、一泊して御坂峠に帰ると、茶店の娘さんが、富士に雪が積もっていることを伝えました。「私」はそれを見て、御坂の富士もばかにできないと思いました。その富士を褒めると、娘さんは得意そうでした。「私」は山で採ってきた月見草の種を蒔き、来年またこの月見草を見に来ると娘さんに伝えました。
 月見草を選んだのには理由がありました。「私」が郵便物を取りに河口村に行った帰り、バスの女車掌が、「きょうは富士がよく見えますね」とアナウンスを始めました。乗客は富士を見上げ、嘆声をあげましたが、「私」のすぐとなりにいる六十くらいの老婆だけは、富士と反対側の断崖をじっと見つめ続けていました。「私」にはその様が快く感じられ、共鳴するつもりで、その老婆と同じ反対側を向いていました。老婆は「おや、月見草」と指さしました。けなげにすっくと立ち、富士と相対した月見草を見て、富士には月見草がよく似合うと、「私」は思ったのでした。

 実家から援助がもらえないことがわかり、「私」は見合い相手の家にそれを正直に伝えました。娘さんの母は、愛情と、仕事に対する熱意さえ持っていれば結構だと言ってくれました。「私」はこの母に孝行しようと思いました。娘さんがバスの発着所まで送ってくれました。質問はあるかと言う「私」に対し、娘さんは、富士山にはもう雪が降ったでしょうかと言いました。目の前に富士が見えるにもかかわらず、御坂峠にいる「私」に富士山のことを聞かなければ悪いと、娘さんは考えたようでした。「私」は拍子抜けし、おかしな娘さんだと思いました。
 甲府から帰ると、「私」は仕事をする気が起きず、煙草を吸いながら寝転んで生活を送りました。茶店の娘さんはそんな「私」を「わるくなった」と言い、「私」の書いた原稿を番号順に揃えるのが楽しいのに、それができないと言いました。「私」は、その娘さんの、人間の生き抜く努力に対しての、報酬を考えない純粋な応援をありがたいと感じ、娘さんを美しいと思いました。

 十月末になり、娘さんが一人で茶店に残されることが度々ありました。「私」が出かけて帰ると、娘さんは良くない客を迎えたのか、泣いていました。それ以来、「私」は娘さんが一人にならないように気をつけ、客が来ても娘さんを守るように二階から降りて行くようになりました。

 ある日、正装をした花嫁が、紋付を来た爺さん二人に付き添われ自動車でやってきました。その花嫁は余裕のある雰囲気で富士をゆっくりと眺め、欠伸をしました。花嫁が去った後、富士を眺めて欠伸をするなんて、その花嫁の結婚が初めてではないだろうと、「私」と娘さんは噂しました。娘さんは、あんなお嫁さんをもらってはいけないと言いました。結婚話が好転していた「私」は年甲斐もなく赤くなりました。

 十一月になり、寒さを感じるようになると、茶店のおかみさんは「私」を心配し、炬燵を買ってきました。「私」はお礼を言いたくなりましたが、寒気に辛抱していることも無意味に思われて山を降りることにしました。
 山を降りる前日、東京から来たであろう二人の娘さんが、カメラのシャッターを切ってくれと頼んできました。「私」は、華やかな娘さんに用事を頼まれて狼狽しました。シャッターの切り方を聞き、レンズを眺めると、富士の下に二人の娘さんが寄り添ってまじめな顔になりました。「私」はおかしくなり、「富士山、さようなら、お世話になりました」と、二人の上にある富士だけをカメラに映しました。

 そのあくる日山を降り、甲府の安宿から見た富士は酸漿(ほおずき)に似ていました。

作品の概要と管理人のコメント

 『富嶽百景』は一九三九年に発表された太宰治の短編で、その前年に滞在した御坂峠の茶店での出来事を中心に、これまで見てきた富士山とのエピソードの数々を書き上げた名作です。
 女性との心中、実家との義絶、薬物中毒など、自らの弱さから陥った経験を書く作家というイメージが強い太宰治ですが、この時期の作品は、自分の人生の切り売りではない方法で、読者を楽しませようという意識に溢れたものが多いように思います。それまでの破滅的なものとは異なるこれらの作品は、まさに富士と対峙する月見草のような、凛とした美しさを持っています。

 昭和十三年、太宰治本人である「私」は、心機一転するために、井伏鱒二が滞在している御坂峠を訪れます。滞在先で出会った様々な人々により、「私」の心は徐々に癒されていきます。
 その中でも、茶店の娘さんとの心の交流は、特に印象的です。
 その娘さんは、原稿を書く気を失って二、三日ごろごろしている「私」を非難し、書き散らかした原稿用紙を番号順に並べるのが楽しいので、たくさん書いてくれていると嬉しいと言います。「私」はそれを、なんの報酬も考えない「人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援」だと思い、その娘さんに深く感謝します。
 そして「私」もまた、度々茶店に一人で取り残される娘さんが悪い客に絡まれないように見守ります。
 誰かから保護され続けてきた太宰治の一人称作品の中では、自分から誰かを保護する描写は珍しく、それだけこの時期の太宰治は、心身ともに充実していたということでしょうか。

 最後のシーンでは、東京から来た二人の女性に写真をたのまれた「私」は、ポーズをとる二人の上に聳える富士だけを写します。その時に心の中でつぶやいた、「富士山、さようなら、お世話になりました」という台詞は、御坂峠で出会ったすべての人々への感謝の表れのようにも思われます。現像された写真を見た二人の女性は驚くでしょうし、場合によっては憤慨するかもしれません。しかし、このようないたずら心によって、人は自分の心の中に余裕があることを知り、気持ちが軽くなるものです。梶井基次郎の『檸檬』を彷彿とさせるような爽やかな結末です。そして、このユーモアに満ちた文章こそが、実は太宰治の最も大きな魅力であり、この『富嶽百景』は、その魅力が如何なく発揮された作品であると思います。