太宰治『駈込み訴え』ってどんな作品?あらすじ、登場人物を詳しく解説

太宰治作『駈込み訴え』のあらすじ、感想、考察を紹介するページです。

走れメロス (新潮文庫)

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『駈込み訴え』の登場人物


イスカリオテのユダ。両親も生まれた土地も捨て、「あの人」について歩く。

あの人
イエス・キリスト。「私」の師。

『駈込み訴え』のあらすじ

 「私」は、自分の師である「あの人」を殺してほしいと訴え出ています。「私」は同い年である「あの人」に、意地悪くこき使われ嘲弄されてきたと言います。「私」が影でこっそりとかばい、世話をしなければ生きてこられなかったにもかかわらず、「あの人」はその苦労を知らぬふりして、「大群衆に食物を与えよ」などと無理難題を突きつけてきました。
 「私」は「あの人」を子供のように欲がなく、美しい人だと言います。「あの人」は、不機嫌な顔をしている「私」を見て、寂しさを人にわかってもらわなくても、誠の父だけがわかってくれればよいではないかと説きました。「私」はその言葉を聞き、声を出して泣きたくなり、どれだけ自分が「あの人」のことを愛しているかを伝えました。他の弟子たちは、「あの人」についていくと何かいいことがあるのではないかとしか考えていないと「私」は思います。「私」は、両親も生まれた土地も捨て、「あの人」について歩きました。「あの人」が死んだら一緒に死ぬつもりでいます。「私」は「あの人」のことを嘘つきだと思います。それでも「あの人」の美しさを純粋に愛しています。

 「あの人」は自分を嫌い、意地悪をしてくるように「私」は感じます。六日前、マリヤが高価な香油をあの人の頭に注ぎました。「私」は無性に腹が立ち、マリアを叱りました。しかし、「あの人」は「私」をにらみつけ、自分の葬いの備えをしてくれているのだから、この女を叱ってはいけないと言いました。 「私」は、「あの人」が貧しい百姓女のマリアに恋をしているのだと理解し、激しい嫉妬を感じました。すると「私」の中に、「あの人」を自分の手で殺してあげようという考えが沸き起こってきました。

 その翌日、「私」たちは憧れのエルサレムに向かって出発しましたが、老いぼれた驢馬に乗り、とぼとぼとエルサレム宮に向かって歩く「あの人」の姿に、「私」は憐憫を覚えました。
 宮に入ると、「あの人」は商人達を追い払い、三日で直してしまうから、この宮をこわしてしまえと弟子達に命じました。やけくそになって幼い強がりを言う「あの人」を、これまで一途に愛してきた自分自身の愚かさを、「私」は感じました。

 「あの人」が殺されることに決まったと、「私」は町の物売りから聞きました。群衆が暴動を起こさないよう、「あの人」が弟子といるところを見つけたものに銀三十を与えるというんことも耳にしました。「私」は他の人に「あの人」を引き渡されるのであれば、自分がそれを成そうと考えます。それがひたむきな愛の行為であることは誰にも理解されず、その行いは永遠に人の憎しみを買うでしょう。しかし「私」は自分の生き方を生き抜くことを決心したのでした。
 お祭りの当日になり、皆が食卓に着くと、「あの人」は盥の水で弟子たちの足を洗い始めました。「あの人」が弟子たちにすがりつきたいような気分になっているのだと「私」は察し、泣きたいような気分になり、あの人を売ろうとしていたことを心底後悔しました。
 愚かな正直者であるペテロは、なぜ弟子の足などを洗うのかと聞きました。「あの人」は足を洗うことで皆の全身が汚れなく潔くなったのだと言いましたが、その直後「みんなが潔ければいいのだが」と言いました。その言葉によって自分の真意が見抜かれていたことを知った「私」は、憤怒にかられ、「あの人」を売って殺し、自分も共に死ぬのだという決意に目覚めました。
 「あの人」は、弟子達に向かって、これからはお互いに仲良く足を洗いあってやるようにと説きました。そして、「おまえたちのうちの、一人が、私を売る」「その人は、ずいぶん不仕合せな男なのです。ほんとうに、その人は、生れて来なかったほうが、よかった」と言い、その人に一つまみのパンを与えると宣言して、それを「私」の口に押し当てました。
 公然と辱めを受けた「私」は、「あの人」を憎みました。「あの人」は、「おまえの為すことを速やかに為せ」と言いました。「私」は料亭から走り出て、この場へやってきました。「私」は「あの人」と肩を並べて死ぬつもりでいます。

 「私」は銀三十を差し出されました。初めは金欲しさに訴えたわけではないと、それを引っ込めるように言いましたが、卑しめられている金銭で「あの人」に復讐をするために、その金を受け取りました。そして、自分は商人なのだから、金のために「あの人」を売るのだ、金が欲しくてならぬと言いました。  「私」はイスカリオテのユダだと名乗りました。

作品の概要と管理人のコメント

 『駈込み訴え』は一九四〇年発表の短編小説で、太宰治が妻の美知子に口述筆記させた作品と言われています。聖書に書かれていることを元にして、ユダがキリストへの愛と憎しみを独白する形をとって書かれています。
 既にある物語を新しい解釈で書くというのは、太宰治の得意技です。この『駈込み訴え』では聖書を元にしていますが、『お伽草子』では、日本の民話を、一般に知られているものとは全く異なった物語として創作し直しています。これらの作品に共通されるのは、偶像としてデフォルメされた登場人物が、再び「人間」に戻されているという点にあると思います。
 裏切り者として知られているユダに関する解釈は諸説あるようですが、欲に固まり、イエスを神と信じていなかったという考え方が一般的のようです。しかしこの作品のユダは、非常に偏執的にイエスを愛しています。彼はイエスの美しさに惚れこみ、散々に世話を焼いた挙句、イエスが恋をしているのではないかと思い込んで嫉妬し、自分の手で殺すことを決意します。金銭に対する執着は一切ないにも関わらず、「金で命を売られた」という屈辱を与えるために、敢えて銀貨を受け取ります。聖書のユダは、イエスを売った自分の行為を悔いて自殺をしますが、この作品のユダは始めからイエスと心中することを決め込んでいます。裏切り者の代名詞として扱われることの多いユダが、この作品では、極端とはいえ、愛に満ちた人物として、生き生きと書かれているのです。
 他人の心情を人一倍敏感に感じ取り、優しさに満ちた作品を書き続けてきた太宰治は、民話や伝承の登場人物が、知られている事実の裏で、本当は何を考えて行動していたのかを考えるのも得意だったのでしょう。たしかに、もしユダがイエスを愛しすぎるほどに愛していたのであれば、そのイエスから「生まれない方がよかった」と言われ、自分の手で殺してしまおうとするのも納得ができる気がします。愛するが故の悲しみが、胸に迫ってくる作品です。